90歳の日々は、それ以前に比べ、なかなか大変だなあ、と思うことが増えてきた。
大変であっても、朝はやってくる。
カーテンを開けると、6時前の空が明るんで、日の出の気配であった。
窓辺に立って明けの空を眺めていると、お日様は、6時には山の端をはなれた。
美しい朝である。
ガンを病むSさんから、食事を一緒にしないかと、今朝、メールが届いた。数人一緒だということであった。
施設にいる私は、まだ外食が許可されていない。
買い物は許されているので、この際、眼鏡の修理に行ってこようと思い、外出の許可は得ておいた。
先日、帰宅中に、家用の老眼鏡のガラスが外れてしまったのを持参している。
Sさんらの食事処は、ゆめタウンに近い。
眼鏡の修理を兼ねて、Sさんとその仲間に会うことはできる。
今月になって、親しくしていた先輩の死に遭遇した。3月28日に、電話で話したのが最後となった。別れは容赦なく、突如訪れるものと、未だ心に寂寥が癒えぬままである。
施設での昼食を済ませたあと、タクシーを呼んで出かけた。
会いたいという人には会っておきたい。これが90歳の思いである。
Sさんら80歳の人たちと、暫し話をすることはできた。そして、眼鏡の修理もしてもらった。
それだけで、大仕事をしたかのように、なんとなく疲れを覚える。そして、これが90歳の実態なのだと感じている。