ぶらぶら人生

心の呟き

1月、早々に往ぬ!

2016-01-31 | 身辺雑記
 時の過ぎるのが、はやい、速い!
 2016年の1月が、今日で終わる。

 顧みて、低レベルの生活だったな、と思う。
 入念にすべきことは避け、楽なことばかりしていたような気がする。

 ブログも、然り。
 複雑な思考や表現力を要することは億劫になり、どうでもいいことばかりを書いてきた。
 根気よく挑む力が、次第に萎え…。

 暖かいお正月の後、月の半ばを過ぎて、大きな寒波がやってきた。 
 総じて、冬らしい1月だった、と言えそうだ。
 珍しく雪が降り積んだし、寒冷の日が続いた。
 そんな日々は、蟄居を余儀なくされ、心まで閉じ込められた感じだった。

 冬は嫌いな季節ではないけれど、あまり長いと春が待たれる。


      
                <冬の景> 蘆の穂・穂綿 

      
                 午後4時 陽が南西に傾いて            
     

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1月の庭 (椿にメジロ)

2016-01-30 | 草花舎の四季
 久しぶりに草花舎へ行った。
 Yさんの入院(白内障の手術)のため、1月中は、閉店ということになっていた。
 
 今日は、天気予報と違って、久々の好天となった。
 海辺にでも出かけてみようかと思っているところへ、Yさんからメールが入った。
 「今日午後から営業します」と。

 そこで、外出の目標が定まった。
 外に出てみると、天上は青一色。
 雲は、山の端に、わずかに漂うだけであった。

 草花舎の庭も、春が来たかのように明るんでいた。
 日差しのあふれる庭に、寒さはい。
 裏庭の椿を眺めてたたずむと、時折、梢が動く。
 風もないのに。
 よく見ると、一羽の小鳥が、自在に葉蔭を移動している。
 ホオジロである。(カメラに収めることはできなかったけれど)

 群れをなさないのだな、と少し離れた位置から眺める。

    (スズメは、たいてい群れをなしている。それも、かなり大きな群れを。
     小鳥も種により、群れを好むものと、孤を好むものとがあるらしい。) 

    
        

        

             
                           前庭

              
                          金柑の実

  
        土筆を探して草原を見ると、小さな春の花たちが、早くも咲いている


                            室内の花々
  

   

      
                      
                 

                       コーヒーとケーキ
         

                   帰途の空(奇妙な雲が広がり始めて)
         

         

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お手玉

2016-01-28 | 身辺雑記
 昨日、また歯科医に相談しなければならない、小さな異常が起こった。
 早速、M歯科医院に電話した。
 今日、治療してもらえることになり、所用を兼ねて街に出た。

 「確定申告」の書類が、昨日届いた。
 街へ出るついでに、申告の書類を税務署の窓口へ提出しておこうと、昨夜、申告書を作成した。
 
 「確定申告の手引き」に従って、足し算・引き算・掛け算といった単純な計算をするだけなのだが、決して楽しい作業ではない。
 年々、神経の疲労も大きくなる。
 しかし、自力でできた喜びは大きい。
 申告すれば、還付金が通帳に振り込まれる、それもささやかな喜びである。


 昨日はもう一つ、アマゾンへ注文した「お手玉」が届いた。
 老女とお手玉。
 奇妙な取り合わせだが、ボケ防止である。

 見本の中に、絣のお手玉があった。
 これがいいなと思ったが、あいにく<現在、品切れ>であった。
 次の候補は、紅型のお手玉だった。(下の写真)

 赤い紙に包まれて、届いた。
 色とりどりの、五つのお手玉。
 幼女が、喜びそうだ。
 老女も、うれしい。
   (老女は、幼女に似たところがある。いうまでもなく、決して、可愛くはないけれど。)

                 

  
          紅型のお手玉                 使用後は、小さな籠に片付ける

 早速、お手玉で遊ぶ。
 子どものとき、母が作ってくれたものとは、どこか違う。
 感触の違いは、なんだろう?

 愛の有無?
 中身の問題?
 母のお手玉には、数珠玉か小豆が入っていたのだと思う。
 掌に心地よく、触れて発する音が涼やかだった。

 紅型のお手玉に入っているのは、何かよく判らない。
 が、指の感触では、小さなビーズのような気がする。音はない。
 

                   

 一日遅れて、今日、上記の本が届いた。
 お手玉を使っての遊び方が、いろいろ紹介してある。
 
 老人の集団で、お手玉遊びというのは、想像するだけで、もの悲しい。
 私は、ひとりで勝手に遊びたい。

 お手玉の効用を、NHKのあさイチで見た。
 確かに、心身の刺激になりそうだ。
 頭も使うし身体も使う。

 先日来、そろばん遊びもしている。
 1から100までの足し算である。
 至極、単純な遊び。
 させられるのではなく、自分でする、それが楽しい。
 
 (読書や数独も、生活の中の楽しみである。しかし、こちらは頭の体操にはなっても、身体には関係がない。)

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小さな発見

2016-01-27 | 小庭の四季
 軒下に、わずかに残る雪を眺めながら、庭を歩いた。(午後2時半)
 雪は、純白に輝き、清浄であってこそ美しい。
 名残の雪は、薄汚れている。

        

 数時間後には、完全に消えてしまうあえかな雪もあった。(下の写真)
 PCに取り込んだ画面を見ると、藍色の小さな数個の実が、写っている。

      

 間違いなく、ジャノヒゲの実であろう。
 そう思いながら、もう一度、その場に行ってみた。

 かつては、盛り上がるように、生き生きと繁っていたジャノヒゲが、今は命絶え絶えである。
 それでも、美しい実をつけていることに気づき、嬉しかった。
 実がなっているということは、花も咲いたはずだ。
 見落としてしまうほどの小さな花?
 今年こそは、花の季節、よくよく確かめることにしよう。

 枯死寸前のジャノヒゲを、もう一度蘇らせる術(すべ)は、ないものだろうか?

      

 「プロセス」と題したブログに、シデコブシの蕾を掲載した。
 今日見ると、衣を脱いだ一部が、枯れ色を帯びている。
 寒波の被害者が、ここにもあった。
 この蕾が美しい花となるのは、残念ながらむずかしいかもしれない。
 
      

 もう一つ。
 ノボタンは、年が明けても花をつけていた。
 ところが、その木の葉が、すべて萎れてしまっている。
 この木も、被害者。
 元来、寒さに弱い植物と言われている。
 根が生きていることを念じるばかり!

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雪解けの音

2016-01-26 | 身辺雑記
 大雪や低温の余波として、<断水>という大きな被害が出ている。
 それは、西日本の広範な地域に及んでいる。
 予想を越える寒波だったことが最大の原因である。が、温暖な地域、大雪に縁の薄い地方ほど、凍結に対する備えが足りなかったことも、被害を大きくした一因であろう。
    (私も、温水器への給水管を凍らせてしまった。今後の凍結防止のために、
      どうすればいいか、対策を講じる必要がありそうだ。)

 水道管の破裂は、当地でもかなりあったようだ。
 そのため、水不足が懸念されるらしく、節水に努めるよう、水道課からの注意があった。

 水のない生活ほど、不便なことはない。
 日常、当たり前なこととして、その恩恵を受けている電気も同じだ。
 停電が続き、暖をとることができなければ、命にも関わるようだ。

      (台湾では、想定外の寒冷により、死者が出たという。)
      (夏の熱中症に対し、寒冷による死に至る病は、何と呼ばれるのだろう?)

   

 今日は、かなり気温があがった。
 積もった雪は、その嵩をどんどん減らしている。
 雪解けの音を、春の予兆として聞きつつ、一日を過ごした。
 


         
             ヤマボウシの枝に消え残る雪

            
                 花壇に残る雪

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過信の落とし穴

2016-01-25 | 身辺雑記
 予想外の冷えが、思いがけぬ災難を招いた。
 23日夜の予報で、全国的に(特に西日本)は、翌24日が荒れ模様になると報じていた。
 気温も、零下に下がると。
 その通り、雪の少ない九州各地でも、大雪が降った。

 何年か前、温水器へ水を送る管が凍り、お湯の出なくなったことがある。
 初めての経験で、早速、業者にみてもらった。
 その経験を活かし、今回は、夜10時過ぎから、水道を出しっ放しにしておいた。

 24日の朝は、普段通りに、お湯を使うことができた。
 ところが、真昼間、昼食の準備にとりかかろうとしたとき、全くお湯が出なくなっていた。
 <電源>を入れても、<出湯中>や<燃焼>が作動しない。

 今年に入ってから、温水器の使用中、数度の不具合があった。
 「ピッピッピッピ」と妙な警告音が鳴り、温水の出なくなる現象である。
 が、<電源>を押し直すと、元通りになったので、業者にみてもらった方がいいと思いつつ、相談を怠ったまま、日を重ねていた。

 お湯の出ない原因は、それだと思い込んだ。
 予兆があったのに、異常を無視したのがいけなかった、と後悔した。
 しかし、この寒冷のさなか、お湯なしの生活は不便極まりない。
 さっそく、温水器の取扱店に電話した。が、あいにくの日曜日なので、点検・修理は明日以降になるとのことであった。

 我慢するしか仕方がない。
 水道管に異常はないので、水は出る。
 ガスコンロでお湯を沸かし、不便をしのいだ。
    (今から思えば、ずいぶん辛かった昔の生活を思い出しながら。)
 
 今日も、雪が舞い続けた。
 待っている業者からの連絡がない。
 今晩もお風呂に入れないのかと思うと、気分が重い。

 昼過ぎ、業者に再び電話をした。
 担当者に連絡をとって、訪問の時間を伝えるからとの返事だった。

 間もなくして電話があり、直接、担当者と話をすることができた。
 指示に従い、切っていた電源を入れ、いつものやり方を試みると、蛇口から豊かな水が流れ出し、やがてお湯に変わった。
 摩訶不思議なことであった。
 専門家の立場から、温水器へ水を送る管が一時的に凍結したのでは? と判断されたようだ。
 結局、以前と同じ失敗であった。

 私には、二つの過信があったのだ。
 凍るのは、夜間や早朝にかぎるという思い込みが一つ。
   (当地は海に近いせいか、ひと冬をとおして、零下に下がることは数えるしかない。
    たとえ深夜、気温が下がっても、日中の凍結などあり得ないという過信があった。
    だから、夜間はお湯が出るようにしておいたのに、朝食後、片づけを終えると、蛇口を閉めて
    しまったのだ。非科学的な過信のゆえに。
    気象現象には、常に予想外がある。
    そのことに気が回らなかった私が、間抜けている。)
 もう一つは、電気系統の異常が原因だという、勝手な思い込みである。

 とにかく、一件落着。
 さっそく、早々に入浴を済ませた。(午後3時前に)

 思いがけない寒冷と大雪のため、業者は今、多忙らしい。
 担当者は、問題が一つ、電話だけで解決し、安堵された様子だった。
 電気系統の点検には、後日伺う…ということである。



 今夕も、意外に、雪は消え残っている。
 午後は、吹雪のおさまるときもあったが、完全に降りやむ気配ではない。
 気温が、少し緩んではいるけれど。
 今回の寒冷は、明日まで、もち越されるらしい。

  
           午後四時 窓越しに撮った眺め(空の青が少しのぞいて…)

 昨日、隣家の坊やの作った雪だるまが、空き地の一角に、薄汚れたまま座っている。 
                 

 小中学校は休校の一日だったが、外で遊ぶ子どもたちの声は聞こえなかった。
 こんな日、今の子どもたちは、何をして過ごすのだろう?

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モノクロームの世界

2016-01-24 | 身辺雑記
 やっと雪景色にめぐり合えた。
 昨夜、就寝前に裏庭を見ると、雪の降り積む気配があった。

 予想通りの雪景色となった。
 真綿でくるまれたような、なつかしい雪景色ではないけれど、それでも地面は白一色となった。

 <犬は喜び 庭かけまわる>と、昔、歌った。
 犬がそれほど喜ぶかどうかは知らないけれど、私は雪好きである。
 (長期にわたって閉じ込められれば、うんざりするだろうけれど…。)

 よほど吹雪いたらしく、裏口に置いていた<つっかけ>も<靴>も、雪まみれになっていた。
 外に出るのは危険なので、入り口に立って、雪景色をカメラに収めた。

         
                          玄関より

         
                        キッチンの窓より

  
            木斛と雪                       金木犀と雪

  
            臘梅と雪                        椿と雪

  
                             玄関より


                 以下3枚は、窓越しに撮った景(午後)
         
                        花壇のシクラメン

         
                         雪の中の藪柑子

         
                        万両も雪に覆われて


 先日来、おりに調子がおかしくなっていた温水器が、ついに不能となった。
 日曜日だから、修理はだめだろうと思いながら、T社に電話した。
 点検・修理を依頼。
 明日、業者にみてもらえることになった。

 午後、市からの連絡メールが、スマホに入った。
 市内小中校の休校についての知らせである。

 <安全第一>の時代らしい。
 子ども同士、雪合戦を愉しむこともないのは、寂しいことに思えるけれど。
 雪焼けで、小さな手の甲を焼き餅のように膨らませていた、子どものころの冬が懐かしい。 

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『特別な一日』

2016-01-23 | 身辺雑記
 山田稔著『別れの手続き』をアマゾンに注文したとき、同じ著者の『特別な一日 読書漫録(編集工房ノア・2008年1月14日刊)も、あわせて注文した。
          
            

 12編の随筆集である。
 「母の遺したもの」と「別れの手続き」は、先に読了した『別れの手続き』の中にも納められていたので、それを除く10編を読んだ。

 筆者自身が、タイトル「思いのままに」(島京子『昼下がりの食卓から』について書かれた随筆)のなかで、

 <随筆集のうれしい点は、読む方も気の向くままに前後おかまいなく読めることである。>

 と、書いておられる。(P82)

 私も、随筆集を読むときは、だいたいそうしている。
 『特別な一日』も、編集の順番を無視して読んだ。
 表題となっている「特別な一日」は、この本の終わりの方に載っている。
 が、まず「特別な一日」を読み、以下順序不同に読んだ。
 読み終えると、目次の題名の上に、しるし()を入れておく、といったやり方で。

 「特別な一日」「「わが書の来歴」「臘梅忌まで」「文体の練習」「思いのままに」…(以下略)…と、読み進んだ。
  (題名は、随筆の一部として大切なものだとつくづく思う。読んでみたくなるような題をつけること!)


 20日のブログ『別れの手続き』でも、すでに書いたことだが、山田稔氏の文章には、豊かな深い味わいがある。
 美酒に酔いしれる感覚。(私は全くの下戸なのだが…)
 私が書きたいと思う、理想の文体、といってもいい。
 自らも、<「小説」よりもまず「すぐれた散文」を、と永年考えてきた…>(P97)と述べておられる。
 才能+「すぐれた散文」を意識して書き続けてこられたからこそ、読者に感銘を与える随筆が生まれたのだろう。
 私も、山田稔氏のように書いてみたいが、足下にも及ばない。

 作品を読んでいて、もう一つ、非常に楽しみだったのは、国の内外を問わず、多くの魅力的な人たち(作家)に出会えたことである。
 有名な同人誌【VIKING】創始者のひとり富士正晴ほか、同人仲間など…。
 また、キャサリン・マンスフィールドであったり、ジョージ・ギッシングであったり…。

 現実には会えない人たちながら、読書中は、登場する人たちが、身近にいるような親しみを覚える。
 読書の醍醐味の一つであろう。
 そして、読みたいと思う本は増えるばかりだ。

 (本を読めるという幸せ!) 

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海を見て、食事をして

2016-01-22 | 身辺雑記
 明日からまた寒くなるという。
 この冬、最大の寒気団が日本全体を覆うようだ。
 特に、西部は影響を受けるらしい。

 市役所は、早々に、放送やメールで、注意を促している。
 一市の中には、市街地あり、山地あり、海岸部あり、気象状況はさまざまである。
 同市、同一ではない。

 さて、当地は、どうなるのだろう? 
 雪が、降り積むのだろうか?
 天気図を見るかぎりは、相当冷え込みそうだ。
 
 予想は、むずかしい。
 もう遠い過去となった昭和38年の豪雪を思い出し、そこまでの雪は降らないだろうと、のんびり構えているのだが……。

 とにかく、寒気団が退くまでは、蟄居するしかない。
 そう考え、好天に恵まれた今日は、戸外に出た。
 郵便局へ行くついでに、レストラン<とみ>まで足を延ばした。

 海を眺めながらの食事。
 お刺身ほか鯵のフライなど、すべてを美味しくいただいた。 

        

        

  


 自分の足で歩ける幸せ!
 ご馳走を美味しくいただける幸せ!

 
 帰宅時、椿の梢に、ピンクと(初めて咲いた)白の花を見つけた。
 (高い梢の、撮影しにくい葉かげに)

  
        

 今朝、空は晴れやかだった。
 (午後になると、雲が重くなったけれど…) 

  
                      7時半の空(久々の青空)

 
 今日は、83歳の誕生日。
 残生は短いけれど、健康年齢83は、りっぱなことだと思う。
 小さな発見を愉しみながら、老いゆえの失敗や愚鈍の数々は笑いにかえて、一日一日、のどかに生きたいと希っている。 

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『別れの手続き』

2016-01-20 | 身辺雑記
 今年に入って、山田稔著『別れの手続き』 (みすず書店・2011年5月10日刊)を読了した。

          

 アマゾンへ注文し、この本を入手したのは、昨年末のことであった。
 『別れの手続き』購入のきっかけは、朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)を読んだことにある。

    <人は思い出されているかぎり、死なない。思い出すとは、呼びもどすこと。>

 (この一文については、10日のブログで、すでに紹介している。)

 確かに、何かにつけ思い出す故人は、心の中で、今なお生きている人々である。
 呼びもどしては、語らいを続ける限り、いまなお心に生き続けている人といえる。

 入手してみると、鷲田清一氏紹介の一文が、本の帯に印刷されていた。 
 全文を読む前に、再び、あの名句に出合ったのである。

 この本のどこに、上記の一文があるのか、文中で出合えるのを楽しみに読み始めた。   
 『別れの手続き』は、<山田稔散文選>として、13編の作品がおさめられている。
 標題の「別れの手続き」も、その一編である。
 
  作者は1930年生まれで、私より少し年長である。
 が、ほぼ同世代なので、描かれている時代相や文中に登場する作家などが、非常に身近に感じられた。
 その名前を知っているだけで、思いがけず、知人に出会ったような親しみを覚えるのだった。

 私の本の読み方は、味読、熟読のタイプである。
 さらに、調べることも好きなので、登場者の生没年などをタブレットで確かめるなど、寄り道をしながら読み終えた。

   (余分な話だが、生・没の月日が同じ人もいた。
   多田道太郎<1924・12・2~2007・12・2>である。
   珍しいことだ。
   没年や享年に関心を持つのは、私の老いと関係があるのかもしれない。)
 
 各編に、短編小説のような面白さを感じた。
 13編ともいい作品だが、好みから3編を選ぶなら、「志津」「母の遺したもの」「別れの手続き」である。

 文章の味わい深さは、格別である。
 美文調ではないが、真の美文である。
 本を閉じて、読後も余韻を楽しめる本は、そう沢山はない。

  (もっと詳しく書きたいけれど、このあたりで筆を擱く。
  最近、とみに筆力の衰えを感じる。
  思いをうまく綴れないのだ。
  今は特に、山田稔さんの、秀逸な筆力の印象が脳裏にあり、自分の書く文がますます
  お粗末に思え、いっそう筆が鈍ってしまう。)

 書き忘れていたが、本の帯に記されていた一文(鷲田清一さんの紹介された文)は、見つからなかった。
 読み落としたのだろうか?

 もしかすると、編集者がまとめられたものでは?
 そんな気もする。
 13編の作品のなかに漂うものが、この一文には、うまく集約されているようにも思えるのだ。

          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

                  余録 ①
    今日の朝日新聞<オピニオン>欄は、 ⦅時流に抗う》と題された辺見庸さんのインタビュー記事であった。

    『自動起床装置』(小説・芥川賞受賞作)以来、辺見庸さんの読者である。
    その文体は、どちらかといえば、硬質であり論理的であり、知的である。
    辺見庸さんは、決してぶれない思想の持ち主である。

    首肯しつつ読んだ、多々ある考察の中から、一か所を引用しておきたい。

    <ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、
     未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう。いまの局面をなぞらえる
     としたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか?>
    


                余録 ②
                今日から大寒
                私にとっては、82歳、最後の日。

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