ぶらぶら人生

心の呟き

「強運な人なのかも…」

2015-01-31 | 身辺雑記
 今日で、1月が終わる。
 早くも12分の1が過ぎた。
 この調子でゆけば、また1年があっけなく過ぎるのかもしれない?

 今月は、体調を気遣いながら、慎重第一に生きた。
 結局、あまり面白い日々ではなかった。
 余生が短くても、したいことをして生きた方がいいのではないか? そんな気がしている。

 体調を気遣って電話してくれた妹が、
 「強運な人なのかも…」
 と、言った。
 <強運な人>とは、私のこと。
 私も、そう思う。

 つい最近のことでいえば、日赤の椅子に置き忘れた財布は、良心的な人に拾われて無事戻ってきた。
 しかし、なんといっても、11日の無事が大きい。
 倒れ場所が悪ければ、大けがをしたかもしれないし、命にかかわったかもしれないのだ。
 私自身、命拾いをした思いであった。
 <もう少し生きよ>と、大きな力に救われたかのような。
 幸運なことだと思った。
 その幸運が重なれば、<強運>ということにもなる。

 朝日新聞に、毎週掲載されるエッセイコラム 『野の花 あったか話』 を愛読している。
 筆者は、医師の徳永進さん。
 今日のエッセイには、家での療養を希望した患者の言葉、

  <昔は皆が若く死にました。私、80です。もう むだ生き です。悔いはない>

 
 が、引用されていた。

 静かに肯いた。
 私の生も、<むだ生き>に近いし、<悔いはない>と。
 
 しかし、自分の思い通りにゆかないのが寿命である。
 命ある間は、少しでも多く楽しみたい。
 人のためには役立たないけれど。
 
 <強運>は、いつまでもは続かないだろう。
 自分で、ある程度は、努力しなくては。


 余禄
  今年も、自力で、確定申告を作成することができた。
  29日、日赤の診察を受ける前に、税務署の窓口に提出。
  自分で数字を書き込んだことで、前年に次いで昨年も、年金が大きく減っていることに気づいた。
  私以上に困っている人は多いだろう。
  力の弱い者には、なかなか政治の力が及ばない。



           
    28日、庭に莟んだ、ピンぼけのピンクの椿。
    29日には、鳥(多分ヒヨドリだろう)に食べられていた。

           
    28日のロウバイ。こちらは、ピントが合っている?

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日赤の検査結果

2015-01-30 | 身辺雑記
 昨日午後、日赤へ出かけた。
 Y先生から、頭部のMRI検査・24時間心電図検査、起立テスト結果について、説明を受けた。
 妹にも、説明を一緒に聞いてもらった。

 初めて、私の頭の内部映像を見た。
 画像を、上下させたり、角度を変えたりしながら、説明してくださった。

 心配していた認知症の気配はないとのこと、また血流にも問題はないとのこと、まずはメデタシ!
 24時間心電図にも、気になるよところはない、と。

 ただ起立テストの検査結果に問題があった。
 安静時の血圧に対し、起立後の血圧が大幅に減り、平常に戻るのに時間がかかりすぎているのだそうだ。
 それが<起立性低血圧>と言われるものらしい。

 検査当時の数値から判断すると、いつ意識を失って倒れても不思議はない、というのが先生の説明であった。

 11日の後転は、掃除中のことだったので、疲労が極度に達していただろうし、瞬間的に低血圧状態になったのかと思われる、と、先生はおっしゃった。
 疲労でなくても、気温の変化など、様々な要素が症状を引き起こすことがあるとのこと。
 
 先生からのご注意は、ベッドからがばっと起きたり、お風呂の長湯は決してしないこと、温泉に行ってもいいけど、長湯はいけない、と。

 私は、高血圧症であり、薬をいただいて飲んでいる。
 が、家で、気分がよくないと思うとき、血圧が上がっているのだろうと測る(手首に巻く簡易血圧計で)と、いつも予想に反して低い。
 時には100以下になっている。
 血圧が上がり過ぎれば危険があるのだろうけれど、私自身には自覚がない。
 むしろ下がり過ぎているとき、無気力になり、何もしたくなくなる。
 以前から、起立性低血圧の症状はあったのかもしれない。

 原因が分かったことで、とにかく安心した。
 母は脳血栓を患い、兄は脳腫瘍で最期を迎えたので、私はなんらかの異常を覚悟していた。
 少なくとも、認知症の予備軍ではあろう、と。

 ところが、脳は今のところ、全く問題がないらしい。
 記憶力の低下、物忘れ、判断ミス、文章力の低下 etc。
 みな、年のせいらしい。
 認知症ではなくても、老いることによって失うものは、実に大きいということなのだろう。

 今日も慎重に、日赤のカードなど、収めるべきところに入れたつもりだったが、タクシーに乗って、バッグの中を確かめたら、財布がない。
 発車前だったので、下車した。
 妹は私の様子を見ていたらしく、一緒に日赤に引き返してくれた。

 支払機の周りや、腰かけていた椅子の周辺には、見つからなかった。
 受付で尋ねると、財布の色を聞かれた。
 「黄色ですか」
 と。黄色の財布もあずかられているのだろう。
 私が色を説明すると、
 「ああ、預かっています」
 とのこと。
 2階の総務室(?)とかに行って受け取った。
 結局、親切な人が、忘れ物として届けてくださっていたのだ。

 本当に、ヤレヤレである。
 妹にも、散々迷惑をかけた。
 もう買い物をする元気はなくなった。
 日赤前から、タクシーでまっすぐ帰宅した。
  (私は、昔から財布や財布の入ったバッグを、置き忘れることが多い。どこか間抜けているのだろう。)

 頭には異常がないというのに、ふわふわ重い。
 <ふわふわ>と<重い>は、語彙としては矛盾するが、とにかく何もする気になれない。

 ついに入浴はやめ、少しだけ食事をして休んだ。
 (ブログは当然、日記を書く気にもなれず。)

 そして、深夜には、また経験のない異常が起こった。
 トイレに行きたくて目が覚めたのか、痛みで目が覚めたのか分からない。
 左足がつり、痛くて動けない。(最近、左足がよくつる感じ)
 トイレに行くため、冬の寒い廊下を、距離にして五間、這って移動した。

 ところが、嘘みたいに痛みは解消し、帰りは普段どおりに歩いて帰った。
 何が起こるか予測できない。
 それが、老いというものなのであろう。 

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賀状の整理

2015-01-24 | 身辺雑記
 (以下は、昨日のこと)

 郵便局へ行く。
 空を眺めながら、ゆるゆる歩いて…。

         
                  東の空(青空のぞく)

         
      西の空(太陽光線が帯状にさし、ピンク色の空に見えたのだが…)

         
           南の空(雲の裂け目に太陽、空に明と暗あり)


 
 
 3時に出かけて、帰宅は4時であった。
 ずいぶんゆっくり歩いたものだ。

 三つの用を果たしてきた。
 お礼の葉書を投函すること。
 昨日届いた「小梅」の代金を<梅翁園>に払い込むこと。
 お年玉の当たった賀状4枚を持参し、切手をいただいてくること。

 帰宅後、賀状の整理をした。
 まず、昨年の賀状に目を通し、保存するものと処理するものに分ける。

 先日、寒中見舞いの形で、訃報を受けた友達の賀状をしみじみ眺める。
    <元気でいます いつかお会いしましょう>
 とある。しかし、再会はかなわなくなった。

 また、昨年の賀状に、
    <八十路になって 思わぬ病魔に 一年間苦しみましたが いまではすっかり元気になり グランドゴルフを楽しんでいます>
 と、近況をもらった同級生の賀状も、今年は届いていない。
 昨年のお正月には、すぐ見舞いの電話をしたが、その後のことはよくわからない。
 ガンの転移でなければよいが、と案じている。
 (私自身の気持ちが落ち着いたら、電話してみようと思う。)
 

 三歳年長の知己の、昨年の賀状は、すべて自筆で、
    <手の先がしびれておりまして 目を最大に遠くはなして 書きます でも食事だけはバッチリ ご安心を>
 とある。
 しかし、今年の賀状は届かなかった。
 状況が分からないまま、心配している。


 今日、ひとりの知己(三歳年長)に電話して、消息をつかむことができた。
 年末、疲れがひどくて賀状が書けなかった、と。
 85歳なら、当然だ。
 元気らしい声に安どしたのだが、今、病院から帰ったばかりとのこと。

 食道に痛みがあり、飲食ができないのだそうだ。
 2時間待って、2分の診察、来月の2日に胃カメラ検査を受けることを決めて帰った、と。

 (もっと推敲して投稿するつもりだったが、根気がないので、このまま投稿する。1月30日)
   

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82歳

2015-01-22 | 身辺雑記
 開花をためらっていたロウバイの一つが、やっと花開いた。
 昨夜降った雨のしずく、一滴を留めて。

       

    (ピントのあった、もっと鮮明な写真を撮りたいのだが、なかなかうまくゆかない。)


 今日は、82歳の誕生日である。
 私にとっての新しい一年が始まった。
 
 健康寿命は、女性の場合、74歳とか。
 82歳まで健康でいられたのは、幸運なことだと思う。
 いわゆる平均寿命は86歳(女性)だから、そこまで生きながらえるのは容易なことではない。

 とにかく、今まで通り、<今日一日>の時間を味わいながら、生きてゆきたい。
 

 今朝の新聞のお悔やみ欄に、今年も賀状をいただいたFさんの名前が出ていて、驚いた。
 92歳とある。
 10歳の年長者であることを、訃報で知った。
 
 同じ職場で過ごした当時を思い出す。
 実に温厚な人柄だった。
 
 Fさんにお会いしたのは、県境の地であった。
 土地柄については、その地に行くまで全く知らなかった。

 「あれがA山、あれがM岳、あれがY川」

 と案内してもらったのは、半世紀前のことである。

 山里の四季を思い出す。
 夏になると、Y川で河鹿が鳴いた。
 哀愁を帯びた、その鳴き声が、今でも懐かしい。

 その地で、Fさんは生涯を終えられたのだ。
 きっと安らかに、天寿を全うなさったのであろう。

 今日また、<寒中見舞い>が届き、一瞬胸騒ぎがした。
 賀状の来なかった人からの訃報ではあるまいかと。
 しかし、違った。
 それは、Fさんと同じ92歳のNさんから届いた、正真正銘の寒中見舞いだった。
 <昨年 弟と妹が永眠しました>と、年賀欠礼のわけが印刷されていた。

 余白部分に、92歳とは思えない達筆で、

   <これからいかに生きるべきかに悩むより これからいかに死ぬるべきかに 悩みが変わりました>

 と、記されていた。
 思いは同じである。
 表書きは、力強い筆勢の筆字だった。

 S眼科で、偶然お会いしたのは、一昨年のことだったように思う。
 白内障の手術をしたと話しておられた。(私の手術より、かなり前だった。)

 92歳の訃報と、92歳の寒中見舞いの書状に出会う、今日であった。


 兵庫県高砂市のSさんから、思いがけぬ誕生日祝いが届いた。
 手紙も添えて。

 奈良に一泊の旅をしたと、奈良産の、趣ある3種の品が入っていた。
 すべて上品な絵柄の、布製の品である。

   
       ブックカバーと栞 奈良ふきん オーガニックコットンのハンカチ(テネリータ)
                    写真は、包装のままと実物

             


               


 旅先で、ふっと思い出していただいたようだ。
 その上、誕生日のお祝いまで買い求めてくださる、とは!
 
 お礼の手紙を、早々に送りたいと思っている。

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日赤での諸検査

2015-01-21 | 身辺雑記
 20日、21日、頭部と心臓の検査を受けた。

 20日は、24時間心電図(ホルター心電計)をつけるだけ。
 待ち時間も少なく、午前中に帰宅できた。

 21日は、ホルター心電計(ホルターは、心電計を考案した人)を外してもらった後、同じ場所で、<起立テスト>を受けた。
 普通の心電図検査の後、隣の部屋に移り、ベッドに横たわって10分の安静。その後1分置きに3回、血圧検査。
 次は、立ち上がって腕を台に乗せ、1分置きに10回、血圧検査。
 (看護師さんから、「残り3回です」と、声をかけられたほかは、沈黙の時間。)

 すべてが終わった後、ためらいつつ、血圧の数値を尋ねた。
 「安静時が、130です」
 とのこと。
 今日は正常な血圧らしいと安堵する。
 「起立時は?」
 と、重ねて尋ねた。 
 「110です」
 との返事だった。

 どういう数値が理想的なのか、全く分からない。
 29日に、先生の総合診断を仰ぐだけだ。
 私は内心、立った方の血圧が高いだろう、と思っていた。
 が、高いのは、安静時の血圧だった。

 一旦、神経内科の窓口にゆき、次の指示を待った。
 間もなく、MRIの検査室前に案内された。
 そこで暫く待たされたので、バッグに入れていた本(田中修著『雑草のはなし』<中公新書>)を取り出し、栞を挟んだページを開けて読み始めた。

 
 スズナ(アブラナ科)とスズシロ(アブラナ科)  P34

 <……与謝蕪村は、住んでいた大坂天王寺がカブの産地であったため、「俳号を蕪村とした」という。>

 と、記されていた。
 そうだったの?!
 と、新知識に感心していると、検査室から入室を促された。
 検査用の衣に着かえて、いよいよMRI検査が始まった。

 数年前、腰に違和感があって、MRI検査を受けたことがある。
 狭い筒?の中に身体を入れ、いつ果てるか分からないガタガタゴトンという不気味な音を聞いているのは、不快だった。
 病的とは言えないかもしれないが、閉所恐怖症気味である。
 <狭い空間>は、嫌いである。
 (知らない場所で、トイレを使用するのは、非常に不安である。)

 以前の経験を活かし、どれくらいの時間がかかるかを、あらかじめ尋ねておいた。 
 20分ないし30分とのこと。
 それぐらいなら耐えられるだろうと暗示をかけて臨んだ。

 台の上に横たわると、遠いところから、「ニッ ポン ニッ ポン」といっているような音が聞こえる。
 サッカーの試合などで聞く応援の声に似ている。
 機械の操作音なのであろう。
 

 その後は、様々な検査音が続いた。

   ガタガタ ガッタンガッタン ガチャガチャ ゴトンゴトン
   シュワ―シュワ― ザワザワ などなど 

 ガ行音やザ行音が多かったような気がする。
 強い音、激しい音、優しい音、包み込むような音など、音響の性質は異なっていた。

 一つの検査コースが終わるごとに、「ポアーン」という合図音が入る。
 幾コース、あったのだろう?
 音を楽しんでいるうちに、検査完了。

 怖さや不安はなかった。
 (ただ、台の上に上がった時、両手を脇に置くよう指示され、<気をつけ>の姿勢をとった。
  寝るときは、お腹の上に手を重ねておく習慣があるので、何もない腹部が、少々不安がっていた。)

 さて、結果はどうなるのか?
 最近の<言葉忘れ><文字忘れ>を考えると、脳は縮小しているに違いない。
 転倒とは、別問題?
 検査によって、付録の発見も、いろいろあるだろう。
 すべては、29日の診察を待つしかない。

 バス停で、時刻表を確かめているとき、妹から声をかけられた。
 検査が無事終わったかどうか、様子を見に来てくれたようだ。
 バスの発車まで時間があるので、日赤前にあるスーパーに入った。
 レストランで食事をして帰宅。(妹は家庭があるので、そのまま自家へ。)

          バス停近くにある楠とその幹に密生したノキシノブ

        

        

 植物の生命力の強さに、改めて感心しながら、大樹とノキシノブを見上げた。

 夜は、蕪村について調べたり、<蕪村>名に関わりがあるという陶淵明の「帰去来辞」を読み直したりしているうちに、10時になった。
 検査の疲れも加わり、夜更かしの限界を感じ、いつもより早めに就寝した。 

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T医院へ、そしてポニーへ

2015-01-19 | 身辺雑記
 16日、T医院へ出かけ、定期の診察を受けた。
 前日、日赤で受けた検査や今後の精密検査の予定など、先生にお話しておく。

 この日も、相変わらず血圧が高く、薬を替えられた。
 血液検査も受ける。

                   窓辺のシクラメンと水槽のある待合室

            

                  


 発熱に関しては、おおよそ見当がつく。
 37度を超えているだろうとか、38度に近いとか、明らかに38度を超えているとか。

 しかし、血圧に関しては、全く感知できない。
 自覚できないから、危険だともいえる。


 この日は、暖かな冬日和だったので、街に出た。
 友人とポニーで食事し、買い物もして帰宅した。

                        グラントワの眺め

            

                 

                       スープとハンバーグステーキ
                        (ケーキとコーヒーつき)

  

 食事もおいしくいただけるし、日常生活(読書や数独なども含め)は、普通にできているように思う。
 (しかし、あくまでも自覚的には、である。他人の目には、おかしなところがあるのかもしれない。)

 転倒(11日)のことさえなければ、別に不安もないのだが、その理由の判らない今は、少し慎重に暮らしている。


 5人の友達や知己から、賀状の届かなかったことは、前回のブログに書いた。
 その中の一人、中学時代同じクラスで学んだ友達の、長女を名のる人から、今日、寒中見舞いが届いた。
 それは、友の死を知らせる便りであった。
 <昨年の11月11日に急逝>と。

 賀状と賀状の間、お互いに無事であることを信じて暮らしているのだが、年々知己は少なくなってゆく。
 12歳の少女であった時代(終戦の年)、出席簿の並びが近かったこともあって、親しくなった友であった。

 親しさの順に、お別れがやってくるように思う。
 一番ひ弱だった私が、取り残されたように生きている不思議!
 その私も、<とりあえず今日を生きる>思いに変わりはない。

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神経内科「CT検査」

2015-01-15 | 身辺雑記
 日赤の神経内科で受診。
 頭のCT検査と、その検査結果についての説明を受けた。
 打撲による出血は、今のところないようだ。幾日か経って、出血することもあるとか。

 一時的な意識障害が、なぜ起こったかについては、今後の諸検査を見て診断されるようだ。

 20日、21日、29日の3日、日赤へ行かねばならない。
 20日には、24時間心電図を付けてもらうことになっている。
 21日、それを取り外したあと、起立テストとMRI検査を受けることになっている。
 先生から診断結果を聞くのは、29日の午後ということになっている。

 その間、あまり激しい動きはしないようにとの注意を受けた。
 静かに暮らすよう心がけよう。
 ただ、あまり慎重になって、活動を控え過ぎれば、心身ともに老化を加速するだろう。
 いたずらに命永らえるより、中身のある日々を生きたい。



 今年は、同学年3人、三歳年長者2人、計5人からの賀状が届かなかった。
 長年付き合ってきた人との連絡がぷつりと途絶えるのは、実に寂しい。
 電話機に、電話番号を登録している友達や知己ばかりである。
 幾度か、番号を標示したが、呼び出し音を鳴らすことはできなかった。
 朗報が得られないかも知れないという不安を否めず…。

 「老少不定」という。
 なかんずく、〈老〉の不安定さは、格別である。


 追記
 今日は一日、妹に付き添ってもらった。
 最終日の29日にも、先生の話を一緒に聞いてもらうことにしている。
 20日、21日の検査は、私一人で大丈夫だ。
 それができないほど、老耄はしていないつもりである。

 病院では、様々な患者に出会った。
 健康に恵まれない人が多い。
 私など、傘寿を過ぎてなお、自立した生活ができているのだから、幸運に感謝しなくてはいけない。

 診察を受けるに当たっては、当然のごとく書類の記入などしなくてはならない。
 しかも、ずいぶん待たなくてはならない。
 老人にとっては、大変だ。

 一度は日赤で検査を受けた晩年の父が、再び治療に出かけようとはしなかった。
 そのわけが、今になって、分かる気がした。
 
 老人や病人にとって、病院は救いの場であると同時に、過酷を強いられる場所でもあるように思う。

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T医院へ

2015-01-14 | 身辺雑記
 先日、11日の午前のことだった。
 掃除をしていて、一瞬、意識を失って後転し、存分後頭部を打った。
 何が起こったのか暫く分からなかったが、立ち上がって後ろ頭を撫でながら、
 「痛いなあ」
 と言っている私がいた。

 書斎の掃除を終えたところまでしか分からない。
 次の掃除場所の寝室に向かって、真後ろに倒れたらしい。
 そして、畳で頭を打ったのだろう。

 前方に向かって倒れれば、書斎は板張りのうえ、書棚があるし、使っていた電気掃除機も横たわっていて、私の体を受け止めてくれる空間はない。
 大けがをしたかもしれないし、大事に至ったかもしれない。

 なぜ後ろ向き?
 と不審に思ったが、棒が倒れるように、物のない畳の部分に倒れたのは、幸運だったようだ。

 幾度も、同じ場所に立って、倒れる自分の姿を想像し、<運がよかったのだなあ>と思った。
 
 しかし、そういうことの起こった原因は、気になった。
 一時的であれ、意識障害の起こったことは、放置しない方がいいだろう。
 いずれ、主治医の先生に相談しよう、と。

 あいにく当日(11日)は日曜日、翌12日は祝日。
 なるべく静かに生活した。
 その後は、何の問題もなかった。
 よく食べ、しっかり眠れた。
  (夕食後、胃の調子が気になったほかは、何事もなかった。)

 13日は、ソコロシステムズの訪問を受ける日と決まっていた。
 担当のTさんは体調を崩され、Mさんが代わりに来てくださった。
 初対面の方だったけれど、その応対にも、何の支障もなかった。

  
 
 今日やっと、T医院に出かけた。
 先生に相談したところ、頭部の検査を勧められた。


 明日、<日赤の神経内科>で、診察してもらうことになった。
 すでに予約でいっぱいのところ、受診に応じてくださったのだ。

 <神経内科>は、初めてである。
 どんな診察結果が出るか分からない。
 年齢相応、あるいはそれ以上の不具合があるかもしれない。
 今から、いろいろ考えても仕方のないことだ。
 明日の検査結果を待つしかない。

 今日一日をとりあえず生きること!

 病院では、血圧が異常に高かった。
 (血圧の降下剤を勧められ、それを飲んで、ベッドで暫く休んだ。)
 が、今は正常に戻っていると思う。(私の血圧計に狂いがなければ…)

 日赤には、妹に付き添ってもらうことにしている。


   

     T医院で見た花。
     光沢のある葉や花は、やや造花めいている。
     名前は、メモしてもすぐ忘れるに違いないと思い、名札を撮影しておいた。 

     

                 

     水中の魚を撮る設定が、デジカメにあることに気づいて、撮影を試みた。
     しかし、決してうまくは撮れなかった。


     

              

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所感 その2 (さすが中3)

2015-01-11 | 身辺雑記
 私のブログに、いつも目を通してくださる方に、昨日、草花舎でお会いした。
 その時、鎌倉幕府の創設年(1192)が、現在の教科書では、早くなっていると聞いた。

 帰宅後、タブレットで、鎌倉幕府について調べた。
 創設年は、1180年、1183年、1185年、1190年、1192年と、諸説があるというのが常識らしい。
 (その根拠は、歴史の資料を調べれば明瞭であるから、ここに記すことはしないでおく。)

 妹の孫が、中3である。
 そこで、教科書の鎌倉幕府の創設年がどうなっているか、電話して聞いてみた。
 1192年になっていて、「イイクニ」と憶えているという。
 年号の丸暗記で、歴史を学んだと思うのは意味のないことだが、学習法は、昔も今も変わらないらしい。

 歴史の解釈は、出版社によって違うのかもしれないと思い、それについて尋ねた。
 その返答の仕方に感心したのである。
 
 「いくほうしゃ。… 育てるの『育』にね、白鵬の『鵬』、会社の『社』」
 と、中3のAYAちゃんは、よどみなく教えてくれた。
 私は即座に、「育鵬社」という出版社名を思い描くことができた。
 さすが中3。
 実に、要を得た説明だと思った。

 中3であれば、その程度は当然のことかもしれないけれど……。
 しかし、大人でも、『鵬』の説明には戸惑うかもしれない。

 (『育鵬社』についても調べてみた。2007年創立の、比較的新しい出版社である。)

 なお、AYAちゃんのお母さんにも感心した。
 というのも、お正月には、本人の仕事の都合で会えなかった。

 「ちょっと電話を代わります」と、AYAちゃん。
 お母さんの声に変わった。
 改めて、新年の挨拶をし、
 「いつも心遣いありがとうございます」
 と、わが子がもらったお年玉のお礼を言われた。

 これも当然と言えば当然のことかもしれないけれど、お礼など言えない人の方が多い。
 その心映えを美しく思った。

 

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所感 その1 (声の表情)

2015-01-11 | 身辺雑記
 人の顔には、もちろん表情がある。
 柔和であったり、険しそうであったり。
 知的であったり、少々間抜けてみえたり。
 千差万別である。

 声にも、それと同じように表情がある。
 私は、人の声を聞いて、ひとりでに、声の主の、心の表情を読んでいる。
 そして、気分がよくなったり、妙に寂しくなったりする。
 声が優しければほっとし、トゲがあれば心が傷む。

 私は皺だらけの老女であるが、<声の表情>には気をつけたい、と自戒している。 
 

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