ぶらぶら人生

心の呟き

三月尽  三月去る

2010-03-31 | 身辺雑記
 <三月尽><三月去る>

 今年の三月は、冬に勝る寒さや降雪があるかと思えば夏日あり、強風が吹き荒れたり竜巻注意報が流れたり、天候定まらず、気持ちも落ち着かぬ日が多かった。
 特にこの一週間は、風邪気味で、だらしなく過ごした。ぱっと高熱でも出ると、思い切り寝込めるのだが、中途半端な不調が続き、それを口実に怠けて暮らした。
 風邪というのは、初期症状がかえって鬱陶しい。
 二種類のインフルエンザの予防接種をしているから、風邪とは無縁でいられるだろうと思っていたが、そうはいかなかった。
 まだ完全ではなく、今日もダラダラしている。

 ここ数日のブログも、写真を取り込んだだけで、文章を添えてなかったので、未投稿のままだった。今日やっと、簡単な文章を添え、月末のしめくくりをしておいた。
 今日のささやかな仕事として。

 一年の四分の一が、過ぎてしまった。
 本当の春はこれからである。
 天候が安定すれば、心身も穏やかになるだろう。
 海辺の桜も、やっと華やぎ始めた。

 (添付の写真は、昨日、街からの帰途、公民館近くの桜を撮ったもの。草原のタンポポも、昨日のもの。)

 今日は昨日のような青空がない。
 タンポポに映える日差しもない。
 タンポポとは、愛らしい名前だ。が、名前の由来は知らない。タンポポという音は、花よりも、白い冠毛に似合う名前のような気がする。
 漢字では「蒲公英」。もしかして、中国語? と思って、調べてみた。
 果たして、中国語であった。
 中国語では、「蒲公英」=「pu gong ying」(pu は二声・gong と ying は一声)、または「黄花地丁」=「huang hua di ding」(二声・一声・四声・一声)と、いうようだ。
 英語では、「dandeliond」だと、辞書を調べて知った。葉がライオンの歯に似ているところからの命名らしい。
 ものの名の由来は、なかなか面白い。

          

          

          

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大気寒冷

2010-03-30 | 身辺雑記
 定期の歯科検診に出かけてきた。
 口を開けての治療である。
 思わぬときに、咳づかないかと気にしていたら、歯の掃除をしていただいているうちに、急に咽喉がこそばゆい感じとなった。と、たちまち咳の多発。
 作業を中止してもらい、咳がおさまるのを待った。
 風邪が完全に治りきらない。

 治療を終えた後、Mレストランで食事した。
 カウンターに活けられている花は、桜とミモザであった。

             

 あちこちに春の気配が感じられるのに、外気は寒い。
 風邪気味のせいもあるのだろうか。

 帰宅すると、寒気がして、ベッドに横たわった。
 眠いわけではないので、昨日、草花舎の書棚から借りてきた本を読んだ。
 佐藤三千雄著『生老病死の哲学』。
 大きな章は、<生><老><病><死>の四章である。
 <生>を読み終え、<老>を読み進んでいるとき、本論から外れ、枝葉末節の一語にこだわった。
 それは、「馬齢を重ねる」。
 自分の年齢をへりくだっていう言葉であることは理解しているし、私も今まで何度も使ってきた。
 が、今日の疑問は、なぜ<馬>なのかであった。
 馬以外に、動物はたくさんいるのに、なぜ馬なのだろう?
 
 広辞苑の「馬齢」の説明の中に、<犬馬の齢(よわい)>という言い換えもあり、犬と馬が同等に用いられているのを知った。
 「犬馬」を調べると、
   ①犬と馬。また、広く獣のこと。〔⇒論語・為政〕
   ②犬・馬のようにいやしい者。臣下が君主にへりくだっていうことば。
 とあった。
 <齢(よわい)>に<馬>がプラスされ、年齢をへりくだっていう意味で用いられるよになった謂れをやっと納得できた。
 <馬>は動物の代表格として使われているのであって、馬を蔑視しているわけではなかった。
 漠然と遣っている言葉が、ふっと気になり始めることがよくある。
 そして、本題からは逸れて、枝葉を納得するために、思いの外時間をかけてしまうことがよくある。今日も、そうであった。

 今晩は、十三夜の月が冴えわたっていた。
 風邪気味なのに、外に出た。
 同じ月を、生涯再び見ることはできない。そう思うと、そわそわと戸外に誘われ、月の夜に佇むのであった。

 (追記 30日の夜も、月が出ていた。ただ背景に、薄い雲が広がり、朧月となっていた。31日は十五夜のはずだが、雲が厚くて、お月様は見えない。))

             

             

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3月の庭 (庭、華やいで)

2010-03-29 | 草花舎の四季
 草花舎の桜はどうだろう? と思いつつ、食事に出かけた。
 国道を挟んで眺めた、前庭の桜の木は、まだ満開には遠い感じであった。

           
 
 樹下に佇んで見上げると、遠目に眺めるより、遥かに開花数が多いように見えた。

           

 桜の根もとには、桜の小木があり、白っぽい花をつけていた。大きな桜木と同種だというのに、花のイメージが異なる。同一人物でも、赤ちゃんと大人では印象がまるで違うのと同じだろうか。

           

 桜の花以外で、花をつけていた木々は、カイドウやボケの花、さらには山吹の花。
 カイドウは、スーザンさんがプレゼントされたものだという。
 近日、帰国され、早々にやさしい花をつけた木を眺め、喜ばれることだろう。
 Tちゃんにスーザンさんの様子を伺ったところ、届いたメールによると、無事にインドネシアでの仕事を終え、今晩あたり、シンガポールまで移動なさているはずだ、とのことだった。

           

            カイドウ

            ボケ

            八重山吹

 その他の花々。庭は、急に華やぎ始めた。
 一週間後には、どんな変化を見せるか楽しみである。

           

           

           

           

           

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庭の賑わい

2010-03-28 | 身辺雑記
 友人の来訪を待って、庭に出てみた。
 今日も寒い日ではあるけれど、庭が賑わってきた。
 所かまわず咲いているのが、ハナニラ。
 塀そばの日陰に、スノーフレークも咲き始めた。

 前庭に回ってみると、喜寿の記念に植えたハナカイドウの花が、知らぬ間に開き始めていた。

     
            ハナニラ

      スノーフレーク

            ハナカイドウ

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身辺あれこれ

2010-03-27 | 身辺雑記
 一旦風邪を引くと、長引くことが多い。
 が、今回はどうだろう?
 初日は、咽喉のイガイガとクシャミ。
 二日目は、咽喉に膜が張った感じになり、発声に不自由した。
 そして、今日は、咽喉の膜が取れ、咳ばらいすると痰が出て、少し症状が軽くなった。
 風邪薬は気休めに過ぎないと思いながら、就寝時には売薬を飲んで、安静に努めている。
 咳風邪になると、最低二、三か月は、咳に苦しめられる。そこで、そうならないように細心の注意を払っているつもりである。

 昨日は、近所のの電気店が、新しい洗濯機を運び込んで下さった。こんな洗濯機を使っていたのかのと、店員を驚かせた旧式のものが、全く雰囲気の違った新式に替わった。
 早速、新しい洗濯機を使ってみて、今度は、私が吃驚した。こんな便利なものを知らずにいたとは、と。
 真冬のセーター類を洗い、乾燥を終えてみると、セーターはフワフワであった。アイロンなど使う必要もない。
 高い買い物ではあったが、大いに気に入った。洗濯代の節約になりそうなのも嬉しい。

 昨日は、悲しい訃報に接した。かつての同僚の死である。
 人と人との繋がり、親疎の度合いは、歳月の多寡ではない。3年間の短いご縁であったが、私の心に、その人柄が深く刻まれていて、思い出はほのぼのと懐かしい。
 再び、言葉を交わせない寂しさ!
 父の死を聞き知って、立ち寄ってくださったのが、お会いした最後だから、平成六年の晩秋だったのだろう。
 
 妹宅と遠縁に当たるところから、妹から訃報を聞いた。
 享年74歳と、新聞のお悔やみ欄には記されていた。私より一年ほど年下とばかり思い込んでいたが、完全な思い違いであった。三歳若い、早すぎる死である。
 透析をしながらの日々が続いていることは知りながら、今年も賀状が届き、無事を喜んでいた矢先の訃報であった。見舞わなかったことが、今はひどく悔やまれる。

 甥夫婦が通夜にも葬儀にも出席するというので、香典を送りどどけてもらった。
 立て替えてもらった香典代を妹宅に持参したり、買い物をしたりするため、今日は昼過ぎ、街に出かけた。気分転換もかねて。
 医師会病院下の崖に、黄色い花が垂れ下がって咲いていた。
 連翹かと思ったが、家に咲くそれと比較してみたら、花弁が全く異なっていた。
 多分、黄梅であろう。数年前、鉢植えの黄梅を求め、三年目には枯らしてしまった。あれと同じ花に違いない。

 買い物の後、本屋にも寄った。荷物が持ち重りするし、疲労感もあったので、帰途はタクシーで帰宅した。


                病院の近くで見た黄梅

        家の連翹

        家横の庭に伸び始めた芍薬の新芽

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春寒し

2010-03-25 | 身辺雑記
 この冬は、調子よく寒冷の季節を乗り越えたと思っていたのに、今日はいささか風邪気味である。
 咽喉がイガイガし、クシャミを繰り返してばかりいる。
 熱っぽい気がして、しばしば検温。しかし、いつも平熱。
 いそいそとベッドの行くわけにも行かず、ぼんやり過ごした。

 当地の桜も、寒さに震えている。夏日のあとに冬さながらの寒さとなり、開花のチャンスを失したようだ。(写真は、中学校の通学路の桜。)

 「春寒し」は、春の季語。「春寒」「寒き春」「春寒」「料峭」と同義の言葉が並んでいる。
 「料峭」という言葉を初めて知った。
 <峭>はきびしい意で、「料峭」はきびしさを肌ではかる意。春風が肌に寒く感じられるさま、と広辞苑は説明している。

        
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吉岡萬理 陶展

2010-03-24 | 草花舎の四季
 雨上がりの午後、草花舎に出かけた。
 現在、<吉岡萬理 陶展>が、開かれている。(3月21日~4月11日)
 今回の、吉岡萬理さんの展示には、楽しい物語がある。「カルロス君」やら「ニョロニョロ君」など。
 草花舎の展示室は、花が咲いたかのような明るさ!
 これが、吉岡萬理さんの世界なのだろう。
 常識の枠を超え、個性が笑っているような作品である。
 こんな陶器に囲まれていると、ひとりでに作品の持つ明るさ・楽しさに引き込まれてしまうのだった。

 添付写真以外にも、形や色彩の異なる様々な作品が、多数展示されている。

 今日は、外歩きをしなかった。
 窓越しに、庭を眺めるにとどめた。
 前庭にある桜の木の、枝々は紅色を帯び、蕾は開花寸前の気配であった。
 

         
 この展示の中に、私が求めたコーヒーカップ、二個がある。カルロス君の絵柄。

            

        

            

        
 ニョロニョロ君の花瓶。大あり小あり、一つ一つも、また居並ぶ様も面白い。

            

         

             

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朝日歌壇の歌を読みつつ

2010-03-23 | 身辺雑記
 先日、3月22日、朝日新聞の朝日歌壇を読んでいて、ニシン(鰊)は春告魚なのだと知った。

  コンタクトレンズの如き鱗生え春告魚来りぬ北の海より (仙台市)武藤敏子
                            高野公彦・馬場あき子 選

 ウグイス(鶯)は春告鳥であり、ニシン(鰊)は春告魚である。それぞれ、人びとが待ちわびる春を告げる鳥、春を告げる魚であることから、字訓を活かして漢字で表記したところを面白く思った。

 上記の歌の次には、カナリアの出てくる歌があった。漢字では「金糸雀」と表記される。
  
  メールでの会話がごくごく日常で声を失くした金糸雀になる (古河市) 幸田悦子
                                   高野公彦 選

  
 この日の読売新聞 <四季>(長谷川 櫂)に取り上げられた句は、

  煮なさるか焼きなさるかと眼張売り 吉田明子

 であった。この句に登場するのは眼張。大きな目を見開いた魚である。

 ここに取り上げた短歌も俳句も、内容的にいい作品だ。
 だが、これらを読んで、特に面白いと思ったのは、魚や鳥の表記についてである。


     ×××××××××××××××××


 今日は、雨の降りしきる中、山口に出かけてきた。
 道中の桜は、五分咲き七分咲きと、様々である。
 開花した途端の氷雨に、みな不平顔である。

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墓参とお花見

2010-03-22 | 身辺雑記
 墓参の前に、妹たちと医光寺の枝垂桜を見に行った。
 今、満開である。
 ボランティアのガイドは、先日の春の雪で、古木の一枝が折れてしまったと話された。
 老木は、つっかい棒で、自らの老体を支えている。
 往年の勢いは失せているのだろうけれど、風格はある。老木は老木なりの静謐な美しさを保ち、見る者の心を惹きつける。
 ガイドの話では、近々、この<雪舟庭園>の修理がなされるとのことであった。
 すでに作業は始まっているようで、池の水が抜き取られていた。
 雪舟が築いた庭園は、今とはかなり異なるものであったであろう。当時なかったと思われるものが追加され(あるいは枝垂桜も、躑躅の類も…)、次第に趣を変えたのは事実であろう。
 今回の修理で、新たにどんな顔の庭園となるのか?
 お庭の背景として、亭々と繁茂するタブの木(椨)も、伐採されるという話だし、躑躅の一部は省かれるだろうとのことである。
 道路の敷設など、近年の開発が、庭園の樹木や池に影響を与えているという。
 特に水の問題は大きい様子だ。素人の想像を超えた、様々な問題が絡んでいるらしい。
 次回、医光寺を訪れるときには、趣がかなり変わっているのだろう。

 今日の医光寺には、観光客が多かった。連休を利用して、枝垂桜の満開に巡り合うために訪れた人たちなのだろう。
 駐車場には、広島、山口など、他県ナンバーの車も多数あった。


         医光寺の枝垂桜

 同窓会に参加するため、久しぶりに帰省した大阪の妹も一緒に、都合七人で昼食をとった。その後、1時過ぎ、三隅駅に到着する兄嫁を迎え、8人で墓参した。
 今年は桜が早い。
 奥つ城に向かう途中、あちこちの庭先や山肌に、桜の静かな華やぎを見た。

 一軒の民家の庭先に、ことのほか大きな枝垂桜が、花をつけていた。
 今までは、その存在に気づかなかった。
 お彼岸の墓参時に、花をつけていることはなかったのだろう。
 めったに通らない道なのだから、木に花がなければ、桜樹であることさえ気づかなかったようだ。
 今日は、見事な大樹に、初対面した思いであった。
 車を止め、空を彩る爛漫の桜花を見上げた。

               民家の枝垂桜

 数年前頃から話題となり、急に身近になった古木「佐々木桜」も、ついでに見てきた。
 山道を入れば、<大平桜>と呼ばれる古木もある。
 子供のとき、「石見かるた」で、「経たか千年大平桜」と覚えた桜である。
 が、その桜は、甥が携帯電話で調べてくれたところ、まだ一、二輪が咲き始めたばかりだという。
 かるたにある<千年>は、古さを誇張した表現のようだが、樹齢、五、六百年にはなるのだろう。その古木の妖しげな美しい花に会うのは、やや不便な土地にあるため容易ではない。最後に見たのは、二十数年前である。
 そのうち、老樹は、悠然と花開くのだろう。

          佐々木桜

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彼岸の中日 (桜の開花)

2010-03-21 | 身辺雑記
 昨夜の嵐が去って、朝から空が晴れた。
 今日は、春分の日、彼岸の中日である。
 墓参に備えて供花を買い求めたり、先日、注文した老眼鏡を受け取ったりのため、街に出かけた。
 車窓に桜の開花を見て、例年になく早いのに驚いた。
 木によって花の咲き具合は様々である。枝ごとにも遅速はあるようだ。
 一分咲き、二分咲き、三分咲き、色々である。

 帰宅後、隣家の桜を見に行った。開花寸前のものが多いけれど、目の前に二輪三輪咲いていた。(写真)
 昨日の夏日に促されて開花したのかもしれない。
 今日はまた、風の冷たい一日となった。空は晴れやかだったけれど。

           

 中学校の通学路脇の桜はどうだろう? と、坂を降りてみた。
 開花寸前の蕾が多かった。しかし、その木にも、か細そうな一輪が、少し高めの小枝に咲いていた。
 花壇には、ムスカリの花が群生していた。
 釣鐘の形をした小さな花が、身を寄せ合って一房となっているのを、毎年面白く眺める。
 この季節、あちらこちらで見かける花である。
 手間をかけずに育てられる花なのだろうか。

            ムスカリ

 二十四節気でいえば、今日は春分の日。
 昼夜の長さがほぼ同じで、お日様は真東から昇り真西に沈むと、昔習った。
 今朝は、日影が障子に模様を描く時間になって起床した。したがって、真東の位置を確かめることはできなかった。
 お天気に恵まれた夕刻、山の端に落ちる夕日を見に外に出た。
 保育園のある丘に上がって、真西の方位を確かめた。
 いつの季節も、落日は物悲しい。明日の訪れを信じながらも。

           

 夜、九時前、裏庭に出てみた。
 西寄りの空に、上弦の月があった。(写真)
 ひとりで眺めると、私だけの宝物のようであった。

           
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