ぶらぶら人生

心の呟き

1月は<往ぬ>

2010-01-31 | 身辺雑記
 「一月はいぬ(る)、二月はにげる、三月はさる」と言う。
 この言い方は、実感を抱けない子供の時から、よく耳にした言葉である。
 年始めの三月(みつき)は、なぜ大方の人が、特に速く過ぎ去ると実感するのだろう?
 短日のせいだろうか?

 今までと違って、今年は新年を迎えたとき、これから365日を生きるのは大変なことのように思った。なんとなく健康に自信が持てなくて。
 が、一月は、駆け足で過ぎ去った。
 二月、三月も、同じように過ぎ去ってゆき、そして、ついに大晦日まで命永らえ、一年を重ねることになるのかもしれない。
 

 今、手元にある『ことわざ大辞典』を調べてみた。
 が、辞典には、「一月は…云々」の言い方は出ていなかった。
 一地方で言われる表現なのか、どうか?
  
 石見地方には、<帰る>ことを<いぬる>という言い方がある。
 古語的な言い方の<いぬ(往ぬ・去ぬ)>から来ているのだろう。


 大寒は、比較的穏やかな冬の日々であった。
 昨夜は空が曇って、月が見えなかったけれど、それを除けば、月影の冴えている夜が多かった。
 今日は、満月。
 9時、外に出てみると、東よりの空に、冴え冴えと昇っていた。
 <心静かに生きよ>と語りかけるように。

               (今日の月)

               (29日の月)

               (28日の月)
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やっと

2010-01-29 | 身辺雑記
 やっと ほころびた
 ろうばいの はな

 やっと という
 三音の単純な語だが
 そこには
 待つものの ながい
 期待の時間が ひそむ

 きょう ろうばいの はなは
 やっと ほころびた

 はなの まえにたって
 咲く というより
 ほころびた はなを眺め
 やっと 
 という副詞の
 うちがわにひそむ
 時間と待ちわびる思いの
 ことを考えていた 


             

 老いて
 もの探しの多いこと
 
 携帯 子機 眼鏡 電子辞書
 あるいは 読みかけの本

 思いがけぬところから
 やっと
 見つかるまでの……時間
 
 まるで それが生きがいのように
 もの探しに 励んでいる

 人名 地名などの固有名詞
 ばかりでなく
 表現に使いたいことばが
 記憶の引出しから
 出てくれない

 やっと
 出てくるのは
 その日の夕であったり
 翌日であったり
 数日後であったり

 やっと
 が 使えるまでの時間は
 実にさまざま

 やっと
 の 後には
 かならず よろこびがある
 大きな よろこび
 小さな よろこび

 やっと
 は 幸せを運ぶ
 使者 のようでもある
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別送の本、二冊

2010-01-28 | 身辺雑記
 昨日、アマゾンから届くはずだった本が入手ができなかった。
 宅急便の、何らかの都合だろうと思っていた。

 朝、郵便受けを見ると、<ご不在連絡票>が入っていた。
 時刻を確かめると、昨日の夕方五時半の配達になっている。
 居たはずなのに、と考えた末、入浴中だったのだろうと納得した。
 佐川急便にすぐ電話し、早速届けてもらった。

 星野道夫著『ナヌークの贈り物』と『旅をする木』の二冊。(写真)

 『ナヌークの贈り物』は、氷の世界に生きるナヌークの写真集であると同時に、自然界の掟<狩るものと狩られるもの><生まれかわっていくいのちたち>について語ったものである。
 少年の<ぼく>に、ナヌークが、語り聞かせる形をとったお話である。
 
 この本は、かつて、氷の世界で共棲したエスキモーとナヌークとの間には、両者を優しく結びつける大切なことばが存在していたことを伝えている。
 あらゆる生命は、同じようにことばでつながり、安らぎに満ちていたことを作者は物語っている。

 氷上に暮らすシロクマ(ナヌーク)の表情がいい。写真家・星野さんとのいい関係がなくては撮れなかった写真のように思える。
 
 もう一冊の『旅をする木』は、草花舎から借りてきた本と同じだが、私の求めたのは、文庫本である。
 前者は、《1995年7月に発行された単行本》であり、後者は、星野道夫さん死去の3年後、《1999年3月に発行された文庫本》である。
 文庫化に伴って、池澤夏樹さん(1987年『スティル ライフ』で、芥川賞受賞)の解説、<いささか私的すぎる解説>と題した文章が載っている。

 <たとえ彼の人生が平均より短かったとしても、そんなことに何の意味があるだろう。大事なのは長く生きることではなく、よく生きることだ。そして、彼ほどよく生きた者、この本に書かれたような幸福な時間を過ごした者をぼくは他に知らない。>
 と、池澤さんは書いておられる。
 星野道夫さんを真に理解した人のことばである。

 本には、様々な感動がある。
 入手した五冊の本を読了したうえで、後日、星野道夫さんの魅力を私なりにまとめてみたいと思っている。

                  

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チューリップの球根を植えて

2010-01-28 | 身辺雑記
 気味の悪い暖かさだ。
 大寒中というのに、真冬の厳しさがない。
 ありがたいことのようでありながら、少々もの足りない。

 暖かいので、先日求めたチューリップの球根を鉢植えした。(写真)
 初めての試みである。
 四つの球根は、みな色が違う。
 うまく咲けば、賑やかな鉢になるだろう。

 昔、父が裏庭に植えた黄色いチューリップが、父亡き後も、長く咲き続けた。花は次第にみすぼらしくなりながらも、春を運んでくれていた。
 しかし、ここ二年、花を見かけない。
 地下で、球根が枯死したのだろうか。
 それに代って、鉢のチューリップが、春の歌を届けてくれると嬉しいのだが……。

            

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一目惚れではなかったらしい

2010-01-27 | 身辺雑記
 昨日のブログで、<文に恋して>と題し、初めて読んだ星野道夫さんの魅力に触れた。
 少々オーバーな表題のようにも思ったが、それは、草花舎で『旅をする木』の数ページを読んだときの直感であった。
 
 今日は、定期健診のため、M歯科医院に行った。
 カバンの中に、星野道夫著『アラスカ 風のような物語』を入れて。
 診察の順番待ちの間、また喫茶店で食事をした後コーヒーを飲みながら、上記の本の一部を読んだ。
 まだ、一部しか読んでいないが、昨日の感想に狂いはないと実感した。

 特に、巻末に添えられた「解説・大庭みな子」を読み、私の評価が、私の勝手な一目惚れではなかったと、意を強くした。
 大庭みな子さんの文章には、次のように記されていた。

 ※ …彼(注 星野道夫)の文章や写真集は長いあいだ愛読した。動いている地球の軸にがっと食い込む、光る若い歯茎の輝きが目の前に迫ってくるような文章だった。…
 <注 上記の文は、口述筆記であると、記してある。>

 ※ 星野さんの文章も(注 写真だけでなく)また素敵なものだ。文章というよりもその内容がすばらしいのだが、その表現力も素直で少しのてらいもない。そしてときどきはっとするような行にぶつかる。…


 一冊の本の中で出会った、『三匹の蟹』で芥川賞を受賞された大庭みな子さんも、『アラスカ 風のような物語』の星野道夫さんも、今は故人であることは残念である。が、書籍を通して目に触れ、その魂に接することができるのは、幸せなことである。


 下の写真は、『アラスカ 風のような物語』の扉に掲げられた、星野道夫さんの写真の一枚である。
 カリブーの群れが、アラスカの大自然の中を移動している。夕景であろうか?

   あらゆる生命は同じ場所にとどまっていない
   人も、カリブーも、星さえも、
   無窮の彼方へ旅を続けている

 との言葉が添えてある。
 肯いて読んだ。  

              

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文に恋して

2010-01-26 | 身辺雑記
 昨日、草花舎で食事を終えた後、書棚から一冊の本を取り出した。
 星野道夫『旅をする木』であった。

                  

 <旅をする木>?
 <星野道夫>?
 <どういった種類の本>?

 未知の本との出合いであった、
 「あとがき」を開いて読み始めた。
 その文頭は、
 <アラスカの川を旅していると、この土地のひとつの象徴的な風景に出合います。それは、川沿いの土手から水平に横たわりながら生えているトウヒの木々のたたずまいです。>
 で、あった。
 あとがきを読んだだけなのに、アラスカというなじみのない土地の情景が目に浮かぶと同時に、その自然に対する筆者の目の確かさにも感動した。
 エッセイスト? 画家? 写真家? などあれこれ想像したが、あとがきだけでは筆者像がつかめなかった。続いて、『旅をする木』の最初の作品<新しい旅>を読んだ。
 一言一句、一文一文がすばらしい。
 確かな筆力、柔軟な思考のありように感動する。
 文に恋する思い!
 しかし、筆者については想像できなかった。

 多忙なYさんの手が空いた隙に、本を指し示し、星野道夫について尋ねた。
 ヒグマに襲われ、若くして逝去した写真家である、と聞いて驚いた。
 すぐれた文筆家の、不運な生涯を悲しんだ。

 私は、その本を借りて帰った。
 早速、パソコンで、星野道夫を調べた。
 私が知らなかっただけで、写真家としても文筆家としても、著名な人だと分かった。
 
 星野道夫の文に恋した私は、アマゾンに5冊の本を注文した。
 そのうちの3冊が、早くも今日届いた。
 昨日の午後注文して、今日の午前に届くという<速さ>に感心する。
 残りの2冊も、明日届くいう。
 今日届いた3冊は、
 『ノーザンライツ』『アラスカ 風のような物語』『長い旅の途上』である。
 今日は、文中の写真を見て(星野道夫の目を通して捉えられた)アラスカの自然と人に興味を覚えた。特に、『アラスカ 風のような物語』には、目を惹く写真が多い。
 

             


 草花舎の本棚に、『旅をする木』は、以前からあったはずである。何度も書棚の前に佇んでいるのに、昨日まで気づかなかった。
 今日はふと、その本を手に取り、新たな出合いとなったのだった。
 人との出会いと同じく、本との出合いにも、不思議な偶然がある。

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夕雲と夕月

2010-01-25 | 身辺雑記
 パソコン遊びに疲れてくると、一日に幾度も、カーテンを開けて空を眺める。
 今夕も、空を仰いだ。
 南の空に、夕雲が美しい。
 そこで、外に出てみた。
 空を見上げ、東西南北の空に視線を送る。
 西の空には、今日の夕空があった。
 夕映えの雲との一期一会である。
 この一瞬と全く同じ空の風景はないだろうし、この一瞬と同じ私もいるはずがない。
 そんな思いを抱いて玄関に引き返すと、東の空に白い半月が浮かんでいた。

 彩雲と白い月、それを眺めただけなのだが、少し幸せになった気分であった。
 

               

               

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1月の庭 (小梅が咲き始めて)

2010-01-25 | 草花舎の四季
 午前中は、小雨が降っていた。
 が、お昼過ぎには青空が広がり始め、外出に都合のいいお天気になった。
 草花舎に出かけて、お昼をいただいた。

 中庭の古木に、小梅の花が咲き始めていた。毎年のことだが、普通の白梅より、開花が早い。
 室内の花瓶には、その小枝が、今日も挿してあった。赤い藪椿とよく似合う。
  
             

             

 花水木の梢の上には、午後の青い空が広がっていた。
 白雲を程よく配合して。

             

 赤い実をつけた木は何?
 マユミの実よりは朱色が強く、やや小振りだ。
 厚手の葉なのに、色も質感も、柔らかな感じである。
 今までも、同じ位置に立っていたはずなのに、存在に気づかなかった。
 見ているようで、見ていない木や草花が、この庭にたくさんあるのだろう。 

             

 クリスマスローズの蕾が、少しずつ膨らんでいる。

             

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喜寿を記念し…

2010-01-24 | 旅日記
 今年の誕生日は、私にとって、一つの区切りであった。
 喜寿。
 随分長く生きたてきたような気もするけれど、気分的には、50代、60代の頃とほとんど変わらず、77歳であることが不思議にも思える。
 とにかく、何事もなく、ここまで歩んでこられたのは、幸せである。
 22日の誕生日に先立って、妹や友人知己から、過分な祝福も受けた。

 これからは、未知の未来へ歩むことになる。
 喜寿という特別の区切りのせいか、人生の晩年にさしかかったとの思いは強い。
 これまでどおりの平坦な未来はありえないであろうとの自覚も。
 しかし、案じても仕方がないので、大方のことはなりゆきに任せ、老いを楽しんで生きようと思っている。

  
 誕生日の22日は、山口に出かけ、所用を済ませたあと、萩に向かった。
 初めての宿<雁嶋別荘>に宿泊。
 松本川が日本海に注ぐ河岸にある宿である。
 大寒の日の生まれなので、誕生日が好天に恵まれることは少ない。
 が、今年は冬日和であった。
 眼前の山(指月山の南)に、夕日が沈むのを眺めることもできた。
 落日は、川面や夕空にたなびく雲を染め、やがて完全に光を失った。
 私にとって、一つの季節が終わることを思いながら、部屋の窓からそれを眺めた。
 少なくとも、確実な明日のおとずれを信じながら。 

             

             

             

            翌朝、窓辺に眺めた指月山と松本川。

             

             
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ウォーキング

2010-01-21 | 散歩道
 昨日から、<大寒>に入った。
 寒くて当たり前なのだが、全国的に陽気なお天気だったようだ。
 当地も20度近くまで気温が上がり、春めく一日であった。

 そこで、暖かさに誘われて、土田海岸まで歩いた。
 浜には人影がなく、防波堤の端で釣りをする人がひとり見えるだけであった。(写真 上)
 海は波穏やかで、波打際にうち寄せる波が、砂浜に軽やかなレース模様を描いていた。(写真 中)
 
 もう少し歩こうと、北浜まで行った。(写真 下)
 ここにも人影が全くない。大自然の中に、吾ひとりの思い…。

 行った道を引き返せばよかったのに、海を背にし、国道を目指して歩いた。思いの外距離があった。
 完全なオーバー ウォーキングであった。
 少々疲れすぎた。
 何事も中庸がいい。

            

            

            

 線路わきには、黄色い花が咲いていた。春近しの風情である。この種はみな、<菜の花>と呼んでしまうのだが、正式名があるはず。?

            

 空に点描されているのは、ヤシャブシの実。 

            

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