ぶらぶら人生

心の呟き

椿の咲く家

2014-11-29 | 散歩道
           散歩のとき(27日)、デジカメに収めた花や風景。

     
           浜辺に近いNさん宅に、椿が咲き始めていた。
           折から、Nさんが、花の手入れ中であった。
           挨拶し、庭を案内していただいた。

           41種の椿があるのだそうだ。
           しばらく、Nさんと立ち話。
           「いつでも、自由に見てください。花がきっと喜ぶでしょう」
           と、言ってくださった。
           が、さて、次回、出かける気になるのはいつだろう?
           散歩にも、決意が要るようになった。
           しかし、椿の花が見たくなったら、きっと出かけるだろう。
           丹精込めて育てられている花を眺めるために。

         

  

  

  

     
              
                     ベトナム産の椿とか


           海の見えるところまでと、散歩に出かけた。
           高島の白い灯台を、肉眼で眺めることができた。
           結局、浜辺に下りることはせず、Nさん宅から引き返した。

         

         


                    道中、目にした花々。

  

  

  

   
          ※(月を跨いで、旅に出てこようと思っている。師の墓参を第一の目的として。)         

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搗き立てのお餅

2014-11-28 | 身辺雑記
 山口の友達から、お餅を搗きにゆきたいと電話があったのは、月初めであった。
 昨年までは、水に浸(か)した餅米や餅搗き機を持参し、私の家でお餅を搗いてくださっていた。
 丸める仕事は、手早くしなくてはならない。
 特に、餅切りは、大変である。
 友達は、熱さを我慢しながらの餅切り、私はもっぱら丸め役である。

 昼食をはさんで、5、6時間はかかった。
 準備から片付けまでの労働(?)を考えると、忍耐力の面で、今年は無理だろうと断った。


 昨日の昼前、友達から大きな段ボール箱が届いた。
 中には、新米5キロ・お餅70個・薩摩芋・白菜の漬物などが入っていた。

 お昼に、早速、お餅をいただいた。
 焼き餅にし、白菜の漬物を添えて。
 搗いたばかりのお餅の、美味しいこと!
 お餅に関心のない人には伝えにくい、鮮度のある美味しさである。
 お店では買えない味!
 新鮮な白菜の漬物が、意外によく合うのだった。

 
 私は、元来、ご飯やお餅が大好物である。
 そのせいだろう、それらに対する味覚は鋭い。
 今日のお餅は、食味してきた中でも極上の美味しさだった。
 (ただ、昔のようには量が食べられなくなったけれど。)

 昼食後、冷凍庫に保管するために、<Food Saver>を使って、真空パックした。
 友達の手づくりなので、大きさや厚さは不揃いであるが、それがかえって趣がある。
 6個ずつパックした。
 
 当分、 楽しめる。
 (一方、パック作業だけでも結構疲れた。やはり、今までどおりのお餅搗きは無理だったという証明になった。)

 お礼の電話をすると、また<寒餅>を搗いて送ります、とのことだった。

       

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夕景

2014-11-27 | 散歩道
           散歩の帰りに見た夕景

  

  

  

  

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『死に支度』

2014-11-27 | 身辺雑記
 瀬戸内寂聴著『死に支度』 (下の写真)を読了したのは、10日以上前である。
 (ブログに投稿しておきたいことはたくさんあるけれど、機を逸することが多い。こんなところにも、老いを感じる。)

           

 作者は、私より10歳年長である。
 その作者による『死に支度』である。
 当然興味がある。

 雑誌「群像」の2013年8月号~2014年7月号に連載された作品である。
 『死に支度』というテーマで書かれた、12編からなる<短編小説>の趣が強い。
 <私小説>の類である。
 92歳の寂聴さんを主人公とした、この一年の日常が描かれる。
 と同時に、寂聴さんを取り囲む様々な人々の人生や、現在過去の人々が自在に登場する。
 
 とにかく痛快な作品だ。
 この小説の最後は、お手伝いのモナ(26歳)にあてた手紙の、

   今夜の食事は外で食べましょう。その前に「群像」の山田さんにTELして、最後
  の最後まで原稿遅れてごめんなさいとくれぐれも謝っておいてね。
   私はこれからちょっと眠ります。幽霊も眠くなるのよ。
                                     寂聴


 で終わる。

 いつも元気な寂聴さん!
 そんなイメージを持ち続けていたが、そう坦々とした92歳までの道のりではなかったのだと知った。

   人間の寿命は信長が人間五十年と謡い舞った時から驚異的に延び、二十一世紀
  の現在、日本でも百歳を越えた長寿者が五万人も存在しているという。クモ膜下出血
  とか圧迫骨折とか患いながら、しぶとくよみがえり、私はこのままでゆけば百歳を迎
  えることも不可能ではないように思われてきた。
   正直に言えば、私はもうつくづく生き飽きたと思っている。我が儘を通し、傍若無
  人に好き勝手に生きぬいてきた。ちっぽけな躰の中によどんでいた欲望は、大方私な
  りの満足度で発散してきた。
   最後のおしゃれに、確実に残されている自分の死を見苦しくなく迎えたい。人は自
  分の人生を選び取ることは出来ないけれど、死は選ぶことが許されている。


                                  「臨終行儀」より

 
 寂聴さんの周囲には、(あくまで小説上の話ではあるが)、モナやモナより2歳若いアカリなども登場し、平成生まれの若い人の生き様も描かれている。全く知らないことに驚いたり(例えば、全身脱毛の話など)、時は移ろうのだと改めて感嘆したり。
 こうした若者との会話の部分など、特に若い人にも読んでもらいたい。

   「人間の心は変わるのよ。悪くも変わるけれど、よくも変わることもある。…略…
   私はあと、いくら生きてもせいぜい三年くらいでしょ。今夜ぼさっと死んでも不思
   議じゃない。私の理想としては、せめて九十三くらいには死にたいの、だからまあ、
   死んだ後のことなんかどうでもいいようだけれど、このままでは死んでもに死にき
   れないと思ってきた。モナもアカリも自分の結婚のことばかり考えてるけれど、三
   年先には、今よりもっと結婚相手なんかいなくなるのよ。今の政府の政治がつづけ
   ば、戦争が始まり、若い男はみんな戦場に出征よ」
   「今は徴兵制度なんかないですよう!」
   「バカね。戦争したがってる政府は憲法九条変えて、日本をまた戦争できる国にし
   て、徴兵制度なんて、そ日に復活よ。自衛隊はそのまま軍隊になる。今度戦争する
   時は、女だって徴兵されることになる。ほんとに怖い政治になってくるのよ、モナ
   なんか五人子供を産みたいなんて言ってるけれど、その子たちみんな戦場につれて
   いかれる」
   「わっ、そんなのヒドイ!」
   「ひどいたって、今の首相の政治がつづけばそうなるんです」

                                 「負け戦さ」より

 寂聴さんは、東京都知事選の際、脱原発を主張する細川さんを支持。その折のことが作品「負け戦さ」の素材となっている。

    私は京都に籍があるから、東京の知事選に一票の資格もない。それなのに日と共
   に止むに止まれぬ義憤が胸に湧き上がってきて、同じ気分らしい細川さんの止むに
   止まれぬ情熱に心を寄せてしまったのは致し方もない。
     安倍政権の最近の政策が危くて怖しくて仕方がない。憲法九条を変えようとして
   いる。安全保障問題、近隣諸国とのつきあい方、TPP、何より怖い特定秘密保護
   法案……国民の反対意見など一切無視する強引さ、何より原発を再稼働させようと
   との企み。しかも怖しい原発を他国に売りつけようとする厚かましさ。オリンピッ
   クを東京に呼ぶために福島の原発の事故はコントールできているなど、とんでもな
   い嘘をついてしまう無責任さ。どうやら戦前の日本に還そうという腹づもりがある
   のではと、疑わしくなるその言動。…略…                                                                                 

                             同じく「負け戦さ」より

 ここにも、寂聴さんの思想がありのまま記されている。
 私ばかりでなく、この主張に賛同の人は多いだろう。

 過日のブログにも書いたけれど、PCで、寂聴さんの胆のうがん手術のことを知った。
 作品中にも、体調のすぐれぬ様子は書かれていた。
 92歳での執筆は、相当、難儀なことであろう。

 もう一つ、死について書かれた部分を引用しておきたい。

    …略…日本の現状に対してマスコミから意見を需められたりする時は、人間は定命が
   尽きるまで自分を殺してはならないなどともっともらしく答えているが、私の心を覗き
   こむまでもなく、老人で生きつづけることに喜びと情熱がなくなれば、自殺してもいい
   ように常に思っている。僧侶の立場では絶対口にできない考えだが、小説家としての私
   の心の底には自殺した作家たちの誰彼をとがめたりけなしたりする気持は毛頭ない。む
   しろその人たちになつかしさを感じているのだった。
    近頃よく、老人の孤独死が取りあげられ、社会問題として論議されているが、誰にも
   気づかれずいつとも知れない定命を無視してひっそりと死んで行った人が気の毒だとば
   かりは評されないと思う。もう生き飽きていたかもしれないし、死ぬ瞬間は肉体的苦痛
   もあったかもしれないが、これで死ねると思った時、ほっとしていたかもしれないとい
   う想像も可能なのだ。孤独死しても、家族に取り囲まれて惜しまれて死んでも、死とい
   う事態は同質であって、死に上下の点数はつけられない。

                                 「虹の橋」より


 書きたいことはたくさんあるけれど、いささか疲れてきた。
 今日はこれまで。         

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11月の庭 (木の実が残り…)

2014-11-26 | 草花舎の四季
 昨日、郵便局で用を済ませ、草花舎に立ち寄った。
 雨がいつ降り出してもおかしくないような空模様であった。
 時折、強い風も吹き、足を取られそうになることもあった。
 傘を杖代わりにして歩く。

 蕭条とした寒空であったが、体感的にはそう寒くない。
 そこで、庭を歩いた。
 華やぎのないことは確かに寂しいけれど、心を落ち着かせるよさもある。
 冬の庭は、老人向き? などと思いながら歩く。

 ナンキンハゼの木が葉を落とし、梢の実が目立ち始めた。
 ふり向くと、窓辺に延びるノバラも、赤い実をつけている。 

          

          

   


 庭をひと巡りして、喫茶室に戻った。
 コーヒーとケーキをいただき、室内も巡った。

          

  


 Tちゃんから、30代半ばの同僚が、急逝されたことを聞いた。
 体調不良で早退した、その夜の死去であったらしい。

 私の年になれば、一寸先は分からない、という自覚があるけれど、30歳半ばであれば、死の予感などあろうはずがない。
 「不慮の外」の死である。

 <人間のはかなきことは、老少不定>という御文章のことばを、内心でつぶやく。


 庭木が、急に騒ぎ始めた。
 荒れる予感。
 雨が降り出しそうな気配である。
 急いで、帰途についた。         

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冬と夏 共存

2014-11-25 | 身辺雑記
 一日中、<☂>のマークが出ていたのに、昨夜来の雨は、朝までだった。

 郵便物の中に、崖の草刈り・庭の草取りの代金請求書が混じっていた。
 さて、と思案の末、今日、払い込みを済ませておこうと、郵便局へ出かけた。

 駅の近くに、水仙の花が咲いている。
 そして、その近くには、クロコスミアの花も。

      

      

 冬と夏の花が共存している。
 不思議な光景である。

 昨日は、水仙とカンナが隣り合って咲いているのをみかけ、自然界が狂っていると感じながら、その遠景をカメラに収めた。

      


 ※ <クロコスミア>について

   この名前は、草花舎のYさんに教えていただいた。
   私は、この種の花を見ると、<ヒオウギ>だと、かなり昔から思い込んでいた。

   PCで、<クロコスミア>について、検索してみた。

   
     モントブレチアやヒメヒオウギズイセンの名前で、古くから栽培され、
     親しまれている。細長い剣状の葉が群生し、夏に色鮮やかな花が穂に
     なって咲く。繁殖力が旺盛なうえ、順応性も高いので、野生化したも
     のが、各地で見られる。


   と、記されていた。

   今日確認した、この花の名前(クロコスミア)は、またすぐ忘れてしまうだろう。
   そう思いつつ、スマホのメモ欄に、その名をとどめておいた。

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小春日和の皇帝ダリア

2014-11-24 | 身辺雑記
 当地においては、三日連続の小春日和であった。
 この間、長野県の白馬村周辺(長野北部・神城断層)で、大きな被害もたらす地震があり、好天を喜んでばかりもいられない心境であった。

 それにしても、災害が多すぎる。
 他人(ひと)事、他所(よそ)事と、安穏とはしていられない。

 ベッドの傍に、懐中電灯を置いているけれど、停電すれば、方向音痴の私は、その場所さえ手さぐりできなくなりそうだ。
 大揺れの地点では、地震と同時に停電が発生し、真っ暗闇の中で、ケイタイの、液晶ディスプレーのあかりが助けになった、という。(そう話している人がいた。)
 その体験を生かし、スマホを枕元に置くくらいの配慮はしておこう。
 もはや惜しむ命ではないが、人に迷惑をかけないためにも、自分で可能な心がけは、しておいた方がいいだろう。


 外出の際、車窓に、<皇帝ダリア>の花を見かけるようになった。
 近所では、Hさん(同級生)宅の庭にも、咲いている。
 裏口を出ると、はるかに、その花の存在が分かる。

 花が傷まないうちに見てこようと、昼前、散歩がてら出かけた。
 高い丈を傾げながら、その花は咲いていた。

 見上げるほどの高さに咲く大ぶりな花は、<皇帝ダリア>の名にふさわしいと、毎年の思いを今年も繰り返す。

   

  


 残り葉を赤く染めた桜も、朱色の実を枝に残す柿も、深まる秋の風情である。

  

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11月20日 (三件)

2014-11-20 | 身辺雑記
 その1

 11月初旬に、崖の草刈りと庭の草取りを業者に依頼した。
 昨夕、「明日、伺いたい」と電話があった。

 8時前から12時近くまで、5人の方が、作業をしてくださった。
 おかげで、家の周囲が、さっぱりした。

         
              草刈り風景 (こっそりと撮影)

     
         枯草のなくなった崖           雑草のない庭


 その2

 本来は、病院行きを予定していた。
 急に、業者が作業に来られることになり、明日に日延べしようと考えていた。
 が、午前中に作業が終わったので、急遽、午後の診察を受けることにした。

 定期の診察に併せ、インフルエンザの予防接種もしていただいた。
 血液検査の結果も、知らせてくださった。
 異常なし、と。

 予防接種の後は、異変が生じないか、30分は待機することになっている。
 いつも眺めて楽しむ植木鉢の花が、珍しく置かれていなかった。
 待合室が妙に寂しい。

 いつもの楽しみは得られず、先生から渡された、血液検査の結果用紙を眺めていた。
 見事に正常範囲に収まっている数値を、上から下へ辿った。

 下の方に、一つだけ<L>の付いた箇所を見つけた。
 <eGFR>の欄。
 90以上が正常値なのだが、私の数値は65である。

 <eGFR>とは、何だろう?
 スマホで調べた。

 腎臓機能の数値と分かる。
 私の場合、「軽度の機能低下」ということらしい。
 老いれば、しわが増え、髪が白くなる。
 腎臓も、それなりに年を取るのだろう、と判断。

 帰宅後、多少気にはなるので、以前の検査結果を調べた。
 前回の数値は69、前々回は65であった。

 それ以前のものには、<eGFR>の欄がない。
 新しく問題視され始めた数値なのかもしれない。
 排尿のとき、排出されるべき不要物質が、うまく排出されず、血管に入るらしい。
 決して望ましい状況ではないはずだが、老化によるものなら仕方ない。

 15年前(山口で暮らしていた当時)膝に水がたまり、漢方薬を処方してもらったことがある。
 (漢方薬を続けることで、歩行さえ困難だった腫れは徐々に引いた。以後、膝に水がたまることなく、現在に至っている。)

 初めて漢方薬局を訪れた時、薬の処方に当たって、全身の触診をされた。
 その折、腎臓病ではないけれど、腎臓の機能が弱いと言われた。
 (腰の後ろ側を抑えられた時、汗が噴き出すほどの痛みを感じた。それと関係があったのかどうか?)

 自覚することは何もないまま、以来、腎臓機能は弱いのだろう、と思っている。
 血液検査の数値で、証明された気分である。

 ジェネリックの薬のうち、睡眠薬だけは、以前のものに替えてもらった。
 気持ちの問題かもしれないけれど、以前の薬が私の身体には合っているような気がして。

 
 その3

 診察時間までには間があるので、カメラ店に行ってきた。
 前々から、なるべく早く、買い換えをしたいと思っていた。

 店員と相談して、使い勝手がよく、適当な値ごろのものを求めた。
 終生、使い続けることになるであろうカメラ。
 早く使いこなせるようにしたい。

 帰宅後、新デジカメで撮った、最初の写真。(山法師の紅葉)

       

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闖入者

2014-11-19 | 身辺雑記
 本をを読んでいる左眼の視野に、黒いものがよぎった。
 <?>と、左方にふり向くと、大きな虫がいる!

 指でつかむ気にはなれない。
 が、見失っては困る。
 急いで火箸を取りに立った。

 激しく這いまわる気配はない。
 が、見たこともない虫で、得体がしれない。

 とにかく、外へ投げ出した。
 そして、カメラに収めた。

      

 その後も、しつこく入口に戻ってくる。
 これは大変! と、道路に向かって掃き出した。


 一段落して、『昆虫図鑑』を開けてみた。

 「コウチュウ目」<オサムシ>のなかま、「マイマイカブリ」というらしい。

   
    蝸牛やミミズを食べる。
    後ろ羽は退化して、飛べない。
    地理的変異の大きい種である。
    成虫で越冬する。


 子供向き昆虫図鑑で、この程度の知識を得た。
 
 私の読書の邪魔をした闖入者「マイマイカブリ」に、再び会う偶然はないように思う。
 会いたいと思うわけではない。
 昆虫類は、全く好みではないので……。

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11月の庭 (シクラメンを発見)

2014-11-18 | 草花舎の四季
 朝から、雨が激しく降ったり止んだりの一日だった。
 ここ数日、活字ばかり眺めていたので、少々疲れた。

 草花舎で食事をしてこようかと考えているうちに、冷たい雨が激しくなった。
 外出を諦めて、家で食事。

 2時半を過ぎて、ひととき、青空がのぞいた。
 散歩がてら、傘を持って出かけることにした。

 草花舎まで歩く。
 カメラを手にし、雨後の庭に出てみた。

 紫陽花の大きな葉の紅葉が美しく、それを撮ろうと近づいたとき、葉陰に咲いている花を見つけた。
 こんなところに花があったかしら?
 よく見る花!
 と、思いつつ、とっさに名前が出てこない。

 瀬戸内寂聴さんの本に、<人の名前だけでなく、花の名前も思い出せない>とあるのを読んで、私も同じだと思った。
 が、寂聴さんに比べれば、私は10歳若い。

 にもかかわらず、固有名詞に限らず、言いたい言葉を度忘れすることがしばしばである。
 頭の中の引き出しを一生懸命探しても、全く思い出せない場合がよくある。
 諦めていると、ふとしたはずみに、湧くように出てくる。
 数時間経って、あるいは数日が経ってから、思い出したりする。

 老いて、頭の働きが鈍くなった。
 考えたり書いたりする時の、能率の悪さ!!

 悩んでも仕方なく、赤瀬川原平さんにならって、《老人力》が、ますますついたと思うことにしている。
 だが、何とも歯がゆい思いである。
 こんなはずではなかった、と。

 庭を一回りしているうちに、「シクラメン」という、花の名前が出てきた。
 でも、昨年も、あの位置に咲いていたかしら? と、半信半疑である。

 そこで、Yさんに尋ねた。
 やはり、シクラメンであった。
 上品な色の花である。

 Yさんは、まだ花には気づいておられなかった。
 「咲いてる? あそこに、根を投げ捨てておいたの」
 と、さっそく庭に出て行かれた。
 一輪折り取ってきて、硝子の花瓶に入れられた。
 葉も添えて。

 その葉に気づけば、シクラメンであることを疑わなかっただろう。

 庭のあちこちに、八つ手の花も咲き始めている。
 初冬の気配である。

 落葉樹には、まだ赤い葉が残っている。
 けれども、裸木になるまでに、そう時間はかからないだろう。

      

  

      

  

 
 コーヒーとケーキをいただく。

           

        
 その後、Yさんに、高倉健さんの訃報や瀬戸内寂聴さんの闘病について伝える。

 出かける前、寂聴さんについて調べたいことがあり、タブレットを開いた。
 その画面に、いきなり飛び込んだのは、高倉健さんの死亡を伝えるニュースであった。
 <今月10日に、悪性リンパ腫で死去。83歳没と。>
 
 瀬戸内寂聴さんの項を、改めて開くと、これまた予想をしないニュースが飛び込んできた。
 <半年ぶりの執筆手記「92歳の闘病」>と題した「京都新聞」の記事である。
 背骨の圧迫骨折や胆のうがんを患い、5月以降、2度入院、今は自宅療養をなさっている、と。

 訃報や闘病の話は、寂しい限りだ。
 生ある者にとって、病も死も、必定のこととは思いながら。


               以下、室内の花など。          

  

  

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