ぶらぶら人生

心の呟き

定期の歯科検診と税務署へ

2020-01-30 | 身辺雑記
 椋歯科医院へ行き、点検と手入れをしてもらった。
 今日も、寒中にしては気温が高く、池の鯉もゆったりと泳いでいた。

 ついで、税務署へ。
 作成した確定申告の書類を提出。
 一仕事終えて、ほっとする。

 税務署前の道を挟んだ向かいに、梅の花が咲いていた。
 濃紅色の梅はほぼ満開、もう一本の薄紅色の梅は咲き始めたばかりであった。
 
 本格的な春はまだ遠いが、早くも一月が終わろうとしている。
 なんだか慌ただしく、しかし中身のない日々が過ぎてゆく……。

 

 

 
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一月往(い)ぬ

2020-01-29 | 身辺雑記
 匆々と、2020年の1月が過ぎていった。
 振り返ってみると、内容空疎な日々であった。
 その時々、特別怠けている訳でもないが、これといった収穫もなく……。
 なんとなく充実感がないのは、考えてみると一つのことをこなすのに、時間がかかり過ぎるようになったせいかもしれない。

 まあ、年相応に、緩やかに生きていこう!


 
        1月29日に開花した初椿
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昨日今日の庭

2020-01-28 | 小庭の四季
 昨日は本降りの雨であった。
 帰宅してみると、蝋梅がほぼ咲き揃っていた。
 毎年、わが家の蝋梅は花が少ない。
 しかし、それがそれなりの風情となっているようにも思う。

 雨の降る仄暗い庭に咲く蝋梅の花は、蛍にも似た趣であった。

 

 蝋梅と雨滴
 

 紅色の椿は開花間近となっていた。
 


 今日は、折に日差しの漏れる時間帯もなった。(時には小雨も。)
 大寒はどこへいったのやら?
 冬がないまま、春になるのだろうか?

 前庭のノボタンが、三つも咲いていた。

 

 
 まだ蕾もある。

  
  高く高く咲いたのもあった。

 横庭では、草花の芽がのぞき始めた。
 上は多分イチハツ、下はホトギス?

 

 

 
 昨日帰宅して、今日もまだ、施設での生活疲れを引きずっている感じである。
 不在中の新聞は全て読んだが、(新聞記事を見て、読みたくなった作者・岡部伊都子さんと串田孫一さんの本をAmazonへ注文)、後は国会中継を聞いたくらい。
 為政者が、自分や自分の周辺の人には寛大で、自らの非を認めようとしない傲慢な姿を幾度見せつけられたことか。うんざりしてしまう。
 その人の考え方は、話す言葉を聞けば分かる。
 私たちが選んだ政治家であるが、もう少しお勉強して! と思ったり、精神修養をしてくださいね! と思ったりする。
 私もダメ人間であるけれど、それはひとまず棚に上げて。

 昨日、ポストを開けると、今年も、確定申告用の封書が届いていた。
 私の年代、あるいはもっと若い人に聞いても、確定申告は全然していないとのこと。
 私は、毎年封書が届くので、退職以来ずっと確定申告をつづけてきた。申告すれば、いつもお金が戻ってくるのも、年金以外には収入のない身にはありがたくもあって。
 が、今年は書類作成が億劫で、昨日来、もう申告はやめようかなと思っていた。(PC作成を学んでおけばもっと簡単だったのだろうか、と思ったりしながら)
 が、『確定申告の手引き』が添えてあるのに、計算できないようでは……との残念な思いもあって、夕方になって取り組んでみた。
 なんのことはない。書類作りに手こずることはなかった。
 まだやれる!(わずかな計算と数字記入に満足。)
 申告することで戻ってくる金額は、昨年よりは少なく、4000円余。
 
 
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水の眺め(海と川)

2020-01-26 | 散歩道
 昨日と今日と、昼前のひととき、散歩に出かけた。
 海を眺めて佇み、川を眺めて佇む。
 海も川も水の風景。しかし、それぞれの魅力は異なる。
 花の少ないこの時期は、海や川を眺めて楽しむことが多い。

 この一週間の天気予報は、悉く☂️マークがついていた。が、予報外れの穏やかな天気に恵まれた。
 海辺にも川辺にも、冬の寒さはまるでない。

 海の眺め
 
 海に出る小径を辿ると、真正面に見える眺め


 
 東側の眺め

 
 西側(山口県側)の眺め


 川の眺め(鵜のいる光景)
 

 
 (思い思いの格好をして)

 群れたがるのは、全ての動物の習性であろうか。孤を楽しんでいる鵜を見たことがない。

 * 昨日も今日も、声高く鳴く鳥の声を聞いて歩みを止めた。
   昨日は確信が持てなかったけれど、今日は間違いなく鶯の初音であると、聴覚が捉えた。しかし、その鳴き方は、なんとなく覚束なげで、目下練習中ですと思わせる、おさなげな鳴き方であった。

 平穏時の自然の声は、人語のような騒音とならず、ひとりでに人の心を和ませてくれるのが嬉しい。
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『茅葺きの家』展

2020-01-25 | <うつわ>便り
 昨日、昼食を済ませたあと、Kさんの車で、<ギャラリーうつわ>へ行った。
 今月の展示は、不要品となるはずの酒パックを画用紙として活かし、昔懐かしい茅葺の家を描くという、大変個性的な画展であった。雰囲気は似ているようで、家それぞれに異なる生活の匂いがする。見ていて郷愁を覚えるのは、鄙びた僻陬の佇まいを記憶しているからだろうか?
 作者自身が自ら楽しみながら描いておられる雰囲気も、伝わってくる。

      酒パックで描く
      茅葺の家
    作者・石田敏明

  

     以下、作品と展示室の雰囲気

 

 

 

 

 

 

  

         椿の花3種

  
     黒味を帯びた珍しい花弁

  

 

 囲炉裏のそばで、コーヒーをいただく。Kさんと語らいながら。

 

 

 コーヒーの後、店主のAさんから、晩白柚(バンペイユ)という柑橘類のお裾分けをいただき、賞味した。晩白柚は、ザボンのように大きな実の由。
 名前も初めて、食すのも初めてであった。
 適度な甘味と酸味があって、上品な味であった。

 

 
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レストラン「柿の木」で食事

2020-01-24 | 身辺雑記
 連日、誕生日祝いの食事会。
 今日はKさんのお誘いで。
 11時半、施設へ迎えに来ていただいて、海辺のレストラン「柿の木」に出かけた。

 
  
 食事のあと、<ギャラリーうつわ>へ行くことにして、ここでは食事だけ。
 昨日に続いて、お肉料理。
 飽きずに、美味しく食べられるから、体調がいいということであろう。
 ひとときの語らいを楽しみながら……。

 レストランは、海辺に近接しているので、海風が吹き荒んでいた。
 窓辺の席から、海上に霞む高島を眺める。

 

 <柿の木>は、いつ訪れてもお客が多い。
 大衆性があり、気楽に入れて、その上食べる楽しみの得られる食事処だからだろう。

 Kさんから、(昨日のブログに書いた)ジャルダンに展示されていた色鉛筆画について尋ねられた。
 切り絵や刺繍など、新しいことに挑戦しては腕を上げておられるKさんは、色鉛筆画もやってみたいお気持ちがあるようだ。
 人それぞれに、関心の有る無しも、上手下手も、ずいぶん違いがあるものだ。
 私などは、色鉛筆画など、眺めて楽しむだけで、やってみる前にやってもダメだと諦めるのだが……。
 私より15歳もお若いKさんは、やりたいことならなんでもやってみられるといい。
 いつ終わりが来るともわからないほど引き延ばされる寿命を考えると、命終わるまで何をすれば人生を楽しめるかは、一人一人が考えなくてはならないことだろう。

 <人生百年時代>と言われ始めたのは、私が80歳をすぎてからだった。
 それは人ごとと考えていたけれど、いつの間にか87歳になった。
 私のいる施設の4階では、80歳代よりも、すでに90歳をを超えておられる人の方が多い。
 その現実を目にしながら、ふと高齢化の日々をどう生きたらいいのかを考えさせられる。長生きは素晴らしいことだと思うより、少々困ったことだ、と思っている私がいる。なぜなら、生きていることが心底楽しそうに見える人が少ないからだ。それは、覚悟もなく、いつの間にか年をとってしまった人が多いからでは………と考える。

 これからは、若い時代から、80歳代、そして90歳代をどのように生きたい、という各自の自覚が必要になるのだろう。人からこうしなさいと命じられたり、与えられたりするものではなく、自らが紡ぐ最晩年の生き方を楽しむ術を。

 だから、Kさんのように、自身にできそうな趣味とか楽しみを、積極的に模索する生き方が大事なのだろう、と。
 

 食事のあと、<ギャラリーうつわ>へ。(別項で)

 ☆  施設に戻って、入居者のIさん(「柿の木」経営者の父君)に廊下で会ったので、お店へ食事に行って来たこと、いつもお客が多く、今日行ってみると食事処が拡張されていたことも伝えると、今年92歳になられる父君は、嬉しそうに表情を緩められた。

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ジャルダンで

2020-01-23 | 身辺雑記
 今日、妹に会い、誕生日祝いのご馳走をいただいた。
 <ジャルダン>にて。
 以下、賞味した品々。

 

 

 

 

 

 久しぶりに、きちんと食事ができた感じである。
 美味しくいただけることの幸せ!
 こんなに食が進めば、ひとりでに元気が湧いてきそうな気がする。

 ジャルダンの店内にたくさんの絵が展示されていた。
 市内在住の畑志壽子さんの色鉛筆画。
 昨年の「全国公募 日美展」で、金賞を受賞された作品ほか。
 受賞も立派だが、感心したのは、怪我や病に挫けず、老いの日々に新たな生きがいを見出し、精巧な作品を生み出された生き方である。受賞時、88歳とある。

 私など、弱音吐きの名人みたいで、少々恥ずかしい気がした。

 
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1000歩でも散歩を

2020-01-22 | 散歩道
 誕生日を機に、日々、可能な限り意識的に努めて実践したいことの一つとして、散歩を考えている。
 短い距離でもよいから、歩くこと。
 用事を作ってでも歩くこと。
 足が弱ると、多くの楽しみが失われるだろうと思っているので。

 午後から弱い雨になったが、傘をさして歩いた。わずか1600歩の大塚散歩。

 木瓜の花は、こんなに早く咲くのかと驚いて、足を止めた。

 

 河口周辺で、作業中の風景二つ。
  上は浚渫? 下は防波堤?

 

 
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誕生日、87歳の

2020-01-22 | 身辺雑記
 また年を一つ加えた。
 今日は、87歳のスタート日である。
 <突拍子もなく>長く生きてしまったなあ、という想いである。
 なんだろうな? 私を生かしている力は?
 20歳の頃から、5年以上先のことは考えられないという心境を拭えず生きてきて(将来の展望など持てないままに)、ここまで生き伸びてしまうとは!?

 高校卒業の翌年まで、決して健康体ではなかったことが、私の心の奥深くに潜んでいて、長く生きることはないだろうと思い込んでいた。特に40歳になる頃までは。
 それでも一日一日を疎かにはせず生き、いつの間にか倍以上の日々を生きてしまった。
 様々な岐路に立つごとに、自分自身の選択に悔いを感じることもなく生きてこられたのは、幸せなことだと思っている。

 70歳以後の住処の選択は誤ってしまったのかもしれないと思うことはあるけれど、しかし、住処を変えていたら、PCを習うチャンスを失ったかもしれないし、こうしてブログを書いている日々もなかったかもしれない。

 過去、どれだけ多くの人の愛や恩寵を受けてきたかしれない。
 今、心寂しいのは、心の通い合う同年の友達が、いよいよ少なくなってきたことである。
 これは長く生きた者のみの感じる寂寥であろう。

 命のことだけは計画的な計らいが不可能なので、ふと先々に不安を感じることはある。が、それは誰にとっても仕方ないこと。めぐりくる一日一日を大事に歩んでゆくしかないのだろう。


  
  今朝の空(7時22分)

     
 知己のHさんが贈ってくださった、小型の、カシミヤのマフラー。
 特に暖かい冬なので、嵩張らないのがありがたく、早速愛用させていただいている。
 京菓子の落雁も添えてあった。
 毎年、誕生日を思い出していただけることに感謝しつつ、お菓子も美味しくいただいている。

 今日は電話やメールで誕生日を祝ってもらった。
 若い人からは楽しいスタンプが添えてあったりして、ひとりでに心和んだり、大阪在住の妹がベランダに咲く花(下の写真)を添付してくれたり、みなありがたく楽しませてもらった。

     

   
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86歳、最後の日

2020-01-21 | 身辺雑記
 昨日まで蕾んでいた蝋梅の蕾が開いた。
 タクシーを待ちつつ、裏庭に立っていて、その開花に気づいた。
 まるで精巧な蝋細工のように、花弁の一枚一枚に光沢がある。

 ただ家の蝋梅は、なぜか花つきが悪い。多すぎても鬱陶しいが、もう少し増えてくれると嬉しい。
 70歳のときに植えてもらった木である。そして、その後の私に付き合ってくれた木である。

 
 

 今日は昼前に施設にもだった。
 が、持参した荷物を片づけ、昼食を済ませると、美容院へ出掛けた。
 デトックス、シャンプー、カットをしてもらって、イオンに寄る。
 施設に6日間滞在の予定である。その間は美しさを保ってくれるだろうと、薔薇を買ってきた。

  


 明日からしばらく雨が降るという。
 しかし、今夕は穏やかな夕景であった。

 

 

 ベランダで、左右の山並みを眺めていると、空の一角に轟音が湧いた。
 その方角に視線を送ると、着陸態勢をとりながら、石見空港へ向かう機影があった。

 

 86歳最後の日は、このようにして、ごくごく平凡に終わろうとしている。
 (内心では、もう少し心楽しんで生きられないものかと、自分自身に対してかなりの不満を抱きつつ。)
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