連日、誕生日祝いの食事会。
今日はKさんのお誘いで。
11時半、施設へ迎えに来ていただいて、海辺のレストラン「柿の木」に出かけた。
食事のあと、<ギャラリーうつわ>へ行くことにして、ここでは食事だけ。
昨日に続いて、お肉料理。
飽きずに、美味しく食べられるから、体調がいいということであろう。
ひとときの語らいを楽しみながら……。
レストランは、海辺に近接しているので、海風が吹き荒んでいた。
窓辺の席から、海上に霞む高島を眺める。
<柿の木>は、いつ訪れてもお客が多い。
大衆性があり、気楽に入れて、その上食べる楽しみの得られる食事処だからだろう。
Kさんから、(昨日のブログに書いた)ジャルダンに展示されていた色鉛筆画について尋ねられた。
切り絵や刺繍など、新しいことに挑戦しては腕を上げておられるKさんは、色鉛筆画もやってみたいお気持ちがあるようだ。
人それぞれに、関心の有る無しも、上手下手も、ずいぶん違いがあるものだ。
私などは、色鉛筆画など、眺めて楽しむだけで、やってみる前にやってもダメだと諦めるのだが……。
私より15歳もお若いKさんは、やりたいことならなんでもやってみられるといい。
いつ終わりが来るともわからないほど引き延ばされる寿命を考えると、命終わるまで何をすれば人生を楽しめるかは、一人一人が考えなくてはならないことだろう。
<人生百年時代>と言われ始めたのは、私が80歳をすぎてからだった。
それは人ごとと考えていたけれど、いつの間にか87歳になった。
私のいる施設の4階では、80歳代よりも、すでに90歳をを超えておられる人の方が多い。
その現実を目にしながら、ふと高齢化の日々をどう生きたらいいのかを考えさせられる。長生きは素晴らしいことだと思うより、少々困ったことだ、と思っている私がいる。なぜなら、生きていることが心底楽しそうに見える人が少ないからだ。それは、覚悟もなく、いつの間にか年をとってしまった人が多いからでは………と考える。
これからは、若い時代から、80歳代、そして90歳代をどのように生きたい、という各自の自覚が必要になるのだろう。人からこうしなさいと命じられたり、与えられたりするものではなく、自らが紡ぐ最晩年の生き方を楽しむ術を。
だから、Kさんのように、自身にできそうな趣味とか楽しみを、積極的に模索する生き方が大事なのだろう、と。
食事のあと、<ギャラリーうつわ>へ。(別項で)
☆ 施設に戻って、入居者のIさん(「柿の木」経営者の父君)に廊下で会ったので、お店へ食事に行って来たこと、いつもお客が多く、今日行ってみると食事処が拡張されていたことも伝えると、今年92歳になられる父君は、嬉しそうに表情を緩められた。