ぶらぶら人生

心の呟き

花壇の仲間 3 (ベコニア)

2007-06-30 | 身辺雑記
 草花について無知な私でも、「ベコニア」は知っていた。珍しさはないが、花の色がピンクで愛らしかったので、買い求めた。これは三鉢。
 花壇に下ろしても、ピンクの花はやはり可愛い。(写真)

 とりあえず求めてきた三種の花が、明日からの生活の慰めになるだろう。

 六月が今日で終わった。今年が半分過ぎたことになる。
 この月は、特に中旬以降、朝の散歩をずいぶんサボった。気だるさを口実にして。
 昨夜も、就寝は八時であった。
 崩れるようにベッドに横たわり、灯りを消すと、障子に黄昏色が残っていた。もったいないような気もしたが、今朝五時まで眠れたので、からだが休養を欲しているのだろう。
 明日から七月。
 少しはましな日々を生きたい。

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花壇の仲間 2 (ランタナ)

2007-06-30 | 身辺雑記
 花壇に、少しばかり華やぎを添えようと求めたのが、黄色い花「ランタナ」であった。(写真)
 こちらは小さな鉢なので、二鉢求めた。
 「アメリカンブルー」同様、ランタナも、いかなる花か知らなかった。
 
 ネットで調べ始めたとき、花色がまるで違う写真ばかりで、一体どういうことだろう? と、花屋さんで教えてもらった名前を疑った。
 が、調べてゆくうちに、花色が変化することを知った。黄色は最初の色らしい。
 「七変化(シチヘンゲ)」の別名があるというから、今後、どんな花色に変わってゆくか、楽しみである。が、私としては、花壇に黄色を配するつもりだったので、変化した色によっては、抱いたイメージに反することになるかもしれない……。

 ランタナは、育ちすぎ、よくはびこる植物らしく、場所によっては好まれない花とか。
 ノコギリソウのようにうんざりさせられ、おつき合いを中断することになるかどうか。

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花壇の仲間 1 (アメリカンブルー)

2007-06-30 | 身辺雑記

 パンジーやノコギリソウを引き抜いた後、花壇が寂しくなっていた。彩を添えようと、町へ出たついでに、花の鉢を買ってきた。

 その一つが、「アメリカンブルー」。(「エボルブルス・ピロサス」というのが学名らしい。)
 どんな性質の花かも知らぬまま、色のさわやかさに惹かれ、躊躇いもなく一鉢買った。茎や葉も、今のところ猛々しさがなく、小さな花壇には、適していそうに思えた。
 お店の人の話では、これ以上丈は高くならないが、横には広がる可能性があるとのことだった。

 花壇に植え替えをしているところへ、隣家の方が、「モロッコ豆」を届けてくださった。肉厚の大きな豆である。
 (外食したとき、料理に使われているのを食べたことはあるが、自分で買ったことはない。塩ゆでして、マヨネーズをつけて食べてもよし、煮物にしてもいいと、隣家の人に教えてもらった。一応、ネットで料理法を見ると、いろいろなレシピが載っていた。手の込んだ料理を楽しむ習慣はないので、おそらく一番単純な食べ方をするだろう。
 それにしても、豆の種類も多いようだ。食べる楽しみより、どんな花が咲くのだろう? と、その方が気になってしまう。いつか見た「インゲン豆」に似た花なのだろうか。)

 家の庭で、隣家の人と立ち話をしているうちに、夕方の気配となった。
 花壇に植えた「アメリカンブルー」に水をやる。
 持ち帰ったときには、水色の小花がたくさん、花弁を開いて美しく咲いていたのに、萎れたような、だらしない姿になっていた。(7月1日、写真の取替え)
 夕べの気配を感じて、花びらをとじようとしているのか、単なる水不足なのか。ネット上には、<ヒルガオ科>と記してあった。

 明日から、初めて育てる花との新たなつき合いが始まると思うと、心楽しい。


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桔梗咲いて

2007-06-29 | 身辺雑記
 わが家で、自慢できる花は少ない。
 私の、唯一のお気に入りは桔梗である。
 梅雨空の下、今朝の庭に咲いた桔梗も、すがすがしい趣であった。(写真)

 平安の昔から詩歌に詠まれ、秋草の代表とされているが、わが家の桔梗は、毎年この時期に咲き始めて、実に長々と咲き続ける。それでも見飽きることはない。紫色の花の、気品ある美しさのせいかもしれない。

 だが、優しい花びらのしおれた姿は、見るも哀れである。
 美しく枯れるというのは、すべてのものにとって、至難の技といえるのだろう。
 人間が、美しく老いたいなどと思うのも、夢のまた夢、願望としてしか存在しない姿なのだろう。
 それでもなお、老いたる醜女(しこめ)は、美しくありたいと念ずるのだ。無駄な願いと知りながら……。

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アサガオの鉢

2007-06-29 | 身辺雑記
 旬日も前になるだろうか、妹宅からアサガオの鉢が届けられた。そのときには、葉の広がりも小さく、蔓もまだ伸びていなかった。日を追うごとに葉の勢いが増し、蔓は枠に絡まりながら伸びてきた。(写真)
 湿気の多い梅雨を厭い、鬱々と過ごしている私には、ちょっと羨ましい光景だ。元気を出せと、励まされているようでもある。

 鉢には三種類のアサガオが咲くはずである。
 妹の字で、「覆輪」「絞り咲き」「桔梗咲き」と書いた名札が、立てられている。
 さて、どんな花が咲き、夏の朝の風情を楽しませてくれるのだろう?
 

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ムラサキシキブの花 (続)

2007-06-29 | 身辺雑記
 白い実をつけるムラサキシキブ(「白式部」と呼ばれるようだ)の花については、6月24日のブログに書いた。そのときには、まだ蕾状態だった、ごく普通のムラサキシキブが、五日遅れで花を開いた。(写真)
 咲いた花色は、紅紫であった。実が紫だから、花もその紫にこだわって咲くのであろうか。(「白式部」は白い花であった。)
 花はあまりにも微小である。この木の趣は、やはり秋につける紫の実にあるらしく、季語としても晩秋に属している。確かに、実はぼんやりと眺めていても目に留まるが、花の方は、その気で注目しない限り、見落としかねない花である。

 花壇を作るとき、植え替えをしたムラサキシキブは、二年ほど花も実もつけなかった。やっと新しい土地になじんだのだろうか、今年は花が咲いた。花は秋の実を約束する印しであろうと思うと、小さな花がいとおしい。
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老木の花 (キササゲ)

2007-06-28 | 身辺雑記
 とある家の軒先に、ずいぶん昔から一本の老木が立っている。幹を見ると、かなり年老いている。樹齢幾歳だろう?
 私は、この木の名前を知らなかった。あまり関心もなく見過ごしてきた。

 最近になって、年老いた姿に哀れみを覚えながら、何の木だろう? と、見上げることが多くなった。枝を切り落とされてもへこたれもせず、残りの小枝に、今年も花をつけている。黄白色の花が、枝先に群がって咲いている。(写真)

 たまたまその木の前で会った知り人に、木の名前を尋ねてみた。<名前は忘れたが、豆のような実が沢山ぶら下がり、薬効がある>と教えてくださった。
 そういえば、秋のころ、豆の房に似たものが、枝から密に下がっているのを幾度か見たことがある。

 聞いたり見たりした木の特色を手がかりにして、樹木の本を調べてみた。
 思いのほか早く、「キササゲ」に間違いないと、察しがついた。
 葉や花の形状も、本の説明に合っている。
 <果実を乾燥して民間薬>との見出しで、「利尿薬として腎臓病、脚気などに民間薬として、薬効がある。」と記されていた。
 その名も、「果実がササゲに似ているため、木のササゲという意味から。」と説明してあった。
 秋には、ササゲに似た実が、幾房もぶら下がることだろう。その姿も、しっかり確かめたい、と思っている。
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夏の花 (カンナ)

2007-06-28 | 散歩道

 先日、散歩からの帰り、家近くの畑に、赤と黄のカンナが咲いていた。(写真)
 気だるい思いで、夏だな、と思った。この花に強烈な夏日が降り注げば、夏本番。しかし、まだ梅雨空が続き、カンナはただ、周囲の緑に囲まれて、原色の赤や黄を輝かせているだけだった。
 近年、カンナの数が減ってきたのではないだろうか。昔はもっと、あちらにもこちらにもといった感じで、咲いていたように思うのだが……。
 花にも、はやりすたれがあるのかもしれない。何しろ、今は花の種類が多い。選ばれる率が減ってきたのかもしれない。

 カンナといえば、最近、友人の飼い始めた犬の名が、「カンナ」。雌犬だそうだ。
 女の子の名前にも、カンナはあるのかもしれない。
 カンナは、夏にこそふさわしい花であるが、私の好みからすれば、情緒に乏しく、特別好きな部類には入らない。
 が、人間や、動物の名前となると、音の響きがなかなかいい。
 友人の犬も、写真を見せてもらったところ、可愛い犬だった。名前が不似合いといった感じはなかった。

 私は、犬には絶えず馬鹿にされそうで怖い。野良犬の多かった子供の時から、犬は恐ろしい動物で、姿を見かけると、石ころを拾って構えたものだった。今は、飼い主同伴の犬ばかりだから、石を拾う必要はなくなったが、やはり散歩の途中など犬に出会うと、私の方が身を引いてしまう。したがって、犬を飼おうという気には全くなれない。
 それに世話が大変だ。飼う以上は、愛情をもって接しなくてはならない。気ままな猫なら世話は楽かもしれないと思うが、それでも飼い主の自由が束縛されるという点では、似たり寄ったりだろう。
 動物は、人間の心を癒してくれるという。しかし、ペットを飼うことのプラスマイナスを考えて、私は自由を選ぶ方だ。
 拘束や束縛に喜びを感じ得るのは、真に愛し愛される関係にあるときだけではあるまいか。対象が何であれ、と思う。

 話が逸れてしまった。
 植物のカンナは、歳時記では初秋の花になっている。「花カンナ」「檀特の花」という言い方もあるようだ。気に入った句が見つかった。

  女の唇(くち)十も集めてカンナの花          山口青邨
  カンナあの紅(こう)食ひなばいのち灼け死なん   三橋鷹女
  カンナ咲きつゞき家居のつゞかざる            稲畑汀子 


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やさしい花 (琉球月見草)

2007-06-27 | 身辺雑記
 昨日、Tさんに誘われて、白い花(?)と捩花を見、さらには、コーヒーをいただきながら雑談し、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 今は梅雨のさなか。とりわけ昨日は、梅雨特有の不愉快なお天気だったが、開かれた窓から心地よい緑の風が吹き込み、合歓のやさしい花を眼下に眺めることもでき、さながら別天地にいる思いだった。

 私が前々から気にしていた花が、窓辺の庭に咲いていた。その名を聞くと、
 「琉球月見草」とのことだった。
 帰宅後、ネットで調べてみると、別名、「ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)」とも呼ばれることが分かった。
 とにかく野辺に多い花だ。家の庭先などにも、よく咲いている。(写真 6月の始めころ、散歩の途中で撮ったもの)
 この花の素朴さと、無垢な少女を思わせるイメージが好きで、その名前を知りたく思っていた花である。

 Tさんから、お土産に好物の<大きなイサキ>と<コーヒー豆>をいただいた。
 コーヒー豆は、とりあえず冷凍庫に収め、昨夜は、久しぶりにお魚の鱗を取った。
 立派な子や肝がお腹に入っていて、ホクホク顔で料理した。
 実は、ここ幾日か体調がよくない。多分梅雨のせいだと思うが、印象としては、若き日、肺浸潤を患って、十か月ばかり療養したときの感じに似ている。そこで、検温したり、血圧を測ってみたり、あれこれと気だるさの原因を探ってみるのだが……。

 体の不調ばかりでなく、昨日はパソコンがいううことをきいてくれなくなった。ついにお世話になっている会社に電話して、見てもらった。
 難なく、問題は解決したのだが、私の体調はパソコンのようなわけにはいかない。しかし、昨夜は、おいしいイサキの子や肝をいただいて、一瞬元気回復。ありがたいことだ。

 だが、今日はまた、トイレにも不具合が生じた。
 「日を跨いでの凶会日(くえにち)だな」と思う。
 早速、業者に相談し、結局、新しいものに取り替えることにした。
 老躯の健康管理ばかりでなく、昨日今日、身辺に思わぬ問題が発生して、大変といえば大変。
 しかし、考えてみると、周囲の人たちはみな親切で、絶えず人の温かさに包まれている私は、少々幸せ過ぎるような気もする。元気を出せと、今日はリポビタンを届けてくださる友人もあった。
 今晩は、これから、夕食のおかずに、昨日いただいたイサキのお煮つけを作る予定である……。

 琉球月見草(昼咲き月見草)に始まって、ずいぶん話は逸れてしまったが、日常は瑣末事の集積みたいなものだと、つくづく思う。
 

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野の花 (ネジバナ)

2007-06-27 | 身辺雑記
 Tさんのお誘いで、白い妖精を見に出かけた。(前回のブログ)
 その近くの野辺に、ネジバナも咲いていた。(写真)

 <なぜに、あなたは身をよじって咲くの?>
 と、問いかければ、
 <それが、私の流儀なの>
 と、返事が返ってきそうだ。

 私も七十余年、人から見れば、不可解極まりないような人生を歩んできた。
 花にも人にも、様々な咲き方、生き方があっていいのだと、ネジバナのため、私のために、そんな自己肯定を試みてみる。

 歳時記で、ネジバナを調べてみた。
 「捩花(ねじばな)」は、「文字摺草(もじずり)」、「もじばな」とも。 
 気に入った句を抜き出しておくことにする。

  茎のびて文字摺草となりにけり     五十嵐播水
  捩花はねぢれて咲いて素直なり      青柳志解樹
  文字摺草に目を落したる別れかな   原    裕
 

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