ぶらぶら人生

心の呟き

旅の終わりに

2018-11-30 | 旅日記
            11月30日
            東京から家へ
          
 旅の最後の日となった。
 12時半発の<のぞみ>に乗れば、家には7時過ぎにつける。
 空港ができてしばらくは、飛行機で往復したが、なんだか旅情に乏しく、速ければいいとも言えず、新幹線での移動を楽しむようになった。途中下車しての寄り道も楽しみながら。

 今朝は、昨朝同様、17階の食堂でバイキングの朝食をとった。
 ところが、お皿に好みの料理をとろうとしたところ、何を見ても食指が動かない。
 それでも、何か少しは食べておかなくてはと、少量をいただく。
 果物も欲しくないとは? と、自分自身の異常を不思議に思いながら、周囲のテーブルで食事する人たちの、国籍を問わず集う人々の旺盛な食欲を羨んだ。昨夜までは、普通に食べられたのに………と思いつつ。

 来年がまたあるのかどうか、私自身のことでありながら、全く分からない。
 ホテルの窓辺から、ここ幾年も朝食で訪れるたびに目にした国会議事堂に、今朝も真向かって佇む。
 風景としては,立派な佇まいなのだが………………。
 11月最後の今朝の空は、平和そのもののように晴れ渡って。

          

 今回の旅で、意外に体力のあることを感じた。
 10月には、施設で二度も転倒し、私が自覚している以上に、身体が弱ってきたのだろうか危惧していた。
 が、旅の日々、へこたれずに行動できた。決して無理はしないと決めての行動ではあったけれど。
 施設で暮らす日々は、特に歩くことが少なく、1000歩以下が多い。

 ところが、スマホの記録によると、今回の旅で歩いた日ごとの歩数と距離は、以下のようになっている。
  26日  歩数  8144  距離 5.8㎞
  27日      9643     6.9㎞
  28日     10312     7.4㎞   
  29日      8601     6.1㎞
  30日      3881     2.8㎞

 (日ごろの私の運動量とは比較にならない数値である。都会では、外出すればひとりで歩行数は増えるようになっている。駅の構内だけでも、ばかにならない。)

 見学地では、私より確実に年長だと思える人、杖にすがりつつ歩いている人たちも多い。
 危険を恐れて、出不精になりがちな私だが、もっと大胆であってもいいのかもしれない。

 もう一つ、気づいたことがある。
 旅の間、足の甲が腫れなかった点である。甲の腫れは歩行と関係があるのだろうか? 
 日ごろは、年のせいにして諦めていたのだ……。
 久しぶりに、引き締まった甲を眺めて、嬉しかった。

 天候にも恵まれ、欲張らない旅に大満足している。
 人声や音響に不適応な私なのに、都会の騒音は全く気にならないのだから不思議な気もする。
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東京(フェルメール展と上野公園)

2018-11-29 | 旅日記
               11月29日
             上野の森美術館にて
              フェルメール展
 
 切符売り場で、入場時間を指定した切符が売り出されていた。
 <11時〜12時半>の入場切符を求めることができた。
 それまでにかなりの時間がある。
 上野公園をぶらぶら散策したり、国立西洋美術館の庭を歩いたり、中に入って休憩したり……。
(以下は、その折、撮った写真。)


        


        

          

          時間待ちしながら西洋美術館前を散策
      ロダンの彫刻「カレーの市民」や「考える人」の前で。
          バックの黄葉を眺めたりしながら……。
        

        

        


 11時15分前に上野の森美術館の前に戻ってみると、広い公園の道には、早くも長蛇の列ができていた。
 しかし、早めに入れるか少し遅くなるかの違いだけであって、待たされるという意味では、大した違いはない。
 日差しに映える樹々の紅葉を眺めたり、鳩を追っかける幼子の愛らしさに微笑んだり、季節外れに咲いた、なんだかぼんやりした桜の花を眺めたりしていると、こともなく時間はやってきた。

 近年、美術館に入るのはやめていた。一定の空間の中に多人数で閉じ込められると息苦しくなり、耐え難くなるからであった。
 ヘルメールの作品は9点で、一部屋に並べられていると聞き、それなら大丈夫だろうと考えた。
 が、入場時に受け取った冊子を開くと、付随作品がたくさん並んでいる。これだけ紹介すれば、ご満足いただけますでしょう! と、言わぬばかりに。

 ヘルメールの絵画にたどり着くまでには、
  1 オランダ人との出会い:肖像画
  2 遠い昔の物語:神話画と宗教画
  3 戸外と画家たち:風景画
  4 命なきものの美:生物画
  5 日常の生活:風俗画

 と巡り、やっと
  6 光と影:フェルメール
 に、たどり着く。少々疲れたころに。

 ああ、やっと!
 しかし、いいものはいい!!
 感想は以上。

 東京では、ムンク展、東山魁夷展などなど開催中。
 東京はいい。京都もいい。
 せめて、その周辺部に住みたかった。
 <住めば都>というのは、諦めから生まれた言い慰めの言ではあるまいか。
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東京へ(墓参)

2018-11-28 | 旅日記
               11月28日
          途中、車窓に富士山を眺めながら上京

         
           富士川の辺りから眺めた富士山
              頂きに、雪が少ない。

         
            三島の辺りから見た富士山
             雪の量、少し多く。
           しかし、例年に比べ、雪が少ない。
           それだけ、暖かな初冬なのだろう。
     東京では、まだ木枯一号が吹いていないと、ニュースが伝えていた。

         (帰途、再び富士山を眺める機会があったのだが、
       快晴でありながら、富士山頂にだけ、雲が湧き出ていた。)

                谷中参道
           
         桜並木も、もみじ葉を多く残していた。

               S茶屋にて
         
               キンズの鉢

 お墓参りのときには、必ずS茶屋に寄り、お供えの花を求めたり水桶を借りたりする。
 一昨年あたりから、応対してくださる人が変わった。多分、お母様からその娘さんに引き継がれたのであろう。最初の方は、私と同年くらいの人であった。詳細はわからないが、茶屋のお仕事ができなくなられたのであろう。

 前代の方とはかなり親しく対話していたが、新しい方に変わってからは事務的な付き合いであった。
 が、今日は卓上の鉢の植物について尋ねたことから、急に距離が縮まった。
 キンズ(金豆)という植物だと教えていただいた。
 毎月、新しいものが届けられるという。
 私にも、経験がある。姫リンゴがよく実って喜んだことを思い出す。
 鉢植物を育てることの難しさなどで、話題が一致する。

 墓所はきれいに掃除されていた。
 黒猫がひょっこり顔を出す。
 最近読んだばかりの、保坂和志の『ハレルヤ』を思い出す。
 谷中には、猫と烏が多い。

 師との永訣から15年が経った。
 今より体調に自信のあったころには、一年に二度上京し、その都度お墓参りをしていたが、近年は年に一度の墓参となってしまった。
 その一度の墓参さえ、今年は無理かもしれないと考えていたが、長年旅には慣れていて、出かけてみれば、なんということもない。家や施設で暮らしている日常より、よほど気分が生き生きしている。
 亡き人はみな、心の中に常に生きている人たちである。が、お墓に参ると、わずかな時間ではあるけれど同じ立ち位置で対話できる、そんな思いがする。だから、せめて一年に最低でも一度は、お墓にまいりたいと思う。しかし、来年のことが気楽に言える年齢ではなくなった。が、今年程度の元気さがあれば、逡巡することなく出かけようと思う。

 師の85歳に比べれば、私の方がはるかに元気かもしれないと、師の晩年に思いを馳せる。
 教えを受けたことは、今なお私の生きる支えとなっている。
 小説は一切書かなくなったけれど、相変わらず、稚拙な文章をブログ上で綴っている。
 文学については勿論だが、表現上の問題についても多くの指導を受けた。就中、私の文章には、助詞の「に」が多いと指摘されたことを、今もよく思い出す。現在も、「に」を多用する癖がなおらず、推敲の折、他の表現に置き換えることが多い。

 小春日和の好日に、今年も墓前で語ることができ、心安らぐ。
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京都(瑠璃光院)

2018-11-27 | 旅日記
               11月27日
             京都二日目は、八瀬の
               瑠璃光院へ。

 11月21日、朝日新聞の第一面に、瑠璃光院の紹介記事が写真入りで出ていた。
 『秋映えの京』という見出しで。
 山口市の瑠璃光寺は幾度も訪れてよく知っているが、京都の瑠璃光院については無知に等しかった。
 拝観料は2000円。
 [青モミジが映える春と紅葉の季節に特別公開され、今回は12月5日まで]と記されていた。
 この記事を読まなかったら、瑠璃光院を訪れることはなかったであろう。

 出町柳から叡山電車の終点・八瀬駅へ。
 大変な数の観光客であった。
 日ごろは、静かな山里であるに違いない。

 入場の順番待ちも大変であった。10分刻みで、入場案内の場所に並ぶ仕組みになっていた。
 昨日の一休寺も、想像以上の観光客であったが、その比ではない。
 時間待ちの人たちは、河原に降りて遊んだり、周囲を散策したり……。

 立って待つには時間があり過ぎ、休憩場所を探しているうちに、『八瀬離宮』というホテルを見つけた。
 アプローチを進むと、広いロビーで休憩できることがわかった。
 広大な敷地を存分に生かし、都会のど真ん中にはあり得ないような贅を尽くした、しかも清楚感のあるホテルである。長逗留してみたくなるような………。
 ここでも順番待ちであったが、ゆったりとしたソファで休むことができ、退屈することはなかった。
 窓辺の席に案内され、昼食を兼ねて<ぜんざい>をいただいた。

        

        


         
             叡山電車の終点・八瀬駅

         

         

         
          八瀬駅と瑠璃光院をつなぐ橋とその周辺


                瑠璃光院

 あまりにも観光客が多く、ゆっくり、ゆったりと紅葉や古寺の雰囲気を眺めて感慨に耽るには適さなかった。しかし、それを厭い、この機を逃せば、瑠璃光院との出会いは得られなかったであろう。
 心静かに、紅葉を眺めることはできなかったが、騒の中にいて、静謐を想像することはできた。
 写経の時間も取り入れてあった。ボールペンで文字をなぞる作業は、本格的な写経ではないけれど、ひととき心静かに経文を書き写した。

 以下、私の瑠璃光院との出会いを写真で綴ることにする。
        
          入り口に立って、記念撮影をする人

          

        

        

        

        

        
             八瀬名物「かま風呂」

        

        

        

        

        

        

        
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京都(酬恩庵一休寺)

2018-11-26 | 旅日記
           11月26日
       朝、8時に家を出て、昼過ぎ京都に着く。
       まず、ホテルで宿泊手続きを済ませ、軽い昼食をとったあと、
       酬恩庵一休寺へ。

  まだ訪れていない名所で、紅葉も楽しめそうな場所として選んだのが一休寺。
 (説明を添えると投稿が遅れるので、以下、私の撮った写真で綴る旅日記とする。)


        
            近鉄奈良線・京田辺駅前

        

        

          

        
          
        

          

        

          
               松の古木

         

         

         

         

         

         

         
                一休像

         
                 同

         
               お地蔵さん

         
                 同

         

         

         

         


               宵の京都駅で
         

            
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『珈琲が呼ぶ』

2018-11-25 | 身辺雑記
 昨日の朝日新聞<読書>欄で、売れてる本として紹介された
         片岡義男著『珈琲が呼ぶ』

 昨日の午後、アマゾンへ注文した。
 昼前、郵便受けを確かめると、はやくも届いていた。
 よく読まれている証拠に、私に届いたのは5刷目の本である。

         

 注文した本が24時間以内に届く、このスピーディーさ!
 昔は、地方の本屋に注文すれば、二週間は待たなくてはならなかった。
 速いことが、それほどいいことかどうかは分からないけれど、せっかちな私にとっては、欲しいものが早く入手できれば、それに越したことはない。

 早速、本を開く。
 作者(1939年生まれ)は、作家であり、写真家、翻訳家でもある。
 挿入の写真も楽しい。
 長短のエッセイが45編。

 冒頭のエッセイは、「一杯のコーヒーが百円になるまで」。
 題からして、懐かしい。
 私自身が、喫茶店でコーヒーを飲み始めたころは、確か50円であった。

 コーヒーが好きだし、喫茶店が好きな私である。
 昔も今も。
 コーヒーの味は種類や入れ方で変わるが、時代とともに急変することはない。が、喫茶店の方は、時代を経るにつれ、雰囲気がひどく変わった。私の好みは、今風よりも、やや重厚感のある昭和調。好みの喫茶店が次第に影を潜めていくのは寂しいことだ。
 懐かしい昔は、どんどん遠ざかる。長く生きてきたのだと、しみじみ思う。


           **********
 
 先日来、PCの調子がおかしい。メールを開けようとすると、エラーと出る。
 ソコロシステムズに見ていただこうと思っているうちに、インターネットも開けられなくなった。私に可能な限りの点検を試みたが、どうにもならない。
 タブレットがあるおかげで、文章は書ける。
 しかし、私自身のブログの、データーの詳細を点検できないのが残念である。
 ハガキを書いて、印刷しようとしたが、それも不可。
 ソコロシステムズには、点検をお願いしているので、いずれ見ていただけるはずである。

 明日から、墓参の旅に出かける。
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庭の紅葉

2018-11-24 | 小庭の四季
 外は小春日和らしいと思いつつ、溜まった新聞など読みながら蟄居する。
 施設と違って、家は静かでいい。
 人の気配を気にすることなく、私の世界にこもって過ごすのが、私の性に合っているのかもしれない。
 施設は、個室での生活でありながら、集団の趣もある。
 最近、少々疲れてきた。


 気分転換に、大方の葉を落とした楓紅葉を見に庭に出た。
 夜の冷え込みが少ないことと、間接的ではあっても、潮風を受けやすい土地柄のせいもあるのか、一斉に紅葉を楽しませてくれることがない。落葉の遅速が激しい。
 もう、残っている葉の方が少ない。
 名残を惜しみつつ、陽に映える葉をカメラに収めておいた。

        
                家横

        
                前庭

        
                裏庭


        
          額紫陽花の花(萼?)の名残と葉
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荒れた庭(実を楽しむ)

2018-11-23 | 小庭の四季
 花々は枯れ、庭は殺風景になった。
 種類によっては、大方の葉を落とした木もある。
 落葉は、ところかまわず、庭のあちこちに散乱している。
 気にはなるけれど、掃除をしようという気にはなれない。
 12月になれば、シルバー人材センターの方が来てくださることになっている。
 それまでの辛抱。

 眼に映るものだけでなく、晩秋の気配は大気にも感じられる。
 家に帰ってみて(というより、今日が特別なのかもしれないが)、晩秋というより初冬の冷気を感じた。

 低木の、木の実を眺めて、すぐ家の中に入った。

         
                 藪柑子

         
                万両の実(白)

         
                万両の実(赤)

         
                 南天の実

         
               白山吹の黄葉と実

         
               イヌホオズキの実

             ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 就寝前、庭に出て満月を眺める。
 夜は一層冷えて、長く佇むことはできなかった。

         
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Tomorrow is another day.

2018-11-22 | 身辺雑記

 過日、11日のブログに書いた 『ベストエッセイ』2018 を今日読了。
 77人の作者は、年齢も職業も異なる。したがって、日頃の読書とは違って、様々な内容のエッセイとの楽しい出会いがたくさんあった。顔が異なるように文体も一様でなく、表現の勉強にもなった。

 面白く読んだエッセイを挙げればきりがない。
 読了した今日、次の一編だけとり上げておくことにする。

 鴻巣友季子のエッセイ「正解のない言葉の冒険」
 私も若いとき、こんな翻訳家の講演が聞けたら、さぞ楽しかっただろうな、と思う。
 (作者は、あちこちへ「翻訳行脚」の旅に出かけられるという。)

 翻訳は小難しいことのように思っていたが、エッセイの題名のとおり、「正解のない言葉の冒険」だと思えば、翻訳を楽しめそうだ。

 翻訳行脚中の、生徒への課題例文として、<I LOVE YOU.>が挙げられていた。
 日本語で、相手に自分の愛を伝えるのも、なかなか難しい。
 上文の翻訳として、土佐弁で「好きやき…」、熊本弁で「大好きばい」と訳した高校生がいたという。
 さらには、浜辺を男子と女子が歩いているという場面設定の上、男子がふと振り返って、「あのさ、俺、おまえのこと愛してるよ」という表現で訳した生徒もあったという。

 次いで、『風と共に去りぬ』の中で、スカーレットがつぶやく有名な台詞  
 “T omorrow is another day.” 
 について、まず作者の捉え方が記され、次いで生徒の訳文例が挙げてある。その紹介は省略するが、発想がなかなかユニークである。

 『風と共に去りぬ』の作者マーガレット・ミッチェルが、スカーレットに言わせた 
 “Tomorrow is another day.“ 
 の句を、私自身、日々葛藤の多い中で、心に呟きつつ、老いの明日を生きることにしようか。

 遠い昔、私の読んだ『風と共に去りぬ』の翻訳者は誰であったか思い出せない。鴻巣友季子訳もあることを、この随筆で知った。

 「翻訳には正解がない」というのが筆者の持論のようだ。
 比較して読んだことは全くないけれど、確かにそんなものだろう。
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歯科検診と目の保養

2018-11-21 | 身辺雑記
 10時半から、椋歯科医院で、歯の定期検診を受ける。
 今のところ異常はなく、噛み合わせの点検や歯の掃除などをしていただく。

 池の鯉を眺めながら。
 寒くなると、鯉たちは動きが鈍くなり、ひとかたまりになって、身を寄せ合う。
 湧き水が小さな滝となって落ちている、そのあたりが、水温が少々高くて一番過ごしやすいのかもしれない。
 猿団子とまではいかないが、水魚にも寒ければ身を寄せ合う習性があるのだろう。

        

        

        


              医院入り口の菊
        
             初めて見る類の菊(右)

        

        

            


        

 運動のため、駅まで歩く。(帰りはタクシー)
 途中、とある家の塀からのぞいていた紅葉。

 街へ出かけるとき、バスを待ちつつ、道の辺にそよぐ草を眺めたり、帰港する漁船を眺めたり。
 一艘また一艘と帰港した。
 どんな魚が獲れるのだろう?
 とびっきり新鮮なお魚を食べたい! などと、口卑しいことを考えたりしながら……。
 大気がかなり冷え込み始めたが、まだまだ川風、海風ともに、厳冬の厳しさには遠く及ばない。

        

        

        
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