ぶらぶら人生

心の呟き

堀文子画文集 「命の軌跡」 <The Tracks of a Life>

2007-09-28 | 身辺雑記
 アマゾンから配送された、堀文子のもう一冊は、画文集『命の軌跡 The Tracks  of  a  Life 』である。(写真 本の表紙)
 これまた名著。堀文子の全体像を知るには一番いい本かもしれない。2003年の発行であるから、その後に描かれたものはないけれど。

 表題からも想像できるように、1ページ分の日本語の文章の横に、同じく1ページに収められた英語訳も載っている。広く世界に向かって発信している本ということだろう。
 気分転換をしたくなったとき、この英文を読んで見たいと思っている。もう長い歳月遠ざかっている言語で、いまや独学の中国語よりおぼつかない感じだが、そんな気を起こさせる雰囲気がこの本にはある。この日本語、こういう言い回しはどういうふうに英訳されるのだろうかと、興味をそそられる。


 今日は、これから広島に出かけてこようと思う。
 広島県立美術館で開催中の<生誕100年靉光展>と、ひろしま美術館で開催中の<野田弘志展>を観るために。
 遊びも兼ねて、リーガロイヤルホテルに一泊の予定で。
 散歩を中止したので、出かけるまでに、30分あまりのゆとりができた。そこで、昨日読んだ二冊の本の感想を簡単に記しておいた。 

この記事をはてなブックマークに追加

堀文子 画文集「トスカーナの花野」

2007-09-28 | 身辺雑記

 十月に入ってから届くはずだった注文の書が、思いのほか早く、アマゾンから配送された。
 その一冊、堀文子 画文集『トスカーナの花野』を昨日読んだ。(写真 本の表紙絵)
 画文集だから、絵画を鑑賞し、文章を読んだというべきだろう。
 1991年初版(私の本は2007年9月発行の6刷目)で、作者の画文集としては第四集ということのようだ。

 私はイタリアに旅したことがない。が、作者の感性で捉えたイタリアの風土、風物が、かの土地に私が佇んでいるかのように伝わってくる。文章力のなせるわざだと思う。
 文字を通してインプットされたものが、絵画をより理解しやすいものにしてくれる。
 幾度でもページをめくりたくなる本である。

 70歳を越えて日本を脱出し、イタリアのヴィラで暮らしながら、新境地を開拓していく、その精神の旺盛さには畏敬の念を抱かずにはおれない。そして、接する自然、草木、風景など、諸々のものに対する愛情の深さに、作者の個性的な心の在り様を感じる。


この記事をはてなブックマークに追加

感動の世界 (「いのち愛づる姫」)

2007-09-27 | 身辺雑記
 先日、大阪に住む妹が帰省し、お土産に堀文子のカレンダーと絵葉書をくれた。
 「これはお正月まで貸してあげる」
 と言って、渡してくれたのが、『いのち愛づる姫』という本だった。(写真 本と絵葉書)

 昨日、この本を読んで、実にいい話だと感動した。
 妹が、堀文子展を観にいって買ってきたもので、絵は堀文子の作品である。
 勿論、その絵もいいのだが、感動の源は、お話にあった。

 『いのち愛づる姫』<ものみな一つの細胞から>という本は、中村桂子、山崎陽子・作、堀文子・画(藤原書店)となっている。
 私は今まで知らなかったが、この二人の作者はいずれも著名な人らしい。
 内容は一般には興味の乏しい生物学の話なのに、<朗読ミュージカル>の台本として読むと、実に楽しく味わえる上に、この世の大切な命の問題を考えさせられてしまうのだ。
 平安時代の古典『虫めづる愛づる姫君』の主人公とそのおそば仕えの老女、桂木を登場させ、さらに姫君の周囲には、次々と<バクテリア・ミドリムシ・ポルポックス・カイメン・クラゲ・タイ・松・シダ>などの生き物が登場し、姫との対話形式で、話は展開されるのだ。

 姫は最後にこう語る。
 「ひとつひとつの生きもののしくみ、なんて奥が深いのでしょう。手のなかの小さな毛虫に、私の胸が、あれほどときめいたその謎が、いまこそわかったような気がするわ。
 生きものすべてが、たった一つの細胞から生れるなんて……」
 そして、ト書きの最後は、
 <虫愛づる姫君は、いまや「生命(いのち)愛づる姫君」に成長されたのです。
  姫君じしんも気づかぬうちに……。>
 で、話は閉じられる。
 読者もまた、姫君と同じ境地に立ち、感動を共にできるよう仕組まれている。

 生物学、文学、音楽、絵画が融合して、すばらしさを発揮した一冊の本である。生きものについて、楽しみながら知識を得、ものみなの存在価値を考えさせてくれる貴重な一冊だと思った。

 この「朗読ミュージカル」をどこかで見られないだろうかと、パソコンで調べてみた。
 今月の13日、京都で公演されたことが分かり、見る機を逸したことを残念に思った。その会場では、中村桂子さんの話も聞くことができたのに……。
 山崎、中村両氏の本は、機会があれば読みたいと思っている。  

この記事をはてなブックマークに追加

買い物に (夕焼け空)

2007-09-27 | 身辺雑記
 昨夕、急を要する買い物を思い出して、外出した。近くのスーパーまで。
 秋祭りが近く、今日は、神主が各家庭をお払いに回られる日になっていた。
 神棚は座敷の片隅に設けてあるが、お正月と秋祭り以外は、扉を開くこともなく、お参りすることもない。
 信仰心の乏しい私だが、一応仏教徒なので、日ごと仏壇には、花や仏飯をお供えする。時には短い経を上げる。が、平素、神棚に向かって祈ることはまずない。
 神主が、お払いをしてくださるというのに、榊なしではまずいと、昨夕、それを求めに外出したのだった。明日が、その日に当たることを夕方になって思い出し、慌ててお店に向かった。
 折りしも、六時を告げる「夕焼け小焼け」の曲が流れてきた。
 明け方の移ろいは、散歩のおかげでよく分かるのだが、夕刻の変化は、日頃あまり気に留めることがない。久しぶりに、六時という時間が、はや黄昏色を帯びていることに気づいた。西の空は茜色に染まっていた。(写真)
 「夕焼け小焼け」の歌詞を口ずさんでいると、黒い一点となってカラスが空を飛んでいった。塒に帰るのであろう。
 しみじみ秋の寂しさを覚えた。前日、話好きの、賑やかな妹が帰阪し、また、もの言わぬ日常に戻ると、昨夕は疲れもあって、心身が萎えていた。

 今朝、神主の訪問は、思いのほか早く、朝食前だったので慌てた。かなり前に、訪問の順番を記した印刷物をもらっていたのに、いい加減に見ていたらしい。
 今朝、散歩の前に、榊だけはお供えしておいたので助かった。
 「今年、初めてお伺いすることになりまして……」
 と、神主は丁寧に挨拶されたが、昨年どんな方が回られたか、一年に一度のことなので覚えていない。
 今までは、立って祝詞を読まれたのに、今年の神主は座ってお払いをされた。私も後ろに座して、祝詞の意味を聞き取りながら、お払いで災いが取り除かれるなら、<お初穂料>など安いものだがと、つまらぬことを考えていた。

 信仰心が乏しいと思う私だが、何か目には見えない、不可思議な力に支えられ、今の自分があるのだとは思う。その何か分からないものに対し、敬虔な思いも抱いている。ただ、単純に、その何かを神や仏に置き換えることができないままに……。

 午後、近所に住む友人が、息子の漁った烏賊を届けてくれ、久しぶりに二時間ばかり話をした。
 十月には、小学校の同窓会がある。お互いに出席の予定にしている。
 友人の話では、この一年に同級生三人(いずれも男性)が亡くなったという。明日をも知れぬ命が、次第に現実みを帯びてきた。
 卒業以来会ったことのない、関西在住のS子さんが出席と聞いて、会に出る楽しみが増えた。が、S子さんは、長くリュウマチを患っていて、出席できるとすれば、今年が最後になるだろうと、子息に連れてきてもらわれるのだという。
 人ごとではない。
 同窓会は毎年行われるのだが、今年集う誰にも、来年も出席できる確証は何もないのだ。
 友人も病気持ちだし、私も、先日来、不整脈に悩まされている。
 三十歳になったばかりの頃、ひどい不整脈が続き、自律神経失調症と診断されたことがある。それに似た症状のようだが、昨日よりはずっとましになった。
 自律神経というのは、実に厄介だ。心身のアンバラスを突如生じさせる。
 <ケ-セラ-セラ、なるようになる>の気持ちで生きたいと思っているのに、心の中には、私のその願望に抗い、容易に言うことを聞いてくれない虫が棲んでいるらしい。 

この記事をはてなブックマークに追加

千鳥と遊ぶ

2007-09-26 | 散歩道
 先日、23日の朝、散歩で海辺を歩いているとき、磯に遊ぶ可愛い小鳥を見つけ、浜へ下りる石段に腰を下ろした。しばし、小鳥と遊ぶために。<智恵子ではないけれど……>と、心に呟きながら。
 「千鳥?」
 と思ったとき、ふっと高村光太郎の詩集『智恵子抄』が、思い浮かんだのだった。
 「千鳥と遊ぶ智恵子」
 九十九里浜が舞台だったな、と。
 <砂にすわって智恵子は遊ぶ。>
 <人間商売さらりとやめて、/もう天然の向うへ行ってしまった智恵子の/うしろ姿がぽつんと見える。>
 昔、記憶力のいい時代には、暗誦していたはずの詩だが、今はポツリポツリと詩句の一部が出てくるだけである。
 精神の均衡を失ってしまった智恵子、それを支える夫の高村光太郎の幻影が、九十九里浜ならぬ、石見の土田海岸に浮かび上がった。

 智恵子と、いかほどの違いがあるのだろう?
 私も、なんだかこの頃怪しい。
 自分のしていること、考えることが、支離滅裂なような気がする。
 「千鳥と遊ぶHUYU」
 と、置き換えて自分を覗き込む。
 私には、光太郎のごとき支えはないのだから、しっかりしなくては……。
 寂寥の思いを紛らしながら、海上を渡る<千の風>に語りかけると、少しは救われる思いもしたのだが……。
 
 腹部が白く、軽快な小鳥である。二羽の鳥が、磯で遊んでいる。
 智恵子の周囲には、寄り集まってきた千鳥だが、土田の浜の千鳥は、私との距離を一定に保ち、むしろ私など眼中にもない感じである。
 カメラを向けてみた。
 砂浜の中央にある、よほど視力のいい人でなくては見えないような黒点が、一羽の千鳥なのだが……。(写真)

 
 石段に腰かけて千鳥と遊んでいる私のところに、中年の女性が近づいてきた。
 「土地の方でしょうか」と。
 私が浜へ下りるのと同時に、駐車場に止められた車を思い出した。車には福山ナンバーがついていて、遠方からの釣り客だなと思ったのだった。
 男性二人と女性一人の三人連れだった。他には浜辺に人影はなかったので、その女性らしいとすぐに察しがついた。
 「免許証が落ちていたのですが…、警察がどこにあるか分からなくて」
 私も、はたと困った。
 帰宅後、駐在所に届けるとすれば、少々時間がかかる。どうしたものか?
 拾い主の女性が、折りたたみの財布に入っている免許証を見せ、
 「江津の人で、若い人ですね」
 と、思案顔である。
 ちらと見みたところ、千円札も何枚か入っている。お金が必要なときに、落とし主は気づくに違いない。例えば、朝食をとろうとして、あるいは飲み物を買おうとして。

 「近くに知人の家がありますから、まず電話で駐在所に連絡してもらいましょう」
 私は、携帯電話を持ってはいたが、駐在所の電話番号が分からないのだ。
 唯一、草花を通して言葉を交わすSさん宅を尋ね、駐在所への連絡を依頼した。
 ずいぶん待たされた。
 駐在所の巡査がお休みのため、警察署に繋がれるまでに時間がかかったようだ。その返事は、拾った物を警察まで届けて欲しいとのこと。
 Sさんの息子が、状況を察して、
 「僕が行ってあげましょう」
 と、言ってくださった。私が拾い主から預かったばかりに、Sさんの家族には朝早くから、迷惑をかけてしまった。

 再び、海辺に出て、拾い主にいきさつを話し、帰途に着いた。
 千鳥と遊んだ上に、思わぬ出来事に巻き込まれ、帰り道では、高度を増した太陽を存分浴びることになった。

 帰宅後、程なく電話のベルが鳴った。
 Sさん宅からである。
 警察から電話があったと、ことの成り行きを話された。
 落とし主から警察署に紛失の届けがあり、結局、免許証は、Sさん宅へ受け取りに行くよう指示したとのこと、海辺で待ち合わせて確実に渡したから、との話だった。
 迷惑が軽くてすんだことに安堵した。
 「いい人に拾われて…と、喜んでおられました」
 と、Sさんは話された。拾い主は福山の人なのだが、処理の判断に大きな間違いがなくてよかった。
 落とし主は、免許証を見ると、二十歳前の人だった。江津に向かって走る途中、浜田で気づき、警察に連絡したとのこと。その間、短時間にことが解決し、本人もさぞ安堵されたことだろう。

 福山の車が、駐車場に停車しなかったら、財布兼免許証は、無事に本人の手元に返らなかったかもしれない。少なくとも、スピーディーな形では、戻らなかっただろう。早朝の本人の足取りについては勿論知らないが、土田の浜に立ち寄った時の紛失とは、本人にも分からなかったのでは?
 場所の限定はある程度可能だろうけれど、戸外での紛失物は探しにくい。私の場合、戻ってきたためしがない。
 江津の青年は、よほど運がよかったに違いない。
 恥ずかしい話だが、家の中で姿をくらました私の眼鏡は、もう一か月近くなるのに、いまだ行方不明である。

この記事をはてなブックマークに追加

月に寄り添って (9月25日)

2007-09-25 | 身辺雑記
 今晩は、名月を眺めながら、様々な思いに耽った人が多いだろう。
 私は、宵の八時から十時近くまで、廊下の椅子に座って、ひとりお月様と語らった。
 こんなに長く、お月様に寄り添ったのは久しぶりだ。
 月には、心惹かれる方で、三日月の頃から次第に月齢が高くなっても、宵から就寝前までは、季節を問わず、戸外に佇んで眺める習慣が、かなり昔からある。
 が、今晩のように、二時間もというようなことはまずない。
 今(11時前)は、お月様の位置が中天に近くなり、屋根の庇に姿を隠そうとしている。

 二時間の間には、月と雲との織りなす共演もあった。
 快晴の空に薄雲が流れてきて、お月様の裏側を小走りに西に流れたり、(八時半の写真)その後、幾度か雲の群れと戯れ、私のお月様を隠してしまいそうになったりもした。が、それはひと時の戯れで、大方は、かげりのない夜空を、今晩のお月様は、悠然と遊泳している。

 兼好法師は、<よろづのことは、月見るにこそ、慰むるものなれ。>(第21段)と言っている。同感である。

 私の見るお月様は、私ひとりの月として、心を慰めてくれる。
 私ひとりと語らいをしてくれるお月様なのである。
 お月様は、心を過去へと向けさせる。したがって、お月様との対話は、どうしても過去との対話になってしまう。過去との語らいは、清純であった心を取り戻してくれる。そして、日頃は、雑念にとらわれ、薄汚れてしまっている心に向かって、我に返れと諭してくれる。

 二夜、妹との語らいで、睡眠不足になっている。
 今晩はお月様との語らいに夜が更けた。
 「少々疲れました」と、語りかければ、
 「心静かにおやすみ」と、中天のお月様は、どこまでも優しい!

この記事をはてなブックマークに追加

妹と虹を見る

2007-09-25 | 散歩道

 夜明け、新聞を読む枕辺に、折々雨の降る気配を感じ、今朝の散歩は無理かもしれない、と思った。
 5時過ぎ起きだしてみると、雨は上がっていた。
 傘を持って出かけてみようと思った。妹もお供をするという。

 二人で、私の散歩コースを歩いた。路傍の草を眺めながら。
 日々、目にする植物の顔は同じではない。もうヤブマオの花穂はくすんでしまったし、センニンソウの白い花も影を潜めた。さすがに、葛の花も香を失うと同時に色あせ始めた。
 それでも、妹が都会では見ることのない植物を、私は得意そうに教えた。
 萩の花が、急に目立ち始めた。

 海辺に出ると、高島の西方の沖に虹が立っていた。(写真)
 「ホラね」
 と、私は言った。
 雨上がりの朝だから、虹が立つかもしれないと、道々話したことが実現したのだ。
 「あら~、ほんとだ!」
 片足で立った虹はそう立派なものではなかったが、私の散歩に同伴し、久しぶりに見る海に現れた虹との遭遇を、妹は感動して眺めていた。
 互いのカメラに虹を収めた。
 私にとっては聞きなれた潮騒の音を、妹は心が安らぐと喜んだ。

 墓参に帰省していた妹は、午後の列車で、大阪に帰っていった。
 二泊三日、寝食を共にした妹から、先刻、無事帰阪の電話があった。

 今晩はひとり、名月を愛でることができるだろうか。
 午前中の雲は吹き払われたが、快晴の夜空とはならないかもしれない。雲に見え隠れする、そんな月と語らうもよし、と思う。雨だけは降らないでほしいのだが……。 


この記事をはてなブックマークに追加

草花舎の小さな展示会

2007-09-25 | 身辺雑記

 昨日、妹と草花舎へ行った際、諸作品の展示を見て回った。
 ガラス作家・丁子恵美さんの作品も並べられている。
 前々から、魅せられている小さな器たち。
 いずれ自分の手元に置いて、眺めたいと思っていた。

 妹と私と、それぞれ迷いながら作品を選び出した。
 私は、少し地味な物を選んだ。(写真)
 華やぎのある色彩の作品にも大いに惹かれたのだが……。
 ガラスの小さな器の愛らしさ! 
 支える足の色彩と透明なガラスとの調和の妙が美しい。
 求めて帰った作品を、今は飽かず眺めている。

 妹の選んだ作品は、私からのプレゼントとした。
 もう置き場所も決めているのだと、いそいそとカバンに詰めて持ち帰った。


この記事をはてなブックマークに追加

9月の庭 (シュウメイギク)

2007-09-25 | 草花舎の四季
 昨日の午前中、妹たち、甥たち総勢七人で、お墓参りをした。
 帰宅後、茶話の時間を過ごした後、大阪から帰省している妹を残して、五人は引き上げた。

 妹と二人、草花舎へ。
 家を出るあたりから、雨になった。
 草花舎の入口に、白い秋明菊の最初の一輪が咲いていた。(写真)
 沢山の蕾がついている。今後、訪れるごとに花数が増えてゆくのが楽しみだ。
 「シュウメイギク」には、「秋明菊」や「秋冥菊」の文字が当てられる。
 歳時記には、「貴船菊」で出ている。京都の貴船あたりに多く見られたことによる名前らしい。歳時記では、別名として「秋明菊」を挙げている。

 昼食をいただく。
 私はしばしばいただく草花舎のカレーライスだが、妹は初めて。味が吟味されていて美味しいと、大いに感心していた。

 雨に濡れたお庭の風情を眺めたり、展示品を見たりして、妹と草花舎のひと時を楽しんだ。 

この記事をはてなブックマークに追加

路傍の花 (キクイモ)

2007-09-25 | 身辺雑記

 昨日、義弟の車に乗せてもらって、お墓まいりに行ってきた。
 兄は体調不良で、今回は帰らなかった。
 僕の分もお参りしておいてと、兄からは電話があった。
 車2台、7人でお参りした。

 道中、菊にしては背の高過ぎる黄色い花をあちこちで見かけた。(写真)
 私の散歩道でも、急激に目につくようになっている。

 花に詳しい妹夫婦に尋ねてみた。「キクイモ」だという。
 なんという風情のない名前! と思った。
 早速、調べてみると、広辞苑にも、歳時記にも出ている。
 極々ありふれた植物のようだ。
 北米原産で、明治初年に日本に導入、とある。花は菊、地下の塊茎がお芋に似るので、「キクイモ」と名づけられたようだ。単純明快な名前だ。
 塊茎にはイヌリンが多く含まれ、食用になり、またアルコールや果糖製造の原料にもなると知って、ちょっと驚いた。

 菊にも向日葵にも、どこか似た感じの黄色い花をつけた植物は、これ「キクイモ」なり!
 墓参のお蔭で、その名を知った植物ということにもなる。 


この記事をはてなブックマークに追加