ぶらぶら人生

心の呟き

春風強く

2022-04-30 | 味わい深い表現

 障子に差し込む日差しが明るい。
 4月の最終日である今日は、昨日とうって変わり好天に恵まれた。
 散歩に出かけようかと思いつつ、庭へ出てみると、思いのほか風が強く、大気が冷たい。裏口の寒暖計を覗くと、18度である。日中にしては低温である。
 億劫になって、散歩は諦める。
 家の中でも、終日、暖房をつけっぱなしであった。どうも冷えが体に堪える。いまだに厚手のカーディガンなど着ている。全くのおばあさんスタイルである。

 

 モッコクとカエデの2種をカメラに収めた。
 美しいのは、花ばかりではない。
 この季節は、木々の葉も美しい。


 




 






 ロシヤのウクライナ侵攻が続く最近の日々、気分が重い。
 プーチン氏の狂気としか思えない侵攻の正当化に、虚しさを覚えるばかり。
 そして、戦火によるウクライナの惨状を目にするたびに、心がひどく萎えてしまう。

 土曜日の朝日新聞には、『読書』欄が設けられている。今日の<ひもとく欄>は、「戦争と憲法」に関する本の紹介であった。
 読んで学びたい本が数冊あった。Amazonへ注文すれば、即座に入手可能である。しかし、今は、読もうとしてまだ読み終えていない本がたくさんあるので、とりあえず新聞記事を切り抜いておいた。



 
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昭和の日は悪天候

2022-04-29 | 身辺雑記
 ほぼ終日、木枯らしが吹き荒れているかのような、もの寂しい風雨の音を耳にしながら過ごした。
 大型連休の初日であり、「昭和の日」。
 今年は、5月の初めの週にかけて、人の動きが多いようだ。
 365日が連休の私にとっては、格別意味のある日ではない。

 ただ「昭和の日」にちなんで、最も鮮明な思い出の多い昭和の歳月に思いを馳せた。
 昭和8年、戦時下に生まれ、敗戦から平和へと移り変わりゆく時代を生きてきた。暗から明への道のりであった。その変遷の時代を思い返し、私自身の来し方に思いを馳せたりもした。


 終日、庭を歩けるような天候には恵まれなかった。
 幾度か、裏口から外を覗いた。
 その都度、北西風が相当強く吹いていて、雨は斜めに地面を打っていた。


   写真は、新緑の小木(左からツツジ、ロウバイ、ツバキ)。
   瞬間を捉えた写真は穏やかに見える。が、木々の葉は相当激しく揺れていた。


 


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津田医院 そして買い物

2022-04-28 | 身辺雑記
 津田医院の定期検診日。
 
 このところ、体重の減少、食欲不振(というより、口には美味しくても量が摂れない)のため、食する楽しみが乏しい。多分老いのせいであろう。食が進まないと先生に話し、胃や腸の検査を勧められるは避けたい気持ちが強い。
 検査は、いつものように、機器による血圧検査や酸素量検査など。
 私との対話を通して、先生は、私の健康状態を観察をしてくださっているのだろう。

 
 診察が終わり、街へ買い物に出かけた。
 バスの時刻まで、15分ある。タクシーを呼んでも、到着まで同じ程度の時間を待たねばならない。そこで、時間潰しに、次のバス停まで歩くことにした。

 歩いてみると、緩やかな上り坂である。(坂とは言えぬ程度の坂なのだが。)
 一生懸命歩いているのに、私を追い抜いてゆく女性があった。私より若い方ではあったが、私も一心に歩いていたのだから、私の歩行力低下が証明されたようなものである。
 初めての体験ではなく、高津川河畔を歩いていたときにも、ぐんぐん距離を離された。

 15分歩いて、停留所に到着。
 少々弾む呼吸をと整えながら、国道を挟んで斜交いの小山に、ヤマフジが咲いているのを眺めた。
 5月近くなると、毎年、山の花が競って咲き始める。
 フジ、ヤマツツジ、キリの花など、みな鮮明な花色である。
 バスの車窓に、それらの花を眺めながら、小さな旅気分を味わった。

 イオンで買い物をし、タクシーで帰宅。



  停留所から、スマホで遠景を撮影した。
  (ヤマフジが、フジらしく見えない写真となった。)


   




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郵便局へ

2022-04-27 | 身辺雑記
 この日ごろ、急速に老いが深まってきたような気がする。
 老化現象は緩やかに深まるものかと思っていたが、私の老いは、すとんとやってきたようだ。
 万事、為すことがスローになり、メモしたこととは異なる行為をしていたり、自ら頭をかしげることが多すぎる。

 保険金の払込日が5月5日までなので、連休になる前に用を済ませようと、今日、郵便局に出かけた。
 至って単純なことなのに、持参すべきものの準備に時間がかかりすぎたり、外出にも手間どったり、私自身、することなすことに自信がなく、奇妙である。
 観察する人があれば、私の振る舞いを見ていて、<あの人、ちょっとおかしい?> と、頭をかしげるのではあるまいか。


 が、とにかく一つの用事を果たして安堵し、郵便局前の花を眺めてきた。


 

      赤い花は、ベニバナツメクサ ?




 

      小さな愛らしい花の群落




 

   小山の表情 新緑のいろいろ(季語「山笑う」)




 昨日は風雨の激しい一日で、庭に出ることができなかった。
 今日は晴天。郵便局から帰り、雨に洗われた庭の草花を見て歩く。

 シャクヤクの第一号が、開花の気配を見せている。


 



  二色のシオンが咲き始めた。


  




  




 正月3日の散歩の途次、Sさん宅で、数えきれないほどたくさんの多肉植物を見せてもらった。(1月3日のブログに写真あり)
 その際、<シュウレイ>という品種をいただき、花壇に植えておいた。
 先日来、長く伸びた茎先に蕾がついたのに気づき、開花を待っていた。
 今日、やっと黄色い花が咲いた。
 
 植物には、四季の変化があるから面白い。



 



  前庭のカエデの花が、グライダーのような形をした実に変わりつつある。


 



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今日の昼食

2022-04-25 | 身辺雑記
 今日も、お昼弁当を届けていただいた。
 いつもとは容器の形が違って、方形である。
 「あら、可愛らしい!」
 と言いつつ、受け取る。
 お惣菜屋は、新聞販売店でもあるので、朝日新聞を取っているのだが、お弁当のおまけに山陰中央新報をサービスしてくださることが多い。ありがたい。朝日新聞と違う点は、色刷りの写真が多いこと、地方ニュースが詳しく報じられることである。今日は、津和野町議選の結果が出ていて、紙上で知己の名前に接した。

 昼食前、月初めにいただいた惣菜屋の献立表を見ると、「大人のお子様ランチ」とあった。なるほど! と、納得。
 右のお椀は、「しじみの赤だし」(アマノフーズ)。
 手抜きばかりの昼食だが、満足していただく。

 

   





 今日は久しぶりにPCを開け、昨日いただいたハガキへの返信を書いた。
 イベリスの白い花(写真)を添えて。

 台所の戸棚の一か所を片付けたりもした。
 食材などが雑然と置いてある。よく見ると、賞味期限切れの品ばかり。
 生活の場が2か所あることで、ずいぶん無駄の多い生活をしている。
 食品の廃棄処理をし、ホッとする。
 帰宅して25日が過ぎたけれど、まだまだ身辺が一向に片付いていない。
 机の上、台所のテーブルの上などは、物置き場になっている。
 片付けにも時間がかかり、能率が良くない。
 さっぱりした状態になるのは、いつのことだろう?!


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草花舎のナニワイバラほか

2022-04-24 | 草花舎の四季
  草花舎入口のナニワイバラ。


 




 



   ナニワイバラの蕾。
   開花前の緊張感がほほえましい。


  




  空の青とハナミズキの赤と。


 




  



  草花舎からの帰途、出会った花。
  セイヨウオダマキ?


  




  

   (草花舎へ向かうときに撮った国道風景。)



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『橋口千佳代展』

2022-04-24 | 草花舎の四季
  草花舎では、

      『橋口千佳代展』 
 
  が、開催中である。
  今日から、5月18日まで。

  沖縄の「紅型」作品。
  伝統的な作品と独創的な作品が、展示されている。


   (紅型の前に立って、遠い昔、沖縄や周囲の島々めぐりをした日のことを
   思い出した。3度の旅であった。ひとり旅であったり、友だちとの旅であったり。
   戦後半世紀以上が経っていたが、戦時下の悲劇を忘れることはできなかった。
   しかし、南国の島には、独特の味わいがあって、救われる面もあった。
   紅型、陶器などには伝統的な味があり、風土そのものにも、南国的な自然の
   豊かさがあった。太古からの素朴さが受け継がれた島々では、鄙の味わい
   を楽しめる旅でもあった。



 




 




  




  




  




 




 




 


  以上が、作品展示コーナー。



  以下、生け花や窓辺の風景。
  いただいたコーヒーとケーキ。


  



  




 




 






 
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『異端の人間学』

2022-04-23 | 身辺雑記
 佐藤優と五木寛之の対談集『異端の人間学』(2015年・第1刷)

 今年の3月、第4刷として、幻冬社新書から出版された本である。
 ロシヤのウクライナ侵攻が続くなか、Amazon 推薦の本。

 佐藤優の著作は、一冊も読んでいない。
 一方、五木寛之は同学年の作家なので、同世代という親しみもあり、かなり多くの本を読んでいる。
 その親しみから、二人の対談集を読んでみたいと思い、注文した。



     


 両人とも、実に博学でいらっしゃる。
 特に、ロシヤについて、また宗教について。

 話の柱は、
  第一部 人間を見よ
  第二部 見えない世界の力
  第三部 詩人が尊敬される国
  第四部 学ぶべきもの、学ぶべき人
 となっている。

 この本からは、学ぶことが多かった。
 が、私自身、もっと系統的に勉強しなくてはいけないと反省した。世界の国々を深く理解するには、教科書で学んだ程度の乏しい知識では間に合わない。そして、宗教を背景とした国家論、国家観となると、自説を全く語れない。宗教の違い、各国家と宗教の問題も、もっと知らなくてはいけない。

 活字を読むことが楽しめる間に、嗜好的な読書だけでなく、学ぶ読書も系統的にしなくては、と今は思っている。

 さて、そんな時間が、私に許されているかどうか?




 ツツジの小木が、蕾を膨らませ、開花し始めた。


   




   
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『悲しみの秘義』

2022-04-22 | 身辺雑記
 出会いとは、いつも不思議なものである。
 16日、草花舎へ行き、カウンター席に座らなかったら、『悲しみの秘義』との出会いはなかったであろう。
 どんなに素晴らしいものが存在しても、会えないままのものが大方である。

 本に限らず、人とのめぐり合いにしても、出会いには、不思議な運命のようなものを感じる。

 『悲しみの秘義』の存在も知らなかったし、作者・若松英輔という人についても知らなかった。
 ここに収められている26篇のエッセイは、日経新聞に連載され、たちまち反響を呼んだらしい。2015年に単行本となり、さらに2019年に文春から文庫本として出版され、販を重ねている様子。



     



 <悲しみ>ついてのエッセイ集である。
 作者自身の体験はもちろん、古今東西の名作の作者及び作品中に登場する人物たちの悲しみ体験に触れながら、人の<悲しみ(哀しみ・愛しみ)>に潜む、その秘義について書かれている。
 頷きつつ受け止めることばかり。
 幼い子どもは別としても、人は、それぞれの人生において、種々の悲しみを体験している。就中、永訣の悲しみと無縁だという人は少ないだろう。
 癒えるはずもない思い出に潜む哀しみを反芻しながら、この本を読んでいると、ある種の安らぎが与えられるから不思議である。

 私の好みからすると、極上のエッセイ集である。<名文>でもある。

 この本は、草花舎へ返さねばならない。
 この先も、気の向くままに開いたページを読み返したい思いがあって、同じ本を Amazon  へ注文した。ついでに、同じ作者の『涙のしずくに洗われて咲きいづるもの』(河出書房新社刊)も、同時に注文した。



 表紙は、刺繍作家・沖潤子の作品とある。(エッセイとエッセイのつなぎにも、刺繍作品が、多数紹介されている。)
 この本を手にすることで、二人の作家に、同時にお会いできたわけである。



       ※     ※     ※     ※      ※    


  今日の朝日新聞に、特別展『空也上人と六波羅蜜寺』が、東京国立博物館で行われているという記事を見た。
 行ってみたい! という敵わぬ思いを抱きつつ、空也上人像に見入った。



     


       
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雨の日となり

2022-04-21 | 身辺雑記
 昨日の奮闘の疲れが出たらしい。
 時折、ぼんやりしながら過ごす一日となった。

 洋間に移動して、アロマディフューザーで、精油(ラベンダーとレモン)の芳香に浸りながらの休養日。
 読書の能率も上がらないまま、カーテン越しに、雨の庭を眺めたりしながら。

  

   




 朝のうちは、まだ曇り空であった。今にも降り出しそうな気配はありながら。
 朝のひととき、庭のわずかな木や花に挨拶をして回る。
 
 妹に植えてもらった植物が、花壇ではなく砂利の中に生じたことは、以前のブログに書いた。その抜き残した草の中央に、小粒の蕾がたくさん生じ、先日来、一つ二つと花が咲き始め、今朝はさらに花数が増していた。

 Google lensを当てて調べてみた。
 ウスベニカノコソウ というらしい。ネットでも確認し、ほぼ間違いないだろうと判断。

 妹の話では、かなり丈高く伸び、繁殖力旺盛とのこと。
 この花なら、少々増えてくれてもいいと思う。
 どこか控えめで、愛らしい花である。


        ウスベニカノコソウ


  


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