ぶらぶら人生

心の呟き

EXHIBITION 「∴」 三木俊治・荒井涼子・楽雅臣

2009-06-29 | 草花舎の四季
 現在、草花舎では、三木俊治・荒井涼子・楽雅臣三氏の作品展が行われている。(6月27日~7月11日)

 「∴」と題されたEXHIBITIONである。
 <∴>とは、昔懐かしい数学の記号だ。幾何学を学んだ日が蘇る。

 Yさんの作られた案内のパンフレットには、
 <「∴」=「故に」とは「三つの点のように調和の取れた空間や形」「三人の安定したバランス」をコンセプトとしてタイトル化されたもので彫刻、立体、ドローイングの展示>
 と、記されている。

 彫刻家であり、東京造形大学の教授である三木俊治先生と、教え子の荒井涼子、楽雅臣さんとの三人展である。
 三木俊治先生の作品展は、今までに幾度も、草花舎で催されているが、教え子の作品と一緒に展示されたのは、今回が初めてである。
 二部屋に置かれた作品を見ていると、師弟の展覧会ゆえの温かさをも感じる。
 三人三様の作品なのに、そこには、不思議に違和感がない。互いの作品が邪魔しあうことなく、置かれている。
 
 写真①②③は、三木俊治先生の作品である。
 窓辺の作品にも、壁に掲げられた作品にも、人の行列がみられる。三木作品の一つの特徴のようである。
 今年はフランスのバルビゾン市で、<ミレー ”晩鐘”150周年記念>の展覧会が行われており、三木俊治作品も、招待出品されているそうだ。
 草花舎でいただいた案内の葉書やパンフレットを見ると、その作品にも、教会の鐘とお寺の鐘を結んで、人の長い行列が描かれている。
 
 写真④⑤は、荒井涼子さんの作品。
 ④の、作品の前に佇む人は、作者本人である。(撮影者は、楽雅臣さん)
 作品の対象及び関心の中心は、<人>にあるのかと思える。あるいは人に関わりのあるもの。それを、荒木さんの心がとらえた世界である。
 4冊のファイルが置いてあった。
 写真⑤は、そのファイルに収めてあった二作品である。
 たくさんの、味のある作品がさりげなく描かれていた。題名の添えてある作品もあり、それがなかなかユニークで面白かった。感じ入ったり、くすりと笑ったりして眺めた。
 荒井涼子さんは、詩的な表現力をもった人らしい。
 
 写真⑥⑦は、楽雅弘さんの作品と作者自身のポートレートである。(撮影者は、荒井涼子さん)
 楽さんの作品には、いかにも彫刻の正道を思わせる雰囲気がある。しかし、オーソドックスに見えながらも、楽さんの追求される世界が潜んでいることは確かだ。
 いずれの作品にも、品格と美しさが感じられる。
 石に刻み込まれた物語を、深く読み解く感性が、見る私に乏しく、それが残念だった。
 
 帰る前に、わずかな時間、お二人と話した。
 20代半ばの若きアーティストである。
 前途洋洋、夢がある。

 また新たな作品に出会える日がありますように! 
 

          ①

          ②

          ③

                     ④

                     ⑤

           ⑥

                   ⑦

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6月の庭 (エキナセア)

2009-06-29 | 草花舎の四季
 雨の中、草花舎に出かけた。
 雨靴を履き、レインコートを着て。
 こんなスタイルで外出するのは、一年の中に、そうあることではない。

 草花舎の入り口で、傘を閉じたとき、目に飛び込んできたのが、エキナセア(<紫馬簾草>ともいうらしい)の赤紫の花であった。
 花びらが下方に向き、中央の蕊が盛り上がっているのが印象的だ。
 雨に濡れて、花の色も周囲の緑も鮮やかであった。

 今、草花舎では、EXHIBITION「∴」が開かれている。(これについては次稿で、書くことにする)

 食事を済ませ、食後のコーヒーをいただいていると、草花舎の常連であるOさんが入ってこられた。
 いつもは挨拶の簡単な言葉を交わすだけなのだが、今日は、同席して話をした。
 年齢の読みにくい女性である。ただ、ご主人が定年退職をされているし、二人の子女も大人だから、見かけよりは年をとっておられるのだろう。
 雑談というのは、柱のないことが多い。
 老いの話になったとき、帯津良一先生の死生観を話題にした。
 Oさんは読んでみたいと、本の題名をメモしておられた。

 今日の草花舎には、Tちゃんが不在だった。
 スーザンさんがフランスから戻られるまでの間、イタリアヘ出かけられたのだ。ジュエリーの勉強を兼ねて。
 私も、老いをかこつだけでなく、命ある間は、喜びのある日々を生きたいものだ。
 

            

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スーザン邸 夏の庭

2009-06-28 | 身辺雑記
 スーザンさんは明日、フランスに発たれる。
 またしばらくのお別れである。
 今日のうちに、挨拶しておこうと、少し陽が西に傾くのを待って出かけた。
 しかし、玄関の鍵がかかっていて、スーザンさんは不在であった。

 道に面した庭には、夾竹桃の花が、高い梢で開きかけていた。
 真夏の花である。蝉時雨の似合う花だが、まだ蝉は鳴かない。
 ただ、日差しは真夏の趣。空は青く晴れ渡って。
 強烈な日差しが、庭面に濃い陰を落としていた。

 夕方、7時前、スーザンさんが立ち寄ってくださった。
 こちらへのお帰りは、7月23日頃とのことだ。しばらくのお別れである。
 互いに無事の再会を念じあう。

 スーザン邸の、手入れの行き届いた庭も、主不在の寂しさをかこつことになるだろう。
           

           
 
                  

          

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団地の中で  (シャボン玉)

2009-06-27 | 身辺雑記
 夕方、用事のために、団地を一周した。
 女の子が二人(5歳と3歳)、シャボン玉を飛ばして遊んでいた。
 両親も一緒に。近所の方も加わって。
 久々にみる、のどかな光景であった。

 私が子どもの時には、母に作ってもらった石鹸水で、シャボン玉を飛ばして遊んだものだ。
 今は、玩具として売っているらしい。
 リングを使って、5歳の女の子が、シャボン玉を飛ばしていた。(写真①②)
 そのお父さんは昔ながらに、ストロー状のもので、シャボン玉を吹き飛ばしておられた。
 「おばちゃんにもさせて」
 女の子に頼んだ。

 (<おばちゃん>ではなく、<おばあちゃん>と言うべきなのだが、いまだかつて、自らを<おばあちゃん>と、称したことはない……。)
 
 幼女は、液を含ませたリングを渡してくれた。
 
 玉の飛ばし方には、上手下手があるようだ。
 多数の玉が飛んだので、うまくいったと思ったのだが、私のリングの振り方は中途半端だったらしい。幼女が私の返したリングを振ると、残った液から、さらにシャボン玉がたくさん生まれた。

 空中高く飛ぶシャボン玉はなかった。
 屋根までは届かない。

   シャボン玉飛んだ
   屋根まで飛んだ

 と、私が口ずさむと、シャボン玉遊びをしている一家と一緒に、夕べのひと時を楽しんでおられたKさんが、
 「<シャボン玉>の作詞、なに雨情でした?」
 と尋ねられた。
 「野口雨情、でしたね」
 「そうそう、野口、……シャボン玉の歌は、死の悲しみを歌っているのですね」
 と、Kさんは神妙に言われた。

   屋根まで飛んで
   こはれて消えた

   シャボン玉消えた
   飛ばずに消えた
   生れてすぐに
   こはれて消えた

   風 風 吹くな
   シャボン玉飛ばそ

 どのようにも解釈可能な歌詞である。
 普通に読めば、シャボン玉を飛ばして遊ぶ、無邪気な子ども姿をそのまま歌ったものと思える。が、一方で、<壊れて消えた>シャボン玉に対するこだわりの強さも気になる。
 生後間もなく亡くなった、わが子への鎮魂歌であるともいわれるのは、そのせいであろう。しかし、作者の証言があるわけではないらしい。
 大人がこの童謡を口ずさむと、はかなく消えたものへの切ない思いや哀しい調べの方が、より強く感じられることは確かだ。

 Kさんが言われたのは、そのことである。
 同じ団地に20余年住みながら、団地の住人と、こんな話をしたのは初めてだ。
 Kさんは、長距離トラックに乗っておられたが、数年前体調を壊して入院され、病院に見舞ったことがある。一度は職場に復帰されていたが、今は家におられる様子である。隣家のシャボン玉を楽しむ幼女たちの、よき遊び相手であるらしい。

 長い間、子どもの声を聞くことのない団地だった。
 最近、幼児の数が増えている。
 「子どもの甲高い声が聞こえるのはいいですね」
 とも、Kさんは話された。
 昔なら、珍しくもなかった光景が、この団地に蘇ったのが嬉しい。


 他家の庭に、純白の紫陽花が咲いていた。
 なかなかいい風情であった。
 夕暮れ時の雰囲気が、より味わい深い趣を添えていたのかもしれない。(写真③)
 

       ①

                  ②

       ③

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サクランボと桜桃忌

2009-06-25 | 身辺雑記
 昨日、山形のサクランボが届いた。ここ数年、毎年届けてくださる方からである。(写真)
 赤い実は愛らしく、艶やかである。
 やさしい懐かしさも感じられる。

   幸せのぎゅうぎゅう詰めやさくらんぼ  嶋田麻紀 (「歳時記」より)


 さくらんぼといえば、<桜桃忌>。
 今年は、太宰治の生誕百年ということで、テレビなどで取り上げられることが多い。
 若い人たちの人気は衰えを知らぬという。
 若者に限らず、太宰ファンは、多いのだろう。
 私も、その一人である。
 五能線の五所川原で下車し、生家<斜陽館>を訪れたのは、遠い夏の日であった。
 
 古びることのない作品の魅力は格別である。
 しかし、剛の人には、魅力が乏しく、無縁な作家・作品なのかもしれない。
 太宰治の作品は、心弱き者、傷心の人には、限りなく身近に感じられる文学と言えそうだ。

 
           

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帯津良一の世界

2009-06-24 | 身辺雑記
 新聞の広告欄で、『生きる勇気 死ぬ元気』(平凡社)という題名の本を目にしたのは、5月末? 発行日が、5月25日となっているので、大体そのころだったのだろう。
 五木寛之と帯津良一(医師)との対談をまとめた本である。

 考えてみると、私の日々の生活には、<生きる勇気>も<死ぬ元気>も、どちらも希薄である。
 最近は、惰性で生きているに過ぎない気がしている。が、それは決して快いことではなく、どうせ生きているなら、もっと心安らかな、しかも前進的な生き方ができたら、と思っている。
 若い日には予想もしなかった、生きることへの心もとなさに加え、死に至るまでの日々をどう生きたらいいのだろう? との戸惑いは、切実な課題となっている。

 そんな心境から逃れられずにいた私の心に、ある朝、『生きる勇気、死ぬ元気』の文字が飛び込んできたのだ。
 <生きる勇気>は、分かる。
 だが、<死ぬ元気>とは? と考えさせられた。
 本の帯には、<気持ちよく生き 気持ちよく死ぬために。>というコピーが添えられている。早速読んでみたくなった。

 五木寛之のエッセイーは幾冊も読んできた。が、帯津良一という医師については全く知らない。ただ、五木寛之との対談ということであれば、失望せずに読めるのでは…、そんな期待を抱きながら、パソコンで検索した。

 『生きる勇気、死ぬ元気』は、すぐ見つかった。
 その下には、帯津良一医師の本が、ずらりと並んでいる。
 私が知らないだけで、著名なお医者さまらしい、と知る。これもご縁だろうと思いながら、多数、紹介されている本の中から、次の2冊をあわせて注文した。

 『達者でポックリ。』(東洋経済新報社)
 『死を生きる。』(朝日新聞出版)

 アマゾンから、3冊の本はすぐ届いた。(写真)
 『達者でポックリ。』『生きる勇気、死ぬ元気』『死を生きる。』の順に読了した。
 最初に、『達者でポックリ。』を選んだのは、活字が大きく、ベッドに持ち込むのに好都合だったからだ。本の帯に乗せてある帯津良一先生の写真が、実にふくよかな温顔で、親しみが感じられたのも、理由の一つだったのかもしれない。
 この本の題名は、印象としては軽そうだが、そうではなかった。よく言われる<ピンピンコロリ>と、<達者でポックリ>は、同義ではない。
 <生命場>を大事にした、意味深い死生に関わる話だった。
 ホリスティック医学という語彙にも初めて接した。それを信奉し実践なさっている帯津医師の言葉を借りれば、
 <「人間を丸ごと」診る医学>であり、<病というステージにとどまらず、「生まれたとき」から「老化」して「病気」になって「死」を迎え、ひいては死後の世界も視野に入れ>た医学である。
 <つまり、「生老病死」のすべて、そして死後の世界もがホリスティックの対象>であると説き、
 <ホリスティックの究極の目標は「生と死の統合」ということにあると思っています。そしてその統合の接点となるものの理想が「達者でポックリ」にほかならないと私は思っています。>(P190)

 と、述べておられる。
 私は前々から、病院や医師は、病人の患部、傷口だけを治療するのではなく、もっと患者の心の面(不安や無意味な苛立ちなど)とも深く関わるべきだと考えていた。
 帯津良一医師は、その実践者なのである。
 なんと心強いことだろう!
 医学は私の感知しないところで、進歩していたのだ。帯津医師の取り組みに接して、あるべき理想の姿を見る思いがして嬉しくなった。
 だが現実は、すべての病院やすべての医師が、帯津良一医師の歩みと同じではないのが残念である。
 帯津先生も初めから現在の死生観をもって、医療に当たられたわけではない。
 体験を通し、医療のあるべき姿を模索された結果である。
 帯津三敬病院を設立され、新たな道を拓かれたプロセスや自伝的な一面は、『死を生きる。』に詳述されている。

 とにかく三冊とも、私の今の生き方を安らげてくれる内容の本であった。
 それぞれの底を流れる理念は共通しているけれど、三者三様の面白さがある。
 いたるところで、西洋医学一辺倒から、中国医学、代替療法などとの統合を通して患者に接する医療や「生命場」を高めることの大事さが、主張されている。
 世間の常識となっている健康対策についても、果たしてそうかと問い直されている。
 今、要領よく、その内容や感動を書き尽くすのは容易でない。今後、折に触れ、生き方と重ねて考えてゆくことにしようと思う。
 

 <いまの日本にいちばん必要なのが死生観。いらないものの一つが医師の白衣と言うことか。>(『『死を生きる。』P278)
 などと、言い切る先生である。権威主義の嫌いな帯津先生が、頼もしい限りだ。

 <死とは生命の躍動のクライマックスなのです。>(『達者でポックリ。』P3)
 <私は「死」が実に楽しみです。>(同上 P1)

 私は帯津先生の心境には、まだなれない。だが、そうなれたら、どんなに心安らげることであろう、とは思う。

 <人間はあの世から一人できて、またあの世に一人で帰っていく存在です。だからかなしくさびしのです。そしてそれだけでなく、いずれふるさとに帰るという「旅情」を抱えて生きています。
 ですから旅の途中で、無理して笑ってばかりいる必要などありません。つらいとき、かなしいときは、泣いたり、ため息をついたりしていいのです。>(『達者でポックリ。』≪笑うことは「健康の源」か≫P177)

 ちょうど、ここを読んでいた5月の終わりころ、私は相当落ち込んでいた。
 その私を、上記の言葉は、どんなに楽な気持ちにしてくれたか知れない。
 「元気を出して!」という世の人の励ましとは反対である。「悲しければかなしみ、淋しければさびしがれ、それが生きるということだ」という意味の言葉が、どれほど心の励ましになったことか。
 こんな例を挙げていれば、きりがない。
 本を通して、帯津良一という大きな存在に出会えたことは、至福である。

     帯津良一先生について。
         帯津三敬病院名誉院長、医学博士。
         日本ホリスティック医学協会会長。
         日本ホメオパシー医学会理事長。
         著書多数。

 
            

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道の辺に

2009-06-23 | 散歩道
 ノイチゴの赤が、路傍に美しい。(写真①)
 子供の頃には、よく口にした。今は懐かしんで眺めるだけである。
 ヘビイチゴという食べられない(?)種類もあった。
 子供の頃には、感覚的に見分けをしていたようだが、目の前の赤い実が食べられる種類かどうか、自信はないのだ。見て美しいと思うのみ。 

         ①

 グラジオラスは、カンナと共に、強烈な日差しに、よく似合う。(写真②)
 あまり好きな花とはいえないけれど……。

                 ②

 <花作り名人>のSさんの庭にも、立ち寄ってみた。
 かつて見事に咲いていたクレマチスは、すでに花期を過ぎていた。
 その垣の近くに、ピンクのガウラが咲いていた。(写真③)
 色合いは愛らしいが、<白蝶草>の別名には合致しないなと思いつつ眺めた。

                 ③

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紫陽花 色々

2009-06-23 | 散歩道
 紫陽花の時期は以外に長い。
 散歩道にも、多彩な紫陽花があって、今日の散策を楽しませてくれた。
 その中の、気に入った4種を掲載した。

 ①②は、共に品のいい額紫陽花である。
 白とほのかなピンクの、色違いである。
 もしかして、<隅田の花火>? と、見入ったのであった。
 昨年、友人に鉢でいただいた、その名の紫陽花を枯らしてしまったのである。その花への未練があり、うまく育てていれば、この季節、静かな華やぎの花をつけたに違いない、と、いささか残念な思いで、路傍の紫陽花を眺めたのだった。
 果たして、その名の紫陽花かどうかも分からないままに。

 ③④の紫陽花は、海に真向かう崖に咲いていた。
 紫陽花の群がり咲く姿は、離れた位置から眺めても、味わいがある。     


           ① 

                     ②   

           ③

                     ④

          

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海へ

2009-06-23 | 散歩道
 本を読み始めると、何時間でも坐っている。
 今日は朝から、お地蔵様の如くであった。

 少し歩いてこよう、そう思い立ったのは、3時過ぎだった。
 久しぶりに、土田の浜へ向かった。
 快晴の今日は、真夏さながらの日差しである。

 土田の海辺を歩くのも久しぶりであった。
 人気の無い、凪の海。(写真①)
 磯づたいに、シャリンバイの花を目指した。が、すでに時期が過ぎ、木の枝先に花の名残りがあるだけだった。トベラも、すでに青い実に変わっていた。(写真②)
 私がうかうかと過ごしているうちに、季節は容赦なく移ろいを重ねているらしかった。

 私が勝手に命名した<トランペットの丘>にも、夏が訪れていた。
 海に向かって、エンジェルストランペットの花が咲いていた。(写真③)
 しばらく丘に佇み、潮騒を聞き、海の香を懐かしんだ。
  


          ①

                     ②

          ③

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6月の庭 (窓辺より)

2009-06-22 | 草花舎の四季
 梅雨本番の雨の日となった。
 山陰地方の東部では、場所によっては、雨の被害も出ているようだ。

 11時ころ、草花舎のTちゃんから電話があった。スーザンさんは仕事が入って、今日は昼食に来られない、との連絡であった。
  
 1時前、小降りを見計らって外出した。途中で、突如激しい雨に遭った。
 しかし、今日の雨は気まぐれで、同じ状況が長くは続かない。
 帰りには、雨傘を日傘に代用して、帰って来た。
 が、日差しは束の間で、総じて、不安定な雨の日であった。

 草花舎の入り口に着いたとき、雨脚が弱くなった。
 傘を脇において、草花舎の看板と紫陽花をカメラに収めた。このアングルは初めてのように思いながら……。(写真①)
 写真②③は、窓辺やベランダから撮った雨の庭。
 
 黄金ヤマボウシが、今までになく、たくさんの花をつけていた。が、雨の中、葉の繁みに潜まるように咲く花を、カメラにうまく収めることができなかった。
 次回、お天気の日に改めて撮り直すことにする。

 スーザンさんに会えない日なので、私も早々に帰宅した。
 今、帯津良一氏の本に惹かれていて、その3冊目に入ったところである。
 いずれ、ブログに書きたいと思っている。私にとっては、未知の分野であるし、生き方の問題でもあるので、格別興味深く読んでいる。   

                  ①

          ②

          ③

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