ぶらぶら人生

心の呟き

空の音符

2011-07-31 | 身辺雑記
 七月も、今日でおしまい。
 目覚めるとすぐ、昨日剪定してもらった庭に降り立った。

 薄曇りの空の広がり。
 電線に、燕が集合していた。
 意思あるものの如く、それぞれの位置を占めて。
 今年巣だった子燕もいるのだろう。

 南へ渡る季節が近づきつつあるのだろうか。

 これからは、朝ごとに、電線を見上げることになるだろう。

         

               

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多忙な一日

2011-07-30 | 身辺雑記
 平素の10日分を、一日に凝縮したような、多忙な一日であった。
 午前中は、美容院に出かけ、一方、家の方では、朝早くから庭木の剪定をしてもらった。

 繁った庭木が、狭い庭の通り道をふさいでいたが、やっと清々しくなった。
 が、髪といい、庭木といい、刈ったばかりのときは、よそよそしくてなんだか落ち着かない。
 いずれも、なじむのには、時を経ることが必要らしい。

         

 


 今朝、<数独>の用紙をコピーしたあと、「内部に、修理の必要箇所がある」との表示が出て、プリンターの使用が不可となった。
 一月前から、予告は出ていたのだが、ついにその日が来てしまった。
 昼過ぎ、ソコロに電話して相談し、買い換えることにした。
 Sさんが、カタログを持ってきてくださった。
 キャノンとエプソンを比較し、結局、<EPSON EP-803>という機種に決めた。

 その折、数独の面白さを話題とした。
 数独という遊び?を思いついた人は、賢い。
 私は、土曜日の朝日新聞と、日曜日の読売新聞に掲載される<数独>を楽しみにしている。

 (いま、パソコンで確かめ、問題が提供されているのを初めて知った。が、すぐには、印刷できないので、プリンターが届いたら、掲載の<数独>にも挑戦してみよう。>

 今日の問題は、難易度4。
 庭師夫妻の接待をしたり、ソコロのSさんと話したり、友達が岡山名産の葡萄、ニューピオーネとマスカット(下の写真)を届けてくれたので、お礼の電話をしたり、時間が細切れになった。数独の思考は寸断され、やっと入浴前に解き終えた。小さな満足!


              

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母の命日

2011-07-29 | 身辺雑記
 今日は、母の命日である。
 平成4年の死の日から、長い歳月が流れた。
 夏真っ盛りの暑い日であった。

 今朝、桔梗の花を供えようと、裏庭に出てみると、秋めいた雲が流れていた。
 他界の日に比べれば、涼しい夏の一日になりそうな気配であった。

          

 午前中、M歯科医院に、定期の検査を受けに行った。
 市道をはさんで、解体工事が行われていた。
 N病院が取り壊され、新築されるのだという。
 母が最期を迎えた病院の個室は、すでに壊されていた。

 命日の今日、最期の居場所の解体にめぐり合う不思議を思いつつ、作業を眺めた。

            

 父母が長く過ごした昔の家も、26年前に姿を消した。が、家の側にあった黄色いカンナの花だけは、今年も屋敷跡に咲いて、夏の風情を漂わせている。
 この花を眺めると、昔の家を思い出す。

 滅ぶものあり、生きながらえるものあり、変貌は様々。

                

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大暑とか

2011-07-23 | 身辺雑記
 今日は<大暑>。
 台風一過、むしろ涼しい一日である。
 しかし、<大暑>から<立秋>までは、猛暑日が当たり前ということになっているから、今日は気まぐれな涼しさなのであろう。

 日本列島のあちこちに、自然災害が多すぎて、心が傷む。
 当地は、暑さもほどほどで、申し訳ないほど安泰だ。
 私自身、年の割には、まずまずの元気だし…。

 過日、友達が山口の病院で下肢静脈瘤の手術をするというので、見舞いがてら山口のセントコアに宿泊した。
 簡単な手術だと聞いていたが、手術は手術。
 一昼夜と術後は、やはり難儀そうであった。

 私は、生涯、手術はしないつもりだ。
 たとえ命を縮めることになったとしても。

 セントコアの前庭には、百日紅の花が咲いて、蝉の大群が宿っていた。木が悲鳴を上げているようであった。 

      

            


 帰宅してみると、花開くのを楽しみにしていた梔子の花が、盛りを過ぎて薄汚れていた。
 開花の瞬間を見ることできなくて、残念至極。
 今年の蕾は、一つだけであった。これも寂しい限り。

      

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葉隠れに

2011-07-18 | 身辺雑記
 大型の台風が来るという。
 今は、嵐の前の静けさなのか、庭木の小さな揺れもない。
 しかし、家周りを一応見回って、台風に備えた。
 備えがよければ、大きないたずらをせずに、台風は過ぎ去ってくれそうな気がして。

 クモの巣を払いながら、庭を歩いていると、葉隠れに咲く小さな花に気づいた。
 万両の花である。まだ咲き始めたばかり。
 小さな円錐状の蕾も可愛らしい。

            

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グラントワのレストランで

2011-07-16 | 身辺雑記
 久しぶりに、グラントワのレストラン<ポニー>に行った。
 長い間、賀状交換で、互いの生活の一端を知るだけだったM子さんに会うために。
 東京からの里帰りを機に、40年ぶりの再会である。
 しかし、彼女によれば、一度、駅前のH喫茶店で会ったことがあるとのこと。私はきれいさっぱり忘れてしまっているのだが、若い人の記憶だから間違いないだろう。
 通勤の途次よく利用した、その喫茶店が、駅前から姿を消して久しい。
 M子さんにとっても、思い出の中にある街の風景は、帰省ごとに変貌している様子である。

 今日は、昔の思い出ばかりでなく、来し方や身辺のことにも話が及んだ。
 賢く美少女だったM子さんが、今は、優秀で頼もしい二児の母である。
 有名大学の教授であるご主人や両家のご両親のこと、パソコンやケイタイのことまで、話は多岐に渡った。
 
 2時間あまり対座して、上手に年を重ねた人を、つくづく美しいと思った。
 歳月とともに、老醜を募らせるだけの私にとっては、まるで少女の延長線上にあるかのような50過ぎが、若く華やいで見えた。
 私にも、そんな時代があったはずではあるけれど……。

 レストランのテーブルを挟んで撮ったM子さんの写真に、今日の、<7月の空とグラントワ西エントランス前の石見瓦の側壁>(添付写真)を添えて、早速、手紙を書き送った。


         

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刈り残されたナデシコ

2011-07-14 | 身辺雑記
 崖に伸びた夏草を、例年通り、同級生のHさんに刈ってもらった。
 鬱陶しさのなくなった崖を見ていると、ナデシコの一輪が刈り残してあった。
 か弱い花を刈り残すという技と心遣いを嬉しく眺めた。
 
 猛暑続きの日々。
 崖にも強烈な夏の日差しが注いでいたが、ナデシコの花には秋の気配が感じられる。
 H夫人のヨウちゃんも一緒に来て、溝の掃除や草取りをしてくださった。
 いつも二人の働きぶりに感心する。
 私の手に負えないことが難なく片づいてゆく。 

          

 昨年の草刈りの折、ヨウちゃんからもらった小鉢に、ネジバナが咲いた。
 秋の気配を伝える花は、みな淡い。

               


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公田耕一現象

2011-07-12 | 身辺雑記
 いまだに公田耕一が、心の片隅に生きている。
 見ず知らずのホームレス歌人・公田耕一。
 2008年の暮れ、<朝日歌壇>に、突如彗星のように現れ、いつの間にか紙面から姿を消した歌人。
 私はひととき、月曜日には必ず、公田耕一に会うため、朝日歌壇のページを開けるのを楽しみにした。

 公田耕一に特別な視線を送った人は非常に多い。
 朝日新聞の記事にもなり、天声人語でも取り上げられ、朝日歌壇には、この歌人の歌が掲載されなくなった後、公田耕一を案じる歌が多く寄せられたほどだ。

 『ホームレス歌人のいた冬』(添付の写真)の著者三山喬氏も、公田耕一の存在に関心を持たれた。この本は、<その正体と、突然に消えた後の消息を求めて、横浜寿町のドヤ街に入り込んだ著者の、地を這うような探索>の追跡物語である。
        
 結果的には、その消息は不明のままだが、この著書の徹底した追求の姿勢と綿密な記録に感動した。かつて朝日新聞の記者だった筆者の、記者の目が文中に光っている。

 ありがたく思ったのは、再び公田耕一の歌に巡り合えたことだった。
 以下は、引用された歌からの孫引きである。

   (柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
   鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか
   パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
   百均の『赤いきつね』と迷いつつ月曜日だけ買ふ朝日新聞
   美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻
   ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ
   胸を病み医療保護受けドヤ街の棺(ひつぎ)のやうな一室に居る
   温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る
   雨降れば水槽の底にゐる如く図書館の地下でミステリー読む

 上記の歌は、その一部である。

 第六章は、<獄中歌人・郷隼人からの手紙>となっていて、ロサンゼルスの獄にいて、公田耕一同様、朝日歌壇にしばしば登場した歌人・郷隼人に触れている。
 筆者の書き送った質問に応えた手紙に、郷隼人の思いが如実に語られている。

   囚人の己れが<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを

 と、公田耕一を詠んだ歌が朝日歌壇に掲載されたことを、この本で思い出した。
 
   真夜(まよ)独り歌詠む時間(とき)に人間としての尊厳(ディグニティ)戻る独房
   死刑囚の緻密に描きし絵の中に太く「生きる」と掛け軸にあり

 歌壇で読んだ記憶がある上記の歌も、引用されていた。

 「<アメリカ>郷隼人」の歌は、「<ホームレス>公田耕一」よりずっと長期間、朝日歌壇に掲載された。
 郷隼人は、罪を犯した後、獄中にあって歌を詠まれた。歌を詠むこと、そして、朝日歌壇に投稿した歌が、採用掲載されることを救いとしてこられたのだろう。
 だが、最近、郷隼人の歌も見かけなくなった。その消息は分からない。

 二人の歌人には、極限状況にありながら、歌を投稿し続けるという共通項があった。
 なぜか私は、こうした逆境の中で、自らと向き合って生きる人に心惹かれる。

 かつては、毎日歌壇に掲載の島秋人の歌を追い続けた。彼も死刑囚であった。
 その歌歴は長く、のちに『遺愛集』という歌集にまとめられた。
 今日は、その歌集を拾い読みした。
 ブログを始めて間もない頃、この歌集について詳しく書いたことも思い出した。

 大岡信の<折々のうた>(朝日・2006・6・15)には、次の歌が取り上げられている。

   この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し


 ごく平凡に生きることもできたはずの人たち。
 しかし、公田耕一・郷隼人・島秋人ら3人の歌人は、それぞれに、転落の人生を歩まざるを得なかった。
 ただ、三人には救いの歌があった。そして、その歌は、読者の心に不思議な感銘を与えて止まない。
 

            

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桔梗とランタナとムラサキゴテンの花

2011-07-10 | 身辺雑記
 後ろ壁の前に、桔梗が咲き始めた。
 当分の間、この涼しげな花が目を楽しませてくれる。
 いかにも和の風情である。

      

 ランタナは、花壇の隅に咲いている。
 精力的にはびこるので、昨年末に思い切り刈り込んでおいたのだが、今年も花をつけた。

 この花の名前をよく忘れる。
 カタカナの名前は、特に覚えにくい。意味の分からぬままに、記憶するためだろう。
 咲き始めたときから、その名を思い出そうと努めたが、記憶の引き出しの奥から出てくれない。
 ついに、妹に電話して尋ねた。
 「4字の名前で、云々」
 と、説明する。
 妹も、私の尋ねている花をイメージしながら、私同様、名前が出てこない様子だった。
 「ちょっと待ってね」と、主人に尋ね、
 「ランタナ」と、教えてくれた。
 三人寄れば、文殊の知恵だ。
 今度はしっかり覚えておこうと思ってはいるけれど、来年の今頃は、また記憶の引き出しを引っ掻き回すことになるかも知れない。
 ランタナを見ていると、小人の国のお祭のような気がする。
 花色も色々あって。(私の家にあるのは、黄色一色だけれど。)

      

 ムラサキゴテンの名は、一度聞いたあと、忘れることはない。
 かなり以前、散歩を日常の勤めとしていたころ、知人から分けてもらって花壇にさした。
 そのとき、<紫御殿>とは、気取った名前だなと思った。
 ランタナの陰で、伸び悩んでいた紫色の肉厚な葉が、今年はかなり大きく育った。
 今朝、露草に似た形の、淡い紅紫色の花を二つ咲かせた。(写真は、その一つの花。)

 (追記 7月12日 今朝は三つ咲いていた。しかし、そのうちの二つは、昨日の朝も咲いていた。が、日中と夕べに見たときには、姿を消していた。折り畳まれた葉に包み込まれるように。
 ムラサキゴテンの花は、朝開花し、昼過ぎころから葉の中で休息し、翌朝また開くという不思議なメカニズムを持っているのだろうか?)

         

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一日花と夏の空

2011-07-09 | 身辺雑記
 昨日、梅雨明けが報じられた。
 例年よりずいぶん早く…。
 いよいよ本格的な、暑い夏の日が続くのかと思うと、少々うんざりする。
 夏は、どうしても好きになれない。が、夏があるからこそ、それに続く秋が楽しみだともいえる。
 巡る季節の一つとして、付き合ってゆくしか仕方がない。

 裏庭の木槿が咲き始めた。
 <一日花・槿花一日之栄>である。
 この花は、秋の季語。夏に咲きつつ、秋の気配を潜ませている。
 木槿の花を見上げた空にも、秋を予感させる雲が漂っていた。 


       

             


 前庭のモミジだけ、今年も、プロペラに似た形の、赤い実をつけた。
 このモミジは古木である。自らの命をつなぐための営みだろうか。 

       

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