ぶらぶら人生

心の呟き

自然の景 いろいろ

2022-10-31 | 散歩道
 10月最後の日。風のない絶好の散歩日和なので、3時過ぎ、階下に降りた。
 足の向くに任せて歩いた。


 自室から、眼下に見えるセンダンの木の下を通る。
 久しく訪れていない公園の、私の好きな<センダン大樹>に比べれば、こちらは、手入れの行き届かない、野性味のあるセンダンである。蔓草など、枝に絡ませて。
 それでも、樹齢は相当なものだと思う。



     


 
 今日も桜並木の小径を歩いた。
 カラスウリの色づきが気になって。
 しかし、まだ赤みを帯びる気配はない。



      



 見上げた先のカラスウリの葉に、カタツムリが止まっているのに気づいた。
 「お久しぶり!」と言いたい思い。カタツムリを見かけるのは、実に久しぶりである。ずいぶん高いところに這い上って、気分良好なのかしら? カタツムリの習性について気にしたことも、学習したこともないので、高みにいる理由もよく分からない。



      


  

 海辺の道に移動すると、歩道脇のトベラが、実をつけていた。
 大塚では、この実が弾けて、赤い中身がのぞくのをみたことがない。またこの道を歩く日には、気をつけて眺めよう。
 土田海岸を散歩するころには、よく目にした光景を、大塚でも味わいたい。



     




 いつもとは違う道から、高島を眺めた。海岸には出ないで。



     



 高津川にかかる鴨島大橋の見える景。
 よく眺める光景だが、山並みや空気感は、一日として同じではない。


     




 施設4階のルーフバルコニーから眺めた、10月最後の落日。
 高山のはるか南に沈もうとしている。
 かつて5号室におられた若いKさんと、落日を一緒に眺めた時期があった。
 Kさんの言によると、落日の一番美しいのは6月、ということであったが、その理由は当人にもはよく分からない、との話だった。
 確かに6月ころの落日は大きく、強烈な輝きを維持しつつ海上に沈むような気もする。

 Kさんの亡き後、落日を眺めるために窓辺に立つ人は、ひとりもない。



     




     


     
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家から施設へ

2022-10-31 | 身辺雑記
 今日は、10月最後の日。
 10月は、近年にない好天続きであったように思う。最後の今日も、破格の秋日和である。

 タクシーを待つ間に、ジューンベリーの黄葉をカメラにおさめた。落葉樹のモミジは塩害でさっぱりなので、私の目を楽しませてくれるのは、ジューンベリーだけである。季節の移ろいに対する身近な尺度として、いつもこの木を眺めている。



    





    




    


    排水口から生じたススキはまだ尾花の体をなしていない。



    施設の自室(4階)からま見える山並みと空。


    




     同じく、海側の空。


    







   
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木の葉について

2022-10-31 | 身辺雑記
 持参した<木の名前>のわかる事典で、昨日、前庭に落ちていた黄葉(昨日のブログ参)を調べる。
 葉形から、一番近いのはクサギのような気がする。が、正しいかどうかは分からない。(それに、風で運ばれそうな範囲に、クサギの木があるかどうか?)

 草花舎の庭にはある。が、それが飛んできたとは距離的に考えられない。
 草花舎へ行く機会があれば、ぜひ確かめてみたい。


 今まで、花だけ見て、葉や木肌など、植物を総体で眺めることを怠ってきた。
 これからは観察の基本を大事にしたい。

 施設に持参した『葉形 花色でひける名前がわかる事典』をしばらく眺め、葉形の特徴について少し勉強した。

 花も様々、葉も様々。



     


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楽しみは

2022-10-30 | 身辺雑記
 浴槽で安らぎの気分を味わいながら、ふと橘曙覧の『独楽吟』中の「たのしみは」で始まる歌を思い出していた。

 たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外によく書けし時

 などは、私も折に感じる楽しみである。


 しかし、今夕、ゆっくりと入浴中に、私の今の楽しみは? と考えたとき、第一は寝ることかな、と思ったり、第二はゆったり入浴することかな? と、思ったりした。
 老女ゆえの、夢のない楽しみである。

 しかし、日々の暮らしでは、橘曙覧同様、小さな楽しみに救われながら生きているのが現実である。
 今日は回覧板が届いたので、目を通した後、次の家に届けた。
 市道に出ようとして入り口に近づくと、一枚の木の葉が落ちていた。10センチ以上はありそうな大型の黄葉である。
 近所には、こんな葉をつける木はないように思う。風に運ばれて、遠いところから飛んできたのだろうか。風の悪戯?


 葉を見ただけでは、木を推測できない。
 Google lens を当ててみたが、それらしい答えは得らなかった。
 
 今日はもう時刻が遅くなった。
 明日、樹木の本木の名前』を調べてみよう。
 こうした些細なことも、今の私にとっての楽しみである。



      

           庭に落ちていた葉

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食事とドライブ

2022-10-29 | 身辺雑記
 「安くて美味しいお店で食事しましょう」
 と、旧知に誘われ、食事処「ひきのや」へ行った。
 私にとっては初めてのお店である。
 中に入ってみて、人気のお店であることが分かった。
 こじんまりした店内の全席がお客で埋まっていて、席が開くと、たちまち次のお客で埋まる様子であった。

 

    

 

 最初に置かれたのが、大きなお皿に盛られたサラダ。
 私は、生野菜があまり好きではなく、特にキャベツの千切りは、喉をつつかれる感じがして、時にむせたりもするので苦手である。
 が、今日のサラダは違っていた。喉に負担がかかることもなく、すこぶる美味しくいただいた。食材の取り合わせの工夫や、しよくざいをさらにいかすたてめの吟味された味付けによるものだろう。
 こんなにたくさん! と、内心思ったが、美味しければいただけるのだと、少々大袈裟な言い方だが、認識を新たにした。



    



 メインとしてはお魚料理を頼んだが、これまた美味しい。3種類のお魚は決して高級魚ではないけれど、味付けが美味。

 (このお店は、ハンバーグが絶品だと、帰宅後、インターネットで調べて知った。同行者の注文はハンバーグだったが、これも常識的な形ではなかった。)



    



 食後には、コーヒーとケーキ(小型)もいただいた。
 (カメラにおさめたつもりだったのに、撮り忘れたらしい。)


 食事の後は、ドライブ。
 191号線を走って、今日の海を眺める。海辺の喫茶店に入ろうとしたが、駐車場に停車した車の多さを見て諦め、空港へゆく。
 が、時間帯が悪かったのか、あいにく空港の喫茶店は閉まっていた。閉ざされていた売店は、間も無く開店したが、喫茶店の開く気配はなかった。
 飛行機の発着と関係のない時間帯なので、空港内には人影が少なく、他人に気を使う必要もなく、ベンチにかけて休みながら、尽きることのない対話を愉しんだ。

 
 空港前の広場に立つと、空が、日ごろの空に比べ、はるかに広大なものに思える。遮るものがないからだろう。
 今日は格別に、秋空の美しい日であった。
 二人とも、空が深く、雲の風情もなかなかのものと言いつつ、スマホカメラを空に向けた。



    




    




    




    




    
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庭の彼方此方にツワブキ咲いて

2022-10-28 | 小庭の四季
 家に帰ってきた。
 のんびりと過ごすために。
 規律正しい生活から解放されると、心身弛緩して、だらりだらりと暮らす。


 帰宅した庭に、ツワブキが咲いていた。小さな集団をなして。
 例年に比べれば、すべての花に力強さが乏しいのは、今年の気象が影響を及ぼしているように思える。
 ツワブキも例外ではない。
 葉にも花にも勢いがない。でも、時期を違えず咲いてくれたことを喜ぶ。


        あちらこちらに分散して咲くツワブキ。


    




    





    




    



   シコンノボタンは、晩秋になっても、日々、二つ三つ咲いてくれる。
   今日は二つ咲いていた。その一つ。


    


 

    ジューンベリーの黄葉は、下の方から始まるようだ。

       地面から垂直に伸びているのはトクサ。


        


  


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燃える空とアカマンマ(イヌタデ)

2022-10-27 | 身辺雑記
 起床すると、まずカーテンを開け、朝の景色を眺める。
 表情が面白いのは空。しかも、朝の空は変化が激しい。曇天や雨の日以外は、刻一刻と変化する。
 朝の身支度をしながら、折々空を眺める。

 6時22分、空が燃えた。
 自然現象は、予想外の眺めを提供してくれる。
 こんなに燃える空は、初めてである。
 しかし、それが瞬時の現象であるのが、面白い。
 須臾の燃焼。朝、ひとときの美。



    




 夕べの空は、平凡であった。
 廊下へ出てみると、薄雲の広がる高山の南麓に、無言に近い静かさで、沈もうとしていた。海面をわずかに染めて。



    





 隣室のOさんが、散歩道で、イヌタデ(アカマンマ)を摘んできて下さった。
 花瓶に挿し、野の静かな赤を楽しむ。
 

    




        




 [追記]午後、美容院へ行ってきた。デトックスとシャンプー、カットもしていただいて、スッキリする。
 そのあと、一か月ぶりに妹に会い、喫茶店「旬珈趣陶」(3時閉店)で、コーヒーを飲みながら、スマホカメラの扱い方など話す。
 イオンで、日用の必需品を求め、タクシーで施設へ戻る。
    

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休息日

2022-10-26 | 身辺雑記
 昨日は、少々多忙であった。
 今日はその疲れが出た。
 散歩日和だな、と椅子にかけたまま、窓越しに空を眺めるだけで、立ち上がる気になれなかった。
 本を読んだり、居眠りをしたり、覇気のない一日を過ごした。
 昨日、家に帰ったとき持参した本(下掲の随筆集)を開き、題名や作者名で、ランダムに選択して読む。
 <名随筆>と名乗るだけの滋味がある。



     




 昨日、隣室Oさんから散歩みやげにもらった松毬。
 上二つは、松の木から捥ぎ取ったもの。下二つは、地面に落ちていたもの。


     


                 ↓


        

      (一日後、地面に落ちていた松毬は形を変えた!)




         

          ヤマブドウの蔓ももらった。
          ほとんど使用することのない俎板
          に重ねて置いてみる。

    
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慌ただしい一日

2022-10-25 | 身辺雑記
 この秋、一番の冷え込みで、晴れたり、曇ったり、雨が降ったり、風が吹いたりの目まぐるしい一日であった。
 (朝、美しい虹がかかったと、タクシーの運転手から聞く。施設でも、窓辺に立てば、見えたのかどうか?)

 私も、病院へ行ったり、家に帰ったり、また施設に戻ったり、慌ただしい一日になった。
 体調面でも、自己管理不行き届きで、ちょっと難儀したり、津田医院でインフルエンザの予防接種を受けたり……。

 タクシー移動も三度。
 施設から津田医院へ。
 津田医院から家へ。
 家から施設へ。


        夜明けの空。明るさと重い雲と。


    




    



 津田医院の待合室の窓から、赤い実のなる木(クロガネモチ?)を眺める。


     



 津田医院からタクシーで帰宅。
 家では、溜まった新聞を読んだり、洗濯をしたり、庭の花など眺めたり……。


         シコンノボタンとツワブキノ花


    



             一株のススキ


    


  
         ジューンベリーの葉。黄葉の気配。


    



           シュウメイギク


       



          ホトトギス、花数増えて
    
   
    

   
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『まちがつたって いいじゃないか』

2022-10-24 | 身辺雑記
        森 毅  著

      『まちがったったって
       いいじゃないか』


      

       カバー装画・安西水丸


 
 作者・森毅(1928〜2010)は数学者。
 数学について学ぶことはないけれど、エッセイはかなり読んできた。

 『まちがったって いいじゃないか』は、中学生に語りかける形式をとって書かれたエッセイである。筆者の賑やかなおしゃべり、熱弁を聞いている感じで楽しく読める。中学生にはもちろん読んでほしいが、大人が読んでも面白い。

 <………このごろだと、ずいぶん多くの本を読んではいるのだが、内容をあまり覚えていない。本の題名だって、忘れてしまう。………
 それで役に立たないかというと、本を読んでいるとき、自分の頭は動いているわけで、なにほどかは、自分の頭に自然に吸収されている。おぼえようと思わないとおぼえられないものは、どうせ忘れたってよいものだ、と思うようになった。ちょうど、音楽を聞くような気分で、本を読んでいるのが、このごろである。>

 私も毎日、本を読んでいる。活字中毒のように。本を読んでいるからといって、少しも利口になっているような気はしない。
 上掲の文章を読むと、私の現実を語ってもらっているような気がしてホッとする。

 (このちくま文庫は、1988年に第1刷が出ているから、作者の60歳ころに書かれたものだろう。)


       ※       ※        ※   ※        ※        ※

 今日は、窓拭きやエアコンの掃除(定期清掃)の日であった。
 前回もそうであったが、きれいにしていただくと雨が降る。各部屋にはベランダがあるから、雨が降ったからといって、すぐ汚れることはない。が、廊下の窓は、直接雨が当たる。夕陽を眺めたり、その景をカメラにおさめたりするので、透明感を保ってほしいのだが、自然現象には抗えない。



         今日、自室の窓から撮った写真。

         月齢29。淡く、消え入りそうな月。


    



               曙の景。


    




              落日前。


    



         上掲とほぼ同じ刻の山側の景。


    



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