ぶらぶら人生

心の呟き

10月終わる

2015-10-31 | 身辺雑記
 10月の、過ぎ行きの、早かったこと!!
 つい先日、カレンダーをめくったような気がするのに、もう31日が過去になった。


 庭の秋が深まるなか、ムラサキシキブの実は、見事な色をなお保ち、葉もまだ青々としている。        

        


 今日の朝日新聞『天声人語』で、104歳の現役俳人、金原まさ子さん の名前を、初めて知った。

 月末の『天声人語』には、月ごとに、注目された言葉が紹介される。
 今月の一つに、金原さんが、採り上げられたのだ。

 「100歳になって、世界の広げ方がわかった。私は解放された」と。

 タブレットで、金原さんについて調べ、紹介されている句も読んでみた。
 100歳からブログを始め、毎日一句ずつ書いておられるという。
 その心意気には感心したが、私の好みに合う句は少なかった。

 心身共にお元気な老人の多いことに、驚きを覚える。
 私は日を追って、万事、消極的になりがちなのだが…。

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M歯科医院へ

2015-10-31 | 身辺雑記
 29日、M歯科医院で、二か月ぶりの定期検査を受けた。
 最近、食事の折、左下の歯のどこかで、チクリと痛みを感じることがある。
 我慢できないほどではないけれど、様子を話し、相談する。
 久しぶりにレントゲンを撮り、診てくださった。
 が、虫歯となっているのではないらしい。
 もう少し様子をみましょう、ということになった。

 歯に限らず、生身の身体は、原因不明のまま、痛くなったり治ったりする。
 その不具合は、老いとともに増えてゆくらしい。
 深刻に不安視しない習慣が、次第に身についてきた。


 M医院前の花を眺めて、ひと時を楽しむ。(以下の写真)
 

        

  

  

  
  

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老いの歌

2015-10-29 | 身辺雑記
 読み終えた本を書棚に戻した時、今道友信著『詩と風景』 (ぎょうせい・平成2年刊)が、目に留まった。
 
              



 きちんと完読した本かどうか思い出せない。
 ページを繰っていると、<老いの歌 三首>が載っている。
 作者は、太田瑞穂(1876~1955)。


      おおい次郎君かく呼ぶこゑも皺枯れてみちのくまではとどかざるべし
            ※ 次郎君は、安倍次郎氏のこと。

      老いぬればだゞゐて心ゆたかなり雲は高行き海はいざよう
            (私感 こんな心澄んだ境地には、なかなか至れないのである。)
           
      もの忘れまたうちわすれかくしつつ生命(いのち)をさえや明日は忘れむ

 太田瑞穂、最晩年の歌である。

 これは間違いなく読んだ記憶がある。
 最後の歌については、ブログに書いたような気もがするけれど、それも定かではない。
 このところ、(というよりすでに数年前から)健忘症甚だしく、最終歌は特に親しみを覚える。


 改めて、『詩と風景』を読み直す。
 幅広く、古今の詩歌が採り上げられ、作者・今道友信さんの人生観に裏打ちされた文章に深い滋味があり、昨日は、再読に多くの時間を使った。
 タブレットを側において、関連した枝葉を調べたりしていると、たちまち時間は過ぎていった。


 昨夜は満月であった。
 虫の声がか細くなり、夜気が肌に冷え冷えと感じられるようになった。


      

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烏を見上げて

2015-10-28 | 小庭の四季
 <烏の勘左衛門では、面白くないなあ>
 と、裏の電柱を見上げる。

          

 体の大きな烏は、百舌鳥が軽やかに止まる、あの円形の電線の上は無理らしい。
 その下の、足場の安定した位置に止まっている。

 どうも、烏は好きになれない。
 なんだかずる賢い感じがして、気にくわない。
 鳴き声も、なんとなく不吉な感じがする。

 上野公園を「東京都美術館」に向かって歩いているとき、帽子を取られそうになったことがある。
 頭上すれすれに飛んできて、恐怖感をあおって、さっと飛び去ったのだった。

 どうして愛らしさがないのだろうね、と悪態をつきながらも、烏を見上げる。
 それでも、スーザンさんは、烏がお好きだったなと、今はこの地を離れられた人を偲ぶ。

 広辞苑には、(烏に似た点があるところから)、「口のうるさい人」「物忘れをする人」「意地のきたい人」「土地から土地へと渡り歩いている人」を指す、と記されている。
 元来、一般的には、イメージの悪い鳥なのだろう。
 しかし、「烏揚羽」「烏石」のように、「烏」のつく言葉は、意外に多い。
 身近にいる鳥のせいだろう。 


          
 烏を見上げ続けても、心満たされることはないので、庭の木や花を眺める。
 そう変化はないけれど、黄葉が少しずつ増している。

  
                         ジューンベリーの葉

  
              秋海棠の葉                 白山吹の葉

  
                   庭のあちこちに咲き続けるツワブキの花

  
         ノボタンの花とアオキの葉           ノボタンとシロシキブ

  
     昨日の雨で蘇ったムラサキゴテンの花       花の少なくなったシュウメイギク


         
          紫陽花の花の成れの果(終焉の美?とも見えなくはない…)       

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飛行機雲の空

2015-10-26 | 小庭の四季
 ここ数日、行動が、ずいぶん鈍くなっている。(よくあることで、珍しいことではないのだが…)
 PCを開けることもしなかった。

 今朝もかなりぐずぐずし、遅い朝食後、タブレットのマイブックを開いて、石川啄木の歌を読んだりした。
 (全く予定外のこと。)
 無計画な時間の過ごし方をする日は、調子の、なんとなく優れない場合が多い。
 やる気の起こるまで、ひたすらのんびりと過ごす。

 『一握の砂』を読み進んでゆくと、次の歌があった。 


        秋の空廓寥として影もなし
        あまりにさびし
        烏など飛べ       
石川啄木『一握の砂』より      


           (注) 廓寥(かくりょう)は、<がらっとしてさみしいさま>(広辞苑)

 10月は、啄木の歌にあるような、廓寥とした、よりどころのない、完璧な青空の日が多かった。

       
 今日の空は? と思いつつ、やっと腰を上げて庭に出たのだった。

 程よく薄雲が広がり、その上に、飛行機雲が長い線を描いていた。
 明日は、久しぶりに雨が降るという。
 (雲は、そのうち、空全体を覆うことになるのだろう。)

 
         

 庭に出たついでに、今日の草花を見て回った。
 赤い実や黄葉が目立ち始めた。

  
          万両の実                       南天の実

  
       シュウメイギクの花のあと                ホトトギスの花のあと

  
        アマドコロの黄葉                  ジューンベリーの黄葉

  
     ノボタンの花、なお咲き続けて                 フジバカマも…

         
                  毎年、モミジは、怱々に散る。
               今年も大方は散り、わずかに彩を残す1本。

                
                 高麗百合の実(庭のあちこちに)


         
                 藪柑子の実、ひそやかに。
             今年は実の数が多く、日ごと、眺めて楽しんでいる。

        今日の朝日新聞・「朝日俳壇」のページに、<俳句時評>(自然との同化 堀本裕樹)
        掲載され、3人の女性俳人の句集及び句が、紹介されていた。
        
        その中に、
              我がものになるまで見つめ藪柑子  藤井あかり

        という句があり、うまいな、と思った。

        同じ赤い実でも、万両や南天とは違う趣が、藪柑子にはある。
        その赤い実は、凝視させるものを秘めている。     



         
                   今晩の月(十三夜)   

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新しい風景

2015-10-26 | 身辺雑記
 身近な風景も、<時>とともに変化する。
 保育園の移転により、空いた敷地には、太陽光パネルが設置されている。

 班長宅へ常会費を届け、高所から、その風景の一部を眺めた。(写真 下)


         

              
                      団地の空き地に伸びた草紅葉

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シクラメンとビオラ

2015-10-26 | 小庭の四季
 花壇が寂しくなったので、シクラメンとビオラを植えた。
 このところ、雨がなく、大地も花壇の土も、乾ききっている。
 毎日、水をやらなければ、すぐぐったりしてしまう。
 厄介ではあるが、わずかな彩が、目の保養となる。

         

  

  

         

             

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大文字草と人字草

2015-10-26 | 身辺雑記
 22日、T医院に行き、定期の診察を受け、インフルエンザの予防接種もしていただいた。

 今日、インフルエンザによる学級閉鎖が出たと、市からのメールが入った。
 今年は、流行が早いようだ。

 風邪ではないけれど、私は最近、喉に不快を感じることがしばしばである。
 絶えず、咽喉に不要物があるような感じ。
 これも、老化の現象であろう。


 T医院には、この時期に咲く花々の鉢が、多数置かれていた。
 総じて、あえかで美しい花々である。
 静かに存在する姿がいい。

 <大文字草>似た花に、<人字草>のあることを初めて知った。

 花弁が、<大>の字形と<人>の字形をした花。
 似つつも、よく見ると、同じではない。
 面白いものだ。
 両者とも、<ユキノシタ>の花に似ている。
 調べてみると、三者とも、「ユキノシ科」であった。


 以下は、診察の日(22日)に 出会った花々。(名前を知らないものも多い。)

        
                   大文字草(紫色を帯びたピンク)

        
                   大文字草(白)

        
                  人字草(手前の鉢の花)

       
         大文字草(淡いピンク)

       

            
                      右上の花

        
                      ヒメリンゴ

        

        

   

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父の祥月命日

2015-10-22 | 身辺雑記
 生あって、今年も、父の命日を迎えた。

 老いの日々を生きる身となって、ふと父の82歳の当時は、どんな状況だったのだろうか考える。
 96歳まで生存した父であるから、少なくとも、父の方が私に比べれば、ずっと元気だったのだろうと、なんとなく思っていた。
 が、本当にそうであったのだろうか。

 父は、平成元年に91歳となり、平成の年号とともに齢を重ねて、平成6年の今日、96歳で他界した。
 父の82歳を、日記帳の「年齢早見表」で確かめると、1980年(昭和55年)に当たることが分かった。
 
 その当時、父も私も懇意にしていた書店のMさんから、
 「お父さん、一人で街歩きなさるの、大丈夫でしょうか」
 と、言われ、はっとしたことを思い出した。
 歩き方が頼りなく見え、Mさんは気遣ってくださったのだろうか。
 他人が心配してくださるほどだから、父も、私と似たように、自らの老いを感じていたのかもしれない。
 80を過ぎれば、自分では確かなつもりでも、他人(特に若い人)から見れば、頼りなく見えるときもあるだろう。
 
 が、なにしろ一日に10キロ歩くのを日課にしていた父である。
 (それは多分すべての公職から身を引いた70歳ころのことだったのだろうか。定かなことは思い出せないけれど。)

 父は、90歳を前にして、その山を越せないのでは? と心配するような病魔に襲われた。
 その始まりは、血小板の減少であった。
 それ以後は、体力の衰えが否めなかった。
 しかし、最後まで、よく学ぶ人であった。

 私は平成元年、辞職し、父母の老後に付き合った。
 退職記念にワープロを求め、小説まがいの文章を書いたりしていた。
 また、家の周囲を散歩して、雑草を集め、その名を父に尋ねることがよくあった。
 植物標本をつくったりして。

 父は、読書を好み、よく本を求めた。
 そして、購入した本には、必ず購入月日を記す習慣を持っていた。
 下の三冊は、父が90歳を超えて求めた本である。
 
 『野に咲く花』には、<平成1年9月11>と書いてある。(この本は、植物名を正しく私に教えるために購入したのかもしれない。)
 『樹木1』『樹木2』には、<平成3、3、21>とある。

 ある日、90歳を過ぎた父が、「(今からでも)パソコンはできるだろうか?」と言ったことがある。
 私は、内心、無理だろうと思い、曖昧に言葉を濁しつつ、よき協力者とはならなかった。

 命日の今日、そんな父の一面を偲んでいる…。
 
 

    
  父が晩年に求めた本の一部 現在は、私が大いに活用させてもらっている。        

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ようこそ、モズさん

2015-10-21 | 身辺雑記
               モズがまた鳴いている。
               カメラをもって、裏庭に出てみた。

               以前と同じ場所に留まっている。
               一番空に近い電線の上に。

               同じモズなのだろう。
               縄張りを主張しているのか、強い声で鳴いている。

               「ようこそ! 今日もきれいな青空で!」
               と、つぶやく地上の私には、まるで無関心だ。
               見えているのかいないのか。

               やがて東へ向かって低飛行し、姿を消した。
               あとには、青一色の空があるばかり。
               とり残された私と…。 



          

          

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