ぶらぶら人生

心の呟き

7月終わる・雲のある空

2023-07-31 | 身辺雑記
 7月が去ろうとしている。
 私も、7月を無事に終えられそうだ。

 今日は、雲の動きの激しい日だった。
 自室から、あるいは廊下の窓から、空を眺めるごとに、雲の動きが激しかった。

   以下、自然の編み出す造化の妙。

 
    




    




    


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海の表情

2023-07-30 | 身辺雑記
 朝、廊下に出て、静かな海原を眺めた。
 濃淡二色に色分けされ、波穏やかである。


    



 河口の方は、一色にまとまった光景だ。

    



 一日、穏やかな日曜日であった。
 夕景も、世はこともなし! といった感じだ。
 が、地球上は、決して穏やかな日々でわない。愚かな戦争を繰り返し、多くの命が失われている。
 国同士の争いばかりでなく、国々の内部においても、大小様々な争いや殺戮は繰り返され、心穏やかならぬ世の中だ。少々間抜けでいてもいいから、みんなで、のどかに過ごせないものか。
 噂に聞く、幸福の国ブータンのように。
 あまりに幼稚な理想論だが……。
 武器を捨てて、意見が違えば、互いに話し合って……、というように単純にはいかないものか。

 
    



 夕陽を眺めていると、隣室のAさんが、車椅子で出てこられた。
 「きれいですね」
 と、そばに来て話される。
 入室されてまだひと月にもならないのだが、2人で夕陽を眺めるのは2度目である。

 今日は、海上の雲の層が、少し薄いようだ。が、なかなか申し分のない夕陽が撮れない。

    




 今日、5号室のTさんに見せてもらったホウズキ。葉っぱは、散々虫に食べられている。それもまた自然。

    


 ホウズキを「鬼灯」と書くのが面白い。
 お盆のころには、当地の花屋さんにも、ホウズキが並ぶだろう。求めたいと思っている。


 お月さまが、十三夜くらいになっているのだと思うが、自室の窓からは、一向に月影が見えない。
 7月の月の出は、もっと南の空なのかもしれないと思い、相談室へ行ってみた。
 そこからは、月影を眺めることができた。

 写真では、まるで室内に月があるかのように見えるが、月の背景は、もちろん空である。





   
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『私の小説教室』

2023-07-29 | 身辺雑記
  駒田信二(1914〜1994)著 
    『私の小説教室

 下掲の本は、昭和60(1985)年 集英社刊の文庫本。


    


 昔、求めた文庫本は、文字が小さすぎたり、紙面が黄ばんでいたりして、手に取ってみても、読む気になれないものが結構ある。
 が、この本は、その弊害がなく、先日、帰宅した際に、施設へ持参した本である。
 (幾箇所かに、ラインが入っているので、今回は再読ということになる。)

 駒田信二が、小説家、評論家、中国文学者であること、昔の旧制高校時代には、松江で、かなりの期間、教師を勤めておられたこと、後年には、朝日カルチャーセンター小説教室において、文章作法を指導しておられたことなど、活躍のあらましは知っている。
 が、それよりも、私が強く記憶しているのは、昔、文芸雑誌<文学界>の誌上で、同人雑誌評を書いておられたことである。

 70歳になるまで、私自身、地方の文芸雑誌の一員として、小説まがいの文章やエッセイを書いていた。
 そこで、<文学界>を、かなり長期にわたって購読し、掲載された小説を読むと同時に、巻末の「文芸雑誌評」に、関心をもっていた。

 時折、私の作品も取り上げてもらった。特選は得られなかったが、ベスト5に選ばれたことはあった。
 その作品は、朝日新聞の小さなコラム欄でも、時を同じくして取り上げられた。
 ペンネームで作品を発表していたので、親しい友達にも、職場の人にも、私の作品だと気づく人はなかった。
 ただ父だけが、朝日新聞の記事を読んで、私の作品かと尋ねた。
 親の不思議な勘に、私の方が驚いた。当時は、下宿生活をしていたので、私の日常を知るはずもない父が、どうして分かったのだろう? と、内心で思ったものである。

 大昔、同人雑誌評を書いておられた駒田信二に、私の作品も読んでもらったという経緯があり、その名前は、しっかりと記憶している。

 『私の小説教室』には、駒田信二自身の「作品」の一部が、引用の形で載っていた。生まれが大正時代の初めごろの方であるし、その小説の文体は、少々古風だなと思った。
 今日は、私の方が評者の立場に立って、作品の一部を読ませてもらったことになる。

 しかし、今日読んだ『私の小説教室』そのものは、決して古風な書き方ではないし、内容も充実している。
 特に、第二章の「私の文章心得十章」には、具体的に、悪しき例文も載せてあって、文章力を高めたいと思う人には、大いに参考になる。

 文章を多く書いても、自分の悪い癖や明らかな欠点などは、意外に自分では気づきにくいものである。
 再読しつつ、私自身、改めて反省することもあった。

 考えさせられたり、学んだり、楽しんだりしながら読了。
 


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滅多に出逢えない蜈蚣(百足・ムカデ)

2023-07-28 | 身辺雑記
 朝、ラジオ体操をしたあと、日課の数独に取りかかった。
 机に向かって、数字を書き込んでいるとき、私の膝の上で動いているものを発見!
 思わず叫声を発して立ち上がり、膝の上のものを払い落とし、履いていたサンダルで、力一杯攻撃した。
 
 蜈蚣(百足・ムカデ)である。まだ攻撃力は私の方が優っていて、ムカデは、動かなくなった。

    



 長い虫は嫌いである。無害なミミズも蛇も。
 それにしても、4階の部屋なのに、ムカデが現れるとは!
 


 津田医院で、定期の検診を受ける。
 今日は血液検査と尿検査も。

 即刻、検査結果の分かった尿検査では、少々異常があった。しかし、許容範囲らしく、「まあ、いいでしょう」とのこと。
 治療をお願いするのは、痛みのあるときだけでいい、と思っている。
 老いの身、探せば欠陥だらけの体であるから。


 待合室の窓辺に置いてあった造花の飾り物。

    




 昨夜、開花したカラスウリの花は、朝のうちは、美しを保っていた。


    



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季節の彩り

2023-07-27 | 身辺雑記
 サルスベリの花が咲き始めた。
 前庭に自生した木が、見上げる高さに成長した。
 今日も、猛暑になりそうな気配である。


     


 2時、タクシーを呼んで、施設に戻った。


 花瓶に投げ込んでおいたカラスウリの蔓に、今晩、開花しそうな蕾が一つあった。
 時折、立ち上がって、開花のプロセスを観察した。


       16時19分


     




                  19時45分

  
     




                    20時33分


     



  
                    20時57分
      (完全に開花。)

 美しい花なのに、人目を忍ぶかのように、夜に開くとは!
 アサガオ、ユウガオのように時間を選ぶ花もあるのだから、夜を選んで開花する花があっても、不思議ではないけれど、やはり花の形といい、開花の時刻といい、独特で、神秘的でもある。
 90歳になって、初めて出会ったのだから、これも不思議なご縁である。


     





       今夕の落日

 梅雨が明けても、海上の雲の層は居座ったままである。
 山側には、もくもくと入道雲が盛り上がり、盛夏を演出する。が、水平線側に、入道雲を見かけることは、今のところない。



     




     

 
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除草日

2023-07-26 | 身辺雑記
 今日は草取りをしていただく日。
 昨日は猛暑日で、庭に出る気にもなれなかったが、朝のひと時は熱暑から解放される。
 せめてコンクリートの部分だけは掃き掃除をしておう、7時の庭に出る。

 花壇とは名ばかりで、花らしい花もない。
 しゃがんで、地面を見る。小さな野草の花である。昨年も、Google lensで調べたことを思い出した。名前は覚えていない。
 今日は、いずれ抜かれる運命の花である。
 抜き取ってきて、小さな器に挿す。 

 Google lensで確かめると、ヌカイトナデシコとあった。その名にふさわしい。
 「ヌカ」は、ある言葉の上につけて、<こまかい>とか<頼りない><はかない>などの意味を添える。

 ナデシコに似た花。しかし、比較にならないほど、儚げである。
 ヌカイトナデシコに間違いないだろう、と眺める。

     


 
 草取り作業は、シルバー人材センターの方が、3人で行って下さった。
 伸びすぎた植物の葉も、一部は切り取ったりして、涼やかな庭になった。

 あちらこちらに地盤を広げて伸びていたトクサも、見栄えよく取り去ってくださった。
 夏の庭が、ずいぶん涼やかな雰囲気となった。



    




    


 雑草は、また伸びるだらう。
 そして、私の机の上同様、すぐ鬱陶しくなるだろうけれど……。



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ハンゲショウのある庭

2023-07-25 | 身辺雑記
 午前中、三月(みつき)目の検査を受けるため、椋歯科医院へ行く。

 診察室の真正面には、池のある庭がある。
 そこに、まだハンゲショウが咲き残っているだろうか? と思いながら、診察室に入る。
 真っ盛りは少々過ぎている。が、季節の花に会うことができ、満足した。
 
   




    



 歯科検診を受けたあと、一旦は施設へ帰り昼食をいただいた。その後、帰宅。
 タクシーを降りた途端に、尋常ではない暑さに驚く。
 窓を開けたり、居間のエアコンをつけたり、家の中にこもった熱暑を追い払うのに苦労した。
 温度管理の行き届いた施設の環境と、なんという違いであろう!
 温度計のあるところは、居間も寝室も台所も、全て35度。
 寝室にも、夜に備えて、早々にエアコンをつけておく。
 とにかく、まずは温度を下げることに努める。
 全国的な暑さというから仕方ない、とは思いつつ、心身がくたくたになる。

 子どもの時から夏嫌いな私。異常な熱暑が、ますます夏嫌いを助長する。
  

 日の出と、一塊の雲もある朝の空。(5時半)

    
    
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中野孝次の2冊の本

2023-07-24 | 身辺雑記
 家から持参していた、中野孝次の本を2冊(『生きたしるし』と『今を深く生きるために』)を読了。

 歳のせいであろうか、是が非でも感想を書きたいという気持ちが高まらない。


    




    
    
    
 
 瑣末なことだが、『生きたしるし』には、当市の話が出ていることなど、すっかり忘れていた。
 <過疎地>の始まりは、町村合併により益田市の一部である匹見の奥地・広見であるとの記事が載っている。

 社会人となったばかりの折、友人の就職先が、その秘境の地・広見だった。稀な田舎だから来てみてと誘われ、私は、一度訪れたことがある。
 匹見まではバスで行き、その先、広見まではトラックに乗せてもらった。田舎のなかの田舎といった集落に、友達は部屋を借りていた。
 昭和38年の豪雪当時、私は津和野にいて、2階の部屋から、日ごと眺めていた青野山が、窓を塞ぐほど屋根に降り積もった雪で、全く見えなくなるほど、大雪を遭遇した。
 その年、広見の豪雪は、そこに住むことを住人に諦めさせるほどのものであったようだ。一気に多くの人が、その地を去り、一気に過疎地となったことも聞き知っている。しかし、過疎地の第一号であるとは、知らなかった。

 中野孝次は好きな作家のひとりである。
 最初に読んだのは、小説『麦熟るる日に』であった。その後、エッセイ集をかなり読んできた。
 今回、そのうちの2冊を施設に持参して再読した。
 1925年生まれの作者は、昭和を丸ごと生き、2004(平成16)年に逝去された。

 今回、特に気づいたことは、文体の特徴であった。
 漢語が多用されている。そのため、文章が重厚になり、一方で、軽やかさや親しみやすさに欠けることにもなっている。
 中野孝次の主張そのものが、硬質である。その点からも、漢語の多用が、決して不自然ではない。
 が、少々重苦しい感はある。
 これこそが、中野孝次の文体であると認めつつも…。
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はかなくも美しく

2023-07-22 | 身辺雑記
 今日は、7月22日。
 誕生日から、丁度半年が経ったのだな、と思う。その半年は、無事であった。
 が、これから後の半年が、同じように無事という何の保証があるわけではない。

 自分で、自分に対する頼りなさを感じながら、できることを楽しみながら過ごして生きてゆこうと思う。
 万事、能率が悪くなってきた。それも受け入れてゆくしかない。


 夕方、施設近くのカラスウリの花を見に行ってきた。



    



 一部摘み取ってきて、入れ物に水を張って挿してみた。
 灯を消して、闇を作れば、蕾が開いてくれないものかと試みたが、就寝までには開花の気配はなかった。



    




    




  [追記 23日 朝の開花状況 中途半端な開花に終わった。]

    


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朝陽と夕陽と

2023-07-21 | 身辺雑記
 日の出の時間が、日ごとに遅くなっている。それでも、5時25分には、平家山の北西寄りの山裾に姿を現した。
 

    



 昼間は帰宅して、家での雑用をする。
 主に、不在中の新聞を読んだり、洗濯をしたり。

 夕方、施設に戻って、夕食をいただく。
 変わり映えのしない日々。読書の能率も落ち、なんだか心満たされないまま、老いの日々が続く。


 落日は、19時20分。

    
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