ぶらぶら人生

心の呟き

10月終わる

2013-10-31 | 身辺雑記
 終日、曇り日の今日であった。
 夕刻、戸外に出て、明日への希望のような夕日にめぐり合う。
 5時の落日。

   

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10月の庭 (コーヒーをいただきながら)

2013-10-28 | 草花舎の四季
 昨日、お天気に誘われて、草花舎まで出かけた。

 (テレビで、大学女子駅伝を観戦した後で。
 会場の仙台では、並木の公孫樹や欅が、黄葉し始めていた。)

 当地の秋らしい秋は、まだ遠い。
 草花舎の庭では、土日だけお店を手伝われる I さんが、庭木を伐っておられた。
 木々の枝が払われ、みるみる空が広がりをみせていた。
 仕事の邪魔にならないよう、入口周辺の花を見るにとどめた。

         

         

   

                       
       
                       室内の花

   
         カウンターの花                コーヒー&ケーキ

   
  かわいい器(マレーシア)のハーブティー         (マレーシアの包装など)


 Tちゃんが、外国人向けの観光ガイド試験に合格されたと聞いた。
 おめでたい話である。
 Tちゃんの英語力からすれば、受からないはずはないと思っていたけれど、観光ガイドということになれば、語学力の前に、その土地の文化やもろもろの知識も必要になるだろう。
 それが、むしろ大変だろうと思っていた。
 人に10のことを教えようとするときには、100程度のことは知っておく必要があるだろう。
 Tちゃんもいろいろ勉強になると、話しておられた。
 英文で、ガイドブックを作るつもりで用意を怠りなくなさるといいのではないかしら?
 この町を訪れる、外人観光客がどれほどあるのか知らないけれど。

 草花舎に入ろうとノブに手をかけた時、Yさんが出てきて、
 「知ってた? この前の事故で亡くなった人のこと?」
 と、聞かれた。
 事故は大変なことだったので、ニュースにもなった。
 女性の運転者が知人を乗せ、信号待ちをしていたとき、後ろから来たトラックに突き飛ばされ、車が大破、運転の女性は救急車で病院に運ばれた。ところが、便乗者にはだれも気づかず、しばらく放置されたという事件だった。
 車の破損がひどく、人の存在に気づきにくい状態だったのだろうか。
 それはともかく、その方は亡くなられ、気の毒なことだと思っていた。
 こんな死こそ、運命としか言いようがないのでは、と思いつつ。

 Yさんの話によると、亡くなられた女性は、数年前まで、T医院に勤務しておられたベテランの看護師さんだったというのだ。
 驚いた。
 私も、幾度となく採血などしていただいた、あの看護師さんであるとは!
 誰の死であっても、交通事故死とか、自然災害による死など、人生の道半ばで一生を終えるということは、本人も周囲も、さぞ口惜しいことだろうと思う。
 亡くなられた、元看護師さんにも、老後の夢があっただろうにと、お気の毒である。


 カウターに、S寺のGさんが座っておられた。
 僧衣姿で、法事の帰りとすぐわかった。
 同じカウンターにかけて、話しながら、コーヒーをいただいた。

 あれは、何がきっかけだったのだろう。
 いつの間にか、猫の話になっていたのだ。
 S寺には、たくさんの猫がいるという。
 同じ母猫から生まれた数匹の猫は、みな個性が違うのだそうだ。
 お利口もいれば、おバカさんもいる。
 性格も、実に様々らしい。
 格別不細工な顔の猫もいるとか。
 一度お目にかかってみたいものだ。

 Gさんが帰られて、間もなく、Sさんが来店。
 Sさんの正式な職業名は忘れたが、健康にかかわる仕事をなさっている。
 心や体に病いを抱えている人に寄り添い、適切な指導をしておられる方だ。
 子育て支援などもなさっている。

 Yさん、Sさん、私の3人で、時間がたつのを忘れて、健康や心の持ち方など、多岐にわたって語り合った。
 秋の日のつるべ落としとはよく言ったもの。
 たちまち夕暮れて、結局、Yさんの車で送ってもらうことになった。

 心満ち足りた語らいのひと時であった。
 おまけに、マレーシアのハーブティーまでご馳走になって。

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久しぶりの秋空

2013-10-27 | 身辺雑記
 今朝、PCを開けた時、M市の気温は、10℃と表示されていた。
 寒くなったな、と思いながら庭に下りる。
 久しぶりに見る青空。
 清澄な空気が心地よい。

      

 今、庭を彩るのは、ツワブキの花。
 半球体に咲き満ちて。

      

 寒くなっても、咲き続けるのは、ノボタン。花は小ぶりになってきたけれど。
 ムラサキゴテンは、気まぐれに咲いている。(今日は一つ)

         
         

 5本あるモミジは、毎年のことだが、美しい紅葉を見せてくれない。
 特に今年は、24・26・27号の台風で、大方の葉が吹き払われて裸木となり、枝に残る葉は、じりじりにちぢれて、見る影もない。
 かろうじて、黄葉を楽しめるのは、ジューンベリー。
 高砂百合は思いのほか芯が強いのか、台風になぎ倒されることもなかった。
 茎と実の造形が面白い。
 見るものの乏しい庭なので、目をひきつける存在となっている。

         
         

 真昼になって、いよいよ空が晴れ渡った。
 外歩きでも、してこよう。
 さて、どちらへ向かってみようか。
 草花舎か、海辺か?

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天野祐吉さんのこと (付記)

2013-10-26 | 身辺雑記
 天野祐吉編 『笑う子規』 については、昨日のブログに書いた。
 アマゾンに注文したもう一冊は、 『冬の本』 (2012年 夏葉社刊)であった。

          

 <天野祐吉>で検索した折、この本の内容を十分確認しないまま、題名と表紙絵(装幀は和田誠さん)にひかれて注文した。
 「冬の本」編集部の話によれば、<小さいけれど、たくさんの人が書いている本>・<「冬」と「本」、2つがそこにあるということを唯一のルールとして>編集された本、ということらしい。
 なかなか洒落た発想の本である。
 84人のエッセイ集。


 天野祐吉さんは、『冬の本』に、84人の1人として、一文を寄せておられるだけであった。
 「私の一冊」と題して。
 その内容は、画家・谷内六郎さんの没後、遺されていた「落書病院日記」に感動し、現物のままを復刻版として、天野祐吉さんがつくられた話であった。
 <六郎>の名に合わせ、696冊の限定本として。
 いかにも、天野さんらしい。

 エッセイの末尾は、
 <復刻本ができた。冬の夜なんか、コタツに入って頁をめくっていると、心までポカポカとしてくるような
1冊となった。>

 と、括っておられる。

 谷内六郎さんといえば、「週刊新潮」の表紙絵を思い出す。
 ほのぼのとした、どこか懐かしさのある絵が、思い浮かぶ。
 PCで、「落書病院日記」を探してみたが、見つからなかった。限定本ゆえ、入手は無理な話だろう。

 (『冬の本』の84人中、名前を知る人や題名から読んでみたいと思たった10作品を、今日読んだ。他の人たちの作品も、冬の夜の友として、読んでゆきたい。)


 天野祐吉さんの逝去を機に、以前読んだ『隠居大学』 (2011年・朝日新聞出版)を本棚から取り出し、ページを繰った。
 天野さんの人柄が、著名人6人(横尾忠則・外山滋比古・赤瀬川原平・谷川俊太郎・坪内稔典・安野光雅)との対談に滲み出ていて、とても味のある本であった。
 珍しく読了日を、本の最終ページに書いていた。
 一昨年の9月に読んでいる。
 その頃のブログに感想を書いているのだろうが、過去のブログを開く気にもなれず、どんなことを書いたか、内容も思い出せない。

 先日、朝日川柳で、天野祐吉さんをしのぶ作品を読んだ。

     天気図を街の微風で書いた人   (神奈川県 梅若 茂晴)
     達人の鮮やかすぎる店じまい   (東京都  桜井 和子)

 後者の川柳には、思わず肯いた。
 私自身、同年の天野さんの逝去を惜しみつつも、<鮮やかすぎる店じまい>については、内心うらやましく思う気持ちがあったのだ。

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一日は何をしたやら…

2013-10-25 | 身辺雑記
 今日一日、何をしたのだろう? と、過ぎた時間をふり返り、少々味気なく、心満たされぬ思いを抱くことがよくある。
 おりしも、秋の暮。
 
 今日、下記の句に出会った。
 添えられた文には、<いいねえ、こんな一日も>とある。
 たまになら、いいかもしれないけれど…というのが、私の思いだった。

     一日は何をしたやら秋の暮

           秋の日はつるべ落とし。
           それにしてもきょう一日、いったい何をしていたんだろう。
           いいねえ、こんな一日も。


 太字の句の作者は、正岡子規
 青字のつぶやきは、天野祐吉
 いかにも、天野さんらしい。


 天野祐吉さんの訃報に接してから、5日が過ぎた。
 新聞で死去を知ったその日、2冊の本をアマゾンに注文した。
 思いのほか早く、今日、届いた。

 その1冊が、上記の句と文の載っている『笑う子規』(2011年・筑摩書房刊)である。

    
           表紙絵                 裏表紙絵

             
       下記の有名な句に添えられた南伸坊の絵(それが表紙絵にもなっている。)


         柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺

            柿を食ったら鐘が鳴った。 
            何の関係もない関係のおもしろさ。
            ズレの裂け目からおかしみが顔を出す。


     正岡子規・著
     天野祐吉・編
     南  伸坊・絵


 こんな本は珍しい。
 天野祐吉さんらしい編集である。
 松山で過ごし、松山市立子規記念博物館長(のち、名誉館長)を務めた人でもある。
 そんな意味で、子規とはゆかりのある人であるが、子規と天野さんのもう一つの接点は、ユーモアである。

 <はじめに>の冒頭で、

   俳句はおかしみの文芸です。
   だいたい、俳句の「俳」は、「おどけ」とか「たわむれ」という意味ですね。あちらの
  言葉でいう「ユーモア」に近いものだと思います。
    柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺
   子規さんのこの句を成り立たせているのも、おかしみの感情です。「柿を食べる」こと
  と「鐘が鳴る」ことの間には、なんの必然的な関係もないし、気分の上の関連もない。つ
  まり、二つのことの間には、はっきりした裂け目が、ズレがあります。
   もともとおかしみというのは、裂け目やズレの間からシューッと噴き出てくるものだと
  ぼくは思っているのですが、この場合にも、そんなズレからくるおかしみが、ぼくらの気
  持ちをなごませてくれていると思うのです。


 と、天野さんは書いておられる。
 『笑う子規』では、上記の観点から、子規の句が紹介されている。
 天野さんのつぶやきや南伸坊さんの絵を添えて。

 昼前、ポストからこの本を取り出し、早速読了。
 子規の句が、<新年・春・夏・秋・冬>の部に分けて、紹介されている。
 合計143句。
 子規の句を、こんなにたくさん、一気に読んだのは、初めてである。
 私の諳んじている句は、人口に膾炙した名句ばかりである。
 この本に出ている句でいえば、柿くえば…や、本の最後に取り上げられている次の句など。

   糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

             

 句の後に南伸坊さの絵(上)があり、天野祐吉さんの文、

     見てごらん、あれがわしだよ。
     ことしも糸瓜は咲いたのに、
     水を取るより先におさらばしちまった。
     痰をつまらせて。
     息をとめて。
     痛みともおさらばだ。
     やれやれ、あれがわしだよ。


 が、載っている。


        

     内のチョマが隣のタマを待つ夜かな    (挿絵 左)

     「内のチョマ」は雌猫である。
     「隣のタマ」は雄猫である。
     そんなことは言われなくてもわかっている。


     ツクツクボーシツクツクボーシバカリナリ (挿絵 右)

 この句に、天野さんの言葉は添えてない。
 今年は、法師蝉の少ない晩夏だったと、この句から、過ぎ去った季節のもの足りなさを思い出す。

 この本は、子規の句・天野祐吉の文・南伸坊の絵が、三位一体となって、面白さを3倍にしている。


 今日は気温が下がった。
 電気炬燵に加えエアコンもつけ、さらに重ね着をして、冷えを凌いだ。
 まるでおばあさんスタイルだな、と思う。
 気づけば、そう思う私自身が、まぎれもないおばあさんである。 

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T医院と花

2013-10-24 | 身辺雑記
 台風27号の影響を避け、診察予定日を一日早めて、昨日T医院に行っておいた。
 血圧はまずまず。

 先生はいつも、体調について尋ねてくださる。
 診察の時点で、問題がなければ、いちいち不安を羅列することは避けている。
 妙に左後頭部が痛かったり、胃の中に、豆板醤がこびりついているような違和感があったり、皮膚の痒みが移動したり、体調不良を挙げればきりがなく、異常は日替わりのようなものである。
 が、すべてを老いのせいと判断し、楽観している。
 自立できる限りは、弱音を吐くまいと。

 昨日も、T医院に飾られている鉢の花々を楽しんできた。

        
            ダイモンジソウとカリヤス(茅の一種)

   
       ダルマギク                     ロウヤガキ

   
       コバノセンナ                    ダイモンジソウ

   
      ミズヒキソウ(斑入りの葉)              コバノズイナ

         
            ヒメラッキョウ           アシズリノジギクとラッキョウ 

 (いつもの優しい看護師さんが、花の名前を教えてくださった。聞き違えやメモの間違いがあるかもしれない。)

 昨日の昼前から雨が降り始め、今日も終日降り続いた。
 大降りではないものの、降雨時間が長いので、かなりの雨量に達しているだろう。

 今日は、ゴミ出し日であった。
 今朝、風と雨の中、ゴミ置き場まで出かけた。
 雨のゴミ出し日には、裏口の傘立てにおいている、蝙蝠傘をさすことにしている。
 それは、19年前に亡くなった父が使っていたもので、骨董品だが、パチンと開いてくれるし、男物の大きな傘なので便利である。

 ところが、その傘の件で、腑に落ちないことがあった。
 実はその蝙蝠傘、傘立てではなく、私が置くはずもないところに横になっていたのだ。
 昨夜は、またかなりの風が吹き、ゴミ箱の蓋二つが、飛んでいた。
 しかし、傘が風にあおられ、傘立てから飛び出すとは考えにくい。
 朝から、薄気味悪い思いで一日を過ごした。
 
 その蝙蝠傘は、以前にも、裏口近くの草むらに投げ捨てるように置いてあったことがある。
 まだ崖の上に保育所があった時のことで、誰か心無い人が無断借用して、放置したのだろうかと考えた。
 そればかりではなく、裏口の側溝を覆う重い鉄板の一枚がなくなっていて、捜し歩いていたところ、保育所近くの溝の上に置いてあったこともある。
 
 それにしても摩訶不思議なことが折にあり、田舎暮らしものどかではない。

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父の命日

2013-10-22 | 身辺雑記
 今日は、父の祥月命日である。
 昨日、今日のために、お花やお供えを買ってきた。

 私が60歳になった時、還暦の祝いを父からもらった。
 あの時、父は何歳だったのだろう? と、年月を過去に遡ってみた。
 父、95歳、逝去の前年であることを確かめた。

 形のあるものとして残そうと、木を植えた。
 花水木の紅白と、シデコブシを植木屋さんに頼んだ。
 しかし、大きくなった木は、山法師であった。
 なぜか花が咲かない。
 花水木(紅)は、山法師に妨げられて、大きくなれず、花も咲かない。
 
 「そんなに近いところに植えても大丈夫ですか」
 20年前の植樹の時、植木屋さんに尋ねた。
 大丈夫です、とのことであったが、山法師(花水木〈白〉の予定だった木)だけが栄えて、花水木(紅)は気兼ねして、こじんまり寄り添っているだけだ。
 寄せ植えがまずかったのか?
 ただ、紅葉は美しいので、植木屋さんを責める気持ちは全くない。

 台風28号で、花水木とシデコブシの葉は、ほとんど落ちてしまった。
 シデコブシは、春咲くための準備を怠りなく、すでに蕾をつけている。
 
 父を思い出しながら、その木も、はや20年を経たのかと感慨深く眺めた。

     
           山法師                    花水木

           
                   シデコブシの蕾


 今朝は、ずいぶん朝寝した。
 気づいてみると、9時前であった。
 昨夜、就寝が12時過ぎだったせいもあるけれど。

 目覚めの直前、父の夢を見た。
 「4時になったよ」
 と、起こされたのだった。

 父の命日に父の夢。
 (最近妙に、鬼籍の人に、夢で逢う。)

 中・高校生の頃、父は、私の目覚まし時計であった。
 今朝も、夢で起こされたのであったが…。
 往復に2時間かかる、遠路の通学だった。
 頑健ではなかったので、通学だけで疲れ、いつも予習や宿題などは、翌朝に回した。
 その起こし役が、父であった。
 いったん起きても、居眠りをしてしまう。
 そこで、父は、私の見張り役でもあった。
 
 そんな昔のことも思い出す今日でえあった。

 今日は「中也忌」でもある。
 中原中也の詩に夢中だった遠い昔も思い出す。

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天野祐吉さんの訃報

2013-10-21 | 身辺雑記
 今朝(10月21日)、朝日新聞を手にした途端、<あ、天野祐吉さんが……>と、驚いた。
 訃報である。
 
 80歳。
 同年である。
 すぐには納得しがたい思いであった。

 が、死とは、いつもこのように訪れるものなのであろう。
 高熱で15日に緊急入院、重度の間質性肺炎であったという。

 天野祐吉さんのファンは多いはずだ。私もその一人である。それだけに悲しい。
 また、同年の死は、心に微妙な作用をもたらす。
 
 もうあの独特な、ユーモアと風格のある文章が読めないのかと思うと残念だ。

   <軽妙洒脱な中にも、さらりと核心をつくトゲをしのばす語りが特徴だった。
    年齢を重ねても、社会をいたずらっぽく見つめる少年のような目で多くの人の
    気持ちをひきつけた。>

                                  朝日新聞 P31の記事
 天野祐吉さんの特色をよくとらえている。

 昨日、朝日の読書欄「ニュースの本棚」で、

     1964年に売れた本
         ”日本”遠のき ”ニッポン”へ


 を読んだばかりである。
 
、東京五輪のあった年・1964年の風潮を、その年よく売れた本から、繙いておられた。
 いつものごとく、うんうんと肯きながら読んだのは昨日のことだけに、なんだか不思議な気持ちである。

 
 毎週、天野祐吉さんのコラム「CM天気図」を楽しみにしていた。
 これも、もう読めない。
 <ささやかなアンチ広告>(10月16日水曜日)が、最後となった。

 今後は、著作を求めて、天野祐吉さんの、ものの見方・考え方と表現世界を楽しみたい。



          

 昨夜の月。
 天野祐吉さんの、死後に出た月ということになる。
 
 ご冥福を祈りながら、珍しく、早朝のブログを書く。 

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庭に出て

2013-10-19 | 身辺雑記
 午後、庭に出た。
 台風26号の置き土産を片付けるために。
 落ち葉や枯葉が、見苦しいほど庭を汚している。
 意を決しての掃除。
 ついでに、砂利の上を奔放に這うコニシキソウも抜き取った。
 やっと、人の住む庭らしくなった。


 週に一回、牛乳の配達をしてもらっている。
 配達人は、その都度、様々な広告を届けてくださる。
 欲しいものがあれば、牛乳箱に注文書を入れておく。
 
 過日、春に咲く花の広告が入っていた。
 来春は、チューリップを咲かせてみたいと、この春、郵便局のチューリップを見て思った。
 早くも球根を植える時期が近くなった。
 早速、チューリップの種類を選んで、球根を注文した。
 二種類。
 アンジェリケ22球)と、おまかせミックス20球。

 一昨日、球根が届いた。
 昨夜、PCで、<チューリップの育て方>を調べ、それを参考にして、今日、球根を植えた。
 花壇の空きに。
 
 どうぞ、美しく咲いてくれますように! 

 

 裏庭には、今も、季節外れの躑躅が咲いている。
 あと三つ、蕾がついている。

             

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戸外を歩く

2013-10-18 | 身辺雑記
 JAとポプラに用があって出かける。
 道々の秋を楽しみながら。

     (山茶花・ミゾソバの花・台風で葉を失った柿の実・国道と歩道の隙間に揺れるススキ) 

 

 


 夜、カーテンを開けると、東の空にお月さまがあった。
 流れる薄い雲に身を任せながら、孤独を楽しんでいるかのように。

         

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