ぶらぶら人生

心の呟き

萬珠沙華、咲き満ちる

2012-09-28 | 身辺雑記
 朝夕の気温が冷え始めると、萬珠沙華は咲く。
 今年はお彼岸を過ぎて満開になった。
 株が増えたらしく、賑やかに咲いた。
 赤と白(クリーム色)と。

  

 一昨年の冬の寒さで枯死したと思っていたノボタンが蘇り、2年ぶりに花を咲かせた。
 まだ丈が短いので、多くの花は期待できない。でも、蕾が10数個はある。
 一日花を、花の数だけ、楽しめそうだ。朝冷えの庭に佇んで。
 秋海棠の花も増えた。
 生きていることのささやかな楽しみ。

     


 今晩、A・Tさんのお通夜に行ってきた。
 一年に幾度か、お会いする日があったのだが…。
 年上の私に、ずいぶん気を遣ってくださる人だった。
 生き方の姿勢は、かなり異なっていたけれど。
 本を紹介してくださったり、CDやDVDをプレゼントしていただいたり…。
 私のブログも熱心に読んでくださっていた。
 朝日新聞に加え、読売新聞を購読し始めたのも、彼女と係わりがある。
 草花の話もよくした。
 酔芙蓉の花を見に来てと誘われた日もあった。
 この季節、庭先にある大木は、酔芙蓉の花をたくさんつけていることだろう。

 昨年、国道を歩いているとき偶然会った。
 「体調がすぐれなくて…」
 と話されたのだが、私自身、体調不良は日常茶飯のことなので、深刻に受け止めなかった。
 ガンの予兆だったとは思い及ばず。
 
 昨夜、訃報を聞いて以来心がざわつき、通夜でお別れをしてきた今も、一度もお見舞いにゆかなかったことを後悔している。

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怠け癖

2012-09-27 | 身辺雑記
 久しぶりにパソコンを開けて驚いた。
 ブログの投稿が、9月9日で終わっている。
 しばらく怠けていることは分かっていたが、こんなにたくさんの空白があったとは!

 いい習慣を持続するのはなかなか難しいけれど、怠け癖は易々として続けやすい。
 以前は、そんな自分が厭だったけれど、今は、歳のせいにしたりして、安穏としている。
 のどかと言えばのどかな心境である。

 が、書いておきたかったことを書きそびれてしまうのは、多少残念である。

 朝夕が涼しくなった。
 確実に秋の気配である。
 先日の天声人語で、正岡子規が、<夏の雲は岩の如く>と表現していることを知った。その夏雲の重量感は、もはや見る影もない。
 見上げる彼方には、やさしい雲がなびいていた。(写真 朝の空)


      

 夕方、ポストまで散歩した。
 返信のはがき3枚をしたためて。
 夕空に、白い月があった。
 刻々と暮れゆく空に、夕月を眺めた。

  
   (左は、行きの夕月  右は、帰り道、中学校の校庭から見た夕月)


 宵の8時過ぎ、A・Tさんの訃報が届いた。
 近くに住みながら、今年はお会いすることがなかった。
 お具合がすぐれぬ様子だと、仄聞したのは桜の季節だっただろうか?
 病名も知らないまま、お見舞いに出かけることもしなかった。
 10歳も若い人なので、一時の病だろうと安易に考え、死に至る病であろううとは、予想だにしなかったのだ。
 突然の訃報に、今は心がひどくざわめいている。
 深夜、南西の空に冴える12夜の月を眺めながら、知り合って30年の歳月に思いを馳せた。

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思い草を探して

2012-09-09 | 身辺雑記
 昨年の日記によると、9月1日に、裏の崖で<思い草>(ナンバンギセル)を見たとある。
 毎年同じ場所に咲くので、今年も毎朝、目を凝らして探し続けた。
 いまだに見つからない。
 思い草が見つかるころには、フジバカマも咲き始めるのだが、その姿もない。
 崖の草刈りをしてもらったのが、例年より少し遅かった。そうしたことも影響しているのかどうか?

 私は、<思い草>の宝庫を知っている。
 家からそう遠くない、国道九号線の脇に、それは群生している。
 花期が過ぎないうちにと、今日、探しに出かけた。

 が、<思い草>の生える辺りは、草茫々で、地面を覗き込むことができなかった。
 人手不足なのか、国道周辺の手入れは行き届いていない。
 <思い草>は、誰に気づかれることもなく、伸び放題の萱の下に咲いているのかもしれない。確かめるすべもなく残念であった。

 しかし、外出したお蔭で、道野辺に、季節の草花を眺めることはできた。
 ススキは、穂を微風にそよがせ……。
 


        

    

    

                  

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あッ!

2012-09-07 | 身辺雑記
 昨日(9月6日)、読売新聞が、<与謝野前経済相、引退へ>の記事を載せていた。
 与謝野氏は、かなり体調がすぐれないのだろうな、とはテレビ画面を見ながら思っていたが、がんを病んでおられるとは知らなかった。 
 
 与謝野氏が政界を引退されることが5日にわかった、と新聞は伝え、次の記事を載せている。
 
 《 8月28日、野田首相与は謝野氏を首相官邸に招き、感謝を伝えた。首相は下咽頭がんなどの
  四重がんで闘病してきた与謝野氏の近著『全身がん政治家』を読んだと言い、「勇気をもら
  いました。これだけの執念があったから消費増税ができたんですね。自分のおかれた環境は
  まだまだです」と涙ぐんだという。》

 
 が、私が「あッ!」と思い、長年の勘違いに気づいたのは、その後の記事を読んだときだった。
 
 《「劫初より 作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」(遠い昔から作り上げられて
  きた芸術の殿堂に私も黄金の釘を打ちたい)
   著書『堂々たる政治』で与謝野氏が「政治家としていいなと思っている」とした祖母・与謝野
  晶子の歌だ。…以下略…》

 「アッ! 晶子の歌なの?」と訝った。
 というのは、「劫初より…」の歌は、今から60年前、高校を卒業するとき、私の尊敬する国語教師がサイン帳に書いてくださったものだった。
 先生を思い出すとき、その個性的な文字とその歌を思い出してきた。
 それが与謝野晶子の歌とは知らず、志の高いわが師の歌だと勘違いしたまま、今に至っていたのである。
 いささかあきれた。

 与謝野晶子の多数の歌のなか、10首程度は諳んじられるだろう。
 が、それは大方、初期作品として有名な『みだれ髪』所収の歌である。

 昨日来、私の持っている与謝野晶子関係の本を開き、上記の歌を探した。
 『日本名歌集成』(学燈社刊)に、とり上げられているのを見つけた。
 与謝野晶子の代表歌に間違いないことを自分の目で確認して安堵した。

 こうした思い違いは、他にもいろいろあるだろう。
 昔、K先生の書いてくださったサイン帳を確かめてみたい思いもあるが、どこにしまい込んでいるのか見当がつかず、探すのが億劫である。


   (庭には、ニラや青紫蘇の、小さな白い花が、ひそやかに咲き始めた。)

     

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蝶は…

2012-09-05 | 身辺雑記
 空模様が怪しい。
 最近は、午後から夕方にかけて、天気の崩れる日が多い。

 花壇のキョウカノコの茎や葉が枯れたままになっている。
 雨の降り出さないうちに切り取っておこうと、庭に出たところ、ランタナの花に蝶が来ていた。
 蝶は飛びたっては、花に戻る。幾度も、それを繰り返した。

 カメラを持参して、庭に出てみると、蝶はまだ花に戯れていた。
 が、動きを止めた瞬間を捉えるのは難しい。

   

 私が蝶に接近を試みると、蝶は危険を感じたのか、単なる気まぐれなのかは分からないけれど、ランタナを離れ、隣家の屋根を越えて、姿を消してしまった。

 たいした飛翔力!
 そう思ったとき、韃靼海峡を渡る<蝶>を思い出した。

 安西冬衛の一行詩、

   てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった。

 が、珍しく口をついて出た。

 最近は、失語症患者であるかのごとく、言いたい言葉が、しばしば思い出せない。
 ところが、前記の詩句は咄嗟に出てきた。
 誰でも、昔覚えたことは、比較的思い出しやすいのだろうか。

 蝶の消えた空を仰ぎながら、そんなことを思った。

  (詩人・安西冬衛の生没年を調べてみた。明治31年生まれ。私の亡き父の生まれと同じであった。
   没年には大きな開きがあり、詩人は昭和40年、父は平成6年である。)   

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『碧い石見の芸術祭 2012』 そして…

2012-09-03 | 草花舎の四季
 一昨日、草花舎に出かけたとき、『碧い石見の芸術祭 2012』のパンフレットをもらった。(写真)

     

 昨年も開催されたはず。二回目ということだろう。
 会期は、9月1日~9月30日。
 会場は、<ユネスコ無形文化遺産 石州半紙の郷>三隅。

  ★ 全国美術大学奨学日本画展(三隅中央会館)
  ★ 三隅アートプロジェクト(石正美術館・三隅中央会館・三隅神社・辰巳屋・かばち亭)
  ★ 飛びだせチビッコアーティスト(中電三隅発電所 ふれあいホール)

 と、部門によって、会場が分かれている。
 全会場共通観覧券として、千円の団扇が用意されている。

 各会場を巡るとすれば大変だ。
 <辰巳屋>や<かばち亭>など、どこにあるかも知らない。
 地図は用意されているのだろうけれど。
 私が行ってみたいなら、草花舎の休業日に車で案内すると、Yさんが言ってくださった。
 が、今はまだ夏の疲れを引きずっていて、積極的に出かけたい気持ちが起こらない。

 「かばち」という語が話題となった。
 「かばちを垂れる」という言い方で使われる「かばち」らしい。

 帰宅後、石見の方言だろうと思いながら、広辞苑を引いてみた。
 「かばち」の②の意味として、<(西日本で)生意気な口をきくこと。理屈ばかり言うこと。「――垂れ」(注、使用例)>と、記されていた。
 西日本の広域で使われる言葉らしい。
 「かばち亭」は、好き勝手に語り合う場として設けられたものなのだろう。

 <しんぶん赤旗>の日曜版(9月2日)には、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012』の記事が出ていた。
 2000年の第1回以来、3年に一度開催されているのだそうだ。
 紹介記事を読んでいて、建物が丸ごとアートになったり、道端や畑に作品が処を得て存在したり…、大変面白そうだと思ったが、老いの身には、やはり点在する作品を巡る鑑賞は無理な気がする。

 (注 「越後妻有」は、「えちごつまり」。<十日町市、津南町>) 

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9月の庭 (夏、まだ去らず)

2012-09-02 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎に出かけた。
 日盛りの道を歩くと、日傘を通して降り注ぐ日差しが、まだ暑い。

 法師蝉の一声を聞く。
 ツクツクホーシの声が、なぜか、この夏は少なく、時雨のように鳴いてくれない。
 
 入り口の鉢に、布袋草(布袋葵ともいうようだ)の花が咲いていた。
 独特の茎や葉は知っていたが、花を見るのは初めてのような気がする。

 凌霄花(ノウゼンカズラ)の花が、窓の上方に咲いていた。
 草花舎の凌霄花は、一般的な朱色ではなく、淡いピンク色をしている。

   

 室内から、咲き続けている、白い百日紅の花を眺める。
 花瓶には、秋の風情を漂わす吾亦紅が活けてあった。

         

 久しぶりにTちゃんにお会いした。
 韓国の旅は、愉しかった様子だ。
 Yさんも、お盆過ぎに韓国へ出かけられ、一週間ばかり、Tちゃんと一緒に滞在されたという。
 
 旅は、いい。
 居場所の異なる非日常は、いつも新鮮である。

 私も体調を整えて、涼しくなったら、旅に出たい。
 今はまだ、体力気力共に整わないけれど…。

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九月のスタート

2012-09-01 | 身辺雑記
 新しい月を迎えて、カレンダーを捲る。
 今年の残り日が、三分の一の薄さとなる。
 
 秋風が、もうすぐ、心地よく吹き始めるだろう。
 今はまだ夏の名残りが強いけれど。
  
 間違いなく、秋は、夜から始まっている。
 草叢にすだく虫の声が増え、肌に感じる夜風が心地よくなってきた。


   
              (今朝の空)
    

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