ぶらぶら人生

心の呟き

ああ、びっくり!

2019-01-31 | 身辺雑記
 朝食膳を配膳車に返し、部屋に向かって歩いているとき、突然声をかけられた。
 「O校長先生のお嬢さんのY・Oさんですか」
 と。
 予め用意されていた台詞のような尋ねられ方だった。(86歳の老女に向かって、お嬢さんはないだろう。が、子供時代の戦中には、そう呼ばれることもあったなと、遠い昔を一瞬思い出す。)

 立ち止まって、お顔を見ると、最近(と言っても、私が気づいたのは1月4日、今年初めて施設に戻ったとき、配膳車に新しい入居者の名前を見て)入居された人であることはわかっていた。
 二度ほど、廊下の中央あたりで偶然お会いし、軽く会釈はした。
 が、互いに自己紹介することもなかった。
 「あの方、認知症らしい」
 と、隣室の方から聞いていた。

 私は、昨年、認知症の方と知らず、普通に話しているつもりで失敗した。新しく入居された方を怒らせてしまった、その嫌な記憶が忘れられない。
 認知症にもいろいろなタイプがあるようだ。
 何気ない会話が、その女性の自尊心を傷つけてしまったらしい。
 以後、私は、新入居者には、状況を熟知するまでは、挨拶以外はしないことにしている。 

 入居者のそれぞれには、互いに知らない過去がある。入居に至るまでの経緯は知る由もない。
 昨年の9月から順次、新しい入居者が増え、廊下のソファに寝そべったり、たわいないおしゃべりをする人声が聞こえることも多くなった。
 のんびりと廊下に佇んで、日本海を眺めることも控えている。
 南廊下へ新聞を読みに行くことも控えている。
 部屋にこもって、ますます寡黙な日々を過ごすようになった。
 幸い、私は群れることが好きではない。特に知らない人とのおしゃべりは好まないし、今更、施設で心を割って話せる友達などできるはずがないと思っている。
 気を遣いながら、他室の人と話すより、本を読んで過ごす方がよほど楽しい。黙々と数独でも解いている方がマシである。
 一人でしたいことを楽しむのが、私の性に合っている。

 が、今朝の語りかけには、全く驚いた。
 いきなり父のこと、その長女である私の名前をフルネームで語られ、???と、目の前の女性の顔を見確かめた。
 全く記憶が蘇らない。
 「私、戦時中に大阪から疎開してきて、K国民学校に転入したんです。旧姓Sです」
 と、自己紹介された。
 「同級生のSさんの妹さんですか?」
 と、尋ねた。
 同級生のSさんの顔は思い出せるけれど、一学年下に、妹さんがおられたことなど、私は全く覚えていない。

 私は、できるだけ避けて暮らそうと考えていた人の告白に驚いた。
 また、その記憶力の確かさにも。

 さらに、
 「妹さんが二人おられましたね、お家の前にに大きな無花果の木があったでしょう」
 とも言われた。みな事実である。
 私が6年生のとき、確かに二人の妹が同じ学校の生徒であった。
 当時の借家には、無花果の大木もあり、柿の木も、柑橘類の木も二種類あった。それはみな確かなことであるけれど……。

 認知症だと聞いていた人の方が、よほど記憶が確かである。
 私は自分に関心のあったことしか記憶していないし、それはかなり偏っているように思う。
 最近は、さっき調べたばかりのことさえ忘れてしまう。

 認知症を自認されていたのは、昨年4月に施設を変わられたYさんのお一人だけであった。
 会話をしていて、?と思う人でも、大体、頭の方は大丈夫とおっしゃる。
 私も、人ごとではない。

 それはともかく、今朝の語りかけには驚いた。
 配膳車の、私の名札を見て、突如、終戦前の記憶が蘇ったのであろうか?

 


 
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青色の美しい日

2019-01-30 | 散歩道
 廊下から、外を眺めると、青色の美しい日である。
 海の色も空の色も。

 散歩に出かけることにした。
 今年初めて、大塚海岸に出てみた。
 海上に浮かぶ高島を眺める。波打ち際には白波が激しく砕け。
         

         

         
               河口と海と空と

               出会いの植物
         
               桜樹の下の水仙

                椿の花二種
         

         

              サボテンの赤い実ほか        
         

         

         

         

         

                 猫もお散歩
         

 まだ一月というのに、気味悪いほどの好天。
 節分荒れなど来なければいいが。
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朝陽と夕陽

2019-01-30 | 身辺雑記
 朝陽が昇る。
 まだ姿は見えないけれど、花火を打ち上げたかのように、線状に赤い光を朝空に伸ばし……。
 毎朝、東の空を眺めるけれど、こんなに直線的に立ち上る朝焼け色の光を見たことはない。
 何かの予兆であるのか、偶然のいたずらなのか、気象学的に説明可能な現象なのか?
 
        
               7時03分の景


        
              5時22分の夕陽
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二本の川

2019-01-29 | 身辺雑記
           今日の高津川(バスを待ちつつ)
        
            海鳥が群れて遊んでいる
 
 午後、妹と会って、一緒にコーヒーを飲んだ。洋菓子屋ヨシヤで…と思ったが、行ってみるとあいにくの休業日。
 結局、コメダ珈琲店へ行く。
 曙橋を渡る途中、足を止め、益田川の茶色に枯れた葦(?)を眺めた。
 河原が緑に覆われるころには、枯れ葦は水中に朽ちて沈むのだろうか? などと語らいつつ。

 今年も、気がつけば緑の葦に変わり、ヨシキリが鳴き始めるだろう。
 ただ今年も、その季節に会えるかどうかは分からない。

 自然は永劫だが、人間はそういうわけにはゆかない。
 帰宅後、『新唐詩選』を読む。
 <杜甫>の詩について、著者吉川幸次郎さんが、<万物はみな推移する><推移する万物のひとつとして、人間の生命も、刻々に推移し、老いに近づいて行く。悲哀の時はそこから生まれる。>という言葉を書いておられた。
 杜甫に限らず、人間みな同じ。

         大阪の妹から、夕方届いた淀川風景
        

 淀川は大河であるだけに、枯れ葦の量も多そうだ。

 
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『小屋を燃す』

2019-01-29 | 身辺雑記
            南木佳士著『小屋を燃す』
           (文芸春秋社・2018年刊)

           

 今月、書店の書棚で見つけて買った本である。
 強烈な南木佳士ファンというわけではないが、芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』以来、本を目にすれば、求めて読んできた。

 医師であり作家でもある。
 今は信州の総合病院を定年退職、と帯に書いてある。
 この小説集には、「畔を歩く」「小屋を造る」「四股を踏む」「小屋を燃す」の4作品が載っている。みな、動詞で終わる題名となっている。連作として、意図的なものであろう。

 私小説的な作風は変わらず、作品には、作者らしい人と同年輩くらいの男性たちとの、日常の交友が描かれている。
 人間はみな、過去を背負って生きている。そして、この世に存在することの中で、誰もみな、血縁者との、老少不定の永訣と無縁には生きられない。
 作者の生い立ちも、順調満帆とはいかず、作品の中に陰影となって描かれる。
 さらに、医師であった作者は、家族との死別だけでなく、他者である多くの人々の死とも向き合わざるを得ず、書作品の背後には、そうした体験から生じる死生観といったものも描かれている。

 本の帯の背に、<南木物語の終章>とあり、頭を疑問符が掠めた。断筆宣言??と思ったのだ。1951年生まれで、それはあるまいと思う。

 南木佳士さんの作品を好む一つの理由には、大方の作品の舞台が信州であることも、大いに関係がありそうだ。この作品も、例外ではない。
 国内をあちこち旅して、信州は私の好みの地であった。

 今回、ふと気づいたことは、読点(、)の打ち方が、私の文体と呼吸にあっていると改めて思った。

 ペンネームの「なぎ」が、音としては、かつての私のペンネームと同音である。
 「南木」ならぬ「名木」で、しようもない小説を書いていたのは、遠い昔のこととなった。
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誕生日のお祝いカード

2019-01-28 | 身辺雑記
 今日、施設の方から、誕生日祝いのカードをいただいた。(写真)
        

 入居以来、3年目の日々となった。
 相変わらず、施設と家を行ったり来たり、ご迷惑をかけることの多い利用者である。
 それでも、施設の方々は、いつも親切に対応してくださる。
 誕生日は家で迎え、今日、施設の職員の皆様から、美しい薔薇の花入りのカードをいただいた。
 ほかほかと心が温まる。
 この老いの日々にも、<心に花のある生き方>を………と希う。

 ※ ブログを無記名で書いているので、お祝いカードの記名欄は、伏せさせていただいた。
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<にちにち食堂>へ

2019-01-27 | 散歩道
 昨日と一変して、穏やかな冬日和となった。
 施設の自室にいても、なんだか心が落ち着かない。
 24時間、自由に過ごせるはずなのだが、他室から話に来られたりすると、むげにお断りもできず……。お互いに短い余生を過ごしているのだからと、考えて。
 ただ、午前中に予定していた読書は、中断せざるを得なかった。

 午後になっても、なんだか心が落ち着かない。そこで、喫茶店に出かけて本を読むことにした。
 決断したのが遅すぎたので、1時前のバスには間に合わず、タクシーで出かけることにした。

 過日、美容院で教えてもらった<にちにち食堂>へ電話してみた。
 店名に<食堂>がついているので、コーヒーとケーキだけでも大丈夫かどうかを確認した。

 民家を改造したお店である点は、<小春日和>と似ていた。

               お店の外観
        

        

        

        
             前庭に咲いていた花
          (キク科系の植物の多いこと!)


        
      今日いただいた「コーヒー」と「ぜいたくブリュレ」

             私の席から見た店内
         

         

         

         

         
       次回訪れるときは、赤いソファに座りたい、と眺めた。
     (この席は、私の座った位置からは見えなかったのだが……。)

 若いお客が多い。老人の一人客は私一人。でも居心地は、決して悪くなかった。
 場の設定が上手に工夫してあって、二人組やグループなど、他のお客が全く気にならず、私は、持参した本を集中して読むことができた。(南木佳士の小説集『小屋を燃す』)
 
(考えてみると、喫茶店とのつきあいは随分長い。20歳のころから、好きなコーヒーを味わいながら、心地よい居場所として、喫茶店を利用し続けてきた。だから老女になっても、臆せず喫茶店に入れるのだろう。)

 帰りももタクシー。
 気分転換ができて、よい時間が過ごせた。
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霰やこんこ

2019-01-26 | 身辺雑記
 自室の窓から見える、荒々しい冬雲の広がる空に、突如青空が現れた。
 今なら大丈夫、雪化粧した遠い山並みを見てこよう! と、4階から下に降りた。

 お天気の回復は束の間で、突然霰が降ってきて、全身打たれた。

   🎶 雪やこんこん  霰やこんこ

 のどかに歌っている状況ではなくなった。
 突如、飛礫打ちに合った感じだ。
 慌てて引き返した。
 暫時の楽しみであった!

 雪の少ない当地では、珍しいことであった。

        

        

        
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<ギャラリーうつわ> その2 花と炭火の温もり

2019-01-26 | <うつわ>便り
 今はまだ、花の少ない季節である。
 それでも、ところを得て、花は置かれ………。

        

        

            

        

        

        

         火鉢のそばでコーヒーをいただく。
        

        

        

        

 かつては冬の日常の中にあった懐かしい炭火。炭の匂い。
 エアコンの暖かさとは異なる郷愁のある温もり。

 それに、火には人の心を和ませる力がある。
 火鉢や炬燵の周囲には、人が集まり団欒した。
 それは、かつての懐かしい文化であったように思える。
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<ギャラリーうつわ> その1 展示会

2019-01-26 | <うつわ>便り
              1月の展示会
          原美都子の手仕事展(春夏秋冬)
        

 春夏秋冬の自然や風物を表現した手仕事展。
 極大表現も難しいけれど、極小表現もまた大変!

 ごく身近に存在するものを手近にある材料で表現している。
 作者は、楽しみながら、夢を紡いでおられるのだろう。
 ときには、幼い日の思い出を反芻しながら。
 私にも真似できそうで、到底真似のできない細やかさ!
 第一、根気が続きそうにない。

 展示室の四方の壁に、「春・夏・秋・冬」に分けて展示してある。
 以下、その作品。

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        
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