朝食膳を配膳車に返し、部屋に向かって歩いているとき、突然声をかけられた。
「O校長先生のお嬢さんのY・Oさんですか」
と。
予め用意されていた台詞のような尋ねられ方だった。(86歳の老女に向かって、お嬢さんはないだろう。が、子供時代の戦中には、そう呼ばれることもあったなと、遠い昔を一瞬思い出す。)
立ち止まって、お顔を見ると、最近(と言っても、私が気づいたのは1月4日、今年初めて施設に戻ったとき、配膳車に新しい入居者の名前を見て)入居された人であることはわかっていた。
二度ほど、廊下の中央あたりで偶然お会いし、軽く会釈はした。
が、互いに自己紹介することもなかった。
「あの方、認知症らしい」
と、隣室の方から聞いていた。
私は、昨年、認知症の方と知らず、普通に話しているつもりで失敗した。新しく入居された方を怒らせてしまった、その嫌な記憶が忘れられない。
認知症にもいろいろなタイプがあるようだ。
何気ない会話が、その女性の自尊心を傷つけてしまったらしい。
以後、私は、新入居者には、状況を熟知するまでは、挨拶以外はしないことにしている。
入居者のそれぞれには、互いに知らない過去がある。入居に至るまでの経緯は知る由もない。
昨年の9月から順次、新しい入居者が増え、廊下のソファに寝そべったり、たわいないおしゃべりをする人声が聞こえることも多くなった。
のんびりと廊下に佇んで、日本海を眺めることも控えている。
南廊下へ新聞を読みに行くことも控えている。
部屋にこもって、ますます寡黙な日々を過ごすようになった。
幸い、私は群れることが好きではない。特に知らない人とのおしゃべりは好まないし、今更、施設で心を割って話せる友達などできるはずがないと思っている。
気を遣いながら、他室の人と話すより、本を読んで過ごす方がよほど楽しい。黙々と数独でも解いている方がマシである。
一人でしたいことを楽しむのが、私の性に合っている。
が、今朝の語りかけには、全く驚いた。
いきなり父のこと、その長女である私の名前をフルネームで語られ、???と、目の前の女性の顔を見確かめた。
全く記憶が蘇らない。
「私、戦時中に大阪から疎開してきて、K国民学校に転入したんです。旧姓Sです」
と、自己紹介された。
「同級生のSさんの妹さんですか?」
と、尋ねた。
同級生のSさんの顔は思い出せるけれど、一学年下に、妹さんがおられたことなど、私は全く覚えていない。
私は、できるだけ避けて暮らそうと考えていた人の告白に驚いた。
また、その記憶力の確かさにも。
さらに、
「妹さんが二人おられましたね、お家の前にに大きな無花果の木があったでしょう」
とも言われた。みな事実である。
私が6年生のとき、確かに二人の妹が同じ学校の生徒であった。
当時の借家には、無花果の大木もあり、柿の木も、柑橘類の木も二種類あった。それはみな確かなことであるけれど……。
認知症だと聞いていた人の方が、よほど記憶が確かである。
私は自分に関心のあったことしか記憶していないし、それはかなり偏っているように思う。
最近は、さっき調べたばかりのことさえ忘れてしまう。
認知症を自認されていたのは、昨年4月に施設を変わられたYさんのお一人だけであった。
会話をしていて、?と思う人でも、大体、頭の方は大丈夫とおっしゃる。
私も、人ごとではない。
それはともかく、今朝の語りかけには驚いた。
配膳車の、私の名札を見て、突如、終戦前の記憶が蘇ったのであろうか?
「O校長先生のお嬢さんのY・Oさんですか」
と。
予め用意されていた台詞のような尋ねられ方だった。(86歳の老女に向かって、お嬢さんはないだろう。が、子供時代の戦中には、そう呼ばれることもあったなと、遠い昔を一瞬思い出す。)
立ち止まって、お顔を見ると、最近(と言っても、私が気づいたのは1月4日、今年初めて施設に戻ったとき、配膳車に新しい入居者の名前を見て)入居された人であることはわかっていた。
二度ほど、廊下の中央あたりで偶然お会いし、軽く会釈はした。
が、互いに自己紹介することもなかった。
「あの方、認知症らしい」
と、隣室の方から聞いていた。
私は、昨年、認知症の方と知らず、普通に話しているつもりで失敗した。新しく入居された方を怒らせてしまった、その嫌な記憶が忘れられない。
認知症にもいろいろなタイプがあるようだ。
何気ない会話が、その女性の自尊心を傷つけてしまったらしい。
以後、私は、新入居者には、状況を熟知するまでは、挨拶以外はしないことにしている。
入居者のそれぞれには、互いに知らない過去がある。入居に至るまでの経緯は知る由もない。
昨年の9月から順次、新しい入居者が増え、廊下のソファに寝そべったり、たわいないおしゃべりをする人声が聞こえることも多くなった。
のんびりと廊下に佇んで、日本海を眺めることも控えている。
南廊下へ新聞を読みに行くことも控えている。
部屋にこもって、ますます寡黙な日々を過ごすようになった。
幸い、私は群れることが好きではない。特に知らない人とのおしゃべりは好まないし、今更、施設で心を割って話せる友達などできるはずがないと思っている。
気を遣いながら、他室の人と話すより、本を読んで過ごす方がよほど楽しい。黙々と数独でも解いている方がマシである。
一人でしたいことを楽しむのが、私の性に合っている。
が、今朝の語りかけには、全く驚いた。
いきなり父のこと、その長女である私の名前をフルネームで語られ、???と、目の前の女性の顔を見確かめた。
全く記憶が蘇らない。
「私、戦時中に大阪から疎開してきて、K国民学校に転入したんです。旧姓Sです」
と、自己紹介された。
「同級生のSさんの妹さんですか?」
と、尋ねた。
同級生のSさんの顔は思い出せるけれど、一学年下に、妹さんがおられたことなど、私は全く覚えていない。
私は、できるだけ避けて暮らそうと考えていた人の告白に驚いた。
また、その記憶力の確かさにも。
さらに、
「妹さんが二人おられましたね、お家の前にに大きな無花果の木があったでしょう」
とも言われた。みな事実である。
私が6年生のとき、確かに二人の妹が同じ学校の生徒であった。
当時の借家には、無花果の大木もあり、柿の木も、柑橘類の木も二種類あった。それはみな確かなことであるけれど……。
認知症だと聞いていた人の方が、よほど記憶が確かである。
私は自分に関心のあったことしか記憶していないし、それはかなり偏っているように思う。
最近は、さっき調べたばかりのことさえ忘れてしまう。
認知症を自認されていたのは、昨年4月に施設を変わられたYさんのお一人だけであった。
会話をしていて、?と思う人でも、大体、頭の方は大丈夫とおっしゃる。
私も、人ごとではない。
それはともかく、今朝の語りかけには驚いた。
配膳車の、私の名札を見て、突如、終戦前の記憶が蘇ったのであろうか?