ぶらぶら人生

心の呟き

『声に出して読みたい日本語 5』

2021-08-31 | 身辺雑記
      斉藤孝 著
    
     『声に出して
      読みたい
      日本語 5』

           心の琴線にふれる言葉



    



 朗読のために持参していた本。
 『声に出して読みたい本』は5巻ある。そのうちの2冊(4と5)を、施設の方へ持参している。朗読を楽しむために。

 生活に変化をつけるために、時に起立して朗読してきた。しかし、最近はその努力を怠っている。立って音読するのは今でも平気だが、入居した当初に比べれば、生活の姿勢がいい加減になり、長らく音読はしていない。

 今は家へ帰れないので、読みたい本を持参できない。この際、施設に置いている読みかけの本を完読しようと、まず手に取ったのが上掲の本である。

 著者の導きで、名著から選り抜かれた<心の琴線にふれる言葉>に接することができた。 
 著者の読書量の多さに感心したり、こころ豊かさに感動したり………。
 テレビ番組で、折にお目にかかる斉藤孝さんは、いつも温顔である。そのお人柄が、この本の作品選びや文章にも反映されている。

 扉に八木重吉の詩「素朴な琴」が引用され、副題の<琴線ふれる言葉>とも関連して、各章は、<弦>で表されている。すなわち、

 第一弦 いのちを奏でる
 第二弦 こころざしを奏でる
 第三弦 かなしみを奏でる
 第四弦 ぬくもりを奏でる
 第五弦 せつなさを奏でる
 第六弦 あこがれを奏でる

 の構成となっている。

 引用された俳句、短歌、詩や小説のなかには、私自身、すでに読んでいるものもかなりあったが、初めて知る作家や作品もあった。著者の解説が加わると、さらに感動が深まる思いであった。各章(弦)、しみじみと味わいながら読了。が、読み終えたからといって、この本は、書棚の奥にしまい込むのはもったいない気がする。
 こころの平穏を欠くことも多い老いの日々、気の向くままに、折々ページをくって、表現の奥に潜むさまざまなことばを読み味わいたい。

 (具体的な内容を紹介したいけれど、ただ今気力が乏しく、また何かの折にふれて書き記すことにしたい。
 




     8月31日の空

  空にも、心なしか秋めく気配が感じられる。

  6時の日の出(ほのぼのとした朝の景)。いたずら書きをしたような。


  



  



  夕方6時の雲。(雲も秋めいて。)

  



  



  落日の時刻が、かなり早くなった。
  夕方6時半、海上の雲の層に沈み始める太陽。海上には、か弱い光の帯。


  


 

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空を眺めて

2021-08-30 | 身辺雑記
 今日の朝日新聞を読んだあと、昨日妹に届けてもらった赤旗日曜版(22日と29日分)を読む。
 その他、今日の読書は、昨日来読み始めた齋藤孝著<『声に出して読みたい日本語 5』 心の琴線に触れる言葉>。
 (感想は明日のブログで)

 散歩に出かけるといいのだが…と思いつつ、決断のつかないまま、自室に籠る。
 そして、日曜版の数独4問を解いたり、クロスワード2問、さらに漢字問題を解いたりして、ひととき頭の体操をして遊ぶ。


 時々、窓外に広がる空を眺めたり、休憩したりしながら。

 朝、カーテンを開け、日暮れてカーテンを閉めるまで、施設で暮らす日々には、身近に空がある。変幻自在に変化し、様々な表情を見せてくれる空。空は無言だが、色彩や表情で、私に語りかけてくれる。空はずいぶん気まぐれだが、私を不機嫌にしたりはしない。人との語らいのように、余分な気を遣うこともなくて済む。いたって都合のいい対象である。


  

  自室より。4時半ころの空。



  

   廊下より。陽は雲の層に沈んで。
   夕べには夕べの表情がある。




  

  7月24日に、漢方薬局でいただいた初雪カズラ。
  上に向かって、葉数が少々増えている。
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8月最後の日曜日

2021-08-29 | 身辺雑記
 6時、目を覚ますと、自室の真正面に朝陽が昇っていた。
 日の出の位置が、ずいぶん南に移動した。前にも書いたが、一番の北寄りは、左に見える平家山の左裾のあたりだった。

 今朝の空の表情は、一日の天気を予測しがたい空模様であった。


  


 妹と甥が、私の家に行って、郵便物など確かめてくれるとのこと、ついでに買い物も頼んだ。
 不在中に荷物が届き、クロネコの配達担当者に迷惑をかけたらしい。配達記録が幾枚も入れてあり、連絡がないので返送する、との書き付けもあった。電話して貰えば、スマホに転送され、連絡がとれたのにと思うけれど、後のまつり。その他大切な郵便物もあったので助かった。

 頼んだ買い物は、卵や果物類、さらに腸の調子を整えたく、ヤクルトやヨーグルト、ビオフェルミンなど。
 おやつに利休饅頭も。

 当分、口福を味わえる。
 食欲が旺盛なわけではないが、気の向くままに、ちょっと口にできると思うだけで、こころが満たされる。

 施設は現在、面会が許されないので、妹と甥には会えず、事務室を通して品物だけを受け取った。
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パルスオキシメーターのこと

2021-08-28 | 身辺雑記
 昨年は家に帰ったまま、コロナのため、3月〜9月いっぱい施設に戻れなかった。
 
 その時、自らの体調を知るために求めたのが、パルスオキシメーター(下の写真)であった。
 Amazonへ注文。日本製を希望したのだが、昨年は商品が品薄になり、届いたのは中国製であった。

 以後は、朝夕、血中酸素飽和度、体温、血圧を測っている。


   



 今日の天声人語に、パルスオキシメーターのことが記されていた。
 (下の写真は、私の書き写したノート)
 

   


 このパルスオキシメーターを発明したのは、日本人・青柳卓雄さんで、昨年4月に84歳で亡くなられた方だという。逝去の折、米紙は長文の訃報を載せたという。日本ではどんな報道がされたのか、私は全く記憶にない。

 <その死を悼んだ米イエール大の名誉教授は、青柳氏を2013年のノーベル医学生理学賞の候補に推薦したとの秘話を明かした。>
 と、この天声人語のコラムニストは書いておられる。

 パルスオキシメーターが出来上がるプロセス(青柳さんの生涯をかけた研究の賜物であること)など全く知らないまま、私は、<血中酸素飽和度が99、あるいは98だから大丈夫!>と、測定値を見て、ただ安堵していたのだが………。

 (私が診察を受けている津田医院では、以前から、血圧測定に合わせて、必ず血中酸素飽和度も測ってくださっている。)

 特に、自宅療養のコロナ患者にとって、パルスオキシメーターは、自分の体調を把握するうえで、このうえなく有用な機器である。しかし、入院できない患者の全てにゆき渡っているのかどうか、手許に機器があっても、数値が下がって受診を希望した際に、必ず入院ができる状態かどうか、心配は拭えない。


 一日も早い収束を願いながら、一方で、最近は、収束は容易なことではなく、かつての日常はそう簡単に戻ってこない可能性が高いとの覚悟を募らせつつある。そうしないと、精神的な平衡が保てないような気になりつつある。
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白色の映える眺め

2021-08-27 | 身辺雑記
 晩夏のよく晴れた一日。
 日差しが明るく、家並みの白壁が明るんで見える。 
 山の端の夏雲も、白く輝いて。


  


 眼下の集落だけでなく、目路遥かの、こじんまりとまとまった集落も、いつもより白く輝いて明るく見える。方向音痴の私には、遠景の集落が何町なのか分からないが、それらも今日は、幸せそうに見える。

 この世に、多数のコロナ感染者の苦しみがあり、日夜治療に当たられる医療従事者のご苦労があることなど、ひととき忘れさせる眺めである。

 が、在宅療養の患者数が10万人を超えたと聞けば心が傷み、不安がいっそう募ってくる。菅総理に見える明るい兆しとは、いったいなんだろう? と、改めてまた考える。感染者でなくても、コロナ禍で、心を病んでいる人々がたくさんいるというのに………。



  



 目を北側に転じると、海の向こうの丘に、レストラン<とみ>も見える。食欲旺盛とはいえないのだが、なにか美味しいものが食べたいな、と卑しいことを考える。子持の落鮎は、まだもう少し先だろうか、と思ってみたり………。


  



 好天に恵まれた今日は、夕景も美しかった。(その三景)


  



  



  
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落日、南よりに移動して

2021-08-27 | 身辺雑記
 昨日の夕陽と、刻一刻変化する夕焼け空。

 廊下の窓辺に佇んで、華やかでありながら、どこか寂しさのある夕景を、しばらく眺めた。

 陽が沈んで、私の一日も終わる。


 



 



 



 


 

 日没の景を見終えて部屋に戻ると、昼間の名残を留めた夕空が広がっていた。
 たなびく雲をかすかな紅色に染めて。

 
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あっちをみたり、こっちをみたり

2021-08-26 | 身辺雑記

 ベランダの塀には、スズメがよくやってくる。一羽で止まっていることは少なく、二羽三羽でやってくることが多い。そして、始終囀りあったり、キョロキョロ見渡したりして、動きが激しい。愛嬌があって愛らしい。そして、なかなか敏捷で、カメラを構えるころには、逃げられてしまう。

 その点、ヒヨドリらしいこの鳥は、悠然と構えている。それでも無意味に止まっているのではなく、頭を左に右に振りながら、始終何かを狙っている様子である。狡猾な感じがして、どうも好きになれない。

 ここ幾年も、私は庭のジューンベリーやマンリョウなどの赤い実を食べられ、眺める楽しみを奪われている。毎年、ヒヨドリが一斉にやってきて、わずかな時間で食べ尽くすのだ。
 どうしても、この鳥が好きになれない。

 椅子に腰掛けて、何を企んでいるのかしらと、その挙動を疑心の目でしばらく眺めていると、意を決したかのように、飛び去った。

 そこにいたものがいなくなると、妙に寂しくなるのだから、おかしなものだ。



     椅子に座ったまま、窓越しに撮った写真。


    


    
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ひとときの安らぎ(津田医院へ)

2021-08-26 | 身辺雑記
 早朝だけに見られる空の表情。似た空はあるけれど、全く同じ空はない。
 雨になるのかもしれないと思いつつ、5時半の空を眺める。
 病院行きを今日にしようか、明日にしようかと、心定まらないままに。


  


 朝食後に、津田医院行きを決める。

 「まっすぐ行って、まつすぐ帰ってきてください」

 と、施設の人から、外出の条件を伝えられる。(誰にも共通した掟である。)
 家まで足を延ばし、読みたい本や数独用の用紙などを持参したい気持ちはあるけれど、余分なことをして、施設に迷惑をかけてはと、我儘を抑えて行動する。
 この我慢我慢が、心の平穏にはあまり良くないようだけれども………。

 待合室で出逢った老女が、初対面の私に、<長生きするんじゃなかった。コロナコロナで、生きている楽しみがない>と、愚痴をこぼされた。
 年恰好が似ている。<何年生まれです?>と、どうでもいいことを尋ねると、<1932年>と、西暦で答えが返った。(私も西暦で出来事を考えることが多いので、思わぬ共通点を感じた。)
 私は1933年の早生まれなので、或いは同級生かもしれない、と内心で思う。

 何も、私たちの年代だけが我慢の日々を送っているわけではないけれど、余生の少なさを考えると、愚痴が出てきやすいのかもしれない。我慢をすることは、戦時下の幼い日々に、十分叩き込まれているにもかかわらず、その我慢が苦痛になりつつある。心晴れぬ日々を送ることは精神的に決してよくないなと分かりつつも、なかなか心をコントロールできないままの日々が過ぎてゆく。このコロナ期に、コロナ以外で自分がダメになりそうだと思う人は、結構同世代には多いのだろう、と思う。

 昨日のテレビで、専門家が、コロナ禍から解放されるのに、あと2年はかかるだろう、と発言されていた。かつてのスペイン風邪も3年かかったと聞く。医学が当時より進歩しているから、もっと短期に解決できるというものでもないのであろう。
 老人には、よほど元気で長生きしなければ、<あの時は大変だったね>と懐古する時間は許されない。そんなことを考え、塞いだ気分になるのは、いよいよまずいのだが………。
 禁止事項を自ら緩めることもできず、多くの人が心楽しめぬ日々を送っているのだろう。
 2度のワクチンを打ったからといって、生活にほのかな灯りが点るわけでもなく、相変わらず、窮屈千万な日々である。

 体の不調はいろいろあるけれど、大抵は老人病と心得て、今日も血圧を測ってもらって、薬をもらってそれでおしまい。
 しかし、先生も看護師さんも優しいので、ほっとしたひとときを過ごせたのが、今日一番の喜びであったかもしれない。外に出られたこととも。


 水槽の中には、熱帯魚のクラウンローチ(? Google lensは、そう教えてくれた)が一匹、右往左往動きまわっていた。
 ひとりぽっちで寂しくないものだろうか? と眺める。

 

  


 もう一つの水槽には、多数の小さな熱帯魚(こちらの名前は調べがつかなかった)が、これまた忙しく泳ぎまわっていた。
 ただ習性のままに遊泳しているのだろうか? 苦がなさそうに見えるが、楽しんでいるのかどうかはわからない。眺める側は、勝手に楽しんで眺めているけれど。


  




 帰りのタクシーを待ちながら、寺院下の樹木を眺める。

 Google lensをあててみたら、コノテガシワと出たが、正しいかどうか?
 黄白色のものは、花なのか実なのか、あまり近寄れない位置にあって、触ってみることもできなかった。


 [追記 9月8日 <花なのか実なのか>と記した記事に対し、Remさんから実のようだと、教えていただきました。
 来春、コノテガシワの花にもあえたらいいな、と思っています。>


   



   下の白い花は、キョウチクトウであろう。


   



 足元には、タマスダレらしい花も咲いていた。私不在の裏庭にも、もっと花弁の美しいタマスダレが、そろそろ咲いているのかもしれないと思いつつ、眺める。


  



  
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雨の止み間に

2021-08-25 | 散歩道
 天候が不安定である。
 午前中のひととき、施設の近くを歩く。
 無理をせず、ゆっくりゆっくり2000歩散歩。

 

 シナダレスズメガヤ(Google lensによると…)のそよぐ風景。
 川風に全身をなびかせる姿に風情がある。




   

   至るところに、セイダカアワダチソウが繁茂している。



  

  エノコログサ
  懐かしい野草。



  

   ヤブガラシ(?)



  

   ツユクサ

         ↓

  



   

        マツヨイグサ

        ↓

   




  

   ハツユキソウ(? Google lensで検索)



  

   小型ヒマワリ
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明け初める空と今日の月

2021-08-21 | 身辺雑記
  早朝の空(5時25分〜5時37分)・自室より

   12分間の天空のドラマ。

   (朝陽は姿を見せず、落日も雲の中であった。)


  



  



  




  19時25分の月・自室より


  




  
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