ぶらぶら人生

心の呟き

3月去る

2019-03-31 | 身辺雑記
 3月最後の日となった。
 またまたひと月が、バタバタと過ぎていった。

 今日は、妹と姪とAYAちゃん、3人の訪問を受けた。
 姪の熊本土産「苺大福」を4人でいただき、語らいのひと時を過ごした。
 
 見事な苺がお餅の外にのぞいていて、見た目にも目新しいだけでなく、漉し餡との調和もよく、とても美味しかった。
 残念ながら、写真を撮らずにいただいてしまった。

 (思い出してみると、「苺大福」がお菓子屋にお目見えしたのは、やがて終わろうとする平成の初めごろではなかっただろうか?)

 妹持参の「冬知らず」(カレンデュラ・ヒメキンセンカ)を花壇に植えてもらった。
 寒さに強く、よく増えるらしい。
 花壇の草取りまでしてもらった。

        

 今、花壇に咲いている花。

         

        

        
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京都の旅 余録

2019-03-31 | 旅日記
 3月28日
 時間はたっぷりあるのに、歩き回るのはやめて、ゆったり過ごす。
 午後、帰途につく。


 ※ 人・本との出会い。
 宿泊したホテルでは、朝夕の新聞が日毎に変わった。
 朝日新聞・京都新聞・読売新聞の順に。
 3月26日、京都新聞(夕刊)<現代のことば>欄に、鎌田浩毅さんの文章「バッファー法」が載っていて、これは大いに参考になる生き方論だと感心した。文章も冴えている。
 簡単に言えば、生活の中に、「遊び」の空間や時間を持つこと。

 老いてなお、私は、なんだかせかせかと生きているような気がする。
 いいことを教えてもらった。

 作者の本を読んでみたくなり、早速、とりあえず二冊の本を注文し、30日に受け取った。 

        


 ※ 食との出会い。
 京料理は美味しい。
 食欲は落ちているけれど、京都でしか食べられない料理は、できるだけいただこうと考えていた。
 細やかな味わいを楽しんだ。
 平素は高価過ぎると諦めているご馳走をいただいたり……。
 その背景には、旅に出かけられる日も、そう長くはないという思いがある。
 日頃の食と比べれば、想像できないほど美味しいものを量多くいただいた。

 さぞ、体重が増えただろうと思いながら、帰宅後、体重計に上がると、旅の前より軽くなっていた。
 平素は歩かない距離を歩いたせいであろうか?
 とにかく食する楽しみを久々に味わえる旅であった。
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京都の旅 円山公園

2019-03-31 | 旅日記
(写真で綴る旅日記)
 3月27日  午後
 円山公園

 平安神宮を後にし、今まで幾度か訪れた喫茶店に立ち寄った。
 一風変わったソーメンとコーヒーをいただいて休憩。

 その後、円山公園に向かって歩く。
 知恩院の前を歩いて……。

 円山公園には、桜の満開を待たずに、たくさんの屋台が並び、観光客も多く集まり、お祭りの雰囲気に満ちていた。
 この一角だけは、いつの年も、特別な雰囲気を醸している。今年も例外ではなかった。

 私の目的は、この公園に、象徴のように佇む桜(古木)を見上げることであった。

         

         

 半世紀以上眺めてきた桜は、随分老いた。
 私も老いた。それでも、今年も旅人として、桜の梢を見上げる。
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京都の旅 平安神宮

2019-03-31 | 旅日記
 (写真で綴る旅日記)
 3月27日  午前
 平安神宮

        

        

        

 庭園には、古くから日本の風土で育ってきた植物が大切に育てられている。
 名前が記され、古典に表現されている例文まで添えてある。
 「シキミ」という木の花に会う。
 今まで幾度か見た桜の美しさには出会えなかったが、桜に目を奪われなかった分、別の楽しみを得ることができた。
        

        

        

        

        

        

        

        
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京都の旅 京都府立植物園

2019-03-31 | 旅日記
(写真で綴る旅日記)
 3月26日 午後
 京都府立植物園

 人間には美醜を否めない。が、花々はそれぞれに美しい。
 園内の喫茶室でコーヒーを飲みつつ休憩。
 広い遊び場もあり、子供たちの嬉々として戯れ遊ぶ姿もあった。
 春休み中で、親子連れも多い。

        

        

          

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

        

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京都の旅 嵐山周辺

2019-03-30 | 旅日記
 (写真で綴る旅日記)
 3月26日 午前
 しばらくぶりに、嵐電に乗り嵐山を訪れる。

 どこを訪れても、京都は観光客でいっぱいだ。
 特に嵐山周辺は、いつも人で溢れかえっている。
 諸外国からの観光客の多さも、いつもと変わらない。

 レストランの2階で、ひととき休憩。
 河原で憩う人々や渡月橋を渡る人の行列を眺めたり、巣作りのため庇にやってくる数羽の、慌ただしげな燕の行動を眺めたり……。
 (今年の燕に初めて会う。巣作りの材料を運んでは、庇に戻ってくる様子であった。)


        

        
                渡月橋周辺

 天龍寺の参道を逍遥。
 花時には少し早く、嵐山にも、天龍寺周辺にも、ピンク色の華やぎは見られなかった。
 ぽつんと咲く花を眺めて散歩を楽しむ。

        

        

        
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京都の旅 妙蓮寺

2019-03-30 | 旅日記
 (写真で綴る旅日記)
 3月25日 午後
 妙蓮寺の前庭

        
               妙蓮寺

        

        
               由緒ある桜
               (御会式桜)

           
                白木蓮

           
                紫木蓮

         

         
                 山茱萸

         

         
                  雪柳

         

           

              
 数日後には、庭園のあちこちにある桜の古木が満開になり、さらに華やぐ庭となるのであろう。
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「寂しい片耳」

2019-03-29 | 身辺雑記
 今朝は6時に目覚め、今日の新聞をまず読み、不在中に届いた新聞を順次遡って読んだ。常の慣わしで、ベッドに横たわったまま。
 3月26日の文化欄に、澤田瞳子さんのエッセイ「寂しい片耳」(カバンの隅には)が、掲載されていた。

 <久しぶりに少し、落ち込んでいる。お気に入りのピアスを片方、落としてしまったからだ。>
 という書き出しである。

 ああ、そうなの!?
 と、驚いた。
 ピアスは耳の穴に通すので、落ちないものと思い込んでいた。
 
 私は性懲りもなく、イヤリングの片方を落とす。
 「ピアスにしたら?」と、よく言われる。が、耳朶に穴を開けるのは怖い。
 数は減る一方だが、老い先が見えているので、新たにネックレスやイヤリングを求める気は起こらない。
 手元にあるもので、楽しむつもりでいる。
 
 今回も、旅の初日(25日)に、左耳からイヤリングが消えた。
 ネックレスとの揃いなので少々残念だが、仕方ないことと諦めは早い。かといって、一方をすぐ捨てる気にもならず、バッグのポケットに入れて持ち帰った。(下の写真・ネックレスと片割れのイヤリング)

        

 落ちたのが分かっていても、拾えなかったことが一度ある。
 15年以上も昔のこと、上野の西洋美術館であったか東京都美術館であったか、場所も美術展名も定かに思い出せないけれど、立錐の余地なしの混み具合で、身をかがめることもできなかったのを覚えている。
 
 片割れは沢山ある。
 真珠のイヤリングも落とした。やはりネックレスと揃いなので残念だったが、片割れグループ(下の写真)には入っていない。別の場所に収めているのかどうか? (思い出にあるイヤリングで、この写真の中にないものは、他にもいくつかある。)

        

 ピアスが落ちるのなら、イヤリングがふとした弾みに姿を消すのは、全く不思議ではない。
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旅に出る

2019-03-25 | 旅日記
 ホームに立って、特急<スーパーおき1号>を待つ。
 2番・3番ホームには、山陰本線の上り下りの車輌が止まっている。
 1輌だけの寂しい姿で。
 ふと、遠い昔を思い出した。
 12歳の春から、中高の6年間、当時の言葉で言えば、汽車通学をした。
 隣市まで、朝夕、片道1時間かけての通学であった。
 旅好きの原点は、10代の通学方法と無関係ではないのかもしれない……と思いつつ、遠い日を思い出していると、特急がホームへ近づいてきた。

          

              

         
            新大阪行きの<さくら号>車中にて
            早速、コーヒーと[生もみじ饅頭]

 家や施設を離れ、しばらく自由を楽しむことにする。

 今日の朝日新聞で、吉沢久子さんの訃報に接した。101歳の由。
 ご長寿でありながら、とてもお元気そうであったが、命には限りがあるという当たり前のことをしみじみ考えさせられた。
 書店の書棚には、老いてなおふくよかな写真の添えられた本が、年を追って出版され、並べられていた。私も数冊の本を求めて読んだ。また、赤旗の日曜版には、月々にエッセイが載っており、楽しみに読んでいた。
 不平のかけらもなく、おおらかに生きていらっしゃる様子から、日々不安定な精神状態で老いを生きる私に、心の持ちようを語りかけてくださっているように感じたものだ。
 そう言えば、今年に入ってからは、そのエッセイを見かけないような気がする。
 画家の堀文子さんに次ぐ訃報。いよいよ寂しくなってゆく。
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平成最後の大掃除

2019-03-24 | 身辺雑記
 私としては、珍しく徹底的な掃除をした。(室内だけ)
 洋間のエアコンを取り替えたのは19日。
 取り付け工事のため、洋間から座敷にかけてかなり汚れたので、掃除しなくてはと、掃除機をその場に運んだまま、日を重ねてしまった。
 今日は億劫、今日も気がすすまい、などと言い訳しながら、老体は労働?を怠ってしまう。

 それでも昨日は、83歳の折、身辺整理をして以来、2年間に溜まった書簡類や衣類などを整理し、不要物は処分した。

 今日こそは掃除! と意を決して働いた。
 床張りの廊下や広縁、書斎やキッチンなどは丁寧な拭き掃除もして。
 昨年末にも、今日のような大掃除はしていない。

 <平成最後の大掃除>と勝手に名づけて。

 拭き掃除をすると、こんなに心地よくなるものか、心も洗われた感じだ。
 しかし、私にとってはかなりの労働であった。(明日は体のどこかが文句を言いそうである。)



        
               芍薬の芽生え
         
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