ぶらぶら人生

心の呟き

11月29日(木)の新聞より

2007-11-29 | 身辺雑記
 今日の記事は、守屋氏に関するものが大きなスペースを占めている。それだけ重要な出来事ということであろう。

 ※ 1面 守屋次官を逮捕(写真入)
         ゴルフ接待収賄容疑
            東京地検 妻も共犯の疑い(写真入)
    防衛利権 政界も視野
    天声人語

   2面 装備品 断てぬ癒着
         10年間で事件5回
           幹部に商社の触手
      次は政治家?永田町恐々
      丸抱え、立憲の決め手に

   3面 守屋流 豪腕のツケ
        防衛省昇格 ■ 有事法制 ■ 米軍再編
        人脈を駆使、悲願に執念
           連携不足、反対者は排除
        ミスターと異端児
           名物次官・西広氏とも衝突したした守屋容疑者
       社説 前次官逮捕 防衛汚職の底知れぬ闇

   4面 「宴席」解明 民主痛手
          守屋次官逮捕
         民主 額賀氏単独でも喚問
         自民 「質問の辻氏招致を」
        防衛相「私が任命」謝罪
   34面 守屋前次官一問一答
           すし店で「宮崎さんが可哀想、何とかできないか」
 
   35面 接待漬け大物失墜
         大蔵官僚と懇意、転機に
              カネ加信か感覚マヒか
       防衛権  事務次官の背信①
       「身分なき共犯」妻の逮捕 数件
       妻・次女口座へ300万円 山田洋行
                       元専務側

 見出しだけ読んでいても、おおよそ事件内容を理解できるほどの報道だ。
 守屋氏の座右の銘(離任式で披露)は、「一人を以て国興り、一人を以て国亡ぶ」だそうだ。今、どんな思いやら?

 ※ 「かたえくぼ」
    『灯油高値』
     ♪寒さこらえて病んでます   ――高齢者(北九州・穂露里)

    うまい! 同感!!


 (添付の写真 道野辺の植物。茎が紫、花の花弁らしきものが緑。名前は不明。)

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虹と美少女

2007-11-28 | 身辺雑記
 今朝はひと時、雨が降った。
 長くは降り続かず、間もなく降り止んだ。しかし、散歩は中止し、朝の雑用をした。洗濯物を竿に干したり、鉢に水遣りをしたり。
 ほどなくして、何気なく眺めた西の空に、虹が立っているのに気づいた。
 心が急に晴れやかになり、カメラを持って外に出た。が、虹の全体像をカメラに収めるのは大変難しく、いい場所を探しながら、次第に家から遠ざかった。
 海辺の方角に歩いてゆくと、完全な半円形の虹を眺めることができた。電線など、障害物のないところを選んで、カメラに収めた。(写真)

 虹の右足の近くに、カメラでは捕らえられないほどの、うっすらとした虹が、もう一つ見えた。
 こんな現象を見るのは初めてなので、ただ単に幻影を見ているのかと思った。あまり虹をみつめすぎたため、視覚に異常が生じたのかとも思った。
 辞書を調べたところ、主虹の外側に副虹の見えることがある、と記してあった。
 幻影でも視覚異常でもなかったようだ。だが、副虹が、あまりにも不鮮明だったのが残念である。

 家近くまで引き返したとき、ひとりで登校中の、中学校の女生徒から、気持ちのいい挨拶をもらった。言葉に添えた笑顔も明るく、とても感じのいい美少女だった。
 その見知らぬ女の子に、私も挨拶を返し、
 「虹、見ましたか」
 と、語りかけた。
 女生徒は、「はい」と答え、虹に劣らぬきれいな笑みを浮かべた。
 「まだあそこに」
 と指さすと、女生徒は、ふり向いて虹を眺めた。
 二人の視線の先には、色を薄めながらも、まだ虹ははっきりと空にあった。

 快い朝であった。
 虹が消えると、青い空が広がり、快晴の小春日和となった。
 私は、久しぶりに身も軽やかに、家中の掃除をした。
コメント (2)
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11月28日(水)の新聞より

2007-11-28 | 身辺雑記
 今日の一面記事
 ※ 祖母の義弟 逮捕
    3人殺害を供述 「遺体、山に捨てた」 香川県警

 ※ 額賀・守屋両氏喚問へ
    参院で議決  現職閣僚は異例

   額賀氏を巡る宴席問題 (キーワード)
 <守屋武昌・前防衛事務次官が15日の参院外交防衛委員会での証人喚問で、軍需専門商社「山田洋行」元専務で業務上横領容疑で逮捕された宮崎元伸容疑者、元米国防総省日本部長のジェームズ・アワー氏、守屋氏の3人が集まった都内の宴席に額賀財務相が出席した、と証言。その後、民主党は宴席について、06年12月4日に東京・人形街の料亭「濱田屋」でおこなわれたと指摘。一方、額賀氏は当日の詳細の日程を明らかにするなど、宴席での3人との同席を強く否定している。>

 ※ 守屋次官強制捜査へ
     東京地検、週内にも
       収賄容疑 認める意向

 祖母と孫の二人が行方不明になった事件は、犯人逮捕により、解決の見通しが出てきた。それにしても、世間を震撼させる事件の何と多いことか。
 政治面では、守屋氏、額田氏のことで、騒々しい。一体、何が真実なのか。

 (添付写真 家の傍から撮った最初の虹。)

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歯科医院前の厚物咲

2007-11-27 | 身辺雑記

 花弁が幾枚あるというのだろう?!
 見事に咲いた厚物咲。(写真)
 今日、検診に出かけた歯科医院の庭に、たくさんの鉢が置いてあった。栽培者の名前が付してあり、医院とどういう係わりがあるのかは分からないが、検診を終えてからゆっくり鑑賞した。

 菊は、四君子の一つ。確かに高潔な美しさがある。
 厚物咲は、見方によっては、あまりにも作り物めいた不自然さがある。が、人の手が創りあげた芸術品といえなくもない。

 私は一度だけ、職場で菊作りをしたことがある。(?)
 菊作りの上手な同僚がいて、数人で仕事の暇に、一緒に栽培しようということになったのだ。
 私用と称して、菊の苗を植えた鉢をもらった。が、私は決して熱心な栽培者ではなかった。といいうより、自分の仕事が忙しくて、菊を育てる余力(気分的にも)がなかったのだ。
 それでも、私の鉢の菊は、仲間の菊に見劣りせず、立派に花をつけた。
 「誰かさんは、何にもしないで花を咲かせたね」
 と、花作りの上手な同僚に言われた。別に皮肉ではない。勝手に咲いたのではなく、私に代わって、ねんごろに育ててあげたんだよ、という意味であった。私自身、水遣り一つしなかったので、それはよく分かっていた。
 もう二十年以上前の出来事を思い出し、目の前の菊に、遠い日、職場で咲かせた菊を重ねた。白い菊であった。
 菊作りを教え、私の分まで育ててくれた同僚は、演歌の好きな好人物だった。菊の季節には思い出す人だが、その後の消息を知らない。私の人生に、一つの点のように存在する人だ。

 考えてみると、菊の花を育てるゆとりさえない、あの多忙さ、気持ちのゆとりのなさは、どこか狂っていたような気がする。
 現在も、それぞれの職場で、夜遅くまで業務をしている人たちは多い。
 これも、どこか狂っているとしか思えない。
 <忙中の閑>が、なさ過ぎる。
 何か意義のある成果をなすには、もっとゆとりが必要な気がするのだが……。


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11月27日(火)の新聞より

2007-11-27 | 身辺雑記

 今日は、あまり関心のある記事がなかった。強いてあげれば、

 ※ 75歳以上の新医療制度 保険料地域差2倍
 の見出しのもとに、75歳以上のお年寄りを対象に来年4月から始まる後期高齢者医療制度について、制度そのものと地域差の問題点が指摘されていた。
 私も間もなく、新制度適応に該当する年齢だが、具体的に支払う保険料がどうなるのかよく分からない。
  後期高齢者医療制度(キーワード)
  <従来の老人保険制度では、国民健康保険に加入する高齢者について保険組合などの拠出金や税金で支援しており、「給付と負担の関係が不明確」との批判を受けていた。新制度では負担の分担割合をはっきりさせ自治体の医療費抑制の努力を保険料に反映させる。保険料は定額の均等割と収入に応じた所得割をあわせたもので、個人単位で年金から天引き。上限は年50万円で、低所得者には均等割分を軽減する。>
 というもののようだ。

 ※ 社説 暴力団抗争 こんな無法を許すな 
 <暴力団同士の抗争を泥沼化させないためにも、各県警は銃の摘発に力を入れるべきであり、いつまでも暴力団の無法を許してはならない。今こそ、県警の力量が問われている。>
 といった論旨の社説である。
 社説を読んで知りえた範囲でも、暴力団には、道仁会、誠道会、山口組とかの系列があるらしい。最近の抗争は道仁会と誠道会とのもので、山口組は関与していないという。全国には、もっと多数の組織があるのだろうか。
 そうした組織が生れる土壌はなんだったのだろうか。その歴史や現状についても、無知に近い。
 私は、単純に<性善説>を信じているので、憎しみあわなくてはいられない人間関係というのが納得できないし、許しがたい。
 関係者同士の殺し合いもだが、銃殺が、一般市民に及ぶにいたっては、社説の論説員が説くとおり、警察の力にすがるしかないのだろう。

 (今日は、かかりつけの椋歯科医院へ歯の定期検査に出かけた。その前庭で、今秋、菊らしい菊を初めて見た。丹精こめて作られた幾種類もの菊の鉢が置かれていた。添付の写真はその一種。<向横田・石川さんの菊>、と記してあった。)


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水瓶座 & B型 (写真・イタドリの黄葉)

2007-11-26 | 身辺雑記

 昨日は、Tさんに朝と夕と、わが家の玄関先で、二度お会いすることになった。
 朝、カリンその他の果物を届けていただいたことは、昨日のブログに書いた。
 Tさんはその折、貸していた堀文子の二冊の本も返してくださったのだ。

 そして昨夕、Tさんから電話があった。
 <今朝持参した本が間違っていたので、今から取替えに行く>と。
 Tさんも、堀文子の画文集を持っておられ、以前、お借りした。その本が間違って私の方に来て、私の一冊がTさん宅に残っていたらしい。私は書籍を確かめもせず、袋に入れたままだった。
 
 間もなく来訪のTさんと、黄昏の玄関先で、立ち話をした。
 その時、Tさんは、私の健康を気遣ってくださった。というのも、朝、玄関でお会いしたとき、私の顔が、Tさんの目には、いたって不健康に見えたらしい。
 きっと、私の心の不安定さが、そのまま顔に出ていたのだろう。
 「体は悪くない、ただ心の病なの」
 と答えた。
 前日来、妙に心にわだかまるものがあって、昨日は気持ちが晴れなかったのだ。その心情をTさんに伝えた。

 Tさんは、そういうこともあるだろうと納得の後、いきなり、私に尋ねられた。
 「水瓶座ですか」と。
 そうだと答える。
 「A型?」
 「B型なの」
 「あら、私と同じ。私も水瓶座でB型」
 と言った後、
 「自分で言うのも変ですが、B型は神経が繊細なんですよね」
 と付け加えられた。
 私の心の病も、神経の繊細さから来ているという意味を含めての言葉だったに違いない。が、それ以上は、水瓶座にも血液型にもふれず、またTさんの意見を肯定も否定もせず、互いに笑いにごまかした。
 二人とも、真からそれを問題にしているわけではなかったので。

 Tさんと私とでは10歳の年の開きがあり、社会的に今なお活躍中のTさんに対し、私は外向性に乏しく、家にこもりがちである。体型的にもかなり違っている。Tさんは背が高く、私は小柄である。雰囲気をTさんと比べれば、10年の差は歴然たるものである。
 ところが、私は、この三年の間に、なぜか二度も、Tさんと間違えられた。
 不思議なことである。まさか水瓶座とB型の共通性が原因でもあるまい。
 一度は、中華のお店で、食事が運ばれるのを待ちながら、本を読んでいたら、
 「Tさんですか」
 と、店の奥から出てきた店主に尋ねられた。
 もう一度は、近くにある中学校の校門前で、
 「先日はお世話になりました」
 と、校長らしい人に声をかけられ、私が不審げな顔をしたので、はたと気づかれ、
 「失礼しました。Tさんと間違えまして…」
 と、言われたのだ。
 共通項を探すのが難しいほど違っているのに、人違いされたのは、どうしてか、いまだに分からない。
 逆に、Tさんが私と間違えられることは、まずないと思われる。

 血液型については、もう一つ想い出がある。
 昔、20人足らずの職場で働いていたとき、男性の仲間が、突然、
 「やっと分かった。どうもこの職場は自己主張がひどいと思ったら、全員B型だ!」と、大声で言ったのだ。誰も、その発言を本気で問題にはしなかった。みんなで笑って、それでおしまいだったのだが、確率として、全員同じ血液型というのは、確かに珍しいことだろう。

 B型の特色を私はよく知らない。何か共通性があるのかどうか?
 私に言えることは、かなりわがままで、わが道を行くタイプ。しかし、人には優しい方だと思うが、<そうかしら?>と、頭を傾げる人も無きにしも非ずだろうか? 気が弱く、敵対心は全くなし。競うことが嫌いで、進取の気に乏しいなど、マイナス要素を挙げればきりがない。

 今考えてみるのに、Tさんの目に、私の顔が病的に見えたのは、実は、朝日をまともに受けて立ち、老醜を隠し切れなかったのが大きな原因だったと思われる。Tさんの目が捉えた姿こそ、残念ながら、きっと私の実像だったに違いない。
 今日は、晴れやかな気分だが、やはり顔は、昨日同様、正直に私の年齢を物語っているだろう。
 
 来訪のTさんから、<山と渓谷社>出版の、来年のカレンダーをいただいた。書き込みメモの可能な立派なカレンダーである。花の写真がたくさん載っているので、昨夜は早速、季節の様々な花を眺めて楽しんだ。
 来年も、元気で生きねばならぬ! と思っている。

 (添付の写真は、今朝、道野辺で撮ったイタドリ。葉も花も、枯れ色になっていた。)


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11月26日(月)の新聞より

2007-11-26 | 身辺雑記
 ※ 短歌欄より

  晩年は今かもしれず落葉降る道に色なき風浴びて佇つ
            (吹田市) 谷村 修三  <永田和宏 選>

 しばしば私の心をよぎる思いが、そのまま表現されている歌だ。「晩年は今かもしれず」の思いは、特に老境にある者には強いはずである。人によって感じ方には個人差があるだろうけれど。
 老少不定が世の定めであることを思うとき、若い人は若いなりに、その人にとっての晩年が、気づかぬままに目の前にあるのかもしれない。ただ、老境の人に比べて切実感がないことは確かだ。
 選者の評にあるとおり、「<晩年>は本人にはもとよりわからないもの」である。
 私にとっても、晩年が今かもしれないし、生きながらえて20年先のことになるのかもしれない。これだけは分からない。ただ晩年が遠くないとの思いは、何かにつけてよぎる感情である。ということは、寂寥とともに生きているということでもある。したがって、この歌を詠んだ人の気持ちが実によく分かる。

 私など、朝の散歩をしながら、ふと、明日もこの道を歩いている私があるのだろうかと考えていることがある。今朝も、春先、桜桃を沢山つけていた桜の木の下に佇み、まだ黄葉の多数残る梢を見上げ、溝や路面の落葉にも目を落としながら、秋の景を寂しく眺めた。(写真)

 ※ 「歴史は生きている」 東アジアの150年 第6章 日中戦争 上
    読み応えのある2ページだった。
    日本・中国・韓国・台湾の「日中戦争」に対する教科書の既述の分量や特
色の対比など、詳述された記事。

 ※ 月曜コラム
   「時の肖像」 高橋郁男 (論説顧問)
    「接続狂の時代」 つながり薄れつながりにはまる

 ケータイやインターネットという電子の糸でつながれた現代を考察した論説。
 チャップリンの「黄金狂」「殺人狂」にならえば、今は「接続狂の時代」かも知れないという。この文章の最終段落は、
 <晩秋。都会にあっても、木々の葉は精いっぱい色づき、大地への舞を見せている。人恋しい季節だ。
 秋深き隣は何をする人ぞ
 時を超えた、この芭蕉の味は味として、今は、隣が何をする人かも分からないままに隣り合って暮らしている。何をする人かは知らなくとも、ケータイ・パソコンする人ぞ、と言えば、外れることは少ないのだろう。うそ寒さと、こっけい味が、ないまぜになった時代だ。>
 と、結ばれている。
 まさにそうだと思う。
 考えてみると私なども、ケータイ・パソコンにかなり汚染されて暮らしている。しかし、それは老境人の慰みでもある。

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11月25日(日)の新聞メモ

2007-11-25 | 身辺雑記
 ※ 天声人語より (渡り鳥の話)
 <▼秋の空に飛来する雁は、古くから、懐かしい人の消息をもたらす使いだとされてきた。手紙のことを「雁書」がんしょ)と呼ぶのは、それゆえだ。…略…>

 そういえば、「雁書」という言葉があったなと思いつつ読んだ。
 「雁書」を辞書で引くと、<手紙。書簡。>の後に、⇒「かりのつかい」とある。
 それには故事があり、
 <[漢書(蘇武伝)](前漢の蘇武が匈奴に使者として行き久しく囚われた時、蘇武を帰国させるために、「蘇武からの手紙が天使の射止めた雁の脚に結ばれていた」と使者に言わせて交渉したという故事から)消息をもたらす使いの雁。転じて、おとずれ。たより。手紙。消息。雁書。万葉集(8)「九月(ながつき)のその初雁の使いにも思ふ心は聞こえ来ぬかも」>
 と、故事の説明と意味が記してあった。
 私にも、いずこからか、心優しい雁書は届かぬものか。

 ※ 教育欄
 「イエナプラン教育」キーワード)
 <1920年代にドイツの教育学者、ペーター・ペーターセン(故人)が提唱したのが始まり。50~60年代にオランダに紹介され、普及した。一人ひとりの子どもの発達に主眼を置いた自立学習が特徴で、3学年の異なる年齢でつくる「ファミリーグループ」が学校活動の基本単位となる。現在、オランダで220以上の小学校が導入している。>
 日本でも、「イエナプラン」を紹介するシンポジウム(朝日新聞社など後援)が今月、京都と東京で開かれたのだそうだ。
 京都教育大学の村上忠幸教授は、「なぜ」を引き出す考え方に生かせるという観点から、この学習法の意義を説いている。
 効果があるとしても、長年培われてきた学習方法からの転換は、容易なことではないような気もするが……。

 ※ 文化欄より
   「2作家が<言葉>みつめる時評集」由里幸子)
 <言葉が軽くなっている。老舗の保証が保証にならず、「防衛」に関わる人たちのわきの甘さにびっくりする、そんな日々が続く中で、作家の時評集、池澤夏樹さんの『虹の彼方に』(講談社)高村薫さんの『作家的時評集』(朝日文庫)を読むと、とりあげられた時事的テーマとは別に言葉に何が起こってきたかを考えさせられた。…略…>
 筆者は、両著の文章を引用しながら、今の社会と言葉の問題を問うている。
 二書とも読んでみたいと思う本。

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いただき物の果物 (カリン、柚子、柿)

2007-11-25 | 身辺雑記
 けさ、Tさんが果物を届けてくださった。
 カリンと柚子と柿と。(写真)
 秋が、卓上を飾ってくれている。

 カリンを手に取って眺めるのは初めてである。
 木になったのを見るのより、思いのほか大きく、ずっしりと持ち応えがあった。
 驚いたのは香りのよさ。甘やかな匂いは、見た感じの無骨さにそぐわない。
 暫く眺めて楽しみ、焼酎に漬けてみることにしよう。まだ包丁を入れた経験がなく、うまく刃が立つのだろうかと心配だが……。
 柚子は、早速、柚子味噌にしていただくことにしよう。今、大根がとても美味しく、風呂吹きにして、柚子味噌でいただこう。
 ちょっと今日は、ご機嫌斜めの日であるが、美味しいものを食べたら、気分が一新できるかもしれない。
 柿は私の大好物。

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<水仙の里>への径で 4 (トベラの実)

2007-11-25 | 散歩道
 山蔭に、トベラの実が口をあけていた。
 中から、赤いつぶつぶがのぞいている。(写真 失敗作)

 土田の浜には、トベラの木が多い。
 昨年の今頃であっただろうか。トベラの殻の裂けた姿に初めて出会ったときには、あまりの美しさに驚いた。殻の中には、艶やかな赤い粒々の実が、身を寄せ合って輝いていたのだ。
 今年、土田の浜では、まだ実が弾けない。

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