ぶらぶら人生

心の呟き

8月の庭 (俄か雨に濡れて)

2010-08-30 | 草花舎の四季
 雨は昼過ぎから、激しく降ったり止んだりを繰り返した。
 草花舎へ出かける予定の時間も、雨が狂わせてしまった。
 2時前になり、雨の止み間を見て出かけた。
 雨傘にすべきか日傘にすべきかを迷った挙句、日傘を持って。

 途中、スーザンさんに会った。
 <ミニミニスーパー>から出てこられたのだった。
 
 久しぶりにスーザンさんと一緒に食事をし、片言で意思疎通を図る。
 折から、Yさんが<呼吸の本>のCDをかけてくださっていたので、椅子にかけたまま、呼吸レッスンをする。
 スーザンさんと、<呼吸>、特に<吐く>ことが、身体や精神に大きな影響を及ぼすらしことを話す。肺で呼吸するのではなく、<腹><丹田>を意識して呼吸することについて。
 脳の疲れたときの呼吸法など…。

 「息を吐く」は「breathe out」だと教えてもらう。
 <では、「息を吸う」は「breathe in」?>
 と、スーザンさんに確かめる。
 大昔、学校で学んだ、10年間の英語学習は何だったのだろう? と、スーザンさんと言葉を交わすごとに、あきれ果てる。

 今日は、草花舎にいる間にも俄か雨が降り、庭歩きはしなかった。
 入り口の百日紅を眺めたり、暑さに弱り気味な蘇鉄に降り注ぐ雨を眺めたりした。 


          

                 

 庭に降る雨を眺めながら、
 <一雨毎に秋になるのだ、と人は云ふ>
 という中原中也の詩の一節を思い出す。

    昨日まで燃えてゐた野が
    今日茫然として、曇った空の下につづく。
    一雨毎に秋になるのだ、と人は云ふ
    秋蝉は、もはやかしこに鳴いてゐる、
    草の中の、ひともとの木の中に。

 「秋」と題された詩の第一連で、中也は上記のように詠っている。

 今年の夏は、この詩のようにはゆきそうにもない。
 詩中の<秋蝉>は、法師蝉のことだろう。
 この蝉が鳴き始めると、私も、晩夏から初秋への、季節の移ろいを感じてきた。
 が、今年は、ツクツクホーシの声が、例年より少ないように思う。異常な暑さが蝉にも影響しているのだろうか。
 週間天気予報は、連日の暑さを伝えていて、一雨あっても、秋を呼びそうにはない。
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懐かしい<はったい>

2010-08-30 | 身辺雑記
 今朝、朝日俳壇を読んでいて、懐かしい言葉に出逢った。
 久しく忘れていた<麨(はったい)>という語に。

    麨(はったい)や昭和貧しくなつかしく  (川西市) 上村敏夫
                            <大串 章・稲畑汀子選>

 子どものころの私は、<はったいこ>と言っていた。
 どんな字を書くかも知らず、季語であることも知らず。

 懐かしい味である。
 食料の乏しい時代だったので、格別おいしかった。
 お砂糖の入った粉を、そのまま食べると、よく粉を吹き散らした。麨を口に入れた状態で、うっかりものを言ったり笑ったりしたのだろう。
 お湯でかき混ぜた麨は、少し大人の味がした。

 麨は、今でも簡単に入手できるのだろうか?
 舌は、香ばしくて美味しかったと覚えているけれど、素材も製法も知らなかった。
 <麦を炒って挽いた粉>が、麨であるということも。
 
 <麨>を漢和辞典で確かめた。
 <麦+炒>=<麨>、ということのようだ。
 麦が収穫されると<麨>が作られたのだろう、夏の季語となっている。

 昭和20年前後、戦争末期と戦後のひと時は、物資が格別乏しかった。特に食べ物に関しては、子ども心にも、悲惨さを覚えたものだった。
 主食のお米が入手できず、父母は苦労したに違いない。
 それにしても、牛馬の飼料となる麬(ふすま)や糠(ぬか)までも、主食とせざるを得なかった、そんな惨めな経験を持つ世代は、ごく限られているのだろう。

 遠くなった昔を思い出す朝であった。
 

 (添付写真 今日は久しぶりに俄か雨が降った。紅葉を待たず落葉したモミジ葉も、雨に濡れた。)

        
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NHK交響楽団特別演奏会

2010-08-29 | 身辺雑記
 グラントワへN響の演奏会を聴きに行った。

 プログラムは、
  
   モーツァルト

      歌劇「ドン・ジョバンニ」 k・527 序曲
      ピアノ協奏曲第23番イ長調 K・488

   ドヴォルザーク

      交響曲第8番ト長調作品88

 であった。

   指揮:小林研一郎 ピアノ:上原彩子 

 開演から2時間。
 極上の時間を生きた気がした。
 CDでクラシックはよく聴くし、日曜日ごと、N響アワーも聴いている。が、やはり生演奏のすばらしさには、えも言われぬものであった。


       
      (添付写真。朝顔と槿と、二種の花、一樹に咲くが如し。)

         

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呼吸入門

2010-08-28 | 身辺雑記
 私はこれまで、<息>とか<呼吸>について、深く考えるチャンスがなかった。
 呼吸とは息をすること、深呼吸とは深く大気を吸い込み吐くこと、その程度にしか考えていなかった。
 先日来、『呼吸の本』を読み、さらに『呼吸入門』を読み、改めて<呼吸>の意味を認識しなおした。
 
 今日は、第三話までを読んだ。
  第一話 なぜ「息」を考えるのか
  第二話 呼吸力とは何か
  第三話 息と心の関係

 この後、第七話まで、話は続く。

 呼吸のことなど学ばなくても生きてはゆけるけれど、呼吸が人間の精神や心まで支配する力を持つものと知れば、改めて呼吸について考えるのは、意義深いことだと思う。

 かつて、『声に出して読みたい日本語』『三色ボールペン情報活用術』の本で、斎藤孝氏の名前は知っていたし、その本も読んだ。が、その作者に、この種の本のあることを知らなかった。

 『呼吸の本』及び『呼吸入門』は、私の日常の生き方に直結する知恵を授けてくれる本であった。さらに、「息」や「呼吸」について、深遠な意味を考える機縁をも与えてもらった。

   × × × × × × × × × × × × × × × 

 今朝、近所の人が野菜を届けてくださった。
 鬼火(ホオズキ)の一枝を添えて。(写真)
     
        

   × × × × × × × × × × × × × × × 

 今日は、私の住む街が、全国の最高気温を記録したらしい。37・8℃だったとか?
 すでに38℃の日もあった。
 連日の暑さで、身体から繊細さが消えてしまった感じがする。

 夜更けて、<寝待の月>を眺めた。(写真)
 深夜になっても、身体にまつわりつく熱気は、衰えていない。
    
        

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呼吸法

2010-08-27 | 身辺雑記
 谷川俊太郎・加藤敏郎著『呼吸の本』を読む。

 <息と呼吸法><宇宙と気><意識と気づき><丹田と肛門><からだと心><魂って?><障害のある人の話>の章ごとに、問いに答える形式で、理想的呼吸法が示されている。
 納得し、肯きながら読む。
 この筆者の提唱する呼吸法は、少なくとも、精神の安定を欠くときや頭が疲れたときなどに、即効力を発揮してくれそうだ。
 読んで学んだことを生かし、日々、上手な呼吸を意識して心がけることにしたい。そうすれば、平穏な心を保つことが、少しはうまくなりそうな気がする。 


(月の出が遅くなった。東の空に居待月。)

 

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呼吸

2010-08-26 | 身辺雑記
 今日は、内科の定期検診日。(血圧良好)

 「暑い日中は、あまり出歩かれないように…」
 と、猛暑の過ごし方について、先生の助言をいただく。
 それを厳守したわけでもないが、タクシーで街に出て買い物をすると、喫茶店にも寄らず、すぐタクシーで帰宅した。 交通費は5千円を超えるけれど、毎日のことではないからと、無駄とも思える出費に目をつぶる。

 早く帰りたかった理由の一つは、アマゾンに頼んだ本が、今日配送されることになっていたからだ。なるべくなら、不在票を入れさせなくてもすむようにと。

 月曜日、草花舎に行ったとき、Yさんから『呼吸の本』を紹介してもらった。
 食後のコーヒーをいただきながら、ページを繰って拾い読みし、これは面白いと思った。生きている以上、<呼吸>は当たり前のことだが、無意識の呼吸に意識を添えることで、日常をより上手く生きられるかも知れぬ、と。
 翌日、山口に出かける予定にしていたので、文栄堂で求めることにした。が、あいにく、在庫なしとのこと。
 そこで、帰宅後、アマゾンに注文したのだった。
 ついでにもう1冊、呼吸に関する本を追加して。

 配達を待っていた本は、夕方になってやっと届いた。
 谷川俊太郎・加藤敏郎著『呼吸の本』と斎藤孝著『呼吸入門』。(写真)

 『呼吸の本』の巻頭には、詩人・谷川俊太郎の<息>と題する詩が載っている。
 その第4連には、

      人が息をしている
      ひとりぽっちで
      苦しみを吐き出して
      悲しみを吸い込んで
      人は息をしている

 と、表現されている。
 
 人がひとりぽっちで息をし、苦しみを吐き出したり、悲しみを吸い込んだり……。
 ひとりだけでなく、人はみな同じように息をしては、苦しみを吐き出し悲しみを吸い込んで生きている。
 この本の前書き「加藤さんのこと」も、谷川俊太郎氏の文章である。
 呼吸について書いているのは、加藤敏郎さんの方である。

 早速、本に添えられたCDをかけて、呼吸のレッスンをした。 
 約49分、忠実にレッスンをした。
 なんという心地よさだろう!
 初めてなので、妙に力を入れすぎたりして、指導者の指示通りにはいかなかったが、意識的に行う<呼吸>の意味が、少し分かった気がする。
 私は日頃、自らの息をあまり意識したことがない。
 明日は、本を読んで<呼吸法>を学ぶことにしよう。

        


       (今晩も、月が出た。立待月である。)

        

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人工的な涼しさの中で…

2010-08-25 | 身辺雑記
 エアコンを使っている限り、涼しさの中で生活できる。
 熱中症は避けられるかもしれない。
 ただ、人工的な涼しさは、やはり真の快適さではない。
 せめて朝夕だけでも涼しければいいのだが、それも望めない。
 今年は、朝露に足を濡らす楽しみもない。

 今日は、<文芸春秋>9月号を読んで一日が終わった。
 政治記事のほか、赤染晶子作「乙女の密告」(第143回芥川賞)を読んだ。
 受賞作について、ある種のうまさは感じながらも、題材の扱いに対して疑問もあり、手放しの感動とはならなかった。
 私の読解力の衰弱? とも考えたけれど、後に選評を読むと、選者のすべてが、この作品を評価されたわけでもなく、色々な受けとり方があることに安堵した。
 <選評>をも、私なりに評価して読む楽しさ!

 
 (添付写真は、昔ながらの藍色の朝顔。槿の枝に蔓を伸ばし、今日は二輪咲いた。)

        

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8月24日の…

2010-08-24 | 身辺雑記
 8月24日の朝顔。
 蔓はかなり弱っているけれど、大小さまざまな花を精いっぱい咲かせている。

        

 8月24日のお月様。
 連日の暑さにはうんざりだが、月影は毎夜美しい。

        


 今日は山口に行ってきた。
 文栄堂にも寄って、書籍を見てまわり、<文芸春秋>9月号と、『バナナの皮はなぜすべるのか?』(黒木夏美著)という風変わりな本を求めてきた。
 <文芸春秋>には、芥川賞受賞作・赤染晶子作「乙女の密告」が掲載されている。それを読んでみようと思っている。
 他にも、関心のある記事が多い。

 早速、阿川弘之氏の「擱筆の記」(巻頭随筆)を読み、<葭の髄から>と題して百六十回近く書き続けられた随筆の筆が擱かれることを知った。

 <葭の髄から>は、「葦(葭)の髄から天井をのぞく」という諺からつけられた題だという。
 <自分の狭い見識で広い世界のことについて勝手な判断を下す>意味だと、広辞苑は説明している。
 大きいことなど言えない私ではあるけれど、教訓として心に留めておきたい諺なり。 
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8月の庭 (百日紅)

2010-08-23 | 草花舎の四季
 草花舎に出かけた。
 国道の照り返しは、真夏並みであった。

 猛暑続きで、庭の花も例年に比べて乏しい。
 今日の花は、百日紅の花。
 前庭、横庭、裏庭にも、その木はあって、樹下に足を止め、梢の花を見上げた。
 百日紅の花の上には、眩しい夏空があった。
 白い花は、空の燿きに吸い込まれそうに咲いていた。

       

       

       

 室内の片隅に、鬼火(ホウズキ)が活けてあった。
 鬼火は、幼い日の夏を想い出させてくれる、懐かしい植物である。
 熟した実の種を取り出し、吹き鳴らしてみたくなる。
 花瓶は、今展示されている下和弘さん作品である。

       


 草花舎からの帰り、ミニ商店に寄った。
 店先に大きな南瓜が置いてあった。
 色がいい。
 「重さはどれくらいあるのでしょう?」
 「30キロはないかもしれませんね」
 店主は、そう言って、南瓜を持ち上げ、
 「やっぱり30キロはないですね。でも、それに近い」
 と。
 この化け物南瓜は、突然変異ではなくて、家畜の飼料になるものらしい。
 今は、珍品として、人の目を楽しませるだけ?

       

 この夏の暑さは、高砂百合にもこたえているらしい。弱々しげで、数も少ない。
 中学校の校庭のネット脇に、比較的楚々と咲いた百合があった。

               

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<処暑>とは名ばかり

2010-08-23 | 身辺雑記
 今日は、二十四節気の<処暑>(暑さが止み、新涼が間近い日)に当たるという。
 しかし、気温の上では、一向に秋めく気配がない。
 今朝の朝日新聞には、
  <酷暑列島 見えぬ終幕>
  <ラニーニャ発生 厳しい残暑予想>
  <野菜・牛乳…生産減■冷やす商品「特需」>
 の見出しで、残暑の終焉が予測できぬこと、それがもたらす影響についての記事が出ていた。
 「ラニーニャ現象」とは何かも、図入りで説明してあった。
 
 当分、暑さを覚悟しなくてはならないらしい。
 晩夏らしさを自分で探し、暑さに参らないようにしたい。

 今朝は、紫の花にわずかながら清涼感を味わうことができた。
 ノボタンと桔梗と。(写真)

               ノボタン

      桔梗


       ツゲの木の上に出た今晩の月影。

     
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