ぶらぶら人生

心の呟き

心のこもったお土産

2014-09-30 | 身辺雑記
 昨日、懐かしい人たちの訪問を受けた。
 8月末に開かれた<集い>に誘われながら、体調のことも考え、手紙とお祝いの寸志を送って、欠席した。
 その日から、ひと月ばかり経った昨日、集まりに出席した人たちを代表して、3人の知己が来宅してくださった。

 出席者の集合写真のほか、たくさんのお土産をいただいた。
 形式的な記念品ではなく、老いの日々、しばらく楽しめる、様々な食材を揃えて。

 新米・栗・里芋・ブルーベリー・蒟蒻・あとう肉・和菓子(源氏巻・外郎)等々。(写真 上)
 大方は、津和野産の品々である。
 眺めるだけで、心がひとりでに微笑んでしまう。

 さらに、とある参加者からのお土産(静岡竹茗堂の銘茶)と、女性参加者だけに届けられたお土産(小物入れと楊枝差し)も、いただいた。(写真 下)

        

        


 思い出話や来し方を語り合っているうちに、たちまち3時間が過ぎた。
 半世紀前にご縁のあった人たちなのに、時間の隔たりを全く感じないひとときを過ごした。
 ただ、いただいた写真を見て、50年前の顔に結びつけるのは、困難な作業であった。


 さっそく今朝、いただいたお米でご飯を炊き、里芋と蒟蒻を煮てみた。

            


 米飯も里芋も、大好きである。
 平素は、美味しいと評判の仁多米を取り寄せているのだが、新米のご飯は、それ以上に美味しく、幸せな味であった。
 里芋も、これぞ里芋! と舌鼓をうちつつ、この上なく美味しくいただいた。
 何だろう、あの独特な粘りは!
 津和野笹山産の里芋は、格別の味だと聞いてはいたが、噂に違わぬ美味しさだった。
 食後には、同じくお土産のブルーベリー(やはり津和野産)をいただいて…。    

 灰汁で固めた手づくりの津和野産蒟蒻は、<木灰こんにゃく>と呼ばれ、本来、そのまま刺身などで、いただくもののようだ。
 昨夕は、少々疲れて、せっかくの<あとう肉>を焼く元気がなかったけれど、今日は夕食にいただこう。蒟蒻も、刺身として。

 思いがけぬ贈り物に感謝し、美味しいものを美味しくいただける幸せ!
 当然のことが、いずれ当然でなくなる日の来ることを思えば、なおさら幸せである。
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香る秋

2014-09-29 | 身辺雑記
 庭の香る秋となった。
 金木犀が、満開となって。

    

 シュウメイギクの白い花が、次々に開花し、花水木の紅葉が、美しくなった。

        

        

 四季の中で、最も好きな<秋>の訪れは嬉しい。

 <風立ちぬ、いざ生きめやも>


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読後感

2014-09-27 | 身辺雑記
 『カモメのジョナサン』の<完成版>が、電子本として出版されたと、ニュースで知った。
 その折、普通の本が出たら、買って読んでみようと思った。

 ほどなくして、山口の本屋で、『カモメのジョナサン』<完成版>を求めた。
 7月だった。

           

 空を飛ぶカモメの写真がたくさん掲載され、活字も大きく、たちまち読了した。
 簡単な感想を記しておこうと、見出しだけ書いて放置している間に、ふた月が過ぎた。

 前回出版された時には、<Part One ><Part Two ><Part Three>の三章であった。
 今回の完成版は、さらに<Part Four >が追加されたのである。

 作者のリチャード・バックは、初めから四章の作品を完成させていながらも、1974年出版の際には、三章までを一作品として発表されたのだという。
 その『カモメのジョナサン』を読んだ時には、ありきたりの生き方を否定し、自らの道を模索し続けるジョナサンの生き方に感動した。

 今回は、どうだったか?
 追加された第四章は、起承転結の<結>に当たる。
 それによって、作品の価値が高まったといえるのかどうか?
 初版本とは、かなり異なる小説になったように思う。 

 訳者の五木寛之氏や佐々木俊尚氏(ジャーナリスト)の意見<「宗教と信仰 根底から問う」と題して書かれたエッセイ・朝日新聞の読書欄〔8月3日〕に掲載された記事>は、完成版を賞賛するものであった。

 私は、その考え方に頭をかしげた。
 第四章は、蛇足ではないだろうかと考えたり、漢詩の場合の起承転結の構成が、この作品にとって、果たして必要だったのだろうか、と。

 しかし、読後感は、人それぞれ異なって当たり前であろう。


            ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 


 100年の時を経て、朝日新聞に再連載された夏目漱石「こころ」が、一昨日(25日)、完了した。
 その間、楽しみつつ、日ごとの連載を読んだ。

 実は、私にとって「こころ」は、若き日、人の内面について考えた最初の小説であった。
 人生初めて、人間のエゴについて、考えさせられた小説といえる。

 60余年前に、再読、再々読を繰り返し、感銘を受けた「こころ」を、今回、また読み直す機会を得たのだった。
 馬齢を重ね、多くの生活経験をした今は、若き日の、<新鮮な感動さながら>とは、ゆかなかった。
 それでも、やはり名作は、決して古びてはいなかった。

 10月1日から、 『三四郎』が、連載されるという。
 楽しみにしている。

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白い花

2014-09-26 | 身辺雑記
 T医院で、定期の診察を受けた。

 同時に、いつものように、鉢植えの花を楽しませていただいた。
 看護士さんの話によると、この鉢植えを持参される方は、<白い花>が、お好きなのだそうだ。
 花色は概して淡く、繊細な花が多い。
 すっくとしたたたずまいも、特徴だ。
 育てる人の好みや人柄がしのばれる。

 花の名前は、いちいち尋ねなかった。
 ただ一つ、カウンターに置かれた花の名前<釣鐘草>だけを、覚えて帰った。
 マユミの実が、弾けていた。


              

       

       

   

   
                           釣鐘草

              

               
                      マユミの実

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金木犀の季節

2014-09-25 | 身辺雑記
 近所へ用のため出かけたところ、入口の大きな鉢に、<金木犀>の小枝が、たくさん挿してあった。
 あらッ? もう金木犀? と思った。

 先ほど、玄関を出た時、わが家の金木犀が、どんな状態かを全く意識しなかった。
 香で、その存在に気づく花である。
 台風16号の余波で、多少強めの風が吹いていたのに、その香は漂っていなかった。

 家に帰って、よく見ると、金色の蕾がたくさんついていた。
 視覚を楽しませてくれるというより、香りの花である。
 もう幾日かしたら、かぐわしい香を漂わせ、ふり向かせることだろう。

 近所の庭には、ブーゲンビリアの花が咲いていた。
 「母の日に送られたものが、今になって咲きました」
 とのお話だった。

 近所なのに、どんなお子さんがおられるのか、詳しいことは知らない。
 ブーゲンビリアの贈り主のお顔も、浮かばない。
 田舎町に住んでいても、家族構成など全く分からない。
 互いに無干渉・無交渉であることは、気楽でもあるが、奇妙な孤独感がないとは言えない。
 
 同じ孤独であるなら、<都会の中の孤独>が、私の好みである。
 しかし、年を取ると、住む場所も、選べない。
 ここを終の棲み家と、諦めに徹するしか仕方がない。

 (デジカメを持って出かけなかったので、歩数計として持参していた、スマフォでブーゲンビリアと、帰宅後、家の金木犀を撮影した。
  SDカードを取り出して、PCに取り込んだ。) 




 (先日、海を見に出かけた時に撮った写真も、一緒にPCに入った。下の2枚。
  計4枚とも、縦長の写真になったので、撮影時のカメラの構え方を工夫したい。
  スマフォの使い方については、まだまだ不慣れである。)


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墓参

2014-09-24 | 身辺雑記
 昨日はお彼岸の中日、妹一家と墓参した。
 車に便乗させてもらって。

 まだ此岸にいて、亡き父母や兄、祖父母を偲んだ。
 墓所の周辺では、なお、ミンミンゼミやツクツクホーシが鳴いていた。
 夏の名残をとどめて。

 お墓にいた蝸牛。
 久しぶりに、その姿を眺め、デジカメに収めた。

            


 墓参の後、妹一家と食事した。
 海の見えるレストラン<とみ>で。

 その庭と、海の見える風景。
 台風16号の接近で、遠景はかすんでいた。

        

        


 妹宅の孫、中3のAYAちゃんが、私のスマフォに、<LINE>の設定をしてくれた。
 <とみ>で撮った写真が、たちまち、送られてきた。
 なんというスピーディーさ!
 私の方は四苦八苦しながら、返信をする。
 送られてきた写真を保存し、その保存箇所を確認したり、拡大してみる方法を試みたりした。

 <LINE>などとは、生涯無縁であろうと思っていたのに、思いがけないことになった。
 今のところ、<LINE>仲間は、甥とその妻(AYAちゃんは、ママのスマフォを利用)。

 長生きすれば、いろいろと、新しく珍しい事に出会える楽しさも、あるものだ。       

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9月の庭 (前庭の王者)

2014-09-22 | 草花舎の四季
 秋陽のあふれる庭であった。
 
 草花舎の入り口に立って、
 <大きくなったなァ>
 と、目の前の樹を見上げた。

             

 <前庭の王者>といった風格だ。    (<中庭の王者>は蘇鉄。以前のブログに添付。)
 どこまで伸びるのだろう!?
 (樹の名前は知らない。)

 中庭のケムリの木は、紅葉を始めていた。           

           


 郵便局のポストに葉書を投函した後、草花舎でコーヒーとケーキをいただいた。
 添えられた果物の一つに、柿があった。
 秋の代表的な、この果物は、私の大好物である。

 (ケーキ皿、コーヒーカップともに、韓国の陶器)

  
   


 花瓶には、移ろいゆく季節の花々が、今日も活けてあった。
 色違いのカボチャでさえ、ふさわしい器に盛られると、芸術性を帯びてくる。


   

   

   



 <今日の反省>
 
 Yさんと話しているうちに、草花舎の庭が、陰りはじめた。
 時計を見る。
 5時であった。
 短日となりつつある。

 スマフォには、<お知らせタイマー>がついている。
 今後は、それを活用することにしよう。

 支払いを忘れて帰るるところだった。
 今後は、早めに支払いを済ませよう。

 忘れ物にも注意しなくては!
 帰途、髪が風に吹かれ、草花舎に帽子を置き忘れたことに気づいて、引き返した。
 (買い物に外出されるYさんと一緒だったので、忙しいYさんの、夕刻の時間を奪ってしまった。)


 認知症の初期症状では?

 昨夜は、葉書を印刷しようとして、印刷機に阻まれた。
 <紙詰まりか、セットに問題はないか点検せよ>と命じられ…。
 
 機械の不具合???と、不審に思いながら、幾度も印刷を試みた。
 しかし、なかなかうまくゆかなかった。
 まさか寿命ではあるまいし、と考えたり…。
 苦心の末、葉書のセット場所を間違えていることにやっと気づき、印刷をし終えることができたのだった。

 が、日常していることが、ふとできなくなるとは、「どういうこと?」
 昨夜は一瞬、自らを疑ったが、まあ大丈夫だろう。

 今後も、<老い>は、しばしば生活を狂わせるだろう。
 人に迷惑が及ばないよう、自戒! 自戒! 

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散歩 2 (海のうた)

2014-09-21 | 散歩道
 今年は、秋が早い。
 今日は、さわやかな秋日和であった。
 
 海を見に行ってこようと、久しぶりの散歩に出かけた。
 ついでに、海辺のレストランで、食事をしてこようと。

 海抜40余メートルから海抜0メートルに向かって、行きは緩やかに下る道なので、あまり苦労することはなかった。

 散歩は、私の体調のバロメーターである。
 まず、出かける気になれるか否かも、心身の健康状態と大いに関係がある。

 海辺のレストランに予約を入れた。
 そうすることで、出かける意思を固めるのであった。

 
 海の表情を楽しみながらの快い散歩であった。
 日差しも優しく。

 帰途のために、折り畳み杖を持参したけれど、杖にすがらず往復できた。
 スマフォが記録した歩数は、3900余。
 帰りは急坂を避け、土田海岸を眺めたあと、緩やかな坂を上った。


 【散歩で出会った風景を  <野のうた>  <海のうた> に分けて掲載】


      

          

        

         

                 

         

                  

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散歩 1 (野のうた)

2014-09-21 | 散歩道
 <野のうた>に耳を傾けながら、海辺までの散歩を楽しんだ。
 秋の空を眺め、野の花を眺めて。

 ゆく夏を惜しむかのように、 法師蝉(ツクツクホーシ) が、まだ鳴いていた。


     

           

          

                  
  

     

                 

          
               彼岸花とアゲハチョウ        くたびれた彼岸花          

                  
                          ケイトウの花

          
              高所に咲いた葛の花          白萩の花             

                 
                         オクラの花

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諦めていたのだが…

2014-09-20 | 身辺雑記
 今朝、思いがけない場所に、 思い草(ナンバンギセル) を見つけた。
 例年の場所より、数十センチ高い崖に。
 探し物を見つけた喜び。
 大げさでなく、宝物に巡り合えた喜悦。

 この花の、ひっそりとして、物思いにふけっているかのような風情が好きだ。
 <思い草>の名のとおり。
 <ナンバンギセル>は、その形状から名づけられたのだろう。

           

 国道沿いの崖に、毎年、思い草の咲く場所がある。
 早速、探しに出かけた。
 家の崖に咲いたということは、かの場所ににゆけば、十数個の花に巡り合えると。
 ところが、残念なことに、草刈りが終わったばかりで、花の姿はなかった。
 咲いていた証として、思い草の萎れた花が落ちていた。

 ツユクサが一つ、鮮やかな花をつけていた。
 その傍らの歩道に、吹き溜った花びらがある。
 とっさには、何の花かわからなかった。
 見上げると、長く伸びた葛の蔓に、花房がいくつもついている。
 その落花であった。
 あまり高くて、その香までは届かない。

 
 
     



 今日は、彼岸の入り。
 赤い曼珠沙華は、今が盛りである。
 裏庭の曼珠沙華、三景。

               

               

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