ぶらぶら人生

心の呟き

雪の大晦日

2020-12-31 | 身辺雑記

 雪の大晦日 とは少し大袈裟だが、少量にせよ、庭に雪を残して大晦日を迎えるのは、幾年ぶりのことだろう? 思い出せないほど以前のこと。

 本来、雪の少ない当地である。が、昨日来、大雪警報が出ていて、平地でも積雪が予想されていた。

 昨夜、就寝前(11時半ころ)、裏庭に出てみた。雪が舞っていて、ツバキの葉にわずかながら雪がのっていた。(下の写真)

 

 


 今朝、起き出してみると、わずかではあるが、昨夜より雪量が増えて、庭の木々に雪がのっていた。雪景色というには、少々侘しい眺めである。が、屋根や戸外に置かれた車の上には、厚みのある雪がのっていた。

 

 

 ツバキの雪。

 

 

 サザンカの雪。

 

 

 花壇の雪。


 夕方、庭に降りてみた。雪はほとんど消えいた。

 門柱の上に、雪だるま風の雪の塊を発見。多分、近所のYUーKIちゃん作であろう。どこで集められた雪だろう? いつ置かれたものか? 午後は日差しがのぞいたのに、溶ける気配はない。気温が低いせいであろう。

 

  


 昨日、し残した部屋の掃除をし、カレンダーを取り替えて、新年に備えた。


 3時間後には、無事越年できるだろう。

 2020年は、コロナ禍とともに、歳相応の老いを深める日々であった。

 とにかく、2021年を迎えることはできそうだ。が、その先の365日が無事に過ごせるかどうかは、未知数。


 テレビで、<吉田類の酒場放浪記>を見るともなく見つつ、ブログを書いている。

 ー 酒と温泉を愛した若山牧水を巡る旅 ー 

 牧水は、私の好きな歌人の一人である。

 吉田類氏のお酒がおいしそうだ。

 お酒を嗜むことができたら、人生の色合いが違ったものになったかもしれない、そんなことを思ったりしながら……。


 ただいま、吉田類氏は、小諸の懐古園に到着。

 曾遊の地である。とある夏の小諸の旅、懐古園巡りを思い出しつつ、2020年を終えることになった。

  かたはらに秋くさの花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな (牧水)

 私も、その歌碑の前に佇んだ。もちろん島崎藤村の「小諸なる古城のほとり………」の詩碑もあった。

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『冬の本』

2020-12-30 | 身辺雑記
 玄関の掃除などして、師走の30日が暮れた。
 まとまった本を読む元気はなく、机上に先日来置いている『冬の本』を開く。
 一作家一編のエッセイ(2ページ)が、84人によって書かれている。よく知る作家・知らない作家、色々である。

 『冬の本』編集部の方から、最初のページに、次のような文が寄せられている。

   「小さい本を出したいね」
   「小さいけれど、たくさんの人が書いている本」
   「たくさんの人が、大切な1冊について書いた本」

    
   1冊の本として『冬の本』を楽しんでいただくとともに、無数にある「冬の本」に向かって旅するきっかけになれば、こんなにうれしいことはありません。

 

  


 ふと目に止まった文章から気ままに読んでいる。

 今晩は、「冬、春、冬」(小林エリカ)を読む。作者も知らなかったし、このエッセイでとりあげられている<俳人・池田澄子>についても知らなかった。が、句作される人であればご存知に違いない有名な俳人であることを知った。『空の庭』『たましいの話』『拝復』などの句集が紹介されていた。

 俳句も3句。

  生きるの大好き冬のはじめが春に似て

     風邪声のミモザが咲いていたという

  いつか死ぬ必ず春が来るように


 1936年生まれの俳人。大変美しい方である。

 句集が読んでみたくなって、一冊、Amazonへ注文した。


 おしゃべりの後は心が傷ついて、不整脈にしばらく苦しめられたりするが、読書で心の傷つくことはまずない。嫌な本なら読まねばいい。意にかなう本であれば、品位の高い対話ができる。これが読書の効用である。

 余生は短いが、これからの日々、口を閉ざし、読書に友を得ることにしよう。それが心穏やかに生きられる道のような気がする。


 県下の大方の地に、[大雪警報]が出ている。明朝は、白銀の世界になっているのだろうか?

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年末の庭

2020-12-29 | 小庭の四季

 12月29日

 どういうわけか、少しも年の暮れという感じがしない。にもかかわらず、明日からは寒波がやってくるというので、29日 の今日、イオンへ買い物に出かけた。

 人が多い。多くの人が、30、31日が、荒れ模様と分かっていての行動かと思われる。

 早めのバスで出かけたのだが、レジでは長い行列ができた。

 一人のお正月というのに、持ち重りする荷物となった。タクシーで帰宅。


 午後も、暖か。ふと水仙公園へ行ってみようかと思った。が、一人歩きに絶対の自信なく、思いとどまって、庭をぶらぶらする。

 

 

 落葉樹の下のトクサ。

 

 

 開花第一号のロウバイ。

 

 

 前庭のマンリョウ。

 

  

  マンリョウ(白)。

 

  

  サルスベリのそばのスイセン。

 

  

  ツバキの下のマンリョウ。

 

 

 小ぶりのシコンノボタン。

 (年が改まっても咲く気配。)

 

 

 花壇のサクラウツギの黄葉。

  

 

 ビオウヤナギの紅葉。

 

  

  フジバカマの淡黄色の葉。

  (シルバー人材センターの方が、葉の部分だけ残してくださったようだ。その計らいが嬉しい。)


 庭に佇んだまま、草花舎へ電話した。

 12月は、一度も訪れる機会がなかった。

 新年の開店日は、コロナのこともあって、未定とのこと。

 (でも、いつでもいいから話しに来て、と言っていただく。)

 TちゃんもYさんもお元気で、コロナのせいで展示会などままならぬなか、かえって思考の時間を得ているとのお話。見事なことだと感心する。

 私は、不平不満が多すぎる。

 今日から不平が芽吹くときには、(………)をして、心を鎮めよう。老境にあって、もう少し、心静か、不動でありたい。


 夕方、妹とAYAちゃん来宅。

 正月用飾りをもらったり、花壇に赤い花の咲く苗(植物名不詳。妹宅の庭に蔓延る植物)を植えてもらった。花壇が少し体をなした。

 

 


 夜になって雨。明日は雪に変わるのだろうか。

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黎明と夕月

2020-12-28 | 身辺雑記

 このところ天候に恵まれない。

 しかし、山陰の冬空とは、概してこんなものだ。絶えず重い雲が、空の広い範囲に広がって。

 

 12月27日の朝。

 山の端が明るんでいるのに気付く。

 

 

  7時7分

 

 

  7時34分

 朝陽の昇る気配が感じられたのは、7時半過ぎ。

 雲は重く垂れ下がっていたが、一点、山の端を明るませている。

 今日の夜明け。権現山の遥か南からの日の出であった。

 

  

  7時36分

 

 施設で昼食をいただき、そのあとタクシーで帰宅。この時期としては、暖かな冬日和となった。

 溜まった新聞を読んだり、庭の落ち葉(主に、アジサイやサクラウツギ)ををかき集めたりした。

 回覧板が届いたので、夕食前に読んで、次の家に届けた。

 その折、ほとんど満月かと思える月に気づいた。(十三夜)

 明日の夜には天候が崩れるらしい。

 したがって、今年、最後のお月さま! ラカンマキの上に。 

 

 

 

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空の表情

2020-12-26 | 身辺雑記

 冬空は、どこか重い。

 雲が、空の表情の主役となる。 

 

 

  朝、7時過ぎ。

 今日も、空は雲に覆われて一日が終わるのかと思っていると、思いがけず、夕方になって晴れてきた。

 沈む位置を少しずつ移動しながら、2020年末の暦を刻む。

 

 

   16時44分

 

 

   16時50分 


 

   16時54分

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『夜のある町で』

2020-12-25 | 身辺雑記

   荒川洋治 著

   『夜のある町で』

 

  


 作者の名前は、よく知っていながら、その詩も文章も読んだことがなかった。

 『夜のある町で』の第1刷は、1998年。が、私の手元にある本は、第4刷で、2000年に刊行されたものである。

 購入から、20年が過ぎている。紐の栞が20ページに挟まれたまま、本立てに眠っていた。読みかけのままであったらしい。

 今回、施設で読む本として持参した。実に楽しく読めたので、作者の詩も読んでみたくなって、Amazonへ注文した。


 この本は、1〜4に分けられた78編のエッセイ集である。

 詳しく感想を述べていたらキリがないほどおもしろかった。就中、<4>に集められた文学関係のエッセイが、私には最も興味があった。

 その一編である「漱石の自己批評」を読んで,なーるほどと思いつつ、<『草枕』、読むの、やーめた>と思った。

 <12月9日・夏目漱石の命日>に因んでの話。

 弟子たちの集まりで、漱石が言った。

 「ときどき、自分のふるいものを読みかえすと大変ためになるものだね」と。弟子の江口が、<先生はどれが一番いいと思われましたか>と尋ねる。と、「坊ちゃんなんか一ばん気持ちよく読めたね」と答える。吾輩は猫はどうか? と尋ねる。「あれも悪くはないよ」という。「草枕はいかがでした?」の問に、漱石の答えは、「草枕かい。あれには辟易したね。第一あの文章に。」と答える。「例の智に働けば角が立つ。情に棹させば流されるというやつですか」に対し、「ううむ。読んでいくうちに背中の真中がへんになって来て、ものの五枚も読めなかったね。」という漱石の答えに、みんなはどっと笑ったという話。

 私も笑いつつ読んだ。

 最近読んだ森本哲郎著『月は東に』を読んだ直後、『草枕』を読み返し始めたばかりであった。書き出しはあまりにも有名で、人口に膾炙した文であるが、その続きを読みすすめると、やたらと漢語の多い文章だなあ、と思いつつ、家の机の上に置いている。漱石自らがものの五枚も読めなかったというなら、私もやめましょう、と思ったのだ。

 <4>に限らず他の章でも、興味深いお話が多く、それらを取り上げるのは大変である。

 読みつつ、松任のあんころもちを食べたい! と思い、昔の旅を思い出し懐かしんだりもした。(<2>の「甘党の人々」)同文中には、山口の外郎のことも記してあったが、その記事を読みつつ、外郎も悪くはないが、私は「舌鼓」を突如食べたいと思ったり……。

 本を読む楽しみの一つには、こうしたこころを遊ばせてくれる文章に出くわすことにもある。


 硬軟さまざまな語り口をもった作者の文体を、とても面白く感じた。この本の魅力を、もっと言葉を尽くして書きたいのだが、このところ根気が続かないし、書く力も落ちてきた。残念至極! ここで擱筆。

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『雀の手帖』

2020-12-24 | 味わい深い表現

   幸田文 著

  『雀の手帖』

 

  


 箱入りの上質な本である。

 この本はすでに一読したようで、裏とびらに、<‘94・1・22>と記している。

 新聞の広告を見て注文したらしく、その切り抜きも挟んでいる。

 『雀の手帖』は、著者の幸田文(1904・M 37〜1990・H2)さんが、昭和34年1月26日〜5月5日にわたって、『西日本新聞』に掲載された100のエッセイ集である。

 作者の年齢は50歳半ばであり、当時の日常身辺の出来事が中心で、折に回顧的な思い出も記されている。

 最後の100編目は「夕雀」と題されている。

 [ちゅんちゅん、ぺちゃくちゃと自分勝手なおしゃべりをして、雀の手帖は百日になった。早くたった百日である。]

 と、冒頭にあり、『雀の手帖』と題された由来の説明ともなっている。

 100日の連載は、大変なことであっただろう。新聞の読者を頭において書かれたエッセイながら手抜きはない。が、今まで読んだ幸田文さんのエッセイに比べれば、ややおしゃべり的なところはあった。

 1994年に初読した時も、多分気楽に読んだのであろう。

 今回は再読ということになるけれど、今の私は、当時よりは文章を書くことの難しさを強く感じている。それだけに、うまいなあ、と感動したものもある。特に、「白い花」と題し、<小でまり>の花について書かれたエッセイの、無駄のない精密な描写には、大いに感動した。

 幸田文さんは、私の母と同時代の作家である。どこかに古風な生活感覚が潜んでおり、その古風さに懐かしさを覚える一面もあった。

 私の遣ったことのない言葉(主に副詞や動詞)に折々遭遇し、その都度、辞書を調べたが、辞書にも出ていない言いまわしが結構あった。言葉は時代とともに移ろうものであることを感じたりもした。漢語表現の少ないことも特徴であった。

 (ここまで書いて、少々疲れてきたので、中途半端な感想のまま擱筆。)

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短日の日暮れ

2020-12-23 | 身辺雑記

 昼前、施設に戻ってきた。 

 比較的暖かい冬の午後、大塚散歩の最後として最適の日だと思ったが、隣室の人の話では、入居者の方々、散歩は控えておられるらしい。コロナの時期ゆえ。

 外出は取りやめ、持参の本を読む。


 予報によると、明日からの天候はあまり良くない。

 せめて、今夕は落日を眺めておこう! と思っていたのに、5時18分、廊下に出たときには、時すでに遅く、わずかに夕焼けの名残をとどめているだけであった。


 短日の日暮れは、あっけないほど速い。

 

 

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庭掃除

2020-12-22 | 身辺雑記

 シルバー人材センターの方、3人で、庭周りの掃除をしてくださった。

 私の力ではできないことを、人の力を借りて、さっぱりした気分になる。

 (庭のお正月準備完了。これから先の落葉は気にしない!)

 

 

 

  裏庭

 

 

  前庭

 

 

  庭の片隅

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郵便局まで

2020-12-22 | 散歩道

 久しぶりの外歩き。

 今日は、シルバー人材センターの方3人が、朝から草取りや庭掃除をしてくださっている。

 10時過ぎ、郵便局へ出かけた。

 昨日書き上げた賀状と、お礼の手紙を投函するために。

 12月にしては、厳しい寒風もなく、 比較的暖かで歩きやすかった。

 郵便局への往復、3000歩の散歩。

 

 途中で足を止め、眺めた花や空。

 

 

  山茶花

 

 

  山茶花

 

 

  水仙

 

 

   ?

 [追記・12月24日]

 花の名は、「カンザキアヤメ」であると、Remさんから教えていただいた。

 季節外れながら、アヤメに似てるな、と眺めていた花。

 

 

  わずかに見える青空

 

 2020年の残りの日も、今日を含めてあと10日。

 87歳の年末。

 能率は決して良くないけれど、過去の年末通り、最低の仕事が予定内にできた。 

 めでたし!

コメント (2)
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