ぶらぶら人生

心の呟き

その名は<子沢山>とか

2009-08-31 | 身辺雑記
 草花舎へ行く前、郵便局に立ち寄った。
 棚に、見慣れぬ植物があった。(写真①)
 葉の幾枚か、周囲に同色の飾りをつけている。
 なんだろう?
 花なのか、実なのか、分からない。
 触ると、ポロリと落ちた。

 その名を尋ねた。
 よく知る職員の K さんは、
 「子沢山、とか…。やたら増えるんですよ」
 と、話された。
 <子沢山>とは、葉の周りに飾られた<葉の子どもたち>のことかと思ったが、K さんの話を聞き、わけなく増殖して、新たな子どもが誕生することを指しているのかも知れないと思った。

 鉢の中に、小さな苗が数本育っていた。
 私は二本もらって帰り、鉢に植えた。(写真②)
 
 「うまく育たなかったら、いくらでも苗を差し上げます」
 と、K さん。
 K さん宅の鉢には、数え切れないほど、自由奔放に増えているのだそうだ。
 不思議な植物である。
 ネットで調べたところ、同名(子沢山)の多肉植物があった。
 が、今日見た植物とは全く異なるものだった。
 

             ①

             ②

この記事をはてなブックマークに追加

8月の庭 (花と蝶)

2009-08-31 | 草花舎の四季
 正午、草花舎に出かけた。
 庭を歩く。
 8月最後の今日、秋風が吹いていた。関東に接近している台風11号の余波であろうか?
 空は晴れているのに、やや強い風があって、全く暑さを感じない。

 ランタナに止まる、見事な紋様のある大きな蝶を見た。(写真①②)
 写真③の中にも蝶がいる。多分、ランタナの蜜を吸っていた蝶に違いない。
 花といい、蝶といい、意匠の巧みに感心する。

 ヒャクニチソウ(写真④)は、凋落の気配。
 ミズヒキソウ(写真⑤)は、時宜よろしく、ひそかに咲いている。

 今日あたり、法師蝉の声も弱くなっていた。

            ①

                 ②

            ③

                 ④

            ⑤

この記事をはてなブックマークに追加

衆議院選挙も終わって

2009-08-31 | 身辺雑記
 昨日は、選挙の日であった。
 朝、七時に家を出て、一票を投じた。
 そして、昨夜は開票結果の報道に耳を傾けた。
 行き詰まった政治に明るい兆しの見えることを念じながら。

 私はよほどマイノリティーであるらしく、投票の後、真剣に選んだ人の当選を喜ぶ結果になることは非常に少ない。今回も、そうであった。
 が、当落のニュースをテレビで見ながら、少し溜飲の下がる思いがした。
 現政権の政治に少なからずうんざりしていたので、その意味で民主党の躍進が嬉しかった。政権交代によって、少しでも光明が見えればいい。
 私が選んだ人ではないけれど、新しい政権に期待したい。

 昨日、投票所への行き帰り、中学校の傍を通り、花壇の花を眺めた。(写真)
 人を欺くことのない花々の美しさ!
 晩夏や秋の気配を潜め、媚びるところも、虚勢を張ることもなく、あるがままに咲いているのがいい。 


         

                  

         

                  

          

この記事をはてなブックマークに追加

正岡子規と果物

2009-08-29 | 身辺雑記
 今朝、読売新聞の<四季>(長谷川櫂)欄に、下記の句が紹介してあった。

    梨一顆(か)食べをり子規の倍を生き 鶴川和子

 この俳句に添えて、長谷川櫂氏は、<病床の正岡子規は梨の爽やかな果汁に渇きを癒した。そのことをたびたび文章や日記に書いている。>と述べておられた。
 私は今朝、遅い目覚めのベッドで、毎日の慣わしどおり、朝日・読売の二紙を読んだ。衆議院選挙を明日に控え、最近は、各党の戦いぶりや動向を伝える記事が多い中、<四季>欄などを読むときは、ひとりでに、心をゆるやかに遊ばせることができる。

 正岡子規について、格別詳しく知っているわけではないので、この文章を読んで、<なるほど>と思った。
 今まで、「梨と子規」というつながりが、私にはまるでなかった。
 「柿と子規」なら分かるけれど……と、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を呟きながら、新聞をお腹の上に載せて手を休め、天上を見つめたのだった。
 諳んじることのできる、子規の俳句や短歌のいくつかを思い出した。
 それらは、藤・イチハツ・牡丹などを詠った歌や糸瓜の句などであった。

 午後、気になって、正岡子規の本を調べた。
 「現代日本文学大系」10巻が、正岡子規・伊藤左千夫・長塚節集となっている。
 分厚い本を取り出した。

 その中に、子規の「くだもの」というエッセイが載っているのに気づき、早速読んでみた。
 相当果物の好きな人だったらしく、果物をいろいろな角度から書いていて、実に面白い。
 末尾に、明治34年の作品とある。しかし、古さが全くない。果物についての詳述に新鮮さがある。名文とはこういう文章をいうのであろう。

 小見出しごとに○がつけられ、果物を様々な角度からとらえている。
 ○くだものの字義
 ○くだものに準ずべきもの
 ○くだものと気候 
 ○くだものの大小
 ○くだものと色
 ○くだものと香
 ○くだものの旨(うま)き部分
 ○くだものの鑑定
 ○くだものの嗜好
 ○くだものと余
 ○覆盆子(いちご)を食ひし事
 ○桑の実を食ひし事
 ○苗代茱萸を食ひし事
 ○御所柿を食ひし事
 (後半<~を食ひし事>の四項は、それぞれの果物にまつわる、小さな物語的な随筆となっている。)

 ○くだものと余 の中に、
 <大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食ふのが常習であった。>と、書生時代をふり返っている。
 相当な果物好きである。ただ、好物の柿でも気候が寒くなって食べると、すぐ腹を傷める、それは梨も同じだ、と後方に記している。好きに任せて食べ過ぎ、苦痛を味わった経験を子規はもっているのだろう。

 イチゴを、漢字で<苺>と書くことは知っていたが、<覆盆子>の字を当てるのは知らなかった。当時はそれが普通の表記だったのだろうか?

 ○御所柿を食ひし事 の中に、≪奈良と柿≫にまつわる話が出てくる。
 宿屋の下女に御所柿を請うたところ、一尺五寸もありそうな大丼鉢に山の如く盛った柿を出され、<流石柿好きの余も驚いた>とある。
 なお、柿の皮をむいてくれる若い下女の美しい顔に見とれる様が書いてあり、折から<ボーンと釣鐘の音が一つ聞こえた>とある。それが東大寺の鐘であると下女に教えられ、板間の障子を開けて聞き入る情景が細やかに書いてある。

 例の句(柿くへば~)では、柿を食べ、鐘を聞いた場所が、法隆寺となっているけれど、この名句誕生の背景は、実は東大寺だったのかと思える。
 事実どおりに<東大寺>でもよさそうだが、<法隆寺>とした方が、雰囲気的に、また語呂の響きとしてふさわしい、という判断が子規にあったのだろうか?
 それはともかく、この名句には、子規自身にとっての忘れがたい懐かしい想い出が、内包されているのだと知って、句の味わいが、いっそう深くなった思いである。

 なお、<「俳句稿」(抄)>の中に、

    柿もくはで随問随答を草しけり
    柿くふも今年ばかりと思ひけり

 など、柿の句があった。
 さらに、果物好きを明かす句として、

    林檎くふて又物写す夜半哉
    林檎くふて牡丹の前に死なん哉

 という林檎にちなむ句もあった。


 果物とは無関係だが、

    秋海棠に鋏をあてること勿れ

 という句を「俳句稿」の中に見つけた私は、一瞬どきりとした。
 実は数日前、秋海棠の花をきって、花瓶に挿したばかりなのだ。
 この句の前には、
 <家人の秋海棠を剪らんといふを制して>
 と添えてある。
 子規の、厳しい制止に潜む思いは、なんだったのだろう?
 嫋嫋(じょうじょう)と咲く花に憐憫の情を覚え、切り取ることに、抵抗を感じたのか?
 単に、自然の中で眺めることをよしとしたのであろうか?

 私の、小さな瓶に挿した秋海棠の花は、今日も美しさを保って咲いている。

 (写真は、キッチンにある、私が食するための果物。私も、子規に劣らず、果物は好物である。) 
 

              

この記事をはてなブックマークに追加

新しい体験

2009-08-28 | 身辺雑記
 年を重ねてからも、初めて体験することは、思いのほか多いものだ。
 今日は、銀行で、<全自動貸金庫>の利用を開始した。
 借りる手続きは、7月のうちに済ませていたのだが、そこに納めるものの準備ができなかったので、空き箱のままになっていた。

 今日は、私の死と同時に必要不可欠となるものをそこに納めておこうと、銀行に出かけた。
 24日に作成済みの<遺言公正証書>のほか、<登記済権利書><年金証書>など、書類ばかり。
 貴金属など、高価なものは何一つない。

 全自動貸金庫がどこにあるかも、今日まで知らなかった。
 そこで、行員に案内してもらった。
 二人の女性行員が、金庫のある部屋に案内してくれた。
 カードを使って入室。さらにもう一度カードを使って、次の部屋に入るという念の入れ方だ。
 私はなんとなく、荷物のロッカールームのようなものをイメージしていた。
 考えて見ると、金庫である。当然、厳重な管理がなされているはずであった。
 小部屋には、ひとりがけの椅子が用意されていた。
 が、座るほどのことでもなく、立ったまま、指示に従って暗証番号を押した。すると、私の金庫が現れた。そこで初めて、私専用の鍵が必要となった。
 なるほど、よくできている。

 今日は二人の行員と一緒だったので、何の問題もなかった。
 今後、この個室めいた部屋への出入りや金庫の開閉など、一人で行うのだと考えると、少々不安な心境になった。
 個室に閉じ込められるのではないかという恐怖感があるのだ。
 病的とまではいかないけれど、私には狭所恐怖症的なところがある。
 初めて利用するトイレなどでも、開閉の仕方など慎重に吟味しないと気がすまない。

 「なんだかちょっと無気味ですね。ひとりで入るのは……」
 と、私が思ったとおりを言うと、
 「説明を忘れましたが、中に緊急用の電話がついていますから……」
 との返事だった。

 まあなんとかなるだろう。
 そんなに頻繁に出入りする場所ではないのだから。

 お正月に兄が亡くなり、それ以来とりわけ、私自身の最期を意識し始めた。
 身辺整理も心がけている。
 が、決して生きることに消極的なわけではない。
 今日も、<ひまわりカイロ>で、身体の錆を落としてもらった。時々は脊椎のゆがみを矯正してもらい、命ある間は、できるだけ他人に迷惑をかけず、生きる喜びを味わいたいと思っている。
 しかし、意味もなく命永らえることはしたくないので、今年の3月、日本尊厳死協会にも入会した。
 自分でなすべき備えだけはして、余生を楽しみたい。

 今朝は、雷鳴の後、しばらく強い雨が降った。
 が、出かけるころには曇り日となり、蒸し暑い午後となった。


 家の裏口から出入りをするとき、今、目の慰めとなるのは、シュウカイドウの、やさしく淡い紅色の花である。(写真)
 高浜虚子の句を思い出す。

   節々に秋海棠の紅にじみ 


            

この記事をはてなブックマークに追加

身辺整理のことなど (空は秋めいて)

2009-08-26 | 身辺雑記
 空が秋めいてきた。
 ここ数日、夏は去ったかのようだ。
 買い物に出かけようと、裏口から出てみると、美しい雲が流れていた。
 同じかたちを再現するのは神の技をもってしても無理だろう。
 一期一会の、瞬間の美。(写真①)
 眺めるだけで、心が晴れやかになる。秋の到来が嬉しいのだ。

 このところ、私のブログカレンダーの空白が目立つ。
 旅に出かけたり、身体が不調だったりしたわけでもない。
 結構、充足の日々であった。
 それなのに、空白が多いのは、最近、ゆるやかに生きようとの思いが強いせいかもしれない。

 主な出来事だけ、メモしておこう。
 18日(火)には、山口に出かけた。
 20日(木)には、グラントワに行き、黒田清輝展を観た。
 24日(月)には、浜田の公証人役場に行き、<遺言公正証書>と<生前及び死後の事務委任契約並びに任意後見契約公正証書>なるものを作成していただいた。
 余生を心安らいで生きるために、来年の誕生日までには、証書作成を果たしたいと考えていた。それを思いのほか早くなし遂げることができ、今は、安堵している。

 今、裏庭には、ニラバナが、ひそやかに咲いている。(写真②)
 私の余生も、この花の如く……と、思っている。


             ①

                     ②

この記事をはてなブックマークに追加

保護色

2009-08-25 | 身辺雑記
 国道沿いの家の庭に、キササゲの木がある。
 今は実の下がる季節。幾筋も、ササゲさながらの長い実が枝々から下がっている。(写真)
 気まぐれに手を伸ばし、感触を確かめた。見たところは食用のササゲに似ているけれど、手触りは全く異なるものであった。
 堅い!
 木質の感触である。

 と、その実に、同色をした虫が止まっている。
 形はカメムシ。
 私は、その虫を自然の中で見たことがない。見かけるといえば、家のカーテンなどに止まっていて、ぞっとさせる黒灰色の、触れば猛烈な悪臭を放つ虫である。その特色から、ヘッピリムシとかクサガメとかの別名を持つ。
 私は、子どものときからホウムシと呼んできた。方言らしい。漢字を当てれば、<芳虫>なのだろうか? 芳しい香であろうはずはないのだが、皮肉って言った言葉なのかもしれない。
 「お姫様、お姫様」と言いながら、そっと掴めば臭くない、とも教わってきた。

 目の前のカメムシは、葉や実と同じ緑色だ。
 保護色で、カムフラージュしているのだろう。
 カメラに収めようと試みたが、くるりと茎の裏側に隠れてしまった。

 この夏は、朝顔に棲みついた、保護色の幼虫も見た。葉や茎を存分食べ、丸々肥った、大きな青虫であった。

 保護色とは、自然界のか弱いものが生きのびるための知恵?
 人間のように思考力を持たぬ虫の、不思議な生態である。


            

この記事をはてなブックマークに追加

8月の庭 (夏の花・百日紅)

2009-08-24 | 草花舎の四季
 暦の上の<処暑>は、昨日だった。
 それに合わせるかのように、今日は暑気が和らいだ。吹く風にも、秋が潜んでいる感じだ。

 午前中、浜田に出かけ、ちょうど正午に帰ってきた。
 その足で、草花舎に出かけた。
 今日は、スーザンさんの都合でお会いできず、私はひとりで食事をするために、いつもよりは早く草花舎を訪れたのだった。
 今日は高校野球の決勝戦の日、食事を終えたら早めに帰って、その試合を見たいとの思いもあった。

 食事の前に、庭を歩いた。
 日差しが満遍なく庭に注ぎ、百日紅の梢を見上げると、明るい陽光のまぶしさが梢の辺りを見えなくした。適当にシャッターを切るしかなかった。
 特に、前庭にあるピンクの花の百日紅(写真①②)は、位置を変えてみても、空のまぶしさは変わらなかった。
 草花舎の入り口にある、百日紅の白い花(写真③④)は、日陰に立ってカメラに納めることができた。が、その背景の空の輝きは変わらない。

 裏庭の草むらに、密やかな花火が弾けていた。
 アゲタラム(カッコウアザミ)。(写真⑤)
 アゲタラムはギリシャ語で、<年をとらない>の意とか。花の色が変わらないところから、そう呼ばれるらしい。
 カッコウアザミは、葉がシソ科のカッコウに、花がアザミに似ているところからつけられた名前のようだ。(いずれも、ネットから得た知識。) 


        ①

                ②

        ③ 

                ④

        ⑤



 草花舎にいるとき、友人から携帯に電話があった。
 甲子園の様子を尋ねると、3回を終わって、2対2の同点とのことだった。
 帰宅してみると、優勝戦は膠着し、同点のままだった。

 最後まで甲子園に残ることのできたのは、日本文理(新潟)と中京大中京(愛知)の2校。打撃の勝る大型チーム同士だ。
 不思議なもので、観戦しているうちに、味方のチームができてしまう。
 優勝戦では、内心、中京を応援した。
 その中京が、6回に一挙6点を取った。
 望みどおりの結果に終わるかに見えたが、最終回の表、日本文理は粘りを見せ、1点差(9対10)まで追い上げた。最後まで諦めない姿勢が立派だった。
 結果は、中京大中京の優勝に終わったが、公平に見れば、甲乙つけがたい互角のチームだったようだ。

 甲子園の夏も終わり、晩夏の寂寥が、日々深まりゆく…。       

この記事をはてなブックマークに追加

夜空の花

2009-08-23 | 身辺雑記
 秋田の大曲で開催された花火大会の模様を、昨夜、BSハイビジョンで見た。
 山口、松江、玉川などで見た花火の、遠い思い出を懐かしみながら……。

 画面で見る花火は、臨場感、空気感に欠け、実物の美しさには遠く及ばない。しかし、大曲の花火を実況放映で見ることには、別の楽しみもあった。
 多くの花火師たちによって創られた、様々な花火の眺められること、解説者の説明を通して、新たな知識が得られることなど。

 昨夜は、<昼花火>も見せてもらった。
 縹色の夕空に、彩られた煙竜の妙!
 花火は夜のもの、とばかり思っていたのだが……。
 
 夜花火では、割物と呼ばれる花火について、一つ利口になった。
 何気なく見ている、夜空の大輪の花にも、単純な<八重芯>(言葉としては矛盾するようだが、芯を一色から二色に増やすことに成功したとき、<八重>と名づけられたのだろう。あくまで私の想像だけれど。)次第に複雑化した<三重芯><四重芯><五重芯>などがあるようだ。
 素人には、その違いを正確にとらえるのは難しい。なにしろ瞬間に炸裂する美しさなのだから。
 ただ、複雑なものほど美しいとは限らないらしい。
 今年の主流は<三重芯>、ついで<四重芯>。一つだけ<五重芯>が打ち上げられたようだが、解説者の話によると、出来映えの点で、必ずしも成功ではなかったようだ。
 高度な美を生み出すには、一二年の努力で、実現が可能なことではないらしい。

 創作花火には、テーマや物語があって面白い。
 主題にふさわしい音楽にのって、変幻自在に打ち上げられる花火も、夜空の音楽さながらである。
 創意工夫の結果として、夜空に咲く花に、優劣などつけがたい。
 みな美しかった!

 昨夜は、人工的な様々な華に、眼福の夜を過ごした。

 (写真は、テレビ画面に弾けた花火の一部。) 


             

             

             

この記事をはてなブックマークに追加

8月の庭 (夏の色)

2009-08-17 | 草花舎の四季
 午後、草花舎へ行く。
 スーザンさんの方が先に来て、もの思う人の趣で、ベランダの椅子にかけておられた。庭を一巡してから挨拶する。

 緑の庭に、ミニトマトとカンナ。(写真①②)
 朱色は、夏の色である。
 法師蝉の声を聞きながら、庭を歩く。
 やっと法師蝉の季節が訪れた。

 (白とピンクの百日紅の花が、高い梢に咲いていた。カメラに収めたのだが、失敗作に終わった。次回の訪れまで、花を保ってくれているといいのだが……。)

 スーザンさん主催のワークショップの日が近づいている。
 準備で忙しそうである。
 食事を終えたところへ、石見神楽の I さんが来られた。
 I さんは、持参の図案を示し、スーザンさん、Tちゃんらと話し合われた。
 私は傍観者として、振付の図案化を面白く見、話に耳を傾けた。

 ワークショップの開始日は26日、発表会は、9月7日の夜とのこと。
 その日はぜひ見に来て、と誘われている。
 参加者の来日も近く、来週の月曜日、スーザンさんとの食事は無理だろう。
 Tちゃんとの打ち合わせの続くスーザンさんにお別れし、私はひと足先に帰途についた。 


             ①

             ②

この記事をはてなブックマークに追加