ぶらぶら人生

心の呟き

12月の庭

2009-12-28 | 草花舎の四季
 お昼過ぎ、草花舎に出かけた。今年最後の憩いのときを求めて。
 草花舎は、明日からお休みになる。

 今朝は、風が冷たかった。が、思いの外、好天になり、空に青が広がった。
 食事前に、庭を歩いた。
 コートを着、帽子をかぶって。
 今、庭には花色が乏しい。
 それが、冬らしくていい。
 クリスマスローズはまだだろうなと思いながら、昨年も一昨年も花の咲いた場所に行ってみた。蕾を一つ見つけて満足した。
 穏やかな冬の日差しの中に、庭も建物も、静もっている今日であった。

 今年も、草花舎で、おいしいカレーライスやコーヒーをいただき、折々の展示作品に心を揺さぶられもした。
 スーザンさんやAさん、YさんやTちゃんなど、日頃から親しみのある人たちばかりでなく、偶然会った人とも語る喜びがあった。
 最高の楽しみは、訪れるごとに、ひとり庭を歩いて、四季の風に吹かれることであった。

 来る年も、草花舎に足を運べる一年でありますように。 


            

            

            
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冬日和

2009-12-27 | 身辺雑記
 昨日の溝掃除を最後に、外仕事はおしまいにするつもりだった。
 ところが、もう少し庭をきれいにせよとばかり、昨日以上に暖かな冬日和となった。
 昨日の労働が、それほど体にこたえていない。
 そこで、前庭の雑草を抜いたり、落ち葉を片付けたりすることにした。

 隣家の堺近くの草抜きをしていたら、お隣のHさんが話しかけられ、しばらく立ち話をした。
 さすがに冬である。体を動かさずにいると、徐々に寒さが体に沁みてきた。
 今日は、<小>のゴミ袋に不要物をつめるだけの仕事を、結構楽しみながら果たした。

 話していたHさんの姿が見えなくなったと思ったら、家からウメモドキの一枝を持ってきてくださった。
 今日のご褒美!?
 さっそく無造作に花瓶に入れた。


           

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溝掃除

2009-12-26 | 身辺雑記
 めったにしない外回りの掃除をした。
 お正月を迎えるに当たって、せめて溝掃除だけでもしておこう、そう思って外に出たのだった。
 曇り日ながら、寒さはない。
 11月に、崖の草刈りと溝周りの掃除をH夫妻がしてくださったので、そんなに汚れてはいない。が、私は要領が悪いので、一時間をたっぷりかけて溝に落ちた落ち葉を片付け、立ち枯れたままに放置していたホトトギスや芍薬なども刈り取った。
 <大>のゴミ袋が、不要ゴミでいっぱいになった。

 よく働いたと、ささやかな満足感を抱いて、庭の木々を眺める。
 まだ山茶花が咲き続けている。
 咲き始めて間のない、美しい一輪の花があった。(写真)
 花々にも、命満ちて最も美しく咲く時期がある。その姿を私に見られることもなく、大方の花は盛りを過ぎて開ききっていた。
 

             

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更地になって

2009-12-26 | 身辺雑記
 焼却炉を撤去してもらった。
 作業員二人で、コンクリートの炉を解体して、持ち帰ってくださった。
 「作業が終わりましたので…」
 と言われて裏庭に出てみると、周囲の草取りまでして、きれいな更地にしてくださっていた。
 一箇所、土を盛り上げて草が植えられている。
 花の咲く植物と勘違いされたのであろう。
 私も自信はないが、雑草であろうと思う。

 丁寧で誠実な仕事ぶりが嬉しく、植え置かれた雑草も、しばらくはそのまま眺めようと思う。

 さて、この更地に何を植えたものか。
 酔芙蓉にしようか、百日紅はどうだろう、ナンバンハゼがいいかしら、ドウダンツツジは?
 と、まだ決めかねている。

          

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野は春のよう

2009-12-24 | 身辺雑記
 訪問の友人を送って外に出てみると、タンポポの冠毛がほぼ完璧な姿で、冬日和の野にそよいでいた。
 心が和らぐ。
 なんという見事な佇まいであろう。
 自然界の草花の<あるがまま>の姿がいい。
 木枯らしが来れば、抗うことなく吹き飛んでしまうだろう。
 それがいい。


             

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食事処で

2009-12-22 | 身辺雑記
 街に出た。
 昼食を済ませて、髪の手入れにゆく。
 食事処のお手洗いに置かれた二つの花瓶に、目を惹く薔薇一輪と清楚な山茶花一輪が、挿してあった。
 
 心晴れぬ日は、こうしたさりげなく存在する美が、心を慰めてくれる。


 ※ <余禄>

 今日の読売新聞の「日めくり」欄に、<生足(なまあし)>という語についての記事が載っていた。
 <生足?> 気味悪いなと思いながら、記事を読んだ。
 私には、殺人犯により切断され、遺棄された足のイメージが湧いたのだ。

 すぐ電子辞書(広辞苑第六版)を引いてみた。
 <生足>は出ていない。
 が、記事を読むと、2001年刊の三省堂国語辞典には載っているのだという。
 <生足は、女性がストッキングをはかないのを指す。>
 と、あった。
 なぜ<素足>ではいけないの? と思った。
 <足袋や靴下をはかず、足首から先がむき出しなのが素足。>
 との説明も記されていた。
 生足は、女性だけに遣われ、脛も出ている状態ということらしい。素足は露である範囲が狭く、男女を問わず遣われる言葉ということか。
 新語としてすでに定着した言葉かどうか知らないが、私個人としては、どうも気に食わない。といってみても、言葉というものは、多くの人が使い始めれば、当然顔して独り立ちするのだろうけれど。
 まだ、多くの辞書には、この言葉が載っていないのが嬉しい。
 
 それにしても、「生」という漢字は、重宝だ。実に多くの読みや意味を表す。
 「生(なま)」にも、二通りの意味があることを「日めくり」欄でも、紹介している。
 ☆ 生煮え、生兵法など「中途半端」の意。
 ☆ 録画・録音でなく直接見たり聞いたりする場合の生。生野菜、生肉など。
 
 「生」の音訓の読みを思い出してみると、
   音読み→セイ・ショウ
   訓読み→いきる・いかす・いける・うまれる・うむ・おう・はえる・はやす・き・なま・うぶ・なる
 など、幅の広い読みを持つ一語である。

            

            

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師走の草花舎

2009-12-21 | 草花舎の四季
 草花舎の室内にも、季節の色がある。
 今は師走。飾り物、器具類にも、12月を感じる。
 
 懐かしいアラジンのストーブも焚かれていて……。


             

             

             

                    

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12月の庭 (冬薔薇)

2009-12-21 | 草花舎の四季
 草花舎の庭に、今は花が少ない。
 淡い冬薔薇(写真)を眺め、時雨模様の庭を歩く。

 先日、高千穂の神楽を見に行かれたスーザンさんは、持病の喘息が出て休養なさっていると、Tちゃんから聞いた。
 高千穂の夜神楽見学が、ちょうど寒波襲来の、最も寒い時期と重なったので、身体にこたえたのだろう。
 お休みになっているスーザンさんに、お見舞いの気持ちを届けてと、Tちゃんに伝えて帰る。

 スーザンさんにはお会いできなかったが、石州和紙会館のAさんが来られたので、お話をしながら食事をする。
 明日は、楮の刈り取り日だと話しておられた。
 寒波も、明日くらいから緩むだろう。
 楮の刈り取りから、紙が出来上がるまでのプロセスは、想像以上に大変らしい。

 食事の後、Yさんから、野菜ジュースをいただいた。
 格別おいしかった。
 多分冬大根の甘さのせいであろう。
 野菜の味の話になった。
 玉葱なども、季節ごとに、うま味は随分違うものらしい。
 四季を問わず、店頭に並んでいる野菜が多いので、ついつい、それぞれの旬の味を忘れがちであるけれど……。
 
 一足先に草花舎を出られるAさんに、
 「どうぞいいお年を!」
 と言う。今年、お会いする機会はないだろうと思って。
 互いに、しきたりの挨拶を交わしながら、居合わせた者同士、今年も残り少なくなったことへの感慨を覚える。
 
 
            

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焼却炉の廃棄

2009-12-19 | 身辺雑記
 前々から、わが家の焼却炉は、<無用の長物>だと思っていた。(写真)
 最近は、自宅で物を焼却するのは禁じられている。
 処理したいと思いながら、私の力ではどうにもならず、そのままにしてきた。

 昨日、<そうだ、M会社に相談してみよう>と、思った。
 夕方、電話すると、社長が直接電話に出てくださった。
 毎年、夏に、窓拭きやお風呂場など、私の手の届きかねるところを、きれいにしてもらっている会社である。
 社長は、年内に取り去ることを引き受けて、今朝、状況を見に来てくださった。
 コンクリートの塊のようものだから、簡単には動きそうにもない。
 除去の方法は任せ、近日中に取り去ってもらうことにした。

 昨夕、M会社の社長との話がまとまった後、私はO造園にも電話した。
 年が明ければ、庭木の消毒や施肥のため、訪問してくださることになっている。
 そのときまでに、焼却炉の跡に植える花木を選んでほしいと依頼した。
 庭が狭く、何かを植えるとすれば、焼却炉を除去するしかないと考え、早速、その手立てを考えたのである。

 われながら、少々、せっかちすぎると思う。
 が、私の誕生日は1月である。しかも、来年は大きな区切りの年齢でもある。
 記念樹を植えよう、と考えたのだ。
 せっかく植樹した木の四季を、あと幾年、眺められるかを思うと、心もとない話だけれど…。

 人間(私)は、矛盾を平気で生きているもののようだ。
 一昨日、バスを待っているとき、顔見知りの人から、近くにあるスーパーが、来年の3月には閉店するらしいと聞いた。
 驚いた。
 食料や日用品の買い物は、すべて街まで出かけなくてはできないことになる。
 その話を聞いた瞬間、加齢と共に不自由の多くなるこの地に、いつまで住めるのだろう?と、頭を抱えたばかりである。
 それなのに、昨夕来、この家に永住し続けるのが当たり前であるかのように、焼却炉を除去し、植樹することを考えているのだから。


 木の種類は決まっていない。
 候補として、芙蓉はどうだろう? と、考えている。
 中でも、酔芙蓉はどうかしら? と。
 Oさんは、
 「大きくなりますよ」
 と、言われた。
 落ち葉の処理に窮するだろうか?
 Oさんには庭木の剪定をしてもらっているので、大体の状況は理解しておられる。
 結局は、Mさんに候補を考えてもらうことにした。
 「常緑樹と落葉樹、どちらが希望ですか」
 と、尋ねられた。
 椿や山茶花は家にある。それを除けば、庭木として、どんな常緑樹があるのだろう?
 すぐには思い浮かばず、
 「とにかく、花の咲く木がいい」
 と、お願いした。

             

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野を行けば

2009-12-18 | 散歩道
 郵便局へ行くのに、遠回りをした。
 身体を動かし、心の悪足掻きを捨てるために。

 狂い咲きの躑躅があった。(写真①)
 マユミの赤い実が、枝々を賑わしていた。(写真②)
 久しぶりに野を歩くと、水仙の花がずいぶん増えていた。(写真③)

 崖の花を眺めながら、毎年、この時期になると、同級生のMさんから、お正月用にと水仙の束が届くのを思い出した。しかし、今年は届かないだろう。
 かなり前から、もう外歩きができないと聞いている。この日々、どんな具合だろうかと、その体調を案じた。

 風花が舞っていた。
 マユミの向こうには、青い冬空が広がっていたのに…。
 眼鏡に、先が見えないほど水滴が止まった。
 <心の雨>が、涙となったかのように…。


 <以下、余録>
※今日は、ソコロのSさんに来ていただいた。
 時間をかけて、二台のパソコンの点検やウィルス対策をしていただいた。
 いつも大変お世話になる、
 夕方、写真を取り入れようとしたところ、画面がいつもと違っている。すると、もうどうすればいいのか分からない。そこでまた、Sさんに電話した。
 私には、パソコンに対する応用力が全くないので、些細なことにも、力を貸していただくことになる。

※今日は、山口の友達から、お正月用のお餅と、この秋採れたお米が届いた。
 もうお餅の届く時期かと、またしても心急く思いであった。でも、お餅は大好物なので、ありがたい!
 早速お礼の電話を入れた。

※昨日の「天声人語」(朝日新聞)で、<尾生の信>という言葉を知った。
 意味は文中に記してあったが、辞書も引いてみた。「荘子」に出てくると知った。そこで、『中国の故事名言』も開いてみた。
 尾生高という人の死に方から生まれた言葉だという。
 彼は、密会を約した女性との約束を守り、橋の下で待ち続けた。が、折からの雨で川が増水した。それでも、彼はその場を離れず彼女を待ち続けて、溺死体で見つかったというのだ。

 辞書や本には、
 <固く約束を守ること。>
 <愚直なこと。>
 と、二つの意味が出ている。

 さて、この話をどう解すればいいのか?
 今時、尾生高は存在しないように思う。
 愚直と言われようと、約束を守り通した尾生高を、私は憎めない気がするのだか…。
 私ならどうする?

              ①

              ②

              ③

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