ぶらぶら人生

心の呟き

三月尽

2015-03-31 | 身辺雑記
 3月が、終わる。

 1年の4分の1を生きたのだなと、しみじみ思う<3月尽>の今日。
 自覚のない後転(1月11日)以来、実に慎重に暮らしている。

 以前に比べ、体の訴えに、よく耳を傾けるようになった。
 そして、休息の時間が多くなった。
 だから、当然、一日にできることが少なくなっている。
 1時間あればできていたことが、倍の2時間はかかるようになった。

 だが、焦らない。
 これが老いというものだろうと考えて。

 頭の機能が、ずいぶん悪くなったらしい。
 日常的な単語がふっと消え、一つの、単純な単語を思い出すのに翌日までかかったり…。

 過日、すぐ下の妹と電話で話した夜、ベッドに入ってから、《妹も誕生日が来れば80、つまりは○○?〉
 そこで思案が始まった。
 幾度も、頭の中を言葉が巡る。

 還暦・古稀・○○・米寿・卒寿・白寿。
 志学・而立・不惑・知命・耳順・従心。(論語で学んだ年齢の呼称。15・30・40・50・60・70歳)

 ○○は??????
 と、思案しているうちに眠った。

 翌日、考えていたわけでもないのに、
 <あれは、傘寿>と、ひょっこり出てきた。
 どうでもいいようなことは、またいつか思い出せばいい。
 が、ブログを書いているときなどに、適切な言葉が、頭の中の引き出しの奥に隠れてしまうのは、本当に困る。
 だから、すべてのことに時間がかかるのだ。
 でも、<まッ、いいか>と、諦めている。                                  
                               
                                 花壇の可愛い白花

                               
                                 チューリップ、まだ目覚めず

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ななおさかき『ココペリの足あと』

2015-03-30 | 身辺雑記
 アマゾンから、注文書『ココペリの足あと』が届いた。

         

 ななおさかきの名前は、辻信一さんの本で、初めて知った。
 平仮名の名前だし、なかなか覚えられなかった。

 『ココペリの足あと』の終り部分に、遠藤朋之氏の <ななおさかき小伝>FutureとPrimitiveのはざまで が載っている。

 <1923年元旦。鹿児島県川内市の染物屋、榊家にひとりの男の子が生まれる。七番目の子供ということで、「七夫」と名付けられる。榊七夫、のちに「ななおさかき」として知られることになる詩人/活動家の誕生である。>

 この書き出しを読んで、やっと、その名前<ななおさかき>が、私の頭に定着した。

 私が知らなかっただけで、世界的にも著名な詩人・活動家であることを知った。
 編集者の説明によると、『ココペリの足あと』(思潮社 2010年8月1日刊)は、ななおさかきさんの没後、既刊の詩集からセレクトされたものに、未発表作品を加え、年代順にアレンジした新詩集なのだそうだ。
 (ななおさかきさんの没年は、2008年。)

 【「ココペリ」とは、アメリカ、インディアン、ホピ族のカチナ(神・精霊)の1柱。豊穣の神(男神)。】をさすようだ。


 ただ今、この偉大なる人に、故人の詩を通して接し始めたばかり。
 詩は簡単に読める。
 が、その内奥にあるものを、時間をかけてゆっくり、吟味したいと思っている。     

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春!

2015-03-29 | 身辺雑記
 チューリップが開いた。
 午前中に一つ。午後、もう一つ。…二つ並んで…。

                       春! 

        

        

 蕾しか見当たらなかった、椿の小木にも、花が咲いた。こちらも二つ。葉陰と、陽の当たる場所に。
 
  


 桜の開花はどうかしら? と、 中学校の校庭を覗いてみた。

                 二、三分咲きといったところ

        

        

  


 追記  今夕、7時のニュースで、東京・福岡の桜が満開になったと報じていた。
     平年より数日早いとのこと。
     このところの暖かさが、影響しているのであろう。

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『「しないこと」リストのすすめ』

2015-03-28 | 身辺雑記
 私には、読みかけのまま放置している本が、幾冊もある。
 歳月が早く過ぎるので、小休止のつもりが、大休止となってしまい、読んだ部分が思い出せない本もある。

 辻信一著『「しないこと」リストのすすめ』(人生を豊かにする引き算の発想)は、<ポプラ新書>として、2014年9月1日に発行された本である。
 (2009年に、『スローライフのために「しないこと」』と題して刊行された本を再編集し、新書化されたもの。)

               

 発行日から考え、購入したのは、昨年の10月頃であろう。
 きっと本屋で立ち読みして、これは面白そうだ、私にとっては好都合な本に違いない、そう考えて求めたのではなかったか?

 帯に書かれた

   <明日できることは今日しない。 ……「しない」という自由な生き方へ。>(帯表)
   <すっきりしたい、のんびりしたい……。「引き算の衝動」の中に、幸せに生
   きるためのヒントがある。>
(帯裏)

 といった広告文(紹介文)にも、心惹かれたのだろう。
 
 読みかけの証拠に、付箋が本の半ばで終わっている。
 面白くないからではなく、何かのはずみで他の本を読み始め、そのままになっていたらしい。

 そのことに気づいて、残り半分を一気に読んだ。
 辻信一さん(文化人類学者・環境活動家・明治学院大学国際学部教員)の文章を読むのは、今回が初めてであった。

 感銘しきり。
 この本は、人の生き方を考えさせてくれる本である。
 また、私の考え方の、支えとなってくれる本でもあった。

 付箋をつけたところがたくさんある。
 この本の魅力を上手に紹介したいが、要約力が衰えていて、無意味な駄文を弄することになりそうだ。

 そこで、本文最後の部分(A)と<おわりに>の一部(B)を引用して、作者の考え方を示すことにしたい。

 ※ すべての人々の「なる」芽が、過剰な「する」によって摘みとられる、花のない、さびしい「するする
   社会」になっていないかどうか。
   やり過ぎてはいないだろうか。水をやり過ぎていないか。肥料をやり過ぎていないか。食べ過ぎていな
   いか。がんばり過ぎていないか。急かしていないか。かえって教えないほうが、耕さないほうが、励ま
   さないほうがいいのではないか。
  (A)

 ※ 『「しないこと」リストのすすめ』を改めて世に送り出そうとする今、ぼくが、最後にどうしても付け
   加えたい「しないこと」は、「原発をもうしないこと」なのです。

        ……略……
   世界には今、四○○基もの原発が立ち並び、どれもが「トイレのないマンション」状態です。そこから
   生み出され続ける行き場のない何十万トンという放射性廃棄物は、今後少なくとも十万年間に
   わたって、生命を脅かします。世界中に、その場しのぎの中間貯蔵施設や再処理工場など、あ
   りとあらゆる巨大施設がつくられ、その間を廃棄物が行き来するための輸送システムがつくられ……。

        ……略……
   ……そこで大切なことは、「何をするか」より「何をしないか」。未来の世代のためになるような、
   「しないこと」リストをまず考えるのです。
  (B)

   
辻さんの主張通り、未来の世代のためになるという意味なら、原発だけでなく、憲法改正も、しない方がいいに決まっている。
 現憲法のもとに、70年間も平和が守られてきたのだから。

 「しないこと」は、一見、消極的、非生産的に思えるけれど、「○○すること」が、絶対にいいこととは言えないのだ。

 辻信一さんの主張は、実に理にかなった考え方である。

 文中には、加島祥造さんや鎌田實さんなど、すでになじみのある人の考え方も引用してあった。
 が、一方、知らない方々の優れた考え方も、たくさん紹介されていた。
 その中で、特に、詩人ななおさかき(1923~2008)という人に、興味を持った。
 そこで、アマゾンへ、本を一冊注文した。 

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ピント合わせ

2015-03-27 | 身辺雑記
 今日(26日)も、春の日差しいっぱいの好天であった。
 そこで、庭に出て、花の写真を撮りつつ、ピントの合わせ方を工夫した。

 なかなか思うようにゆかない。
 特に、繊細なジューンベリーの蕾を撮るのには苦労した。(添付した写真も失敗作)
 満足ゆく写真の撮れないまま諦めた。

 思いがけぬところに、蕗の薹を見つけた。
 長けてしまって味気ないけれど、その発見が嬉しかった。

  

 花壇のチューリップは、植え替えをしなかったので、その数は少ない。
 それでも、蕾をつけている。
 時期が来れば、咲いてくれるだろう。

  

 シデコブシや3種類の椿の花も、撮ってみた。
 椿の白い花は、溢れるほど、多数咲いてくれる。
 しかし、この花の終わり方は美しくない。
 茶色に変色し、台無しである。
 そこで、今日は美しさを保っている、ほんわかした白い花を撮ってみた。
 ピンクの椿は、ぽつんぽつんと咲く。
 最近は、ヒヨドリが来なくなったので、安心して咲いている。

 横庭の小さな椿の木には、やっと一つ、蕾がついた。

  

  


 庭の雑草が、みるみる伸びている。
 「草取りはしない」、そう決めていたが、花壇の中と、スイバ、ヨモギなど、根を張りそうな植物の一部を抜き取った。

 草取りの<ほどほど>は、難しい。
 もう少し、もう少しと思って、無理をしがちだ。
 しかし、明日にこたえてはいけないので、適当なところで打ち切った。
 春の日差しは思いの外強い。短時間の作業だったのに、日焼けしてしまった。

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桜、咲き支度

2015-03-26 | 身辺雑記
               3月25日 桜の蕾(中学校の校庭)
                     開花は、いつ?     

         

                     野も、色づいて

  

              

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3月の庭 (杏子の花と青い空)

2015-03-26 | 草花舎の四季
 昨日、カレーライスをいただくために、草花舎へ行った。
 先客として、Tさんが来ておられた。

 同じカウター席で、Tさんと話しながら、昼食した。
 いつもは、目の前に並んだご馳走を、まずはカメラに収めるのに、昨日は忘れてしまった。
 何かに夢中になると、何かが抜かる。
 完璧に事を行えない自分を、他人事のように眺めて楽しむしかない。
 老女(私)は、なんと抜かりの多いことか。

 前日よりは気温が上がった。が、依然として春の暖かさではない。
 薄いコートを着たまま庭を歩く。

 杏子の大木が、たくさん花をつけ、ほぼ同量の花を大地に還していた。
 盛りは、とっくに過ぎたようだ。

 空の青さが、寂しいくらいだ。
 <虚空>の空虚さ!
 仰ぐ空を遮るものとして、大木の枝や梢の存在することは、救いである。 


          

               

  
                    スモモ(プラム)とクリスマスローズ

  
                    チューリップ(余命いくばく?)

  

 Yさんは、昨日、長時間、庭の草取りをしていて、膝を傷められたという。
 不自由でも、花を活けたり、次回の展示会の準備をしたり、多忙である。
 少し労働過多、思考過多ではないだろうかと心配する。
 (四六時中の生活を知るわけではないけれど…。)

 次回の展示会 『邊見泰子 Botanical Art + Something 展』 の準備中である。
                      会期 3月29日~4月29日

 Yさんは荷解きの最中であった。
 心と身を駆使してのお仕事!

 一か月の会期があるので、邊見泰子さんのボタニカル‐アート(植物細密画)に、数度は会えるだろう。 


   
         Yさんの活けられた花       トサミズキの花     同

 追記  帰宅の際、Tちゃんから、<タイ焼き>をいただく。
     (Tさんの手土産を、おすそ分けしてくださったようだ。)
     S寺のGさんも来ておられ、「何かあったら、すぐ電話して」と、言ってくださる。
     危険と隣り合わせに生きているような世の中。心遣いをありがたく思う。

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不気味な怖さ

2015-03-24 | 身辺雑記
                 <午後の出来事>
 
 私は、絶対に大丈夫! おかしな電話にひっかかったりはしない、と。
 もう長い間私は、電話機に記録している相手と、宅配便(現金引き換え)の確認電話にしか出ないことにしていた。

 ところが、今日、ヒツウチ電話なのに、受話器を取ってしまった。
 日ごろ、健康状態を案じている人からではないだろうかと、ふと思ったのであった。

 (私の電話機には番号を入れているのに、相手からかかるときには、<ヒツウチ>と表示される人が
  二人いる。恩のある知己と、高校の同級生と。)

 なぜ、予感めいたものを感じたのか、私自身分からない。
 が、それが、間違いのもとであった。

 聞きなれない男の声で、
 「市役所の○○課ですが、現在も、おひとり暮らしですか」
 と。
 (○○課は、市民課であったように思うけれど、記憶が曖昧である。<市役所>という言葉だけが主要語として耳に届き、)
 「はい」
 と答えた。
 が、その瞬間、<なぜ?>という疑問と、<まずい!>という思いが、心をよぎった。
 間、髪を容れず、
 「市役所からのお電話が、なぜヒツウチなのですか」
 と、尋ねた。
 すると、
 「あ、あとで番号知らせます」
 と、電話は切れた。
 (その後、再び電話はかからなかった。)

 しかし、<ああよかった>では済まされない不安を覚えた。
 ヒツウチ電話の問いに誘導されるままに、自らひとり暮らしを認める返事をしたことについて。
 単に<まずい>では済まされない、と思った。
 怖いことでもある、と。
 一瞬の<クワバラ、クワバラ>ではなく、心が凍りつくような気味悪い怖さ!

 私は、駐在所に電話した。
 警察のSさんは、すぐ事情を聞きに来てくださった。
 私の軽率な行動をありのままに話し、今後のことについて相談した。
 (それを、細かく書くことはしないでおこう。)
 ただ、Sさんが、実に親身に対応してくださったことだけは記しておきたい。


            × × × × × × × × × × × × × 


               <朝は、花見を楽しんだのだった>
 
 今朝の冷え込みは、ひどかった。
 <彼岸明け>の今日なのに。

 終日、肌寒い日であったが、青空の広がる好天であった。
 そこで、先日、心惹かれながら、デジカメもスマホも持参しておらず、撮影できなかった花々を見に出かけた。
 以下、近所の畑周辺で撮影したもの。

                          エンドウとソラマメの花
  

 野菜の花だからといって無視できない個性を持つ花たちだ。
 エンドウの花は可憐だが、ソラマメの方は少々奇抜であり、自己主張が強い。
 違いはあっても、いずれも、なかなか個性的である。

 幼いころ、ソラマメの葉で遊んだことを思い出し、一枚、黙っていただいた。
 子どものときのように…。
 葉の付け根をちぎり、指先でこすって、葉の表と裏を剥す。
 葉の裏側は、セロハン状の薄い膜になり、剥がれて袋状になる。
 子どものときには、ただそれだけのことを楽しんだものだ。
 
 今日は、うまくゆかなかった。
 指先が青く染まって、ソラマメの香りが漂うだけであった。
 失敗の原因は、葉が若いせいだろうか?
 

                        畑の傍にあった水仙と雪柳
  

                        李(スモモ)の花と木瓜の花
  

      
                         家に咲く 今日の花 
          

                     

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『晩鐘』

2015-03-22 | 身辺雑記
 『晩鐘』の作者・佐藤愛子さんは、1923年生まれの91歳である。

        
        
 この作品は、88歳になって書き始められた小説である。
 衰えのない創作意欲、表現力を含めた筆力に感心する。
 老いなど微塵も感じさせない。
 

 本自体、持ち重りするものであったが、中身も重いものであった。
佐藤愛子さんと、その周辺の人々が、小説の形を通して、書かれている。
 きれい事では済まされない人生の真実が、それぞれの生き方にある。
 一つの作品を読むことで、どれだけ多くの人生に出会えたことか。

 『晩鐘』と題されたところに、作者の意図がある。
 小説のフィナーレにおいて、主人公は、微かに遠く晩鐘を聞くのである。

 この小説を読んで、最も共感を覚えたのは、作者の老いが書かせた一面である。
 
 そうです。この感覚です。この怖ろしい「一人ぽっち感」です。  (P386)

 老いた人間が耐えなければならないのは、肉体の衰えだけではない、言葉にはならない孤独感の重たさ…(略)…(P466)

 そうだ、と思う。
 しかし、佐藤愛子さんは、
 「違う違う。あなた、まだ82歳でしょ。そんなものじゃないのよ、90歳は…」
 と言われそうな気もする。


 私がこうして、ブログを書いているのは、老いの孤独に抗っているだけなのかもしれない。
 『ぶらぶら人生』を書き始めた当時を思い出すと、心身の状態が今とはまるで違った。
 <ぶらぶら>には、ゆとりがある。

 が、今は<ふらふら>。
 <ふらふら>には、不安定感が否めない。
 <ふらふら>が、最近の実情である。

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無事の墓参

2015-03-21 | 身辺雑記
 今日は、2015年の春分の日である。
 お彼岸の中日。

 甥の車に乗せてもらって、墓参した。
 この春も、お墓参りができ、安堵している。

 彼岸の人を偲ぶ此岸に、私はまだいる。
 お盆の墓参、秋のお彼岸の墓参が、必ず可能という確信は持てないままに。

 父や兄の晩年を思う。
 同じ思いを幾度か繰り返して、終焉の日を迎えたのであろう、と。

 今日も、私は、ただお参りするだけであった。
 墓所や墓石の掃除は、妹の一家(5人)がしてくれた。
 私は何もせず(というより何の役にも立たず)、墓所に立って、うすら寒さを我慢しながら、鶯の声を聞いていた。
 半分彼岸にいるかのような気分になりながら。
 
 墓所の近くに、お世話になった老女が住んでおられる。
 カーテンが開いていたので、在宅であることは分かったが、挨拶に伺う気になれなかった。
 訪問して話すのが、億劫であった。


 お昼は、妹一家と昼食を共にした。
 <とみ>にて。

 レストランの窓から見える海の景は、霞んでいた。
 海の表情は、日々異なる。
 今日は、海面に段差のある、不思議な眺めであった。(写真 右)

  

                  私のいただいた天婦羅定食
              


 食事の後、私の家で、一緒にコーヒーを飲みながら歓談。
 AYAちゃんに、中学卒業と高校進学のお祝いを渡す。
 中学校の3年間は、楽しかった様子だ。
 高校では、合唱部に入るのだとか。

 AYAちゃんに、LINEの受信音やトーク画面の色を変更してもらった。
 若い頭脳の柔軟さには、驚くばかりだ。 

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