ぶらぶら人生

心の呟き

朝顔の双葉のぞく

2011-05-27 | 身辺雑記
    

 5月半ばに、昨年収穫しておいた朝顔の種を、プランターにまいてみた。
 多分生じないだろうな、と思いながら。

 ところが、双葉が5本のぞいたのだ。
 うまく成長して、花が咲くかもしれない、と楽しみができた。

 昨年までは、妹夫婦が届けてくれる鉢植えの朝顔を楽しんだ。
 が、毎朝、欠かさず水遣りをするのが少々億劫に思え、今年は、私用の朝顔の鉢はいいからと断っておいた。
 プランターの朝顔は、自在に咲かせてみようと思う。水遣りの義務に拘束されずに。

    

 ジューンベリーの実が熟し始めた。
 昨年は、ヒヨドリに全部食べられて悔しい思いをした。
 今年は、完熟の実を口にできると嬉しいのだが、またヒヨドリを養うことになるのかもしれない。せいぜい色づくプロセスを目で楽しみたい。

 この季節、例年なら、ユキノシタが、地味ながら奥深い趣の花をたくさん咲かせるのだが、なぜか今年は花が少ない。

           

 ニワセキショウの小さな花を、庭の片隅に見つけた。

         

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<桜ウツギ>咲く

2011-05-27 | 身辺雑記
 花壇に、<桜ウツギ>の花が咲いた。
 初めて見る花である。
 ウツギには、いろいろな種類があるのだろう。
 名前に<桜>を冠しているこのウツギは、その名どおり、桜色の可愛い花をつけた。

 先日、妹宅を訪れたとき、車で送ってもらい、わが家の花壇に、植えてもらったものである。
 
     

 同じ花壇には、キョウカノコも、小さな花火のような花をつけ始めている。

     


 昨日、例年より早く梅雨入りが発表された。
 昨夕来、静かな雨が降り続いた。
 が、今朝は晴れ間がのぞき、日差しもあった。
 束の間のお天気を上手く生かそうと庭に出た。
 庭の歩道脇に、植物名ははっきりしないのだが、勝手にマーガレットと呼んでいる花が、初旬の頃から、一列に並んで咲いていた。が、今は花も凋落、伸びすぎた折れ茎も鬱陶しい。そこで、さらに見苦しくならないうちにと片付けた。

 下から、ドクダミの花が出てきた。
 雑草だが、私の好きな花なので、そのまま残した。

     


 庭にいると、時折、ホトトギスの声が聞こえてくる。
 3日前に、今年初めての声を聞いた。
 そして、昨日も今日も、近くの山で、キョッキョ キョキョキョキョ  キョッキョ キョキョキョキョ と鳴いている。

 ウグイスの初音同様、ホトトギスの声のおとないも、毎年待たれる。
 これから暫くは、日毎、戸外にたずんで、ひとときの訪問者の声に、耳を傾けるだろう。
 子どもじみた楽しみである。 

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ガーベラの花

2011-05-26 | 身辺雑記
 2か月ぶりにM歯科医院へ行った。
 定期の検診を受けるために。

 入り口の鉢に、ガーベラの花が咲いていた。
 赤いガーベラ。

         

 
 赤いガーベラは、死別という哀しみを思い出させる。
 遠い日の想い出とともに。

 下関のレストランでのことだった。
 テーブルの花瓶に、赤いガーベラが挿してあった。
 何用で下関に行ったのかは思い出せないけれど、同席の亡き師から聞いた話だけは、鮮明に覚えている。
 <母親と永訣した病室に、赤いガーベラが挿してあってね。この花をみると、母の末期(まつご)を思い出すのだよ>

 師が、ガンでご母堂をなくされて間もない頃であり、私は 20歳になったばかりの若き日のことである。妙に閑散としたレストランの雰囲気も、忘れ難いシチュエーションとして、記憶に刻まれている。
 そのとき以来、ガーベラは死別の悲哀と深く結びつくようになった。
 今日の赤いガーベラも、私の心には、哀しみの色にしか見えないのだった。

 あの日から50余年を生き、実に多くの大切な人たちと永訣した。
 元気で今を生きていることは、喜びには違いないけれど、年年歳歳、赤いガーベラの花は、須臾の哀しみを誘う。


 病院の受付台には、季節の花が無造作に活けてあった。
 皐月のさわやかな花々。

         

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これも花!

2011-05-18 | 身辺雑記
  

 「これも花ですよ」
 と、義弟に言われて、不思議な花の前に立つ。
 花らしくない花。
 奇妙奇天烈は花である。

 しかし、考えてみると、私が勝手に花の概念を規定しているのかもしれない。
 色や形が花の常識を越え、やや異常ではあるが、花には違いない。
 よく見れば、精巧を極めている。

 花に限らず、風変わりは面白い。凡庸を越えるものがあるから、世の中が楽しいともいえる。

 この植物は「寒葵」の一種。花の形状から「尾長カンアオイ」と呼ばれるのだそうだ。

 妹宅の庭で、今目立っているのは、芍薬とテッセン。(下の写真)

  

  

 妹によると、この時期、花の数は少ないのだそうだ。
 しかし、わが家の庭に比べれば、百花繚乱の趣である。
 皐月の晴れ間、庭を歩いて、地植えの花や鉢植えの花々を楽しんだ。
 100枚ばかりカメラに収めたが、その中の一部を添付しておこう。

  

  

  

  

  

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5月の庭 (ナニワイバラの花など)

2011-05-16 | 草花舎の四季
 60年ぶりに再会のYさんを、草花舎に案内した。
 一緒に昼食をとった。食事も趣のある雰囲気も、気に入ってもらえた。

 前庭に咲くナニワイバラの花が、盛りを過ぎようとしていた。
 花の前に、Yさんに立ってもらって、記念の写真を撮る。

 いつもはひとりで歩く庭を、今日は旧友と一緒に、草花を眺めつつ歩いた。
 Yさんは、花に詳しい。
 美女ナデシコやシュスランの名前を教えてもらった。

 今日は、草花舎のひと時を遠来の旧友と存分楽しみ、新たな想い出を刻んだ。
 
       

       

       
       

       

       


             (窓辺の鉢 シュスラン)

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遠来の客

2011-05-16 | 身辺雑記
 今日は、<遠来の客>Yさんを迎えた。
 ここにいう遠来は、距離的な遠さではなく、60年という時間的遥けさである。
 中学高校の6年間を同じ学び舎で過ごしながら、互いに消息を知らぬままに時を刻んだ。
 
 戦後の6年間、列車の4人掛けの席に坐り、通学を共にした一人である。
 卒業後、ぷっつりと連絡が途絶え、疎遠になっていた。

 私の持っている同窓会名簿には、Yさんの住所は空欄になっており、その消息を知ることができなかった。
 ところが、同級生のひとりから、Yさんの健在を知らされた。
 住所と電話番号を教えてもらい、早速電話で久闊を叙した。二年前のことである。

 <一度お会いしましょう>と言いつつ、月日が流れた。
 Yさんから、先日突然の電話がり、急に会うことになったのだ。
 私の家に来てもらうことにして、駅に出迎えた。
 「分かるかしら?」
 と、Yさんは心配そうであった。
 「大丈夫! きっと下車客はあなただけだから…」
 と、伝えた。
 果たして、ホームに降り立ったのはYさんひとりだった。
 
 60年という歳月は長い。
 18歳の若き日の面影は、顔の表情に幽かに残っているだけであった。偶然出遭ったのではお互いに分からないだろう。

 しかし、長い歳月の空白はたちまち消えた。
 Yさん持参の古びた写真が、昔を思い出すよすがとなった。
 数人が一緒の写真もある。が、どの写真にも、Yさんと私がいる。
 写真に登場する人たちは、当時、みな親しかった友達なのだろう。が、二人とも、その名を思い出せない人もいる。
 物故者が二人。
 一人はYさんとより親しい人であり、もう一人は私の仲良しであった。
 なにしろ高校の卒業時、600人近くの同級生がいたので、互いに共通の友達というのは少ない。親疎の微妙な差があるのは当然であった。

 Yさんと私は、高校卒業後、とにかく無事に60年を生きてきた。
 かなり生き方は異なっているけれど、それぞれが思う道を歩み、それぞれに幸せであったといえる。

 お昼には草花舎へ二人で出かけた。
 花の庭を歩き、昼食を共にしながら、さらに来し方を語り合った。
 3時半、山陰線の上りホームにYさんを送った。

 暫く、心の高揚感の失せぬ一日となった。
 
 

 今、庭のシランが盛りである。
 早速、花の写真を添えて、来訪のお礼をしたためた。

                
               

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藤の花

2011-05-08 | 身辺雑記
 今日は定期健診を受けに出かけ、藤の花に会う日となった。
 毎年、観音寺の藤のニュースを聞きながら、訪れるチャンスを逸してきた。
 藤棚の下に立つのは、今日が始めてであった。
 紅色の藤が、五月晴れの空のもと、藤棚に花房をたれていた。
 華やぎの中にしんとした静けさがある。
 物音と言えば、花に来る虫の羽音ぐらいであった。

 古来、日本人の心になじんできた花である。
 芭蕉の句や子規の歌など思い出しながら、ひとときを過ごす。


       

       

 病院にも、藤があった。
 患者さんによって育てられた鉢植えの藤。
 こちらは、いわゆる藤色の花。斑入りの葉が珍しい。
 そのほか、黒百合、コデマリ、浦島草の鉢もあった。

 病院が、心慰む場所であるのはありがたい。
 花ばかりでなく、先生も看護師さんたちも、みな優しく…。

       

       

       

            

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5月の庭 (花水木咲き…)

2011-05-03 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎に出かけ、久しぶりにカレーライスをいただいた。

 霾(つちふる)一日であった。
 遠景が、黄色く霞んでいた。

 花水木の季節である。
 草花舎にある紅白二本の木も、いま花盛りであった。
 花は小ぶりだが、梢を覆って咲き満ちている。
 時宜に適った訪れであった。
 花水木のほか、躑躅、ユキヤナギ、淡紅色のモッコウバラも咲いていた。

 現在、スーザンさんはフランスに帰国なさっており、Tちゃんはイタリアに出かておられる。 草花舎に二人の姿がないのは、なんだかもの足りない。

 帰り際、Yさんから、私宛に記された、スーザンさんの封書をいただいた。
 文面をみると、新年に記されたものであった。
 年が明けてから、食事を一緒にしたはずだけれど、渡し忘れておられたのだろうか。その後、Tちゃんに託され、草花舎に預けられていたのであろう。
 
 羅列された文字(アルファベット)に味があり、美しかった。
 さすが芸術家! と、感心する。
 お礼を言うのは、かなり先のことになる。
 スーザンさんが、こちらに戻られるのは、6月の下旬頃らしいので……。

 

   

   

    

    

    

              


 室内のあちこちに、季節の花がセンスよく活けてあった。
 以下は、その花瓶の花々。

    

    

    

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美しきもの

2011-05-02 | 身辺雑記
 小さな鉢に、極めて小さなスミレが咲いていた。
 ぼんやり眺めていては、見過ごしてしまいそうな可憐な花である。
 庭の草を抜いているとき、偶然、視界に入ってきた。
 

 野には、米粒ほどの小さな花がいくらでもあるけれど、スミレの種では珍しい。
 葉も、斑入りできどっている。
 多分、妹にもらった鉢なのだろう。

 枕草子の一節を思い出す。
 <美しきもの、うりに書きたる稚児の顔。雀の子の……>と。
 美しきものとは、小さくて愛らしいもの。

 草取りを怠れば、この<美しきもの>を見逃したに違いない。
 
              

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