昨日、朝食中に歯の不具合が生じた。
あいにく「スポーツの日」とかの祝日で、医療機関はお休み。
今日を待って、朝、かかりつけの椋歯科医院へ電話した。来週は定期検診にゆく予定にしていたが、それを待たずに生じた不具合である。
土曜日は半日診察なので、無理かもしれないと思ったが、10時ごろなら大丈夫と言われ、早々に支度して出かけた。
都合よく雨の降らない曇り日であった。
今は、半夏生の花の時期かも? と、バスの中で思いつつ。
果たして、池のほとりに、半夏生は花穂をつけていた。
最近、剪定されたらしく、松の木を始め木々は枝ぶりを露わにし、格好を整えられたばかりの風情であった。
半夏生も、かつて来合わせたときには、もっと繁茂していることが多かったが、今日は池の端に行儀よく並んでいた。
私の診察台が運よく半夏生の前だったので、看護師に断って写真を撮らせてもらった。
カウンターのトルコキキョウとリンドウ。
治療に合わせ、今月の口腔ケアもしていただいたので、途中、何事もなければ、次回は10月の診察ということになった。
名前を呼ばれるまでの待ち時間、バッグに入れていた文庫本(五木寛之著『自力と他力』)の読み残しページを読んだ。
若いころは、本を読むということは大事なことだと考えていました。中年になると、読書は何ものにもかえがたいひそかな楽しみだと感じるようになった。そして七十歳を超えたいまでは、活字を好んで読むのは病気の一種ではないかとさえ思っています。
[其の32 立ち止まらなければ見えないものがある]より
私も、若いころから本好きのまま今日に至った。
全く束縛のない老いのいまは、三食の食事時間よりはるかに長い時間、本を開いているのかもしれない。食事はやや義務的なところがあるが、本を読むのは恣意的である。
老いて、ひとりで楽しめることがあるのは、しあわせなことかもしれない。
帰りはタクシーを利用することが多いのだが、今日は買い物を控えめにし、バスで帰宅した。乗車予定の時間が来るまで、できるだけ背筋を伸ばして、街の中を多めに歩いた。これは、脚力を弱らせないための意志的な努力である。