ぶらぶら人生

心の呟き

桜散る季節

2021-03-31 | 草花舎の四季
 3月も、最後の日となった。
 弥生尽(三月尽)。
 早々と日々が過ぎ去ってゆく。

 昨日、施設から帰る途次、タクシーの車窓をよぎる桜が、みな豊かに膨らんでいた。
 咲けばはかなく散る、それが桜の桜らしいところだ。今日あたりはもう散り始めるのかもしれない。花見をするなら今日と思いつつ、やっと外出する気になったのは、陽がかなり西に傾いてからであった。

 草花舎の入り口に立って桜を見上げると、今が盛りと咲き満ちていた。が、一方で、目の前をはらはらと舞い落ちる花弁もある。落花の舞がすでに始まっているのだ。
 地面へ目を移すと、すでに<落花の道>となっていた。


  


  


 早くもツツジが咲き始めていた。
 透くようなピンク色の花が愛らしい。


  


  


  


    草花舎の室内

 クリスマスローズの花は、今日も、庭にたくさん咲いていた。
 室内の入り口にも、二種の花が、さりげなく挿してあった。高低や色合いの調和もよく。やはりはにかむように俯いて、消毒液の横に。

 
  

 
  その他の花や展示物。


  


  


  


  今日いただいたケーキとミネラルウオーター。
 
  


  
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ジューンベリーほか

2021-03-30 | 小庭の四季
 施設で昼食をいただいて、タクシーで帰宅。
 私自身が、十分な老女なのに、老人ばかりの施設でしばらく暮らすと、身体よりも心の方が疲れてくる。そして、帰宅したくなる。ひとりになると、不思議なほどほっとする。
 そのうちまた、自分のためのまかないに疲れてくると、施設にゆこうと思い始める。
 わがままな人間である。
 しかし、帰る場所のあることで、心の安定が保たれているような気がする。


 ジューンベリーの花が咲いているのをみて驚く。
 今年は桜に限らず、花々の咲く時期が、例年より早まっているようだ。


  


 


 


 カエデの葉も伸び始めた。まだ幼なげで、頼りない開き方ではあるけれど。


 


 



 妹宅の庭に咲いたシャクナゲの花。
 昼過ぎ、メールで届いた写真。 
 色鮮やかに咲いている。

 (草花舎のシャクナゲも咲いただろうか?)

  


  
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黄砂降る日の日の出・落日・満月

2021-03-30 | 身辺雑記
 3月29日

 予報どおり、黄砂で、風景のかすむ一日となった。


 

  6時27分の朝陽


 

  17時50分の落日


  

   19時55分の満月

(黄砂のため、山の端から、刻一刻と姿を現す月影を眺めることはできなかった。)

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『西行』を読む

2021-03-29 | 身辺雑記
   高橋英夫 著
   『西 行』


   


 評論の文章は、小説を読むようなわけにはゆかない。
 理解を深めようと思えば、ひとりでに時間を要した。西行の名前とその代表歌の幾首かを口ずさめるだけで、西行を知っているような気がしていた。が、高橋英夫著の西行論を読みつつ、無知に等しいことを知った。

 第一章 桜に生き、桜に死す…
 第二章 武門からの出立ーー略伝(一)
 第三章 円寂への旅路ーー略伝(ニ)
 第四章 西行伝説
 第五章 同質性を求めて
 第六章 晩年と無
 第七章 西行以降

  あとがき
  西行年譜

 以上が、この本の内容である。
 第七章の<西行以降>では、芭蕉について書かれている。

 西行の世界をもう少し知りたくなった。
 <西行>関連の論評は、小林秀雄ほか、多数ある。
 とりあえず、辻邦生『西行花伝』(小説)と白洲正子『西行』をAmazonへ注文。


 本棚から、『西行』を取り出して、施設に持参したとき、当然のこととして、私は私自身が購入した本であることを疑わなかった。
 が、いよいよ読む段になって、表紙を開いて驚いた。
 下方には父の印判が押してあり、上方には父の文字で、<95歳の誕生日より>という読書開始日の記入があることに気づいたのだ。
 この本の刊行年も1993年とある。平成5年である。それは、父の死の前年(95歳)と符合する。驚いた。
 父には、購入月日を記入する習慣があった。この本に限らず、植物の図鑑など、父の晩年、平成に入って求めた本が結構残っている。
 父は読書好きであったし、私よりはるかに漢語力も優れていたから、晩年の父が西行に関心を抱いても不思議はない。が、父は果たして読み終えたのかどうか? 明らかに新品のままではないので、父が購入後、幾日か手にとって読んだか、読もうと努めたことは確かである。視力、体力もかなり衰えていたので、完読は難しかったのでは? など、さまざまな思いが巡る。
 本の入手についても、私は関与していない。

 『西行』を読もうとして、思いがけない形で、亡き父との出会いのあったことを追記しておく。
 

   
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十四夜の月と牡丹の花

2021-03-28 | 身辺雑記
 今朝は、荒れ模様の天気だった。
 ベランダを風が汚していた。藁ゴミや鳥の羽などが吹き込んでいて。

 夕方になると、晴れ間が広がった。
 が、月の出のことは頭になかった。

 夕食を済ませ、窓辺に立って空を仰ぐと、お月さまが昇っていた。(18時40分)
 3月の月にも会えて、心穏やかとなる。


 

   

 <雨のなか、早咲きの牡丹が開きはじめた>と、妹から写真が届いた。
 折りたたまれた花弁のやさしさ。

  



 日曜日の施設は、終日、静かであった。
 『徒然草』の数編を読んだり、高橋英夫著『西行』を読んだりした。
 夜は、NHKの日曜美術館で、ゴッホの絵を鑑賞。
 すべて、美術館で観た作品であるが、今回も、躍動的なタッチに魅了された。
 ゴッホの魂を感じる。
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桜並木から海辺へ

2021-03-27 | 散歩道
 予報では、明日は雨になるという。
 すでに今日も、薄雲が広がり、下り坂の空模様であった。

 午後、散歩に出かけた。桜並木の終点を目指して。

 懐かしい土の道。真ん中に草の生えている道。軽自動車が入れる程度の道幅しかなく、昔懐かしい野道である。

 行き止まりの近くに、車が見える。
 人気のない道なので、さて? と思案していると、車が動き始めた。
 道を譲って会釈する。中年男性の運転手も、会釈を返して人家のある方へ走り去ってゆかれた。
 安心して、やや密に咲きすぎた桜を眺めながら、終点まで歩いた。
 (まだ、落花の気配は全くなかった。)


 


 

 
 


 


 

  行き止まりの、小さな原っぱ。


 

  終点から、来た道を眺める。
  遥か遠くに、うっすらと小山が見える。


 

  人家のある場所へ引き返す途中に、今日初めて気づいたのだが、海辺へ出られそうな、自然にできたらしい歩道があった。松ぼっくりのたくさん落ちている道。これは面白そうだと歩き始めたが、まもなく不安になった。人気のない道で、起立性低血圧や心臓発作が起こったりしたら大変! と、私の身体的な弱点を思い出し、すぐ引き返した。そして、いつも通る道を歩いて、海辺に出ることにした。


 道辺に咲いていた花。

  

    ハナニラ


  

    ツルニチニチソウ


 正常の道を歩いて、大塚海岸に出る。
 潮騒という表現が似合いそうな、波音の穏やかな海であった。

 高島を眺める。今日は灯台が見えない。曇りのせいだろう。
 磯に、黒い玉が一個、ぽつんとあった。浮き玉であろうか。
 昔、漁師町で見かけるのは、ガラス玉だったように思う。今はプラスチック?

  
  

 
 海を背にして帰途に着くと、色とりどりの浮き玉が吊るしてあった。
 どのような場で、どのように使用されるのか、漁に関しては全く無知である。

 施設の入居者の方で、海や漁にとても詳しい方がいらっしゃる。
 今朝も、人気のない早朝の廊下で歩行運動をしていると、その方がお茶汲みに出てこられた。
 挨拶すると、今朝も、すぐ海の話になった。
 <海上の遥かに停泊しているあの船は、今、網を下ろしているところだ>と、教えてくださった。が、海面下でどんな作業が行われているのか、その状況を私の頭では十分理解し難かった。
 漁業に関する生き字引のような方である。
 話に熱がこもるから、十分理解できなくても、とてもおもしろい。
 次回、会う機会があったら、浮き玉(この呼び方も正しいかどうか?)は、どのように使われるのか尋ねてみよう。
 

  


    


  

   河口で釣りをする人。


  

   海面の銀波。

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3月26日の朝陽と夕陽

2021-03-26 | 身辺雑記
  窓辺に立って、日の出を眺める。
  秒刻みで、陽は昇る。

 

   6時19分


 

  6時20分


  薄雲のなかに沈む夕陽。
  晴天の夕べとは異なる風情。

 

  18時25分


 

  18時26分


  ※ 今日(26日)は、風呂の日とか。
    お風呂大好き人間の私にとっては、毎日が<風呂の日>。
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句集『夕星』

2021-03-26 | 身辺雑記

 一昨日、施設に戻ってくると、隣室の人から、私のはすかいの部屋に、新しい人が入居されたと聞いた。

 名前を確かめると、私の縁者(故人となった従姉妹の主人)であった。
 顔は見知っていながら、親しく付き合うことのないまま、今に至っている。
 老境に入って、同じ施設で暮らすことになろうとは思っていなかった。が、考えてみると、当然ありうることである。これも何かのご縁であろうか。

 
 昨日、廊下で立ち話をした際、俳句の話になり、句集を貸していただくことになった。
 
 
 
 石川ニ一郎(じいちろう)・俳号 子熊(しゆう)
 
 
    『夕 月』 

  
 
 
 
 句集名は、
 
 
  夕星を仰ぎてくぐる茅の輪かな
 
 [平成18年 NHK俳句 片山由美子選・特選一席]から。
 
 
 
 短詩型の俳句には、自ずから制限があり、作者の人生を詠むことには無理がある、というのが私の思いであった。が、この句集を読んで、その考え方が少し変わった。一句に表現される内容は限定されても、句集として読んだとき、作者の心に潜む核のような存在が見えてくるし、その人生の一端に、想いを馳せることもできる。
 
 
 作者にとって、お母さまはかけがえのない人であったのだろう。お母さんを偲ぶ句が多い。
 
 
  はは恋し弥生の空のはぐれ雲
  ははがゐる小春日和の縁の端
  母の日は母の遺影に会ひに行く
  会えば諭すははの想ひ出春の雪
 
  桑の実や幾たびははに叱られし
 
 
  (私にも、同じ経験がある。桑の実は、果汁で白い服を赤く染める。私も幾度か叱られた。叱られたことも、懐かしいのだ。戦時下、桑の皮剥ぎという作業をしながら、桑の実を食することを楽しんだ。美味しいお菓子のない時代、桑の実は、子どもにとって、ありがたいおやつであった。)
 
 
 
  妻となった私の従姉妹は、長患いをし短命であった。石川ニ一郎さんにとっては苦労をかける妻であったのだろう。(?)
 
 句集には、
 
 
  聴き取れぬ妻の言の葉木下闇
  病む妻の十年の月日花芙蓉
  病む妻と病室にゐる春なかば
  瞑れば妻の面影十三夜
 
 
 など。
 
 
 早逝の従姉妹は、私より4歳ほど歳下であったのかと思う。
 私の両親がまだ生存中のことであった。自作の美味しいおはぎを届けてもらったことがある。それが従姉妹に会った最後であったのかと思う。
 
 句集に、
 
 
  はらからの幸せうすき冬すみれ
 
 
 という句があり、読みつつ、これは従姉妹の弟妹を詠まれた句では? と思った。
 従姉妹の父(私の叔父)は、戦争中、アッツ島の玉砕で戦死している。私の父の妹である母親は、近所の葬儀に出かけて急逝した。戦争で主人を亡くし、幼い子どもたちの養育に苦労があったであろう。
 私の幼い日の記憶では、従姉妹の家は、由緒ある、珍しく大きな邸宅であった。しかし、子どもたちは長じて、<幸せうすき人生>であったように思う。みな短命でもあった。
 
 
 佳句の多いなか、私好みの、以下の句を取り上げてみた。
 
 
  背に夕日かなかなの道帰りけり
  寂しいと言へばさうかと冬鴉
  蟇まこと土より出でし貌
  放流の鮎しばらくは岸に沿ふ
  引く波の蛤一つ置き去りに
 
 
 句によっては、ユーモアあり、写実の正確さあり、生きてあることの寂寥感あり、それぞれに味わいの妙味がある。気取りのない滋味が共感を呼ぶ。
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大塚の桜

2021-03-25 | 散歩道
 陽気に誘われて、大塚の花見に出かけた。
 以下、出会いの順に。

 


 

 
 

 
  


 


 


 


 


 桜並木のほとりに、昔ながらの野道が続く。


  


 


 桜の下で、写真を撮っていると、私を追い抜いて歩み過ぎられるご夫婦があった。

 日差しが体にこたえてきたので、今日の散歩を中止し、帰途についた。
 また日を改めて樹下を歩くことにしたい。


 
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桜咲く

2021-03-24 | 身辺雑記
 日本各地から、桜だよりが届いている。
 いつもの春であれば、心も華やぐ時期であるが、昨年の春に次いで今年も、コロナ危機の状況下にあって、心底楽しめる状況にはない。

 桜は、旅ごころを誘う力も持っている。
 が、まだ旅に出かける気にはなれない。

 昨年は、新型コロナウイルス流行の最初の春で、外出禁止がいっそう強いられている感が強かった。特に老いの身には、感染を恐れる思いも強かった。
 今年は、その点、少し気持ちが楽になっている。守るべきことを守れば罹患を防げる可能性は高いだろう、と。

 今年は、せめて身近な桜を眺め、春を楽しみたいと思っている。
 すでに医光寺の枝垂れ桜を眺めてきたし、そのうち、益田川沿いの桜並木が花吹雪となるころ、川沿いの道を歩きたいと思っている。そして、昨年の春は施設の出入りを禁じられ、眺めることのできなかった大塚の桜も。

 一週間ぶりに、自称<私の別荘>に戻ってみると、入り口の桜が満開であったし(上の写真)、自室からも、華やぎのある景色(下の写真)を眺めることができた。


  


 


 午後、<筋整流法>へ出かけ、2時間かけて体をほぐしてもらった。
 かなり身体が軽くなった感じである。
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