ぶらぶら人生

心の呟き

八月尽

2012-08-31 | 身辺雑記
 今日で八月が終わる。
 季語には、<八月尽>というのがあるようだ。
 手元の『新日本大歳時記<秋>』によると、比較的新しい季語とのこと。
 <三月尽>や<九月尽>は、古くから季節の移り変わりを惜しむ季語として存在していたらしい。
 その証拠に、後者の2語は、広辞苑にも出ているけれど、前者の<八月尽>の記載はない。

 とにかく八月が尽きるのはありがたい。
 いよいよ猛暑とのお別れの日が近いと思うだけで、元気が出てくる。

 今日の気温は、この夏初めて、30度に達しなかった。
 ほっとする涼しさであった。
 (今夕のニュースによると、八月最後の今日もなお、猛暑のところが多かったようだけれど)

 終日、空一面に雲が広がり、かなり長時間、弱い雨が降り続いた。
 雲と雨で、暑気が和らいだらしい。
 残暑はなお続くらしいけれど、一息つけたのはありがたい。

 歳時記には、

   八月尽の赤い夕日と白い月   (中村草田男)

 の句が載っていた。
 当地には、夕日も月影もなかったけれど。(昨夜は、慌しく雲間を走る月を眺めることができたのだが…)

 雨の止み間に、庭に出てみた。
 二つの花の、小さな蕾に気づいた。(上は秋明菊、下はノボタン)
 草花も、秋を演出しようと準備を進めている。 


    

    


 八月は、複雑な思いの交錯するひと月であった。
 高校野球など、無条件に楽しめるものもあったが、暑苦しさに加え、心を重苦しくさせる出来事が多すぎた。
 国内外の政治状況や、際限なく続く紛争など。
 不幸で不穏な動きの中には、すべて人間のエゴが見え隠れする。
 なんとも哀しい。 

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処暑を過ぎ…

2012-08-24 | 身辺雑記
 昨日は、二十四節気の一つ<処暑>に当たる日であった。
 暑さはまだおさまらないけれど、夜明けが遅くなり、日暮れも少しずつ早くなっている。
 確実に、季節は移ろいつつあるのだろう。

 しかし、例年に比べ、法師蝉の声が少ない。
 身近で、その声を聞くことなく、秋を迎えるのだろうかと、昼過ぎ、庭に出てみた。
 暫く佇んでいると、遠くから、法師蝉の声が届いた。
 この夏、三度目に聞く声であった。散歩の日と、墓参の折に聞いて以来だ。

 ツクツクホーシが鳴くと秋が来る、そう思っている私にとっては、夏の終焉を告げる予兆として、待ち焦がれる声である。
 嬉しくなって、今日は幾度、庭に出たか知れない。
 が、声が聞けたのは、昼過ぎの一度だけであった。

 週間天気予報によると、猛暑はなお続き、最高気温は33度~36度となっていた。
 法師蝉は、涼しさを察知して出てくる蝉に違いない(?)。
 大方は、出番を伺いながら、地中に潜んでいるのだろうか?
 ただ、熊蝉のシャーシャーやや油蝉のジージーと鳴く喧騒は、少し鎮まってきたようだ。

 甲子園の高校野球も終わった。
 エヤコンをつけた部屋で、高校生の溌剌としたプレーを楽しんだ。
 決勝戦は、昨日行われ、選抜に続いて大阪桐蔭が優勝した。
 高校生たちのプレーには力が漲り、頼もしい未来が感じられる。
 私からは、すでに失われたものゆえに、一層頼もしく思われる。

 今年は、4年に一度のオリンピックの年であった。
 猛暑とスポーツの熱気に酔わされる夏でもあった。

 庭のモミジが、一部紅葉した。(写真)
 こんなところにも、秋の気配はある。 


  

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連日猛暑

2012-08-21 | 身辺雑記
 秋が遠い!
 今年は特に、猛暑日、熱帯夜が多い。
 元来、夏嫌いの私は、辟易しながら、日々を過ごしている。

 それでも、昨夕、庭に出てみると、涼やかにタマスダレが咲き、暑さのためか、咲きあぐねていた秋海棠も、無事開花していた。
 桔梗も再度咲き始め、百日紅の花も数を増してきた。

 早晩、季節は巡るに違いない。 

    

    

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<がらりと涼し>

2012-08-19 | 身辺雑記
 
    いつの間にがらりと涼しチョコレート  星野立子

 『私の好きなこの一句』(現役俳人の投票による上位340作品) 柳川彰治編著・平凡社刊(写真)

      

 を読んでいて、上句に出合った。
 <がらりと涼し>の日が待ち遠しい。
 <立秋の日>以後は、幾分暑気が収まりつつあるけれど、「がらりと」という感じではない。

 先日、本屋で求めた『私の好きなこの一句』は、編集の試みが面白い。
 現役俳人の投票によって選ばれた俳句集である。
 選択の対象は、江戸から平成までの俳句作品から、となっている。
 編著の意図としては、松尾芭蕉の句のランク付けを確認したかったようだ。

 一読者の私には、それはどうでもいいことである。
 こういう類の本は、どこから読み始めてもかまわないという自由さが嬉しい。

 さすがに高得点の句は、人口に膾炙したものが多く、素人の私でも口ずさめる句ばかりであった。

   海に出て木枯帰るところなし       山口誓子
   芋の露連山影を正しうす         飯田蛇笏
   おりとりてはらりとおもきすすきかな   飯田蛇笏
   遠山に日の当たりたる枯野かな      高浜虚子
   一月の川一月の谷の中          飯田龍太
   花衣ぬぐや纏わる紐いろいろ       杉田久女
   外(と)にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女
   去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの    高浜虚子
   菜の花や月は東に日は西に        与謝蕪村

 以上が、上位10句である。
 松尾芭蕉の

   閑さや岩にしみい入る蝉の声

 が、12位にランクされている。

 有名な句は、幾度読み返してもいい。
 が、この本には、知らなかった名句が多数紹介されていて、折々に楽しめる。
 作者の生没年・鑑賞文・解説文の掲載されているのがいい。
 活字が大きいことも、実に嬉しい。

 最後に、<作品索引>が載っていて、利用しやすい。
 作者索引があるとさらに便利なのだが…。    

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墓参

2012-08-15 | 身辺雑記
 昨日、ふるさとのお墓に詣でた。
 甥の車に乗せてもらって。
 妹夫婦と甥・姪の家族を含め、総勢8名。それに私と。

 雨の降る確率が高く、空模様を心配したが、行きは問題なかった。
 空が晴れ、墓地の山では、法師蝉が鳴いていた。
 11日についで、二度目に聞く声であった。

 天気予報は当たった。
 お花など供え終えて、お参りしようとしたとき、突如、激しい雨となった。
 この夏の雨の降り方は局地的で、驟雨が多い。

 慌しいお参りとなったが、ひと時、墓前で亡き人々を偲んだ。
 私は今年もなお此岸にあって…。

 お墓周辺は、依頼人によってきれいに刈り込まれ、整然としていた。
 お墓の背後の山肌に、刈り残された不思議な植物を見つけた。(写真)

 今から花となるのか、花の後なのか?
 葉は茎の麓で枯れていたが、幅広の大きい形のものであった。 


         

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8月に庭 (大蘇鉄もくたびれて)

2012-08-14 | 草花舎の四季
 昨日、草花舎に出かけた。
 生ぬるい風が強く、不快指数の高い日だった。
 11日に初めて聞いた法師蝉は、その後また、声を鎮めている。
 暑さがぶり返したせいだろうか。
 相変わらず、過ごしにくい晩夏の日々である。

 中庭の大きな蘇鉄も、くたびれていた。上の方の葉が、少々枯れ色になって。
 日差しの強さが、文句を言わぬ植物にも、害を与えているらしい。
 一昨日も昨日も、ひと時の夕立は降ったが、植物が潤うほどではない。

     

 入り口の百日紅は、白い花をたくさんつけていた。
 
  

 草花舎に向かって歩いただけで疲れを覚え、庭を巡ることはしなかった。
 カレーライスをおいしくいただいた後、21日まで開催されている「池田美和子 藤田薫 彫刻展」を見た。
 1986年生まれの若いお二人の、瑞々しい作品である。(写真撮影に失敗し、紹介できなくて残念)

 Yさんから『「純正律」CDブック』を紹介してもらった。

     

 コーヒーをいただきながら、斜め読みする。
 「完璧な和音」が自律神経を整えてくれ、なんと耳鳴り・不眠・高血圧に効くというのだ。
 帯には、永六輔氏の推薦文が載っている。
 <純正律というのは上手なマッサージみたいなものですね。云々>と。
 純正律や平均律について、専門的な知識のない私だが、確かに心を癒す音楽はある。
 昔、安眠によいという曲を集めたCDを医師の友達からもらった。
 それも、純正律の曲であったのだろうか。
 後で、探してみよう。

 (やはり気になるので、、早速、CDボックスを調べてみた。
  3枚あった。
  「音楽健康法 落ち込み解消の音楽」「mist」「water」の3枚。
  心の安らぎこそが、健康にとって不可欠なものだろう。
  医療的には、かなり前から、音楽療法が取り入れられていたのかもしれない。
  そして最近は、純正律の効用が説かれているということなのだろう。)

 
 Tちゃんは、韓国へ出かけておられ、不在だった。 

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庭の百日紅

2012-08-13 | 身辺雑記
        

 わが家の庭の片隅に、やっと50センチほどに伸びた百日紅の木がある。
 もう幾年も前に、もらった鉢植えの苗木を、地面に下ろしたものだ。
 雑草が蔓延っていたときには、その存在を忘れていた。

 最近は、庭にめぼしい花もなく、また夏の日差しを嫌って、ほとんど庭を歩かない。
 数日前、ふと気づくと、枝先に球状のものがついている。
 蕾だろうか、それとも、実なのだろうか、と思いつつ眺めた。
 
 昨日、レストランでの食事中、妹夫婦に尋ねてみた。
 百日紅の木についている球状のものは、蕾か、実か、と。
 実物を見ながらの話ではないので、互いによく分からないまま、花の名残りかもしれないということだった。

 ところが、今朝の庭に、花を見つけた。
 小さい木だから、蕾の数もしれている。が、暫くは濃いピンクの彩を楽しめそうだ。

 庭木の剪定の折、槿の枝はずいぶん短く刈り取られ、蕾もなくなった。
 が、最近、ポツリポツリと、花が咲いてくれるようになった。
 ガウラも傾(なだ)れながら、花をつけ続けている。

    

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甥や姪たちと…

2012-08-12 | 身辺雑記
 姪の一家(大学生を除く3人)が、生家(妹宅)に帰省、それを機に、妹夫婦や同居の甥の家族も一緒に来宅。
 暫く、高校野球を見ながら歓談、その後、食事に出かけた。
 海の見える丘の上にある、レストラン<とみ>へ。

 甥の子(中1のAちゃん)は、迷いなく「煮魚定食」を注文。<とみ>の煮魚が格別気に入っているようだ。
 姪の夫と、その子(小5のSちゃん)の2人は、「刺身定食」。他の5人は、「とみ御膳」を注文した。

 いずれも、日本海の鮮魚を食材とした料理である。
 食欲の低下気味な残暑の日々だが、美味しくいただく。

 今日は雲が多く、海の風景は霞んでいた。
 窓辺に、地元産の大蛤の殻が置いてあった。
 <とみ>では、注文に応じて、焼き蛤やお刺身としていただけるようだ。

 帰りは、甥の車で送ってもらう。
 前回、<とみ>から歩いて帰宅した折、想像以上に疲れた。
 それ以来、無理はしまい、という気になっている。

 姪の一家とは、<とみ>の前で別れた。
 「では、またね」
 と、言いつつ、「また」が、必ずあるのだろうか? と、ふと思う。
 人との別れをするとき、そんな自信なさのよぎることが、最近多くなった。
 80歳を目前にすれば、当たり前のことだろうか?
 でもまた一方、心の片隅で、この先、老醜をさらしながら、えんえんと生きのびてゆきそうな危惧を抱いたりもする…。

 老いゆく者の心境は、複雑である。    


      

 帰り際、雲行きが怪しそうだね、と妹と話した。
 帰宅後1時間もせぬうちに、雷鳴が轟き、激しい夕立となった。

 が、その雨は、意外に早く上がった。
 窓をのぞくと、電線に、燕が止まっていた。
 自在な向きに。
 燕には、どんな思案があるのやら? と思いつつ眺めていると、また雨となり、たちまち燕は飛び去ってしまった。


         

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夏の海・夏の花

2012-08-11 | 散歩道
 雲が広がり、夕べの気配が早く訪れた。
 こんな夕方こそ、散歩に適している。
 少し歩いてこようと、外に出た。
 浜辺まで往復すれば、2キロあまり、その程度は歩けるだろう…と。

 沖の小島、高島を眺めながら、海を見晴るかせる丘に立った。
 私が、勝手に<トランペットの丘>と名づけて、親しんでいた場所である。
 散歩を日課としていたころ、丘には、みごとなエンジェルストランペットの花が咲いていた。
 今は、その面影もない。
  
 花作り名人と、これも私が勝手にそう呼んでいたSさんが育てられたものであった。
 エンジェルストランペットは、どこにでも似合う花ではない。
 が、丘に植えられたその花は、海をバックにして、処を得てみごとだったのだが…。
 そういえば、最近、この花をあまり見かけなくなった。
 花にも、流行り廃りがあるのだろう。

 土田海岸に下りてみると、泳いでいる人、海辺で遊んでいる人たちがたくさんいた。
 駐車場には、十数台の車が止まっていた。
 ゆく夏を惜しみ、夏の夕べを楽しんでいる人に、私はいつもの散歩道を奪われたかたちとなり、渚を歩くことは諦めて、もとの道を引き返した。

 海辺の木立では、ミンミン蝉が鳴いていた。
 往復の道々で、法師蝉の声も聞いた。
 いずれも、今年初めて聞く声であった。

 法師蝉が鳴き始めると、晩夏の気配が深まってくる。
 夏嫌いの私は、ツクツクホーシ ツクツクホーシの、あの哀調を帯びた声に安堵するのだ。
 遠い山ではまだ鶯も鳴いていた。

 心地よい汗をかいた。
 久々に、身も心も軽くなった感じである。

 下の写真は、今日の眺めである。
 朝顔は、今朝、近所の庭で見かけたもの。
 海辺に向かって歩いているとき、山陰本線のレールが、きしむ音を立てた。
 ふり向くと、上りの快速アクアライナーが迫っていた。


  

  

  

  

  

  

        

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窓拭きの日

2012-08-08 | 身辺雑記
 今日は、家の掃除日。
 年に一度、業者に入ってもらって、私の手に負えない部分をきれいにしてもらっている。

 S主任を含む4人が、8時半から午後3時過ぎまで、清掃に当たってくださった。
 窓のすべてと網戸など、家の周囲のほか、浴室、洗面所、トイレ、換気扇の掃除などもしていただいた。

 窓越しの眺めも、美しくなった。

           

 ガスコンロも、浴槽も、新品のようになった。
 清々しい気分である。

   

 朝のうちは、私もはりきって、私にできる範囲の片づけなどしていたが、まもなく体が拒否反応を示し始めた。
 そこで、今日から始まった夏の甲子園の熱戦をみたり、先日、購入した本『「老けない体」は股関節で決まる!』(石部基実著)を読んだりした。
 <老けた体>の持ち主にとっては、この本を読む意味などあるまいと思いつつも、心のどこかで、まだ老いを防げそうな気持ちがあるらしい。
 たちまち読了した。

 「グッド歩行」の大事さ、それを可能にするための「グッド体操」など、なるほどと思うことばかりだ。
 が、大切なことは、実践!
 それが、大変難しい。

 今のところ、股関節も他の関節も、幸いなことに、痛みを感じることはない。
 しかし、予防的に、弱りきった筋肉の再生をはかるのは大事だし、小さな事の積み重ねにこそ、意味があるのだろう!
 意識して、グッド歩行やグッド体操を心がけることにしよう。 

 死ぬまで努力!
 言うは易し。  

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