ぶらぶら人生

心の呟き

シコンノボタン、一つ咲いて

2022-07-31 | 小庭の四季
 7月最後の日。
 昨日も、一昨日も、炎暑が怖くて、庭にさえ降りなかった。
 クーラーを入れた部屋にいても、戸外の熱気はひとりでに感じられる。コロナも怖いけれど、熱暑も怖い。
 
 今日は、全く感じが違う。予報では、相変わらずの暑さということであったが、お昼前の今は、昨日までの、纏わり付くような暑さ、ひとりでに不機嫌になるような暑さがない。
 ホッとして、久々に朝の庭へも、出てみる気力がわいた。前庭にまわると、すぐ紫色が目に飛び込んだ。心がほころぶ。
 2年ぶりに、シコンノボタンが、咲いてくれた。
 一昨年の年明けの寒冷で、枯死状態になり、その年も次の年も、花をつけることはなかった。
 3年目にして、やっと蘇生し、花を咲かせてくれた。
 今年も、花数は決して多くないけれど、蕾をざっと数えたところ、20個余りはある。さらに、今から新たに生じる蕾もあるだろう。

 しばらくは、シコンノボタンの花に出会える楽しみができた。



   



 新型コロウイルスの罹患者数は、減少の気配なく、7月が終わろうとしている。
 私の団地では、全く人影を見ない。
 夏休みというのに、子どもの姿も声もない。
 田舎ほど、風評がうるさく、皆ひっそりと家にこもっておられるのだろう。団地は、真夏の静寂に包まれて、異様な日々である。(たまに、市道で車を見かけるのみ)

 熱暑に慣れたせいか、昨日までよりは、心身が多少生気を取り戻し、人らしく暮らせる状態だった。そこで、溜まっていたブログ(28日以来)を一気にまとめた。月を跨がずに書けて、ほっとしている。

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『老いの品格』 松永伍一著

2022-07-30 | 身辺雑記

       松永伍一著

     『老いの品格』



     



 過日、和田秀樹著『老いの品格』を読んだ。
 私の書棚に、同題の松永伍一の本のあることは分かっていて、確かめた。松永伍一の文章は、結構読んでいる(ような気がしている)。
 が、上掲の本(1998年刊)を読了はしていないのかもしれない。もう一冊、『快老のスタイル』(2000年刊)とが、書棚に並んでいた。
 購入と同時に読む本と、そのうちにと思いつつ、書棚で歳月を重ねてしまっている本とがある。新刊さながらの感じはしないが、しかし、後者に入る類(たぐい)なのかもしれない。

 赤瀬川原平著『老人力』(この本は確実に読んでいて、大いに笑ったことを思い出す)の出たころから、老人に関わる本が、多く出版されるようになったのでは? そんな気がしている。(私の60代後半のころ)
 日本人の寿命がぐんと伸び始めたのと、軌を一にするのかもしれない。

 松永伍一(1930〜2008)は、私より3歳年上である。
 この人の本を読むと、大変な読書家であることに感心する。そして、その知識が身について、著作に生かされている。本を読む姿勢が、私のいい加減さとは、まるで違うのだろう。生き方の姿勢の面で、感動することも多い。同じような時代を生きながら、なんという違いであろう! と思う。
 と同時に、私自身は、戦後の教育の転換期をどの年齢で迎えたかが、彼我の違いを左右していると言い訳してみる。

 それはともかく、この本の楽しさ、読みがいは、和田秀樹著と違って、多くの小説家や詩人の作品例や文例を挙げて、老いのあり様が記されていることである。改めて読んでみたいと思う作品との出会いがあったり、私も好きな窪田空穂の歌を、ゆっくり味読したいと思ったり、心を揺さぶられる楽しさがあった。

 <品格>はともかくとして、老いてなお、<艶>のある生き方をしたいと、この本を読んで思った。しかし、ダメだろうな、と自信は持てないままに。

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『終止符のない人生』

2022-07-29 | 身辺雑記

       反田恭平 著

    『終止符のない人生』


     


 久々に、夢を楽しめるいい本に出会った。

 ショパン国際ピアノコンクールで2位という快挙のあと、初めて反田恭平のピアノをテレビで聴いた。音感の良くない私の耳にも、比類の美しい音色として届いた。すばらしいピアニストが誕生したものだと思った。1994年生まれの若いピアニストである。

 本も出版されていることを知り、早速、amazon へ注文した。
 題名は、『終止符のない人生』。
 生い立ちから将来の夢についても語られている。
 一芸に秀でる反田恭平は、生き方、考え方もしっかりしている。ピアノのことしか見えない、というような存在ではない。自分も周囲もよく見えており、こうありたいという夢も、現実性のあるものとして、考えられている。
 文章力も確かである。
 ここに語られているピアニストとしての未来、音楽世界の在り方は、いずれ実現されてゆく未来像であろうと思わせるものがある。

 もっと多く反田恭平の曲を聴きたいし、指揮者としての姿も見てみたい。
 しかし、私の余生にはゆとりがあまりない。
 未来の反田恭平の活躍を楽しめないのは残念である。
 しかし、こういうすばらしい若者が存在するのだと知った喜びは、久しぶりに心踊らされることであった。

 CDを一枚、amazonへ注文した。
 家に蟄居の日々、ゆったりと聴いてみたい。


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熱暑が続く

2022-07-28 | 身辺雑記
 暑さが、老いの体力を消耗させる。
 しかし、折に出かけなくては生きてゆけない。
 出かける日には、諸用を一度に済ませ、外出日を最小限にとどめるようにしている。

 空はよく晴れ、雲は夏とは思えないほど繊細で美しい。


        今朝、庭から眺めた空。


   




   



 髪のカットと買い物とが、主な用事である。
 久々に妹と会い、ジャルダンで、昼食を共にした。
 このところ、昼食(ひと月に一度の昼外食)は、ジャルダンに決めている。
 (お店は、感染対策を徹底しておられ、まず安全な場所と思っている。)


    メインと食後のデザート。


   




   


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ネコはいいな

2022-07-27 | 身辺雑記
 今日は、庭に出てみる気がしない。
 朝から外気に触れることなく、まずは日課の数独を2問解いたり、能率の悪い読書をしたり……。
 なんとなく気分が冴えない。
 居間のソファに座っていると、痩身のお尻が痛い。
 午後は、洋間の座り心地のいいソファに場所を変え、気分転換を図ってみる。
 しなければならない仕事はたくさんあるが、気分が乗らない。

 途中、立ち上がって、カーテンを開けると、眼下に、隣のクロが、ゴロンと横になり、四肢を広げている。お昼寝中らしい。
 裏庭にもよくやってきて、コンクリートの上で休んでいるのを見かけ、「クロ」と、真愛の情をこめて呼んでみるが、ニャアとも鳴かない。以前のように身をひるがし、脱兎の如く、逃げることはしなくなったところをみると、危険人物とは思われていないらしい。

 今日は、私の存在に気づいてはいないので、悠然と眠っている。午後になって、雲が広がり、熱射は遮られているが、四肢を開いているところをみると、暑いのだろう。
 お隣にはもっと広い庭があるのに、私の家によくやってきて、寝転がっている。
 散歩のつもりでやってくるのだろう。あるいは自分の領分だと、勝手に思っているのかもしれない。
 私同様、ご老体でなので、寝ることにしか関心がなさそうだ。生き物を見つけて、捕獲に励むようなことはしない。餌は飼い主から十分与えられているので、不自由はない。
 いいご身分である。
 


      


 二度目に覗いたときには、頭と足の位置が真反対になっていた。


 私は、洋間にも落ちつけず、ついに、ベッドに移動した。
 枕元に明るい電気スタンドを置いているので、読書には最適であり、お尻も痛くない。

 夕方近く、雷鳴が轟き、夕立の気配を感じた。熱射は少し収まるだろう。
 『終止符のない人生』(反田恭平著)を完読できないまま、ベッドを出て、入浴の支度にかかった。

 三度目、洋間のカーテンを開けてみると、クロの姿はなかった。

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コノデカシワほか

2022-07-26 | 身辺雑記
 今日は津田医院で定期検診を受けるため、10時のバスで出かけた。
 ゆとりをもって家を出たので、バス停に立って待つ時間がかなりあった。
 9号線を東西に車が流れる。久しぶりに車体のナンバーを足し算する。「99-99」のナンバーはまだ見たことがない。足し算は、その36を超えることはない。
 益田行きのバス停に立っているので、下りの車は前側のナンバーを、上りの車は後ろ側のナンバーを見て、足し算をする。
 計算のスピードが、少し落ちたような気がする。視力の衰えも影響しているが、単純な足し算能力の衰えも否定できない。
 万事、見事に衰えてゆく感じである。


 津田医院に近いバス停で降りると、観音寺前を通る。
 目を引く大樹があった。スマホを取り出し、google lens をあてる。
 コノデカシワと出る。そうだった、と思う。昨年も、ブログに書いたはず。
 覚えては忘れてしまうが、昨年も調べたことは思い出した。
 毬花が目立つ時期に、この木の存在に気づくらしい。



      


 
           コノデカシワの毬花


   




   コノデカシワの隣には、キョウチクトウの白い花も咲いていた。


   




   


     純白の花が美しく輝いている。


 先日、Yさんと立ち話をしたあと、ひととき意識を失ったことを先生にお話しする。私は、血圧が異常に下がり過ぎたのでは、と自己診断している旨も伝えた。
 私は立っているのが得意だと妙な自信を持っていたが、若い日の真似をしてはいけないとも自戒している。先生も、立ち話はよくないとおっしゃった。
 急遽、血液検査を受けた。

 診察後、街へ出て買い物をした。
 12 時を過ぎての買い物であった。途中、空腹を感じた。珍しいことである。

 帰途のタクシー運転手は、今日はひどい暑さだと託っておられた。私は夏が嫌いだが、最近暑さに対し、鈍感になったように思う。今日もそれほど暑いとも思わなかった。老いた体は、暑さにも鈍感になるらしい。
 今年も、猛暑続きの夏になるらしい。この先の暑さをうまく乗り越えるには、覚悟(?)が必要のようだ。


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草取りをしていただいて

2022-07-25 | 身辺雑記
 シルバー人材センターの方に、庭の草取りをしていただいた。3人の方が手分けして、一日がかりで、きれいにしてくださった。
 伸び放題の雑草がなくなったばかりでなく、枯れ葉なども取り払われて、地面がさっぱりした。
 私の気分も爽やかになった。
 
 雑草はまた、すぐ伸びてくるだろう。風が吹けば、枯れ葉などがまた、庭を汚すだろう。
 しかし、それは自然な成りゆきであり、365日、異なる変化や風情を楽しむしかない。

 今日も、無事に一日を過ごす。
 昨日、amazonから届いた『終止符のない人生』(反田恭平著)を読みながら。



          草取り後の庭


     




     

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1000歩余りの散歩

2022-07-24 | 散歩道
 ソファーに座り、家に蟄居する生活ばかりしていると、老人の筋力はたちまち弱るだろう、そう思った途端に、立ち上がった。

 7月も、最後の週を残すだけになった。
 考えてみると、大方の日々、施設の自室や家で籠りきりの7月であった。
 
 今日は幸い日差しも弱く、猛暑でもない。廃校となった中学校の校庭を一周してくることにして出かけた。
 わずか1000歩余りの散歩である。
 人にも会わず、夏の午後のひととき、自然の中に身を置いた。


       ヒルガオの花が今盛り。


     

      
 
    廃校となった校庭脇の花壇に咲き残っていた花。


     

       (ハマナデシコ?)
      

   校庭脇のキョウチクトウも、少々花を残していた。


     



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『老いの品格』 和田秀樹著

2022-07-24 | 身辺雑記
        和田秀樹 著

      『老いの品格』



       



 著者は、<品のある><賢い><おもしろい>の三要素を備えた老人を「老いの品格」の備わった人だと言っておられる。
 なかなか難しい条件である。

 和田秀樹の著作は多く、専門の精神科医としてのお仕事にとどまらず、多方面で活躍しておられる。実に多弁な方でもあるようだ。

 多くの老人に接して来られた方として、人生最晩年の生き方や心のあり様についても書いてあるかと期待したが、そこには触れてなく残念であった。
 私の期待が、過剰だったのであろう。



 [追記]

 この本の栞に、松下幸之助の「学ぶ心」について記されていた。
 <学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。>と。
 然り! と思う。


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盛夏の空

2022-07-23 | 身辺雑記
 今日は「土用の丑の日」とか。
 鰻を食したいが、今日は諦める。


 空の色と雲の美しい一日だった。
 裏庭に立って空を見上げ、家横の庭、前庭へと移動しながら夏空を見上げた。



 




 




 



 今日は語呂合わせから、「ふみの日」でもあるようだ。
 3通の返信をしたためなくてはならいのだが、昔のように、躊躇いもなく、さっさと返信をしたためられなくなった。何かが滞ることで、気分が重くなる。全くの悪循環である。


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