高層ビルの谷間から、上空を見上げた。
黄昏の空に飛行機雲が筋を引き、飛行船が浮かんでいた。(写真)
大都にも、ほっと息づける空間がある。
安らげるひと時もある……。
地下鉄を利用して、千代田線「乃木坂駅」6出口を出ると、そこはもう国立新美術館であった。設計者が黒川紀章氏であることや波打つ外観の特徴などは、テレビの報道で知っていた。
一度訪れて見たいと思っていたし、『エミリー・ウングワレー展』をのぞいてみたい気もあった。
開館(2007年1月)から1年余を経たばかりの美術館は、まだ真新しい感じであった。
入り口近くの入場券売り場で、『モディリアーニ展』開催中のことを知った。
そこで、エミリーよりなじみのあるモディリアーニ展の会場に、まず入ってみることにした。
モディリアーニ展は、今までに、二度観ている。
それは、ほとんどが晩年の名作であったのに対し、今回の展示は、あまり知られていない、画家の原点を探る展示となっていた。若き日、彫刻家を目指していた当時の作品など……。
これはこれで、観るに値する展覧会であった。
モディリアーニの後、さらにもう一つの『エミリー・ウングワレー展』を観る元気はなかった。
午前中の浅草めぐりから、かなりの距離を移動したり、立ち続けたりしている。
足裏に疲れを覚えた。血液の流れが悪くなるのか、美術館内を歩いていると、必ず足の指の付け根が痛くなってくる。
休憩に如くはなしと、2階の喫茶店に入った。
建物の内部構造の複雑さを眺めながら、コーヒーとケーキで休息。
ここにも人が多かった。しかし、人を人として意識しないで過ごせる都会の不思議な空気がそこにも流れていた。
私自身でいられる自由!
ついでに六本木ヒルズにも足を延ばそうと、館外に出たとき、国立新美術館の外観を眺めることができた。(写真)
(追記 上京の際、疲れもあって観ることを諦めた「エミリー・ウングワレー展」を、先日の新日曜美術館で紹介していた。
その時、かなりの作品を画面で見ることができたし、エミリー自身の生涯を知ることにもなり、心を打たれた。
オーストラリア中央の砂漠地帯で生まれ、ヨーロッパ人の入植による苦難の時代を経たあとも、アボリジニの伝統的な生活を生き続けた画家ということだ。(1910頃~1996)
ボディ・ペインティングや砂絵を描いていたのち、本格的にカンヴァスに向かったのは、1988年頃からだという。それ以来、死に至るまで、情熱的に描き続けた絵画が、注目を浴びることになったのだ。
8年間に描かれた作品の数は、3千とも4千とも言われているようだ。
テレビでそのことを知って、私にも、諦めるには早すぎる余生があるのかもしれない? と、ふと夢をみた。が、すぐさま、天才と凡人とを一緒に考えてはいけないと、もうひとりの私がささやいた。
そこで、はかない束の間の夢想は、たちまち雲散霧消してしまった。)
山形産のサクランボが、山口の知人を経て送り届けられた。
お行儀よく箱に手詰めされたものではなく、バラ詰めである。したがって、等級は少し劣るのかもしれない。それでも、十分美しい。赤く輝く果実は、目にも愛らしい。
一粒一粒、味わいながらいただく。絶妙な、上品な美味を楽しみながら。
視覚、味覚を同時に満足させてくれる果実である。
「佐藤錦」と呼ばれる品種らしい。生みの親である佐藤栄助の名前を冠したものだという。商品化されるまでには、長い苦労の歴史があるようだ。品種改良には、素人の想像を絶する、陰の努力があるのだろう。
「桜桃」や「チェリー」に比べ、「さくらんぼ」という言い方は愛らしく親しみやすい。
「桜桃」と言えば、太宰治の、晩年の自伝的短編小説を思い出す。
<子供より親が大事、と思いたい。>に始まり、
<しかし、父は大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供より親が大事。>
で終わる、夫婦のいさかいを描いた小説である。
「涙の谷」という、うまい表現に出会ったのも、この小説だった。
太宰治の死去(1948年6月13日)から60年が経つ。
「桜桃忌」は、この小説に因んでつけられたようだ。
今年もこの日には、故人を偲ぶ人たちの集いが、盛大に開かれたに違いない。
『歳時記』の<夏>部にて、「桜桃忌」のページを開いたところ、
「楸邨忌」(加藤楸邨 1993年7月3日没)
「鴎外忌」(森鴎外 1922年7月9日没)
「秋桜子忌」(水原秋桜子 1981年7月17日没)
「河童忌」(芥川龍之介 1927年7月24日没)
「草田男忌」(中村草田男 1983年8月5日没)
と、有名な作家、俳人の忌日が並んで出ていた。
午前中、裏口を出て見上げた空は、心が洗われるほど晴れやかであった。
居間に引き返し、デジカメを持って外に出た。
添付写真の空よりも、私の目が捉えた空は、はるかに美しかった。(写真)
昨日も晴れの一日だった。しかし、空を見上げるゆとりもチャンスもなかった。
生きていることは、どうしてこうも多忙なのだろうかと思うほど、今日もゆとりのない一日であった。ひとりなのだから、のんびり暮らせるはずなのに。
何の用があって庭に出たのかも思い出せないのだが、全くの偶然が、僥倖となった。吸い込まれてしまいそうな自然の美!
空に至上の美しさを感じるのは、人間社会があまりにも薄汚れていたり、殺伐な事件が続いたりして、うんざりすることが多すぎるからかもしれない。
自然の美しさだけは人を裏切らない。
美しいものに出会えた幸せ!
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家にいるときは、パソコンを置いた部屋で過ごすことが多い。パソコンに疲れると、長椅子に座って本を読んだり、ぼんやりととりとめのないことを考えたりする。
ちょっと贅沢な話だが、この部屋に小型のテレビが欲しいと、前々から思っていた。パソコンに向かって仕事をしながら、時にテレビを見たりしていては、ろくなことにはなるまい。二兎を追って、いい仕事ができるはずはないが、テレビのある部屋とパソコンの部屋とを行ったり来たりせずに、必要なときにテレビが見られる状況を作りたかったのだ。
今日、念願(?)のテレビを設置してもらった。
さらに、ソコロのSさんは、パソコン用のカードリーダーを届けてくださった。
先日来のプリンターの不具合も解消し、写真の取り込みも簡単にできるようになり、、全て環境が整った。(添付の写真も、さっそくカードリーダーで読み込ませた。)
しかし、仕事をするのは私自身であり、環境ではないのだけれど。
午後は、しばらく気になっていた返信を5通したためた。
そのうち3通は本を送ってもらったお礼なので、読後感も記さねばならなかった。心にもない誉め言葉など書きたくない。が、送り主(本の著者)に、不快感を与えないように、しかし、私の心情は的確に伝えたいと思うと、ブログを書くように気楽にはいかない。考え考え書いて、三通の手紙に封をしたときは、大きな荷物を背から下ろした安堵感を覚えた。
「運慶の謎」(長編小説)
「根なし草」(詩集)
「人間として、女として全うに生きたい」(エッセイ集)
三冊とも、最近、三人の知己が出版した本である。
書くことにはどんな意味があるのだろう?
そして、出版することには?
私もこうして、どうでもいいようなことをブログに書き記している。まるでそれが生き甲斐であるかのように。生き甲斐とまではゆかなくても、楽しみには違いなく……。単なる自分の楽しみとして、ただ文字の洪水に終わりかねない文を書いている。
なぜ?
書くことは昔から好きだし、書くときの思考のプロセスが楽しいのかもしれない?
しかし、自分の文章を本にまとめようとは、微塵も考えない。
私も、かなり長い間、下手な小説を活字にしていた時期がある。その当時に書いたものをまとめれば、出版は可能だけれど……。
市井のだれもかれもが、よく本を出版する。そこには、どんな意味が込められているのだろう?
ひと時の自己満足に過ぎないのではないだろうか?
大方はたちまちゴミになるのに…、そんな空しさを覚える私の考え方は、特殊なのだろうか。
生きた証を残そうとは思わない。同時代を一緒に生き、かかわりのあった人々に、あえかな印象でも留められれば、それでいい。それさえ実に儚く消え行くものだ。
ゴミにならずに、永遠の価値を持つものなど、書き残す自信もなく……。
そんな考え方の私のところにも、友達や知己は、本を送ってくれる。
新しい本が届けば、人柄も筆力も、ほぼ分っている人に、どんな変化が起こったのかと、読むことを厭いはしない。が、読後、なかなか満足は得られず、心満たされぬ場合が多い。
先刻、なんとか感想を綴った手紙を書き終えた。
そう大袈裟なことではないのに、こうしたお付き合いが、最近は少々負担に感じられるようになった。それだけに、なし終えた今日は、ほっとした思いが強い。
他に二通、返信の葉書も書いて、夕方、ポストに向かった。
ほっとした思いで、足取りは軽かった。
午前のようなきれいな空は見られず、夕空には一面の雲が広がっていた。
明日はお天気がくずれるのかもしれない。
雨もまたよし、そんな思いで雲の空を眺めた。
昨日、カシワバアジサイのことが気になって、郵便局からの帰り、草花舎に立ち寄った。美味しいコーヒーが飲みたい気持ちもあって。
今や、草花舎の庭はアジサイの花盛りである。前回のブログに書いたときは、まだ咲き始めであった。が、今こそ、各色の花が咲き誇っている。
その中の一つ、入り口近くに咲いているガクアジサイは、ピンク色を深めていた。(写真)
アジサイの本来の色は、藍色らしい。
「あじさい」とは「藍色の集まったもの」で、「あづさい(集真藍)」が訛ったものの由。 この説は、今までにも幾度か、本で読んだ記憶がある。
私の好む「紫陽花」という表記は、唐の詩人・白居易が別の花に名づけたもののようだ。ところが、平安時代の学者・源順が、あじさいにこの漢字を当てたことから、誤って広まったとのだという。
アジサイは、梅雨の季節の花であるし、名前に<陽>の字は不似合いともいえる。それなのに、私は理由もなく、紫陽花の文字が気に入っている。理屈を無視して。
昨日は草花舎に立ち寄ってよかった。
今日からしばらく、Tちゃんが不在とのこと。上京したり、広島に行ったり、七月の上旬からはイタリアに行ったり、旅人の日々が続くらしい。
先日、訳文の校正に目をとした印刷物(スーザンさんの活動や関連事項をまとめた「PLATFORM」)が、出来上がっていた。一部いただいた。
Tちゃんは、スーザンさんの片腕である。名刺の必要なときもある。それに備えてつくられた、Tちゃんの手づくり名刺もいただいた。なかなか芸術的である。
考えて見ると、私など一度も名刺を持たぬ人生であった。
昨日、運動不足の解消にと、ポストへ郵便物を投函するついでに、少し遠回りをした。久しぶりに、同級生、Hさん宅の、畑のように広い庭に咲く植物を眺めながら通った。
「あッ、カシワバアジサイ!」と、足を止めた。(写真)
昨年、初めてこの花を知り、変わった紫陽花もあるものだと思った。が、今年は初めての出会いであった。
今年、新鮮な紫陽花として目につくのは、「隅田の花火」ばかり……。
そういえば、草花舎でも、昨年は、カシワバアジサイを眺めた。今年はどうなったのだろう? と、郵便局からの帰り、気になって立ち寄ってみた。
花に気づかないのは、私の不注意かもしれないと思っていたが、木は育ちながら、花は咲いていなかった。花芽のときに刈り込んでしまったのかもしれない、との話だった。
もちろん、コーヒーもいただいた。
その時、先客から、紫陽花には毒があると聞いた。
紫陽花に毒?!
初耳であった。
紫陽花が毒性か否か、やはり気になるので、今、『ウィキペディア』を開けてみた。
客の言葉は正しかった。
<青酸配糖体を含み、ウシ、ヤギ、ヒトなどが摂食すると、中毒を起こす。症状では、過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死ぬ場合もある。>
と、記してあった。
紫陽花を口にすることなど、考えてもみなかったのだが、あくまでも眺める花であって、食することは禁物のようだ。