ぶらぶら人生

心の呟き

6月の旅 (東京 6 見上げた夕空に)

2008-06-30 | 旅日記
 ビルの53階から地上に降りてみると、一日は終わろうとしていた。夕風がひんやりとして…。
 高層ビルの谷間から、上空を見上げた。
 黄昏の空に飛行機雲が筋を引き、飛行船が浮かんでいた。(写真)

 大都にも、ほっと息づける空間がある。
 安らげるひと時もある……。
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6月の旅 (東京 5 六本木ヒズル展望台にて)

2008-06-30 | 旅日記
 国立新美術から歩いて、六本木ヒルズに向かった。
 52階が、<六本木ヒルズ展望台・東京シティビュー>となっている。
 360度、ガラス張りの展望台。
 ぐるっと廻って、東京という大都の東西南北を眺める。
 (写真 東側。東京タワーが見えている。)

 先刻訪れた国立新美術館も、北側の窓に見えていた。
 よく晴れた日には富士山の姿を眺めることもできるという。その秀峰を望むことはできなかったが、比較的お天気に恵まれ、大都を遠望できた。
 思いの外、緑地帯が多い。規模の大きな公園が存在していて、高層ビルの多い都会に潤いを与えている。
 ふと、眼下に目を移すと足がすくむほどの高さにいることに気づいた。
 その視線をはるか彼方に移し、生活の場から遠く遠く離れていることを思った。しかし、いずれ帰りゆくより仕方のない海辺の町を、格別懐かしむ情は湧かなかった。できれば、旅人として、もっと長くい続けたい思いであった。

 展望台から、さらにもう1階上の53階に上がり、森美術館にも立ち寄った。
 『英国美術の現在史;ターナー賞の歩み展』が開催されていた。
 創作の意図を解しかねるような作品もかなりあったが、現在美術の先端を知る上では、見所のある展示だった。 
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6月の旅 (東京 4 <国立新美術館>)

2008-06-30 | 旅日記

 地下鉄を利用して、千代田線「乃木坂駅」6出口を出ると、そこはもう国立新美術館であった。設計者が黒川紀章氏であることや波打つ外観の特徴などは、テレビの報道で知っていた。
 一度訪れて見たいと思っていたし、『エミリー・ウングワレー展』をのぞいてみたい気もあった。
 開館(2007年1月)から1年余を経たばかりの美術館は、まだ真新しい感じであった。
 
 入り口近くの入場券売り場で、『モディリアーニ展』開催中のことを知った。
 そこで、エミリーよりなじみのあるモディリアーニ展の会場に、まず入ってみることにした。

 モディリアーニ展は、今までに、二度観ている。
 それは、ほとんどが晩年の名作であったのに対し、今回の展示は、あまり知られていない、画家の原点を探る展示となっていた。若き日、彫刻家を目指していた当時の作品など……。
 これはこれで、観るに値する展覧会であった。
 モディリアーニの後、さらにもう一つの『エミリー・ウングワレー展』を観る元気はなかった。
 午前中の浅草めぐりから、かなりの距離を移動したり、立ち続けたりしている。
 足裏に疲れを覚えた。血液の流れが悪くなるのか、美術館内を歩いていると、必ず足の指の付け根が痛くなってくる。
 休憩に如くはなしと、2階の喫茶店に入った。
 建物の内部構造の複雑さを眺めながら、コーヒーとケーキで休息。
 ここにも人が多かった。しかし、人を人として意識しないで過ごせる都会の不思議な空気がそこにも流れていた。
 私自身でいられる自由!

 ついでに六本木ヒルズにも足を延ばそうと、館外に出たとき、国立新美術館の外観を眺めることができた。(写真)

 (追記 上京の際、疲れもあって観ることを諦めた「エミリー・ウングワレー展」を、先日の新日曜美術館で紹介していた。
 その時、かなりの作品を画面で見ることができたし、エミリー自身の生涯を知ることにもなり、心を打たれた。
 オーストラリア中央の砂漠地帯で生まれ、ヨーロッパ人の入植による苦難の時代を経たあとも、アボリジニの伝統的な生活を生き続けた画家ということだ。(1910頃~1996)
 ボディ・ペインティングや砂絵を描いていたのち、本格的にカンヴァスに向かったのは、1988年頃からだという。それ以来、死に至るまで、情熱的に描き続けた絵画が、注目を浴びることになったのだ。
 8年間に描かれた作品の数は、3千とも4千とも言われているようだ。

 テレビでそのことを知って、私にも、諦めるには早すぎる余生があるのかもしれない? と、ふと夢をみた。が、すぐさま、天才と凡人とを一緒に考えてはいけないと、もうひとりの私がささやいた。
 そこで、はかない束の間の夢想は、たちまち雲散霧消してしまった。) 

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6月の旅 (東京 3 浅草寺)

2008-06-30 | 旅日記
 日の出桟橋発の、隅田川水上バスの終点は、浅草である。
 下船後は、幾年ぶりかの浅草めぐり……。

 仲見世通りを歩き、浅草寺にもお参りした。
 気取りのない風情の街を歩いていると、雑踏に身をおくことの心地よさを覚える。多種多様な群衆の中で、人の世に生きている安堵感を覚えると同時に、異邦人であるかのような気安さも感じる。
 家にひとり暮らす日々の、得もいえぬ孤独感は、ここにはない。

 食事をし、喫茶店にも入り、素朴な人形饅頭を食べながらコーヒーを飲んで、午後の行動を考えた。
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6月の旅 (東京 2 <水上バスで>)

2008-06-30 | 旅日記
 前日の天気予報によると、6月4日のお天気は、雨と無縁であるらしかった。
 そこで、隅田川の水上バスに乗って、浅草に行くことにした。
 
 浜松町近くの日の出桟橋から浅草へ向かうコース。
 約40分の船旅である。

 日の出桟橋に船が近づいてきた。(写真)
 乗船することになった船である。

 山と海と、どちらが好きかと、二者択一を迫られれば、山を選ぶだろう。
 しかし、水のある風景は好きである。
 特に川や湖のある風景。

 この日は、隅田川の水上バスに身をおき、浅草へ向かいながら、そこにかかる12の橋を眺め、河岸の風景を楽しんだ。次々現れる橋には、両岸を結ぶという役割の外には、類似性が乏しい。それぞれに、構造も色も異なるのが面白かった。橋の展覧会場にいるかのようだ。ただ、いくら船の速度が遅くても、過ぎ行く眺めは客船の一方からに限られ、仔細に観察することは不可能だった。橋はたちまち後方に退いてしまう。今、橋の写真を示されて、<何橋?>と問われても、明快な答えができる数は知れたものだろう。
 気候のいい時期、桜の頃にでも、隅田川河畔の散歩をしながら、橋を間近に眺めたら、別の楽しさがあるに違いない。
 
 旅した日の川風の匂いと、梅雨空の下に広がる河岸一帯の眺めと、心にたたまれた想い出とは、色あせることはあるまい。 
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6月の旅 (東京 1 <国宝 薬師寺展>)

2008-06-29 | 旅日記
 6月も、残り二日になってしまった。
 「烏兎匆匆」という、私のよく使う言葉が、今日も頭に浮かんだ。
 本当に日々の過ぎゆくのが速い。

 6月の旅の記録を、簡単でいいから、今日明日のうちに書き留めておこうと思う。
 旅は、常に非日常的な時間であり、格別な楽しさがある。

 上京したのは、6月3日であった。
 石見空港を発つ時には雨が上がっていた。が、羽田に着いてみると、台風5号の余波が、東京に雨を降らせていた。
 ホテルで昼食をとると、谷中に出向いて、師のお墓参りをしてきた。

 上京中に是非見たいと思っていたものの一つが、『国宝 薬師寺展』であった。
 お墓参りからの帰り、鶯谷駅に下車して、東京国立博物館(平成館)に向かった。

 博物館に近づくにつれ、人が多い。雨の日というのに……。
 大方は、『薬師寺展』に関わりのある人らしい。
 会期が6月8日までとなっている。
 展示期間が終わり近くなって人の出が多くなっているのか、連日同じような人出が続いているのかは、よく分からない。
 切符売り場の混雑ぶりも特別だし、さらに入場を待つ人の長蛇の列も驚きだ。
 「ただ今、入場まで、50分待ちとなっています」
 そんなアナウンスが流れている。
 かなり激しい雨中、S字型の、長い人の列が、遅々として動かない。傘の下の人はみな、黙々と立って待っている。異様とも思える執念!
 しかし、私同様、今日と決めた人たちばかりなのだろう。老若男女のひとりとして、諦めて列から離れる人はなかった。
 ありがたいことに、実の待ち時間は30分であった。(雨の中で立って待つ30分は、辛抱強さをを要する長さではあったけれど。)

 中も大変な人であった。
 今年は、平城遷都1300年に当たるのだそうだ。それを記念しての展示である。
 大方の人のお目当ては、私同様、薬師寺の金堂から寺外に初めて運び出され、じかに拝することのできる月光・日光菩薩立像にあったのだろう。
 今回の展示には、聖観音菩薩立像、慈恩大師像、吉祥天像などの国宝もあった。さらに、考古遺跡の数々も展示されていた。

 やはり最大の魅力、展示の圧巻は、月光菩薩立像と日光菩薩立像の二体であった。(写真 ファイルより)
 前後左右、立つ位置を変えて拝観する。感動の表現を拒む見事さであった。

 薬師寺に旅したのは、いつの頃だっただろう?
 もう遠い昔のことである。
 薬師寺展を観ているうちに、是非機会を作って、再び薬師寺を尋ねたいと思った。

        ****************
 
 この記事を書くに当たって、過去となってゆく時間の速さに驚きと焦燥を覚えた。
 「烏兎匆匆」と呟きながら、早速、新しい電子辞書の四字熟語辞典で、意味を確認してみることにした。
 今まで使っていた電子辞書の見開き部分が劣化して、使用不能になる日が近そうだということは、過日のブログ(6月26日「梅雨の晴れ間 1」)に書いた。
 その翌日、早速インターネットで調べ、使い勝手のよさそうな辞書が見つかったので注文したのだった。
 注文の日から中一日おいて、今朝早く、宅配便で新しい電子辞書が届いた。
 
 「烏兎怱怱」の注釈の欄を見ると、
 <「烏兎」は太陽と月。転じて、歳月・月日のこと。古代中国に、太陽には3本足の烏が、月には兔がすんでいるという伝説があり、太陽のことを金烏(きんう)・金鴉(きんあ)、月のことを玉兎(ぎょくと)と呼んだことから。「匆匆」は、あわただしいようす。⇒金烏玉兎>
 と、出ている。
 そこで、<金烏玉兎>にジャンプしてみた。すると、
 意味 <月日のこと。特に速く過ぎる月日のことをいう。>
 注釈 <古代中国の伝説で、「金烏」は、太陽の中にいるという3本足の烏から、太陽のこと。「玉兎」は、月の中にいるという兔から、月のこと。>
 例 <父が亡くなってからはや3年、金烏玉兔の速さを感じる。>
 とあり、広辞苑より、説明がやや詳しくなっている。

 今まで使っていた電子辞書に比べ、新辞書は分厚く重い。収録辞典の数が多く、知識を多方面から得られそうだ。ただ残念なのは、中国語の辞書の入っていないことである。別売りのデータカードを入れることはできそうだけれど。
 しばらくは、壊れかけた辞書を大切に扱い、中国語の調べは、古い電子辞書で間に合わせようと思っている。
 入手したばかりの電子辞書の扱いには、まだ不慣れである。使いこなせるようになれば、有効に役立てられるだろう。
 辞書好きな私には、新たな楽しみとなりそうである。 
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サクランボの贈り物

2008-06-29 | 身辺雑記

 山形産のサクランボが、山口の知人を経て送り届けられた。
 お行儀よく箱に手詰めされたものではなく、バラ詰めである。したがって、等級は少し劣るのかもしれない。それでも、十分美しい。赤く輝く果実は、目にも愛らしい。
 一粒一粒、味わいながらいただく。絶妙な、上品な美味を楽しみながら。
 視覚、味覚を同時に満足させてくれる果実である。

 「佐藤錦」と呼ばれる品種らしい。生みの親である佐藤栄助の名前を冠したものだという。商品化されるまでには、長い苦労の歴史があるようだ。品種改良には、素人の想像を絶する、陰の努力があるのだろう。

 「桜桃」や「チェリー」に比べ、「さくらんぼ」という言い方は愛らしく親しみやすい。
 「桜桃」と言えば、太宰治の、晩年の自伝的短編小説を思い出す。
 <子供より親が大事、と思いたい。>に始まり、
 <しかし、父は大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供より親が大事。>
 で終わる、夫婦のいさかいを描いた小説である。
 「涙の谷」という、うまい表現に出会ったのも、この小説だった。

 太宰治の死去(1948年6月13日)から60年が経つ。
 「桜桃忌」は、この小説に因んでつけられたようだ。
 今年もこの日には、故人を偲ぶ人たちの集いが、盛大に開かれたに違いない。

 『歳時記』の<夏>部にて、「桜桃忌」のページを開いたところ、
 「楸邨忌」(加藤楸邨 1993年7月3日没)
 「鴎外忌」(森鴎外 1922年7月9日没)
 「秋桜子忌」(水原秋桜子 1981年7月17日没)
 「河童忌」(芥川龍之介 1927年7月24日没)
 「草田男忌」(中村草田男 1983年8月5日没)
 と、有名な作家、俳人の忌日が並んで出ていた。 

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梅雨の晴れ間 2 (6月27日 石見の空)

2008-06-27 | 身辺雑記

 午前中、裏口を出て見上げた空は、心が洗われるほど晴れやかであった。
 居間に引き返し、デジカメを持って外に出た。
 添付写真の空よりも、私の目が捉えた空は、はるかに美しかった。(写真)

 昨日も晴れの一日だった。しかし、空を見上げるゆとりもチャンスもなかった。
 生きていることは、どうしてこうも多忙なのだろうかと思うほど、今日もゆとりのない一日であった。ひとりなのだから、のんびり暮らせるはずなのに。
 何の用があって庭に出たのかも思い出せないのだが、全くの偶然が、僥倖となった。吸い込まれてしまいそうな自然の美!
 空に至上の美しさを感じるのは、人間社会があまりにも薄汚れていたり、殺伐な事件が続いたりして、うんざりすることが多すぎるからかもしれない。
 自然の美しさだけは人を裏切らない。
 美しいものに出会えた幸せ!
 
     ☆※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※☆

 家にいるときは、パソコンを置いた部屋で過ごすことが多い。パソコンに疲れると、長椅子に座って本を読んだり、ぼんやりととりとめのないことを考えたりする。
 ちょっと贅沢な話だが、この部屋に小型のテレビが欲しいと、前々から思っていた。パソコンに向かって仕事をしながら、時にテレビを見たりしていては、ろくなことにはなるまい。二兎を追って、いい仕事ができるはずはないが、テレビのある部屋とパソコンの部屋とを行ったり来たりせずに、必要なときにテレビが見られる状況を作りたかったのだ。

 今日、念願(?)のテレビを設置してもらった。
 さらに、ソコロのSさんは、パソコン用のカードリーダーを届けてくださった。
 先日来のプリンターの不具合も解消し、写真の取り込みも簡単にできるようになり、、全て環境が整った。(添付の写真も、さっそくカードリーダーで読み込ませた。)
 しかし、仕事をするのは私自身であり、環境ではないのだけれど。

 午後は、しばらく気になっていた返信を5通したためた。
 そのうち3通は本を送ってもらったお礼なので、読後感も記さねばならなかった。心にもない誉め言葉など書きたくない。が、送り主(本の著者)に、不快感を与えないように、しかし、私の心情は的確に伝えたいと思うと、ブログを書くように気楽にはいかない。考え考え書いて、三通の手紙に封をしたときは、大きな荷物を背から下ろした安堵感を覚えた。

 「運慶の謎」(長編小説)
 「根なし草」(詩集)
 「人間として、女として全うに生きたい」(エッセイ集)
 三冊とも、最近、三人の知己が出版した本である。
 
 書くことにはどんな意味があるのだろう?
 そして、出版することには?

 私もこうして、どうでもいいようなことをブログに書き記している。まるでそれが生き甲斐であるかのように。生き甲斐とまではゆかなくても、楽しみには違いなく……。単なる自分の楽しみとして、ただ文字の洪水に終わりかねない文を書いている。
 なぜ?
 書くことは昔から好きだし、書くときの思考のプロセスが楽しいのかもしれない?
 しかし、自分の文章を本にまとめようとは、微塵も考えない。
 私も、かなり長い間、下手な小説を活字にしていた時期がある。その当時に書いたものをまとめれば、出版は可能だけれど……。

 市井のだれもかれもが、よく本を出版する。そこには、どんな意味が込められているのだろう?
 ひと時の自己満足に過ぎないのではないだろうか?
 大方はたちまちゴミになるのに…、そんな空しさを覚える私の考え方は、特殊なのだろうか。
 生きた証を残そうとは思わない。同時代を一緒に生き、かかわりのあった人々に、あえかな印象でも留められれば、それでいい。それさえ実に儚く消え行くものだ。
 ゴミにならずに、永遠の価値を持つものなど、書き残す自信もなく……。
 
 そんな考え方の私のところにも、友達や知己は、本を送ってくれる。
 新しい本が届けば、人柄も筆力も、ほぼ分っている人に、どんな変化が起こったのかと、読むことを厭いはしない。が、読後、なかなか満足は得られず、心満たされぬ場合が多い。

 先刻、なんとか感想を綴った手紙を書き終えた。
 そう大袈裟なことではないのに、こうしたお付き合いが、最近は少々負担に感じられるようになった。それだけに、なし終えた今日は、ほっとした思いが強い。
 
 他に二通、返信の葉書も書いて、夕方、ポストに向かった。
 ほっとした思いで、足取りは軽かった。
 午前のようなきれいな空は見られず、夕空には一面の雲が広がっていた。
 明日はお天気がくずれるのかもしれない。
 雨もまたよし、そんな思いで雲の空を眺めた。

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6月の庭 (アジサイ)

2008-06-26 | 草花舎の四季

 昨日、カシワバアジサイのことが気になって、郵便局からの帰り、草花舎に立ち寄った。美味しいコーヒーが飲みたい気持ちもあって。

 今や、草花舎の庭はアジサイの花盛りである。前回のブログに書いたときは、まだ咲き始めであった。が、今こそ、各色の花が咲き誇っている。
 その中の一つ、入り口近くに咲いているガクアジサイは、ピンク色を深めていた。(写真)

 アジサイの本来の色は、藍色らしい。
 「あじさい」とは「藍色の集まったもの」で、「あづさい(集真藍)」が訛ったものの由。 この説は、今までにも幾度か、本で読んだ記憶がある。
 私の好む「紫陽花」という表記は、唐の詩人・白居易が別の花に名づけたもののようだ。ところが、平安時代の学者・源順が、あじさいにこの漢字を当てたことから、誤って広まったとのだという。
 アジサイは、梅雨の季節の花であるし、名前に<陽>の字は不似合いともいえる。それなのに、私は理由もなく、紫陽花の文字が気に入っている。理屈を無視して。

 昨日は草花舎に立ち寄ってよかった。
 今日からしばらく、Tちゃんが不在とのこと。上京したり、広島に行ったり、七月の上旬からはイタリアに行ったり、旅人の日々が続くらしい。
 先日、訳文の校正に目をとした印刷物(スーザンさんの活動や関連事項をまとめた「PLATFORM」)が、出来上がっていた。一部いただいた。
 Tちゃんは、スーザンさんの片腕である。名刺の必要なときもある。それに備えてつくられた、Tちゃんの手づくり名刺もいただいた。なかなか芸術的である。

 考えて見ると、私など一度も名刺を持たぬ人生であった。

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Hさん宅の庭に (カシワバアジサイ)

2008-06-26 | 身辺雑記

 昨日、運動不足の解消にと、ポストへ郵便物を投函するついでに、少し遠回りをした。久しぶりに、同級生、Hさん宅の、畑のように広い庭に咲く植物を眺めながら通った。
 「あッ、カシワバアジサイ!」と、足を止めた。(写真)
 昨年、初めてこの花を知り、変わった紫陽花もあるものだと思った。が、今年は初めての出会いであった。
 今年、新鮮な紫陽花として目につくのは、「隅田の花火」ばかり……。

 そういえば、草花舎でも、昨年は、カシワバアジサイを眺めた。今年はどうなったのだろう? と、郵便局からの帰り、気になって立ち寄ってみた。
 花に気づかないのは、私の不注意かもしれないと思っていたが、木は育ちながら、花は咲いていなかった。花芽のときに刈り込んでしまったのかもしれない、との話だった。
 もちろん、コーヒーもいただいた。
 その時、先客から、紫陽花には毒があると聞いた。
 紫陽花に毒?! 
 初耳であった。
 
 紫陽花が毒性か否か、やはり気になるので、今、『ウィキペディア』を開けてみた。
 客の言葉は正しかった。
 <青酸配糖体を含み、ウシ、ヤギ、ヒトなどが摂食すると、中毒を起こす。症状では、過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死ぬ場合もある。>
 と、記してあった。
 紫陽花を口にすることなど、考えてもみなかったのだが、あくまでも眺める花であって、食することは禁物のようだ。

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