ぶらぶら人生

心の呟き

海も空も青く

2015-04-26 | 散歩道
 今日の散歩は、<青の世界>に取り囲まれているような感じだった。
 黄砂にも無縁で、海も空も、透くような青さ!

 海を見に出かけ、食事をしてくる予定であった。
 が、駐車場の車が、県内県外を含めて、非常に多い。
 日曜日でもあるからだろう、海辺のレストランは、大変込んでいる様子だ。
 一応、受付に尋ねてはみたけれど、予約が多くて…、と断られた。

 休憩なしに、来た道を引き返すと、途中、疲れがどっと出た。
 先日、郵便局からの帰りも、同じような感じだった。
 4000歩にも満たない散歩なのに。
 (体調が、少々下降気味なのかもしれない。)

 最近読んだ2冊の本について書きたいのだが、それも果たせずにいる。
 ブログに、風景や草花の写真ばかりでは、心が満たされないのだが…。

 まあ無理はしないで、ゆっくりゆっくり暮らしてゆこう。



          


 

 

 
                 初夏めく磯で、遊ぶ人たちの姿もあった


   
                      畑に咲くエンドウの花

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アマドコロとナガミヒナゲシ

2015-04-25 | 身辺雑記
       

       

 毎年、<ナルコラン>と書いてきたように思う。
 しかし、<アマドコロ>というのが、正式名のようだ。

 似た植物に、<ナルコユリ>というのもあって、ややこしい。
 頭が老いて、名前は、覚えきれない。

 デジカメで、初めて撮った花が、横庭に咲く、この<アマドコロ>だった。
 また、自らプリンターで印刷したのも、この花であった。
 A4用紙に焼き付けたことを思い出す。

 PCを始めたばかりの当時は、日々が、新たなこととの出会いであった。


       

 近所の家横に、ナガミヒナゲシが、整列していた。
 この草花は、外来種の雑草として扱われ、嫌う人もある。
 しかし、私は、この可憐な花に魅せられ、毎回、足を止めて眺める。
 懐かしい人のように。

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手紙を書き終えて

2015-04-24 | 散歩道
 先日来、気になっていた手紙二通を書き終えた。
 重量がオーバーしていることは、分かっている。

 そこで、郵便局へ行き、重さを確かめて投函することにした。
 いずれも、10円オーバーであった。

 局員のKさんが、
 「ツバメがきました。でも、かなり警戒心が強くて…」
 と、教えてくださった。

 郵便局の庭にたたずんで、巣に帰る燕を待ってみたが、戻ることはなかった。
 昨年、子ツバメを烏か蛇にとられ、ここが果たして子育てに安心な場所であるかどうか、慎重に確認している段階なのかもしれない。
 ツバメは、私を怪しげな存在だと思ったに違いない。
 
 今後、どうなるのだろう?
 せっかく巣に戻ってきたツバメは、子育てに成功するのかどうか。

 今日は、草花舎の定休日である。
 途中休憩できなくて、残念だった。

 草花舎の入り口のナニワイバラの花数が、日ごと増え続けているようだ。
 国道側からは、白地の躑躅(微かに紅色を帯びた)も、見える。
 それぞれ花の写真を撮らせてもらった。

  


 帰りは、久しぶりに、田圃道を歩いてみた。
 鉄道の線路を跨ぎ、小学校前に出る小径である。

 途中で、見かけた花や新芽をカメラに収めた。
 自然は、無言で語りかけてくれるくれるから、ありがたい。 

  

              

  
             柿若葉                    赤芽柏


        
                        S寺の大樹

        
                      太一ちゃんの鯉のぼり

  
        裏庭(わが家)のモミジ2種              前庭の白式部の新芽          

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PCの恩人

2015-04-24 | 身辺雑記
 かつてソコロシステムズに勤め、私にPCの手ほどきをしてくださったのは、Sさんという女性だった。
 マウスの使い方さえ知らなかった私に、それこそ一から教えてくださった。
 私は、その時、70歳になっていた。
 理解力のすこぶる萎えた、出来の悪い生徒だった。
 が、実に根気よく教えてくださった。
 80歳を超え、今なおPCを使って余生を楽しめるのは、道を開いてくださったSさんのおかげである。

 Sさんは、私が何とかブログを書いたり、インターネットを使えるようになってからも、3年余り前まで、毎月来宅し、PCの点検をしたり、私の疑問に答えたりしてくださったのだ。
 歳月の上では、かなり長いお付き合いである。
 

 そのSさんが、久しぶりに訪問してくださった。(23日)
 転職された仕事先は、木曜日と日曜日がお休みなのだそうだ。

 久しぶりに会って、<とみ>で食事をし、その後、私の家で歓談した。
 以前、PCの仕事の後、コーヒーを飲みつつ、語らいのときを楽しんだように。
 3年余の空白を全く感じることなく、その時の延長線上で、語らいをしている気分であった。
 
 口には出されなかったけれど、Sさんは私の老いを感じられたことだろう。
 70歳で、PCを習い始めた時も十分高齢であったが、今は自分でも情けなくなるほど、老いたことを自分で感じる。
 いつも、人に会うときは、これが最後になるかもしれないと思う。
 この日も、駐車場にSさんを送り、再会の日を念じながらも、その日があるかどうか、全く自信のないままにお別れした。
 


  
              前日、ヨウちゃんにもらった花。
            草花舎のYさんのように、美しくは飾れない。
           もらってきたものを、二つの花瓶に投げ込んだだけ。
           一つは玄関〔左]に、もう一つはキッチン〔右〕に。

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庭の草取りと溝掃除

2015-04-23 | 身辺雑記
 22日、シルバー人材センターの方3人(男性2人、女性1人)が来訪。
 8時から2時半まで、庭の草取りと溝掃除をしてくださった。

 雑草は好きなのだが、庭に生えてくれると、鬱陶しい。
 地面を覆っていた大小様々な草が引き抜かれ、実にさっぱりした。(写真のごとく)

         
                         
        

 しかし、働いてくださる人が、私とあまり年の差がないように思われ、何だか申し訳ない気がした。

 <シルバー人材センター>に籍を置かれる人は、60歳以上という決まりらしいが、かなり高齢の方が多いのかもしれない。
 時間にゆとりがあり、十分働けて、なお小遣いの足しにという方が、多分、草取りなど引き受けてくださるのだろう。

 思いのほか時間がかかった。
 結果的には、私がこなしきれる仕事量ではなかった。

 土面の出た庭を、ありがたく眺めた。
 (既述したように、シルバー人材センターの作業が終わってから、草花舎に出かけた。) 

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4月の庭 (花水木ほか)

2015-04-22 | 草花舎の四季
 草花舎は、花の庭になっていた。
 今、花水木の花が美しい。

     

     

     

     

 その他の花々。
 躑躅・藤など。
 香を放っているのは、オリーブの花だろうか。
 初めて、その小さな花を見た。
 茱萸の花も、小さい。
 (こちらは、前回、草花舎を尋ねたときにも咲いていた。カメラに収めて帰宅したが、ピンボケだったので、今日、撮りなおした。)

  

  

  

  

  
       オリーブの木・その花                      同(花の一部)

  
          茱萸の花                       ハルジオン(蕾は頭を垂れて)


                            室内の花々
  

              

         


                 コーヒーとケーキ・サービスのお茶とちまき
  

 お客のTさんが、スマホで撮影された動画(SLが遠くから近づく様子)を見せてくださった。
 次第に高まる音とともに。
 すごい技だな、と感心した。
 大きな画面で見れば、さらに迫力が増すだろう。

 中野重治の詩「機関車」を思い出して眺めた。
 <シャワッシャワッ>という音を立て、走りくる勇壮な機関車が描かれていたように思う。


 私の帰宅に合わせ、Yさんは、散歩に出られた。
 同級生宅の、白藤は咲いているだろうかと、二人で駅の裏道を歩いた。
 藤は、まだ咲いていなかった。

 見事な牡丹が咲いていた。
 花の王者の風格で。
 タンポポは、ひそやかな綿毛となっていた。

  

 Yさんと私の会話を聞きつけ、ヨウちゃん(同級生の夫人)が、一段上の丘から声をかけられた。
 私は、ヨウちゃんから、たくさんの花をもらって帰宅した。
 Yさんは、深紅の花(黒花というらしい)を咲かせている木瓜の枝をもらわれた。
 草花舎の庭に挿し木し、育ててみると。

 家近くの坂道で、Yさんにサヨナラした。

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従姉妹の歌集『青き枇杷』

2015-04-21 | 身辺雑記
 従姉妹から歌集が送られてきた。

  『青き枇杷』 である。(写真)

                  

 表紙絵も、従姉妹作。
 歌集名は、

   一房の鈴生りの重さ保ちゐる青き枇杷五月の空に真向かふ

 から採られたようだ。
 
 若き日に歌を詠み始め、長い空白の時を経て、退職後の平成11年から歌づくりを再開し、25年までの歌667首が収められた歌集である。

   バックボーン持ちたき焦躁の日々なりき蝶不似合ひに高く舞ひゐる

 という、いかにも若者らしい、苦悩(?)・焦躁の歌に始まり、

   「花」とは悲しき人のために在る夾竹桃咲く風景を見てゐる

 歌集の最後は、長い人生航路を歩み続けた人の詠嘆の歌で、締めくくられている。


 歌の内容は様々だが、中心になるものは、人間への<愛>であろう。
 特に、父や母、夫や息子に対する愛が、多く詠まれている。

 父母と夫は、すでに亡き人である。
 退職後は、看病の日々を過ごし、その間の悲喜こもごも、それに次ぐ永訣の悲哀が、歌の中に多く詠まれる。
 その心痛の日々にも、平衡感覚を保ちつつ生きる姿が、陰と陽のように表現されている。

 なかんずく、この歌集において、私の心を強く打ったのは、生まれながらに痼疾をもち、平素は施設で生活する息子を詠んだ歌であった。

   言葉持たぬ洋史の手を取り語りかくる帰省の甥はいつも優しき

 の歌で、<洋史>の名に出会う。

   注ぎ来し愛を小出しに生きゆけよ我亡きあとの障がいの吾子
   与ふるもの拒まず受ける障がいを持つ子に今風の服選りて来る
   病む吾子に支へられ来し我なりき雨に梔子の花の香れる
   我が亡きあとの愛貧しからむ障がいの子のためいきてやらねばならぬ
   洋史(ひろし)、ヒロ、ヒーちゃん、ロッコ、ローちゃんと吾が思ふまま子への呼び名に
   四十路の子未だ幼児語にて語りかくる我いつまでも子離れできぬ
   「好い児、好い児」と頭撫で育てたる痼疾の子飛切りの笑顔する子に育つ
   明日は子の帰り来る日よ献立も万端コスモスの花も生けたり
   吾を支へ、吾を潤すために在るや病負ひ笑顔にて生きゐる洋史
   齢重ねる我と宿痾の子の未来幸せの形つかめずにゐる


 挙げればきりがない。
 母の子を思う気持ち、それに最高の笑顔で応える病める子の姿が、歌の中に顕著である。
 気強く生きつつ、不安や心配を払拭できない母親の心の揺れも、歌の中に読み取れる。
 
 この歌集の、他の追随を許さぬ価値は、ここにあるのだろう。
 父母のこと、夫のことを詠んだ歌にも、いい歌は多いけれども。
 (引用したい歌はたくさんある。が、それは、私の心の中に収めておくことにしよう。)

 私は、洋史さんに会っていない。
 その名前も、この歌集で知ったようなことである。
 健康であるに越したことはないが、痼疾を抱えて生きる洋史さんが、決して不幸ではない。
 健康に恵まれなかった吾子と共に生きる従姉妹も、不幸せではない。
 他人事だから、そんな安易なことを言うと、人は思うだろう。
 だが、この歌集を読むと、それがごく自然にそう思えるのだ。

 とにかく、従姉妹とその子の、未来の平穏を祈りたい。

 私の父と従姉妹の母は、兄と妹の関係である。
 従姉妹という血縁にありながら、お互い、意外に相手を知らないものだと思う。
 『青き枇杷』を読みながら、従姉妹という存在の不思議さを思った。
 近しいようでいて、意外と遠い存在である。

 一冊の歌集を通して、知らなかったことが、たくさん明かされた。
 知っているようで何も知らなかったのだ。

 私が、退職したとき、従姉妹(『青き枇杷』の作者)から、ランの鉢をもらったことを憶えている。
 そんなさりげない心遣いのできる人柄が、この歌集には満ちている。

 (編集の仕方などで、ちょっと残念だったな、と思うことなどあるけれど、それは言ってみても仕方のないこと。従姉妹と話す機会があれば、私見を伝えたいと思っている。)

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穀雨の日

2015-04-20 | 身辺雑記
 終日、雨の日となった。
 暦によると、二十四節気の<穀雨>に当たるという。

 しかし、今年は程よく大地を潤す、恵みの雨とは言えないようだ。
 雨や曇天が多く、日照時間が極端に少ないらしい。
 その悪天候が、農作物や魚介類の収穫に、影響を及ぼしているという。
 


 霧雨の降る中、庭に出てみた。

 躑躅が咲き始めた。
 数年前、友人からもらった鉢の躑躅を、地に下したものである。
 色合いと花の大きさが気に入っている。

            

 家の横庭には、毎年、アヤメ科の花が咲く。
 今年も、雨に濡れて咲いていた。

                

 私はいまだに、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲、イチハツ、アイリスの区別ができない。

 (ただ今、PCで、見分け方の解説を聞いた。大事なことをメモしたので、これからは、よく観察することにしよう。)

 庭に、この花が咲くと、決まって正岡子規(1867~1902)の短歌を口ずさむ。

   いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす

 と。

 若くして病死した子規は、病状の悪化から、最後となる春を自覚せざるを得なかったのであろう。
 私は、老女ゆえ、あるいは<今年ばかりの春>となるかもしれぬと思う。
 ここ幾年かはそう思いながら、また春を迎えている。
 が、必ず来年の春があるとは、次第に信じがたくなってきている。
 とにかく<今日一日><今>をこそ、楽しもうと思っている。
 

 やっとムラサキシキブの嫩芽が、葉の気配を現し始めた。
 ジュウニヒトエの花も、先日来、咲いている。

  


 百日紅は如何ならん? と、移動した。
 新葉のことを確かめるより先に、雨滴をためた蜘蛛の巣に目が止まった。
 蜘蛛と霧雨の共同制作は、なかなか美しい。

             
 
 百日紅の嫩芽も、伸び始めている。
 大丈夫らしい! と安堵した。

 というのは、昨年までは、そこに、海棠の木があったのだ。
 私自身が、喜寿の記念として植えた木である。
 5回、花を楽しませてくれた。
 が、昨秋、海棠の葉は、紅葉せず枯れ色になった。
 その時、怪しいなと気づいた。

 毎年、お正月が明けると、庭師さんが来て、木の消毒と施肥(こちらは隔年)をしてくださる。
 その際、海棠の様子を見てもらった。(植樹をしていただいたのも、同じ庭師さんである。)

 樹の幹に虫が入って、枯死しているとのこと。
 記念樹だけに残念だが仕方ない。(もう一つの木、ジューンベリーの方は、今年も、無事に6度目の花を咲かせてくれた。)

 枯れ木の処理をしてもらった際、その跡に、海棠の近くに自生していた百日紅(いずれ切りとらねばならない)を移植してくださった。
 <水をやる必要があるか>と尋ねたところ、<天気が長く続けば…>とのことだった。
 3月は、当地にしては、快晴に近い日が20日を超えた。
 しかし、一度も水やりをしなかった。
 にもかかわらず、無事、芽吹いてくれた。
 夏になれば、花も咲くだろう。


 今日は、ゴミ出し日である。
 5時過ぎに目覚めた。
 二度寝の前、傘をさして、ゴミ置き場に行った。

 未明の彼方で、梟が鳴いた。
 <ホー ホー ノリツケ ホーセ>
 と。
 雨の中、佇んで、その声を聞いた。

 もう一度、
 <ホー ホー ノリツケ ホーセ>
 と、あのくぐもるような、もの寂しげな声が、聞こえてきた。

 「明日は、天気になるね」
 そういう母の声も、聞こえてきた。
 「梟は、天気予報士。<糊つけ 干せ>と、鳴いているんだよ」
 と、私の幼いころ、母は言っていた。

 板張りや伸子張りを手伝った光景も浮かんでくる。

 明日は、高気圧が張り出し、天気が良くなるらしい。

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山の賑わい

2015-04-18 | 身辺雑記
 山口への往復、春の山はこんなに美しかったかと、感動した。

 今、若葉が燃えている!
 それも、色とりどりに。
 秋の紅葉に勝るとも劣らない。

 若緑にも、濃淡がいろいろあり、囁くような軽やかな緑があるかと思えば、艶やかさを誇るものあり、亜麻色あり、光沢のある飴色あり、あでやかな赤色さえ混じり、その賑わいが、心を躍らせてくれた。

 春山を眺めて、至福を感じるのは、珍しいことであった。

 (四月初旬には、山肌にたくさんの辛夷を眺めて心満たされたし…。)

 あまり美しいものに出会うと、人生の見納めになるのではないかと思ってしまう。

 カメラには、うまく収めることができなかった。
 下の写真は、津和野と山口のパークロード。

     

     


 山口の文栄堂で、3冊の本を求めた。
 購入には、それぞれ動機がある。
 また、稿を改めて書きたい。

   

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はて? さて?

2015-04-16 | 身辺雑記
        (4月13日の出来事)


 ムラサキシキブの葉は、芽を出しているだろうか、と思いつつ庭に出た。
 その木の枝は繊細で、弓の形に垂れている。
 よく見ると、黄緑色の、小さな球状のものが、ついている。
 それが、やがて葉芽となるのであろう。
 が、それはあまりに小さく、私の技術では、カメラに収めることができなかった。

 ついでに、それぞれの庭木の葉芽を見て歩いた。

 その際、<はて?>と目をを凝らしたものがある。

      

 古木のモミジの幹に、青い画鋲が刺してあるのだ。
 私も、同じ種類のものを持っている。
 しかし、外で使うことはない。
 また、子どものいたずら(?)なのであろうか。

 抜こうと試みたが、私の力では抜けなかった。
 


 さらに、<さて?>と思案する出来事もあった。
 不審(不明)の電話である。
 
 ヒツウチ電話に出て、不快な思いをして以来、慎重になっている。
 番号だけ記憶して、電話には出なかった。

 局番から判断すると、隣の市に住む人である。
 その街には、知人が多い。
 必要な電話だったかもしれないとも思った。
 が、どうしても連絡が必要なら、再度、電話があるだろう、と判断した。
 

 一時間後に、同じ番号からの電話があった。
 その際も、ためらう気持ちが強く、受話器を取らなかった。

 
 三度目の電話があったのは、夜になってからだった。
 とにかく、受話器を耳に当て、無言を貫いた。

 やや時間があって、受話器を通して聞こえてきた、か細く遠慮がちな声は、亡き叔母にそっくりであった。
 再三の電話をくれたのは、従姉妹なのであった。
 
 私は、電話に出なかったことを詫び、理由を伝えた。
 呼び出しの主を、絶えず疑ってかからねばならないのは、嘆かわしいことだ。

 従姉妹の方も、心配していた。
 体の調子が悪いのかしら? と。
 入院でもしているのでは? とも、考えたとのことだった。
 

 心優しい従姉妹なのだが、10歳近く年が離れていて、友達感覚での付き合いはしていない。
 電話をしたり、もらったりするときには、大方、不幸が絡んでいる。
 だから、従姉妹からの電話と分かった際も、とっさに良からぬ知らせかと思った。

 そうではなかった。
 従姉妹がその日、偶然スーパーで出会った知り合いが、私をよく知る人だったという。
 その知り合いは、私たちが従姉妹関係であることを知らず、従姉妹も、私がかつて、その人と同じ職場にいたこと、昔からの知己であることなど知る由もなく、驚きであったという。
 電話したのは、それを伝えたかったのだ。
 また、その人から、ついでの時によろしく、との伝言もあったという。
 
 世間の狭さ!
 世の中、確かに、どこに、どういうつながりがあるか分からない。
 従姉妹と私の知己が、偶然スーパーで出くわさなかったら、ついに話題とはならなかっただろう。
 しかも、話題の展開次第では、私のことに触れる機会もなかっただろう。

 従姉妹は、経緯を詳しく語ってくれた。
 そして、私は知己の最近の様子を知ることもできた。

 そういえば、父の死後、幾日か経って、知己はお悔やみに来てくださった。
 それ(平成6年)以来、会っていない。
 今は、年に一度、賀状交換だけの付き合いになっている。
  
 従姉妹と話すのも、久々だったので、つい長話となり、受話器を置いたときには、ひどく疲れていた。



 13日に撮った、庭木の葉芽。
 生れ出た葉が、木によって、それぞれ、形も色彩も個性を持っているのが面白い。当然のことながら…。

          
                       木斛

    
         金木犀              ノボタン(紅をつけて可愛い)

    
      白山吹の花・葉・実           ジューンベリーの花落ちて 

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