ぶらぶら人生

心の呟き

帰り道

2016-05-31 | 身辺雑記
              昨日、草花舎からの帰り道(いつも通る道)で、
                初めて、その存在に気づいた花

         
                       硬質な蕾(柘榴?)

         
                          ノイバラ
         
         
                          プリペット?


           (もの言わぬ草花たちは、私にとってのいい友だちである。)

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ジューンベリーの実は…

2016-05-31 | 身辺雑記
 5月初旬から、ずっと気になっていたことを、昨日やっと果たした。
 その気になれば、すぐできることなのに、怠けてしまう。
  
 大切な便りを2通、やっと書きあげ、昨日、郵便局のポストへ投函した。
 なんとか5月のうちに、果たすことができた。
 これで、心安らかに、6月が迎えられる。


 昨朝、雨上がりの庭に出て、晴れた空を眺めた。
 さわやかな朝であった。

         (モミジ2本と杏子の木 そして、その上の空)
     

 実は、そのあと、愕然とした。
 杏子の横にあるジュ―ンベリーの異変!
 熟す日を楽しみにしていた、その実がほとんどなくなっているのだ。
 先日来、地面に、ぽつりぽつりと赤い実の落ちているのは目にしていた。
 多分、熟しきれずに落ちた、不幸な実なのだろう、と思っていた。

 緑の中に点々と色づくさまは、灯(ともしび)を眺めているようで心が安らいだ。
 その赤色の美しい実が、悉くなくなっているのだ。
 残っているのは、まだ熟していない青い実だけである。

 がっかりしている私の耳に、ツツピー ツツピーと鳴く鳥の声が届いた。
 声の主は、高い電線にとまっている。
 小さな鳥である。
 シジュウガラであろうか。
 
            

 あの小鳥の仕業?
 そんなはずはあるまい。

 前日の、小糠雨の降る中、人目のないのをいいことに、赤い実を啄んだのは、きっとヒヨドリであろう。
 早春のころ、シデコブシの蕾を食べ尽くした悪辣なヒヨドリ。
 集団でやってくるから、たまらない。    

 しかし、最近、庭の木陰を低空飛行するヒヨドリの姿をあまり見かけない。
 果たして、犯人かどうか?

 とにかく、今年は、ジューンベリーの熟した紫赤色を見ることはできないし、その味を楽しむこともできなくなった。


 昨夕のテレビニュースで、インド象が人の住む町に現れ、人間に危害を加えていると報じていた。
 それに比べれば、ジュンベリーの実が盗まれたくらい、小さな出来事である。

 ヒヨドリにしても、象にしても、本来の楽園(生活圏)を気候変動や人の手によって失われ、やむを得ず人界に現れ、嫌われたり恐れられたりしている、かわいそうな存在なのかもしれない。

 
                  (昨朝のドクダミ)
    
               雨滴を留めているドクダミ

    
               軒下で、雨に遭わなかったドクダミ

 
 ドクダミは、花も葉も美しい。
 毎日、庭のドクダミを眺めて遊ぶ。
 
 一般的には、あまり好まれる雑草ではあるまい。
 私も子どものころは、嫌いだった。
 なんだか陰湿な感じがするうえ、臭いが嫌だった。

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モリアオガエルの卵

2016-05-30 | 身辺雑記
 昨日、Tさんが<モリアオガエル>の卵の写真を、メールで送ってくださった。(下 2枚の写真)
 珍しいものを見ると、幼子のように、心が喜ぶ。

    
     木の枝に産み付けられた卵たち            その一つ


 タブレットで、<モリアオガエル>について調べたり、俗に<蛙の詩人>とも呼ばれ、生涯、蛙をテーマにしたし詩を書き続けた草野心平(1903~1988)の詩集を読んだりした。
 調べたり読んだりしていると、時間はたちまち過ぎてゆく。

 初めは、モリアオガエルの産卵についての知識を得ることだったり、草野心平の蛙詩を読み直したりすることだった。
 が、やがては蛙詩とは無関係に、草野心平の詩に読みふけり、詩の背後に潜む作者の詩心や思想を考える読書になっていた。

 田舎住まいの暮らしなのに、近年、蛙の声を聞いたこともないし、オタマジャクシを見たこともない。
 近くに田圃がなくなったせいだろう。
 
 人間生活の変化により、自然も変化する。
 在ったものがなくなり、なかったものが生じたりする。
 それは、当たり前のことなのだろう。
 だが、蛙の声も聞けず、オタマジャクシにも出合えないというのは、少々寂しい。
 喪失感にも通じるもの足りなさがある。
 蛙の声や河鹿の声の聞ける地に出かけてみたい、と思ったりする。
 大都会の中に生まれ育った人には理解しがたい郷愁なのかもしれない。

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ヘメロカリスの花

2016-05-29 | 小庭の四季
 10時過ぎから、小さな雨が降りつづいている。
 小糠雨というのだろう。
 
 風もなく、枝を広げた木の下は、濡れ色にさえなっていない。
 恵みの雨水をいただき損ねた土地もあるのだ。

        
                   今朝 開花した ヘメロカリスの第1号

            
                   ムラサキゴテンの伸びた葉に雨滴


                   以下は28日に 撮影したもの
        
                         ドクダミとトクサ

        
                       ドクダミとツワブキの葉


  
                          崖に咲くウツボグサ

            
                         椿の実(カタシ)

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案内状(海田曲巷 こころうた展)

2016-05-28 | 身辺雑記
 26日、見なれない文字の封書が届いた。
 差出人の名前を見ると、「海田曲巷」と書いてある。
 一瞬考え、あの海田曲巷さん! と気づいた。

 前回、草花舎を訪れたとき、久々に、展示会の開かれる話を聞いた。
 それにしても、ご本人からの案内状とは…と思いつつ、封を切った。

 封書の中身は、 『海田曲巷 こころうた展』 (2016年5月28日~6月12日)の案内であった。

                    葉書二葉と案内状
       
            左の葉書は、草花舎からの案内状 右は、海田曲巷さんの作品

            
                 案内状の裏面(海田曲巷さんの作品)

 海田曲巷さんの、草花舎での展示会は4回目だという。
 しかし、私は、一度も作品に接したことがない。
 展示の開催は、平成15年が最後だったとある。
 (過去3回の展示会は、私が当地を離れて暮らしていた時期に当たるらしい。)

 案内状に接しただけで、作家の人柄が偲ばれる。
 お手紙の文中に、

   お客様の顔ぶれは変わっても
   野の花自然の景は
   同じだと思っています
   年々歳々花相似
   歳々年々人不同
   今回ハ「恩送り」
   という茶杓ヲ
   削りました


 という表現がある。
 趣のある文字。
 そして、内容にも、味がある。

 私自身、<年々歳々…>(劉希夷の詩・「白頭を悲しむ翁に代はりて」)が好きで、このブログにも、幾度か書いたように思う。
 同詩中の、

   今年花落顔色改
   明年花開復誰在

 という詩句も、時折口ずさんでいる。
 人生の無常や哀感が詩句に漂う。


 展覧会名『こころうた展』の<こころうた>という表現が、何とも奥ゆかしい感じだ。
 和の情緒を覚える。
 きっと、展示された作品のそれぞれに、<こころうた>が、潜んでいるに違いない。
 楽しみである。                  

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炬燵の片づけ

2016-05-27 | 身辺雑記
 昨夜と一昨夜、二夜続けて少々暑苦しさを感じた。
 いまだに、炬燵やエアコンで暖をとる朝もあるのだが、居間に炬燵の座るながめは、さすがに不似合いである。
 今朝、片づけることを決断した。

 冬の敷物を取り去り、茣蓙に替える。
 そして、覆いを外すと、炬燵はテーブルに様変わりして、空間が広くなった。
 夏らしい雰囲気である。
 ベッドのシーツも、夏物に替えた。

 今年も、暑い夏になるらしい。
 猛暑の予報が出ている。
 5月というのに、すでに全国各地で、真夏日が記録されている。
 日本だけでなく、世界の各地でも、すでに猛暑となっているようだ。
 インドでは50度を超え、死者が出たと新聞が報じていた。

 暑さは苦手、クーラーも苦手な私である。
 それでも、私の嫌いな夏はやってきて、長く居座るに違いない。
 覚悟して、数か月をやり過ごさなくてはならない。

 夏がすべて悪いわけではない。
 今日は、<鮎の申し込み書>が届いた。
 もう鮎の季節なのだ。
 鮎は、夏でなくては味わえない味覚である。
 申込書をファックスで漁協に送る。
 妹たちへのプレゼントと同時に、私自身のためにも、発送を依頼する。
 今年も命あって、鮎を食せるという幸せが得られそうだ。
 漁協の話によると、漁獲時期は、昨年同様遅れるらしい。


 雨が降るとの予報だったが、終日、降りだす気配はなかった。
 ただ、周囲の山には雨雲が低く垂れ込め、特に午前中は、視界がきかないかった。
 庭の木々は、鮮やかな5月の色に輝いていた。 

                   山の風景
       

       

                   庭の風景
       

       

                             (26日の記事)

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雨上がりの庭

2016-05-26 | 小庭の四季
                    昨日(25日)の庭
                  それぞれ 雨滴を溜めて

        
               木斛  (マッチ棒状の先は、蕾だろうか?)
                  幾年か前に 一度だけ花が咲いた
                   開花の日が待ち遠しい!

        
                 南天 (こちらは蕾に間違いなし)

        
              ジューンべりー (愛らしく美しい実)

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<移ろう変化>を楽しむ

2016-05-25 | 小庭の四季
             5月25日 雨 (昨日の写真をまとめる)

         植物にも、日々の変化がある。命あるものすべて、不易という瞬間はないのだろう。
         移ろいのプロセスには、盛衰(盛に向かうものと衰に向かうもの)の違いがある。
         今は、ものみな、<盛>へ向かう時期である。
         力満ちて、華やぎがある。
              

        
                ジューンべりーの実(若緑から…)

        
                白山吹の実(光沢のある薄緑から…)


  

  
                     庭のあちこちに咲くドクダミの花


            
                      シデコブシの実

         辛夷の実は、赤くゴツゴツして、それなりに面白い。
         それに比べ、シデコブシのそれは、格別の風情もない。(上の写真)
         そんなことを思いつつ眺めていると、異常な光景が飛び込んできた。
         2、3センチの蛆虫10数匹が、柔らかい葉のある二枝に、所狭しと
         群がって、次々に蝕んでいるのだ。
         身の毛立つ眺めであった。
         殺虫剤を噴霧し、弱らせた後、枝ごと切りとって新聞紙にくるんだ。
         蛆虫にとっては、シデコブシの葉こそ、極上の糧(ご馳走)なのだろう。
         気の毒な気もし、残酷非道なことをしているようで、気分はよくない。


      
       向日葵発芽1号の成長ぶり          2号
            (3号は、茎に不具合があり、枯死)

         
                   4・5号、発芽

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ホトギス・花独活

2016-05-24 | 身辺雑記
 班長のSさん宅へ、常会費を納めに行く。
 雨が近いらしく、湿っぽい大気が、肌に纏わりつく感じだ。
 <嫌いな夏がやってくる>と思いながら歩いていると、待ち望んでいたホトトギスの声が三声聞こえた。

     キョッキョ キョキョキョキョ
     キョッキョ キョキョキョキョ
     キョッキョ キョキョキョキョ


 それに次いでウグイスも、一声ホーホケキョと、唱和する。

 ウグイスの声は、春先から幾度も聞いている。
 ホトトギスの声を聞ける時期は、ウグイスほど長くない。
 明日から、戸外に佇む折には、季節の声に耳を澄ますことになるだろう。
 
   (昨年の日記を確かめると、5月15日に、その声を初めて聞いたと記している。)

 もう一つ、思いがけない出逢いがあった。
 Sさん宅へ向かっているとき、<花独活(ハナウド)>の群生が、目に飛び込んできたのだ。
 これまでも(毎年)、同じ場所に咲いていたのかどうか?

 この季節、花独活は、野趣に富んだ野の花として、非常に目立つ。
 が、間近に眺めるのは、今日が初めてであった。
 小花が集まって水平に咲いているように見える。
 が、近寄ってみると、確かに小さな花の集合体ではあったが、少々中高に盛り上がっている。

   (タブレットで、花独活について調べていると、似た花に、シシウドがあると書いてあった。
    そこで、植物の本を確認した。<シシウドは、8、9月ごろに花をつける、とあった。>
    したがって、下の写真は、花独活に間違いない。)

     

         

         
                    スイバもアザミも咲いている

        
                 花独活の近くに咲いていたアヤメ(?)

          × × × × × × × × × × × × 

 花独活の花をカメラにおさめて帰る途中、窓辺に立っていらっしゃるSUさんの姿を見かけた。
 私同様、老女でいらっしゃる。
 頭を下げた後、窓辺に近づいた。
 
 最近は、散歩なさる姿を見かけることもない。
 お年を尋ねると、<大正>最後の生まれだと、おっしゃっる。
 私より8歳年上のお姉さまだ。

 近くに在住の子息夫妻が、食事などのお世話はなさっている。
 愛情に包まれていらっしゃるのだろう。
 90歳を超えても、表情は豊かだし、お話も十分できる。

 取り留めのない話をし、窓は外から私が閉め、鍵を掛けられるのを確認して、辞去した。

 自立できなくなって、なお生きつづける人生を考えながら、帰途を歩いた。
 SUさんの年まで生きれば、どれだけの苦楽を経験することになるのだろう?
 考えても仕方のないことだと思いながら、全く予想のできない老いの明日を考える。

         × × × × × × × × × × × × 

 常会費を届けたとき、Sさんに、家横の小花は何かと尋ねた。
 その<小デマリ>の小枝を、Sさんが持ってきてくださった。
 落花するまで眺めようと、小鉢に入れて、テーブルの上に置いた。(写真)
 
 私の見慣れた小デマリ、大デマリの種類とは、ちょっと印象が異なる。
 小デマリの更なる赤ちゃん小デマリである。

             

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花の庭 その2 (花いろいろ)

2016-05-23 | 身辺雑記
                   前日の続き。
      ブログに掲載するため、写真のサイズを縮小するのにも、かなりな時間と労力(?)が要る。
      これも、老いのせい?

    (今回は疲労回避のため、写真と分かっている草花の名前のみ、記すにとどめる。)

        
                          シャクナゲ

        
                          ツユクサ

   
                              ベゴニア

        

  
                                バラ

  
        勿忘草(ワスレナグサ)                    チェリーセージ

  
           バイカウツギ                      源平小菊 

  
                               サツキ

  
                                      ミヤコワスレ 

  
          テッセン                         センダイハギ

  
          タニウツギ

  
           ユキノシタ                        シラン 

       

       

       

       

  
                         上の6枚は芍薬

  

       

       
                    メダカのいる鉢(鉢3個の中の一つ)

 ※ 花の名前には、記憶違いがあるかもしれない。 

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