五木寛之著『とらわれない』(新潮新書)
全6章・エッセイ34話。
情報過多の時代を生きていると、こうした方がいい、ああした方がいいなど、いろいろな情報が耳に届く。
そして、惑わされることが多くなる。
しかし、人は千差万別、老いもまた然り。
極端な、無茶な生き方はまずいだろうけれど、自分にあった生き方をすればいいのだ。
同世代の五木さんの文章を読んでいると、気持ちが楽になる。
昨夜来、幾度クスクス笑ったことか。
老人は、かくあるべしとか、かくあらねばならぬなど、思わずに生きよう。
今も、そうしているのだけれど。
それでいて、世間の常識にとらわれ、自分を窮屈にしているところもある。
私には、五木さんのように、後5年か10年は生きて、この世の移ろいを見てみたい(このことは、『孤独のすすめ』に書いてあったことだが…)という気持ちが乏しい。
どこかに目標点を置いてみても、仕方ないという思いが強い。
旅と違って、終着駅の選べないのが、人生だろうと諦観している。
生きている間は、自立していたいとは願っている。
しかし、それもそうなるかどうか、皆目分からない。
まずは今日の一日、明日があるなら明日の一日を楽しみたいと思っている。
今のところ、退屈することもなく、したいことを、したいようにして生きている。
本を読んで、ああそいうものかと感動したり、この歳になって、初めて出会う語句の意味を調べ、少し賢くなったと喜んだり……。