ぶらぶら人生

心の呟き

晩夏となって(ヤブツルアズキ他)

2017-08-29 | 小庭の四季
8月29日
今年は、暑い夏であった。
しかし、昨年は、もっと暑かったのだろう。
横庭の、大方の植物が枯れてしまったのだから。
今年も一部は枯れているけれど、
昨年よりはずっとマシである。

ヤブツルアズキも、
2年ぶりに、黄色い花をつけた。

この蔓性の植物が、
私へのプレゼントとのように咲き始めたのは、
そう昔のことではない。
その実を、運んでくれたのは、小鳥かもしれない。

ヤブツルアズキの、黄色い花が愛らしい。



シュウメイギクも、蕾をつけた。



シロシキブの実。



ムサキシキブの実。
少し色づき始めて。



か弱い木に
咲き続けるノボタン。



貧弱ながら、我が家の百日紅。



季節の移ろいを感じながら、庭に立つ。
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家に帰って

2017-08-28 | 身辺雑記
8月28日・5時55分の朝陽
目覚めた時には、
朝日は、すでに山の端を離れていた。



朝食をいただいた後、家に帰り、
たちまち雑用に追われる一日となった。
一軒の家に暮らすというのは、
いい加減な生き方をする私にさえ、
相当多忙である。
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夕暮れの道

2017-08-27 | 散歩道
8月27の夕べ、
落日を見に出かけた。

夕方というのは、
東西南北、暮れ色が異なる。


夕焼けの空


上弦の月と薄雲


川面
上流に向かってさざ波を立てて。


川辺で遊んでいた親子の帰宅
子どもたちの長い未来に思いを馳せつつ。

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一日の始まりと終わり

2017-08-27 | 身辺雑記
8月27日
山の端から昇る朝陽
曙光は、穏やかな朱色に輝き…









水平線に沈む夕陽
落陽は、鎮静さを秘めた赤色に燃えて…








落日後、なお海上に残映を残して


朝陽を眺め、夕陽を眺めて、27日という一日が終わった。
日曜日の今日は、人の気配乏しく深閑として、老男老女の住処であることをしみじみ感じる。
街までコーヒーを飲みに出かけようかと思案したが、結局蟄居。
持参の本は読了したので、机上に備えている本のうち、それぞれ異質の、太宰治小林多喜二中井久夫を読む。
その他、数独、天声人語の書き写しなど。
ぼんやり空を眺めたり……。
(河口の部屋に、初めて5連泊。)
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刻一刻と

2017-08-26 | 身辺雑記
8月26日の落日

今日は散歩に出かける時間がないので、
部屋前の廊下から、
窓越しに夕日を眺めていた。

南寄りの廊下から、
「夕陽がきれいですよ」
と、呼ぶ人があった。
5号室のKさんだ。

間に合うだろうかと思いつつ、
声の方へ急ぐ。
大きな窓を開け、
ルーフバルコニーに出る。

今夕は、水平線に雲がなく、
直接海へ沈むところだった。
刻一刻と、太陽は水平線下に
姿を消した。
スピード感のある沈み方である。
Kさんと一緒に眺める。











茜色の空から、南に目を転じるとお月さま。
「あら、三日月も!」
と、幸運の重なりを喜ぶ。


三日月と鳥影


三日月と夕雲

Kさんも、スマホで、写真を撮っておられる。
「私、高校時代は写真部にいましたから」と。
隔世の感あり。
おしゃれな高校時代だったのだ!
まだ60歳代だから、さもありなん、と思う。
私の高校時代は昭和20年の半ば。
生物部で、胴乱など肩から下げて、
城山公園を歩いて植物採集をしていた。
遠い昔を思い出す。
それはそれで、楽しいことではあったけれど。

「トワイライトエクスプレスの写真を撮りましたから、見てください」
と、言われ、部屋に案内される。
施設に入ってから、他人のお部屋にお邪魔するのは初めてである。

私の部屋の、2・5倍はありそうだ。
「ダンスができそうですね」
と言いつつ、ゆったりした空間に佇む。

入り口の壁に、写真が掛けてあった。
動きのあるトワイライトエクスプレスが、うまく撮られている。
私が撮影しても、こんな作品はできない。
さすがだな、と感心する。


(その写真を私のスマホで撮影。
夜なので照明の明かりが入ってしまった。)


Kさんの部屋のベランダから眺めた夕焼け雲。

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川上弘美著『水声』

2017-08-26 | 身辺雑記

川上弘美著『水声』(文春文庫)


先月、山口に行ったとき、書店で求めた本である。
今回、河口の部屋に持参し、今日、一気に読んだ。

以前、芥川賞受賞作「蛇を踏む」(1996年)を読んで以来、川上弘美という作家に魅力を感じている。
簡単に言えば、彼女の持つ文体が醸す独特な味わいが好きなのだ。
その背景にある感性の嫋やかさも、私の好みなのだろう。

女性作家の作品としては、多く読んだ方である。
誌上に掲載される作品など。
そして、いつも、<うまい! >と思う。
しかし、単行本を求めたのは、『センセイの鞄』(2001年)と、『水声』である。

読書は好きだが、ここ数年は、小説をあまり読まなくなった。
長編や重厚なものを読むだけの忍耐力も理解力も衰えてきた。
読書に限らず、根気が続かない。

『水声』は、やはり完成度の高い小説であった。
柔らかな感性と文体も、今までの作品と変わらない。
が、内容についての感想は省略する。
(私自身に、納得ができるように書くのは、なかなか難しい。)

文庫本の<解説>には、江國香織さんの文章が載っている。
また、アイパッドで検索してみたところ、東直子さんの批評も載っていた。
多くの読者の、一筆感想も。

東直子さんは、著名な歌人であり、小説家、脚本家、童話作家としても活躍なさっているという。
(一冊、読んでみたいと思った本がある。帰宅したら、注文したい。)
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河口の落日

2017-08-25 | 散歩道
8月25日
夕食後、河口を散歩。
夕立があったのだろうか。
歩道に水たまりがあり、
蒸し暑い夕べであった。
なお、不安定な空模様である。

電線のない場所まで、
急ぎ足で歩く。

肉眼では美しい落日だったが、
私の撮影技術では、
美観も半減。


海へ向かう道より。
水平線上の雲に沈む夕日。


河畔より。


海を背にした河口の夕景。
山並みは霞んで…。


繋留された小舟。


雲に吸い込まれんとする、あえかな虹。
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『とらわれない』

2017-08-25 | 身辺雑記



五木寛之著『とらわれない』(新潮新書)


全6章・エッセイ34話。
情報過多の時代を生きていると、こうした方がいい、ああした方がいいなど、いろいろな情報が耳に届く。
そして、惑わされることが多くなる。

しかし、人は千差万別、老いもまた然り。
極端な、無茶な生き方はまずいだろうけれど、自分にあった生き方をすればいいのだ。
同世代の五木さんの文章を読んでいると、気持ちが楽になる。
昨夜来、幾度クスクス笑ったことか。

老人は、かくあるべしとか、かくあらねばならぬなど、思わずに生きよう。
今も、そうしているのだけれど。
それでいて、世間の常識にとらわれ、自分を窮屈にしているところもある。

私には、五木さんのように、後5年か10年は生きて、この世の移ろいを見てみたい(このことは、『孤独のすすめ』に書いてあったことだが…)という気持ちが乏しい。
どこかに目標点を置いてみても、仕方ないという思いが強い。
旅と違って、終着駅の選べないのが、人生だろうと諦観している。

生きている間は、自立していたいとは願っている。
しかし、それもそうなるかどうか、皆目分からない。
まずは今日の一日、明日があるなら明日の一日を楽しみたいと思っている。

今のところ、退屈することもなく、したいことを、したいようにして生きている。
本を読んで、ああそいうものかと感動したり、この歳になって、初めて出会う語句の意味を調べ、少し賢くなったと喜んだり……。
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ラジオ体操

2017-08-24 | 身辺雑記
8月24日
朝日が、
少しずつ南に移動しながら
昇ってくる。



5時半過ぎに起きて、
朝の支度をする。
家にいるときの気ままな生活とは異なって、
朝食の運ばれる7時半前までに、
身支度をし、
6時25分から10分間、
ラジオ体操をする。

体の部品が錆びないように!
日によって、体操の内容は異なる。
基本は、ラジオ体操第一、第二、テビ体操のうちの二つ、
ときに、上掲の一つと、指導者の指示に従って、
四肢の運動、前屈後屈などの運動が加味されることもある。

今日は、ラジオ体操第一と第二。
両者ともに、跳躍運動がある。
以前から不思議に思っていたが、
跳躍が定位置でできない。
必ず、後ろ側に移動する。
前進することはない。
なぜだろう?

庭の草取りをしたり、
散歩の途中、道端の植物をカメラで接写しようとして、
後ろ向きに倒れることが、幾度かあった。
<あら、恥ずかしい>と、
辺りをキョロキョロ見渡して、
何食わぬ顔で起き上がる。
(今は草取りも、散歩もしていない。)

跳躍運動をすれば、必ず後退するのを
自分で面白がりながら、
後ろ向きに転がる癖と共通項があるのかな、
思ったりしている。

(中学生のとき、体育の時間に、
<動作が非常に美しい>と、
先生に褒められたことがある。

70年近く昔の、先生のお褒めの一言が、
この歳になっても、
ラジオ体操を、億劫がらずにする気にさせているのかもしれない。)

家で生活するときに比べ、
朝の時間がたっぷりある。
昨夜から読み始めた
五木寛之著『とらわれない』を読み終え、
友達のT・Yさんに手紙を書いた。
『孤独のすすめ』の感想も書き添えて。
<鶴が折れるようになりました>と、
河口の部屋に置いている千代紙で鶴を折り、
それも同封した。

午後、タクシーで出て、ポストに投函。
妹にも会ってきた。
お盆に帰省した姪からのお土産(お菓子)も受け取った。
35℃はありそうな炎天下を歩く気にはなれず、
イオンの中の休憩所で、
ミックスジュースを飲みつつ、
お盆に帰省した甥や姪たち家族の写真を
タブレットで見せてもらった。

買い物に付き合ってもらい、
妹とはタクシー乗り場で別れた。


施設前の椅子に腰掛け、
タクシーを待っているとき、
霞んだ青野山が見えた。
電柱の左に。
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晩夏の夕景

2017-08-23 | 身辺雑記
8月23日
高校野球も、最終日となった。
夏が終わる!

甲子園の雰囲気と決勝戦を
家のテレビで途中まで見る。
なじみのある広陵高校を
応援していたが、
花咲徳栄高校が、
確実な試合を展開。
広陵の中村選手の7号ホームランも
期待むなしく、
河口の部屋に戻ってきた。

若者たちが、年々力強く見えるのは、
私が、年々力萎えているせいだろうか。

今年は、高校野球を観戦する時間、
そのものも、少なかった。
高校野球に限らず、
最近は、テレビを見ることが減ってきた。
映像や音が、
目と耳に、そして心にも、
負担に思えるようになってきた。
NHKも民放同様、
騒々しく、軽々しくなってきたような気がする。
必ず見ることにしている番組もあるが、
その数は、減少の一途をたどっている。

河口の部屋に戻ると、
たちまち広々とした
風景が、
居ながらにして眺められる。


夕方5時前の空。






上3枚は、7時前の空。
いずれも、部屋の窓から。

すべて、心安らぐ眺めである。
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