ぶらぶら人生

心の呟き

白シモツケの花

2007-05-31 | 散歩道
 家のシモツケも草花舎のシモツケも、花色はピンクである。
 今朝、散歩からの帰り、集会所の近くまでたどり着いたところで、白い花が咲いているの気づいた。近寄ってみると、シモツケである。(写真)

 関心を持って物を見始めると、今までは単に野草の花といい加減に見過ごしていたものが、そのものの固有の名前を伴って、親しいものとなるから不思議である。
 このシモツケ、白色の寂しさは否めないが、よくよく見れば、蕾も花も、汚れのない美しさである。


 いよいよ五月も終わりである。
 五月の思い出は五月のうちに記録し終えようと、今日は少し頑張った。
 大方を記し終え、ほっとしている。

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遠雷を聞きながら

2007-05-31 | 散歩道

 雨の朝だと決めていた。前夜の天気予報が深夜から雨になり、翌日の午前中は雨が降る、と言っていたので。
 ところが起きだしてみると、雨の気配は全くない。夜来の雨が地面をぬらした形跡もない。
 しばし躊躇ったが、散歩の支度をした。前日は、病院行きを理由に歩かなかった。なにかと口実を設けてサボり始めると、だらしなくすべてが崩れてゆきそうである。

 歩き始めて間もなく、遠雷がはるかから聞こえ始めた。傘は持って出かけたが、途中で雨になるかもしれない、そう思いながら、東西南北の空を見回す。東の空には、お日様のかげがある。薄雲の中にその輪郭を捉えることができた。大丈夫だろうと安堵する。
 海辺に出た途端に、遠雷の音が強くなった。雷光はないが、絶えず鳴り響いている。
 沖を見ると、高島が見えないだけでなく、水平線と空との境界線も、次第に霞んでゆく気配である。
 しかし、波は穏やかである。(写真 30日)

 遠雷の沖のはるかに轟きて波静かなる磯辺を歩く

 でたらめに、七五調を口ずさむ。昨夜、「日本語のリズム」という本を読んだので、つい調子に乗って、内容の空疎な語句が口をついて出てきたらしい。

 復路の半分まで帰ったところで、いよいよ空模様が怪しくなり、海辺から遠ざかっているにも拘らず、その方角から轟く遠雷の音がますます大きくなった。
 少し散歩の距離を短縮し、近道をして帰ってきた。
 雨には遭わなくてすんだけれど、家の軒に入るや否や、篠をつく雨となった。
 (夕方のニュースによると、島根の東部では、雷による事故が多発した様子。)


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久しぶりの津和野 2

2007-05-31 | 旅日記
 花菖蒲を見ることはできなかった掘割に、鯉は相変わらず悠然と泳いでいた。(写真 24日)
 昔見た鯉が、今なお生きているのだろうか?
 鯉の寿命など考えてみたこともなかった。どうなのだろう?
 
 2年前、東京都美術館の喫茶室で、たまたま一緒になった人が松山在住の方だった。二人で旅の話などしているうちに、津和野には行ったことがあると、鯉が話題となった。
 彼女曰く。
 「あれは肥え過ぎです!」
 やはりちょっと肥えすぎ? 
 と、彼女の言を思い出しながら、水中に体をくねらせる鯉を眺めた。
 そういえば、彼女とのメールのやり取りが、久しく途絶えている。
 

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久しぶりの津和野 1

2007-05-31 | 旅日記

 24日、友人の車で山口に行き、その帰り、久しぶりに津和野に立ち寄った。
 まだ菖蒲の花が咲いているかと楽しみにしていたのだが、既にその季節は終わっていた。
 そこで、久しくご無沙汰しているケヤキの大木に会いに行ってきた。
 私は、昔から、この木の生命力に畏敬の念を抱いてきた。
 機会をつくってはこの木の下に佇んだ。特に、勤めの関係で、津和野に在住した4年間は、よく訪れた。
 今も老木ながら、立派な姿で立っていた。天空が見えなくなるほど葉を茂らせ、上空で、五月の風にそよぐ枝を、大樹は支えていた。(写真 欅の幹 24日)
 私は春先、新芽の伸び始めた頃のケヤキが、特に好きである。春の空に繊細な梢が広がり、点描したかのような若葉の、上空を占める姿は、本当に美しい。

 (デジカメで写真を撮ろうとしたら、カードが入っていなかった。仕方なく携帯電話のカメラで思い出を留めた。
 もう随分長い間、携帯の写真をパソコンに取り込むことをしていなかったので、果たしてうまくゆくかどうか案じていたが、やり始めると手順を思い出せた。というわけで、写真を無事添付できた。)


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「パリへ――洋画家たちの百年の夢」展

2007-05-31 | 旅日記
 前日は、「山種美術館展」で、日本画の世界を堪能した。
 もう一つ観たいと思っていたのが、洋画の世界を扱った展覧会で、こちらも、NHKの新日曜美術館が紹介していたものであった。
 午後の飛行機で羽田を発つ予定の18日、墓参の後、上野に下車し、東京芸大美術館を訪ねた。
 「パリへ――洋画家たち百年の夢」展(黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治から現代まで)
 東京芸大創立120周年を記念しての展覧会である。
 途中展示換えがあり、黒田清輝の「湖畔」が見られなかったのは残念だったが、「婦人像(厨房)」(看板の絵)その他、数点の名画が見られたし、黒田清輝以外の、錚々たる画家の絵が100点以上並んでいて、見ごたえのある展覧会だった。
 画集などでは目にしたことのある絵も、写真と実物では当然のことだが、迫り来るものが全く異なる。
 もともと好きな画家、佐伯祐三の「オーヴェルの教会」などは勿論のこと、新たに藤島武二や和田英作の絵に心打たれるものがあった。
 黒田清輝らの師として知られるラファエル・コランの絵も面白かった。特に、「田園恋愛詩」は、ほのぼのとした美しい空気を感じた。
 浅井忠ノ「グレーの柳」の風景画もよかったが、パリ万博以後、関西に移り住み、関西の洋画や工芸の振興に努めた、その生き方にも心を動かされるものがあった。(これはテレビの新日曜美術館で得た知識。)

 最後の展示室<戦後の留学生と現在パリで活躍する人びと>に展示された作品は、私には、正直よく分からなかった。心に届くものが得られないのは、何が障壁となっているのだろう?


 全く別の美術展であるが、このブログに、「国立ロシア美術館展」のことも記しておくことにする。
 16日の午前中に、友人と一緒に観たものである。東京都美術館が当日は65歳以上に入場の無料サービスを行うということで、友人に誘われて。
 ロシアといえば、エルミタージュ美術館展は、場所を異にして、二度ほど観たことがる。
 「国立ロシア美術館」については知らなかった。1898年、ニコライ2世のとき、サンクトペテルブルクのミハイロフスキー宮殿にロシア初の美術館として誕生したものだそうである。10世紀から現代までの作品40万点を所蔵するのだそうだ。
 今回の展覧会は、18世紀から20世紀初めまでの100点ばかりを紹介するものであった。
 絵画を通して、当時のロシアの一面を知るという意味では、有意義だったし、風景画、肖像画にも、それぞれいい作品があった。
 特にイヴァン・アイヴァゾフスキーの海洋を描いた絵はどれもスケールの大きな絵だった。イヴァン・シーシキンの針葉樹林を描いた絵も、詩情を感じるいい作品だった。肖像を描いた画家では、イヴァン・クラムスコイ。人物の内面まで深く描いているように思えた。

 出かける前には、全く予定していなかった美術展だったが、未知の世界に足を踏み入れたような新鮮さを覚えた。
 

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「山種美術館」開館40周年記念展

2007-05-31 | 旅日記

 上京の折、ぜひ観にゆきたいと思っていた美術展の一つ、それが<「山種美術館」開館40周年記念展>であった。
 
 実は、旅に出かける前に、NHKの新日曜美術館で、山下裕二氏をゲストに迎え、その展示会が紹介されるのを見た。(私は以前から、美術評論家、山下裕二氏のファンである。)
 「山種美術館」を創立した山崎種二(1893~1983)という人物についても、そのとき初めて知り、大いに関心をもち、人物に惹かれもした。ただお金を儲けるだけの人ではなかった。貧しい画家たちの生活を支え、画家や絵画を見る目も確かな人であった。その過程で、絵を買い求め、美術館を創立するに至ったのだ。

 「山種美術館」が所蔵するすぐれた日本画に、数多く接することが出来た。
 前期・後期と展示換えがあるため、観ることのできなかった速水御舟の「炎舞」や奥村土牛の「鳴門」などもあったが、それは仕方のないこと。またの機会を恃むしかない。
 絵の前で暫く動けなかったのは、村上華岳の「裸婦図」、速水御舟の「名樹散椿」、東山魁夷の「年暮る」、奥村土牛の「醍醐」、竹内栖鳳の「班猫」などであった。
 作風はそれぞれ異なるのに、心ひかれるものがある。
 もうひとり、横山操の「越路十景」。
 種二氏が、息子の富治氏のコレクションに文句をつけたという逸話をテレビが紹介していた、その横山操である。種二氏にとっては、横山といえば大観あるのみだったようだが、やがて操の作品も認めるようになったという。そのいきさつなども思い起こしながら、作品の前に立ち、画家のふるさとを描いた連作の、特に墨絵を思わせるような静謐な世界に魅せられた。

 山種美術館を訪れた17日は、午前中、天候が不安定だった。それでも雨に降り込められることもなく、無事美術館の周辺を歩くことができた。
 東京は街路樹のきれいな街だとつくづく思う。緑が多い。人工的に育てられた樹木ではあるが、緑があふれるようにあり、ほっとする場所が意外に多い。山種美術館界隈でも、大都とは思えない、不思議な安らぎを覚えた。


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「花展」で見たヒマラヤの青いケシ

2007-05-31 | 旅日記
 花の色を研究している人にとって、究極の青い花といえば、「ヒマラヤの青いケシ」(メコノプシス)なのだそうだ。(写真 会場で15日撮影)
 すがすがしい空の青であった。

 最近では、品種改良により青いバラも誕生。会場に展示されていたが、撮影禁止の表示がなされていた。
 その他、青いカーネーションとか、長持ちするカーネーションも作られているという。
 研究により、どこまで進化を続けるのだろう?

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「花展」を見る

2007-05-31 | 旅日記

 過日、上京した折、上野の国立科学博物館で開催の『花展』を見た。
 出発の前に、朝日新聞の「天声人語」で、その展覧会に触れた記事を読み、時間の都合がつけば立ち寄ってみたいと思っていた。
 最近ブログに草花の写真や文を載せることが多く、おりしも植物への関心が高まっている……。

 15日、墓参の後、上野に下車し、最初の見学場所を『花展』と決めて出かけた。
 <太古の花から青いバラまで>というサブタイトルのついた展覧会である。

 [第1章] 花とはなにか
 [第2章] 花の誕生と進化
 [第3章] 花の多様性
 [第4章] 世界の不思議な花
 [第5章] 世界の花々
 [第6章] 花の研究史
 [第7章] 花をつくる
 [第8章] 最新の科学研究成果
 [第9章] 花おりおり
 [第10章] カール・フォン・リンネ

 会場が広く、上記のパートごと、展示室を巡り、様々な花を楽しみながら眺める一方、ひとりでに、学習を久々に強いられる時間でもあった。
 いろいろな問題が提示され、考えさせられ、なるほどと思うことが多かった。
 会場に足を運ばない限り、生涯遇うこともない数多くの植物にもお目にかかれた。また、花と人間との係わり合いなど、改めて考えさせられることも多かった。
 有意義な時間を過ごすことはできたけれど、老化した頭に、一度に多くのことが飛び込んできたので、整理不能の状況であった。一日をかけ、ゆっくり見て回ればいいような展覧会だった。ベルトコンベアーに乗って移動するような見方では、もったいないような気がした。が、入場者は大変多く、花に寄せる人々の関心の深さも感じられた。
 植物の学名の基礎を築き、近代分類学の父といわれるカール・フォン・リンネ(1707~1778年。 スエーデンの医者であり植物学者でもあった)の、今年は生誕300年に当たる年だという。名前だけ知って、具体的にはあまり知らなかった学者の功績の一部に触れることも出来た。

 地球上には現在、約25万種の、花の咲く植物があるという。気の遠くなるような数である。いくら親しんでも、生涯のうちに親しくなれる花々には限りがある。それでも人間世界の煩わしい日常から目をそらしたくなるとき、花々はどれほど慰めになってくれるか知れない。
 これを機に、花との出会いが、より楽しみになるだろう。
 展示会場で求めた図録『花』は、多くのことを教えてくれるだろう。折々の友としたい。

 昼過ぎから夕方まで、立ち続け歩き続けていたら、ひどく疲れた。
 何はおいてもホテルの部屋に寛ぎたくなった。
 フロントで渡された朝日新聞の夕刊を手に取ると、『花展』の紹介記事が、
QandA形式で出ていた。
 Q 口吻が30㌢の虫っているの?
     A ランの蜜を吸う蛾 マダガスカルで発見
 Q 「セーター植物」って?
     A 環境に応じ、毛で覆い低温から保護
 Q 自然界に最も多い花の色は?
     A 黄色
 Q ヒトはいつから花めでた?
     A 6万年前と推察
                         (以上は見出しの書き抜き)

 その他に、「リンネの書籍や名づけた植物を紹介」という記事も出ていた。(この『花展』は、朝日新聞社主催の催しである。)
 会場で見てきたものを思い出しながら、それらの記事を読んでいるうちに、足の疲れも取れてきた。
 旅は始まったばかり、回復の、意外なはやさを、ひとり喜んだ。


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5月の庭 (バラ 10)

2007-05-30 | 草花舎の四季
 5月は、特に花の多い季節なのであろうか。
 草花舎の庭には、たくさんの花が咲いた。写真は撮っても、載せ切れなかったものがかなりある。
 <5月の庭>シリーズの最後は、赤いバラで閉じることにしよう。
 草花舎の入口近くに、この赤いバラは咲いている。(写真 23日)

 Yさんが、格別の思いで眺められる花である。というのは、「草花舎」創業の折に、亡きご母堂の植えられたものだそうだ。
 Yさんのご母堂とは、昨年の暮れ近く、初めてお会いした。コーヒーをいただきながら、過ぎしの思い出など話してくださったのだった。お元気そうだったのに、その直後に亡き人となられてしまった。年末のひと日が、文字通り一期一会の出会いとなったのだった。(このことについては、昨年末のブログにも書いた。)
 私自身も、これから先は、このバラを見るたび、亡きご母堂を偲ぶことになるだろう。

 私は創業当初のことを知らないのだが、最初の頃は、今のようにたくさんの草花はなかった様子である。その寂しい庭に、早々に植えられた赤いバラが、25年の歳月を閲して、今年も赤く燃えて咲いているのだ。

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5月の庭 (バラ 9)

2007-05-30 | 草花舎の四季
 黄色のバラも咲いていた。(写真 28日)
 庭の片隅にありながら、クリーム色に近い黄の花は、数は少ないのに、庭の一部を引き立てていた。

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