ぶらぶら人生

心の呟き

「地球が先に滅ぶかも…」 (蓮の実)

2008-07-31 | 身辺雑記
 7月は、今日で終わる。
 暑さとともに、心身に疲労を溜め込む7月であった。
 猛暑の日が少しずつ終焉に近づいてくれると思うと嬉しいけれど、この暑さの中、なかなか晴れやかな気分にはなれない。

 昼前、下関の友達から満中陰の法要を無事終えたと、挨拶状と供養のおしるしの品が届いた。そこで、様子伺いを兼ねて電話した。
 ご主人亡き後の寂しさはあるだろうけれど、彼女はいたってさばさばしていた。
 几帳面だったらしい旦那なのに、商売上のことなど何も書き残しがなく、いろいろ大変なのだと……。
 銀行にかなりの借金(バブル後の)もあり、店を継いだ三男(長男は生まれて間もなく夭折、次男は父親のスパルタ教育に耐えられず?、17歳から心を病み、他県の病院施設に入ったままである)は、いっそ自己破産して店をたたんだ方がいいのでは、と言うけれど、明治時代に創業した店(確か大きな海産物問屋のはず?)を簡単にたたむわけにもいかないし……、という話だった。

 「息子にはね、地球が先に滅ぶかもしれないし、くよくよするなと励ますの」
 と、屈託がない。
 「それは名言ね」
 と、私は言い、その気概があれば、私の生き方も楽になるかもしれないと思った。
 「次男の世話が、いずれ降りかかるかも知れないことも、三男にとっては気がかりなの。でも大丈夫、私が百歳まで生きて世話するからって、言っているの」
 「ふーん、ご立派! 百まで生きる自信があるの?」
 「両親の家系は、みな長生きなの。だから百歳までは生きそうね。……お互いに長生きしましょう! いいことあるかも…」
 と、私にも長生きを奨励するのであった。
 あの長寿の自信は、どこから生まれるのだろうか。
 彼女は長寿家系を、その理由にあげていたが、東京在住の4歳年上の友達などは、ガンを患った経験もあるのに、<私なかなか死にそうにないの。当分生きそうよ>と、生に対し自信ありげである。
 私はどちらかと言えば、明日はこの世にいないかもしれない、と考える方なのだ。 今日の、今の存在しか信じられない。
 それでも、8月になったら…とか、来年の春には…とか、全く考えないわけではない。しかし、それは幻相のようにゆらゆらした、たわいない感覚でしかない。

 「私は手相を見て、お金には困らないと信じてるの」
 とも、彼女は語った。お店が負債を抱えているというのに。
 私は思わず、受話器を持つ、反対の掌を眺めた。手のどの線が、その相を表しているのだろうか、と。
 生命線なら知っている。
 まだ勤めをしていた頃、本屋を営んでいて、手相について独学で学んだという店主が、私の手相を見てくれたことがある。、
 「正直に言っていい? 命は長くないね。この相から判断する限り…。でも、手の相は変わるものだから…」
 と、その人は教えてくれた。まだ50歳の少し前だった。60歳まで生きるのは難しいかもしれないと、真顔で案じてくれたのだった。が、私はその年を超え、後期高齢者の仲間入りをした。手相の生命線は延びないままに。

 「あなた、何型? O型?」
 私は、彼女の楽天的な考え方に、私との落差を感じながら尋ねた。
 血液型による性格判断を信じているわけではないけれど。
 「AB型。あなたは、A型?」
 「私は、B型」
 長年付き合っている友達なのに、お互いに、血液型を言い当てることはできなかったのだ。それからしても、血液型と性格との結びつきは曖昧なものなのだろう。
 「Y家(彼女の結婚先)はみな、A型らしいの。だから私、主人から、悪魔の血が流れ込んだと、ずっと、いやみを言われてきたのよ」
 「B型は、悪魔の血?」
 「そう。主人に言わせるとね」
 クワバラ、クワバラ。
 私は直情的で、突っ走っては後悔することが多い。これは悪魔的血液のなせる業?

 ご主人の訃報に接した時、ブログに彼女のことを書いた。
 大学時代の友達で、彼女は優れた歌人であり、絵もうまい。才女であるが、結婚生活が幸せであったのかどうか? 私なら、とっくに飛び出しているだろうと思う。彼女は耐える人生を歩んできた。血液型など関係なく、彼女の歩んできた歳月が、今の彼女像を作り上げたのであろう。
 「M子お母さまは?」
 「母は、B型」
 <M子>とは、友達の母なる人の名前である。その名前を今に至るまで覚えていて、記憶力の鈍った頭から突如出てくるとは、異例なことだと言えそうだ。
 遠い昔、ご主人から、友達との文通を断たれ、私は友達の母と、かなり長い間、文のやり取りをしたのだった。母から友達に、私の消息は伝えれたはずである。だから、その名を忘れない。幾度も手紙や葉書の宛名欄に書いた名前だから。
 なぜともなく、お母さまはB型だったのね、と心に思った。友達は、AB型の一部に、B型の、母の血を受け継いだということらしい。

 「主人はね、<ありがとう>のひと言もなく、逝ってしまったの。私は、<ありがとう>くらいは言って死にたい」
 とも、友達は言った。
 「まだ死ぬとは思っていらっしゃらなかったのでは?」
 「でも、言う気がなかったの。その気があれば、言うチャンスは十分あったと思うの」

 そんな事を語る彼女の話には、決して、じめじめした愚痴っぽさはなかった。友達は、明るい響きで、ただ真実を語っているのだった。
 縁あって時間を共にすることになった奇縁の人と、幸せに過ごせないというのも、これまた奇妙な縁といえるのであろうか。
 私たちの生きている間に、地球が先に滅ぶことは絶対にありえない。
 <もっと楽天的に、未来を見据えようよ>という意味で、友達は自分自身に対し、また息子に対し、言っているのだろう。
 その考え方は、確かに私の気持ちまで楽にし、短い余生をくよくよせず、少しは心和んで生きたいと、そんな気にしてくれるのだった。
 電話で話している間、私は、苦労の多いはずの友達から、励ましを受け続けている感じであった。

 (写真は、花の終わった蓮の実。)

この記事をはてなブックマークに追加

記録更新 (白い桔梗)

2008-07-31 | 身辺雑記
 昨日も今日も、午前中のひと時、別の仕事をしながらではあったが、BS1で、<シアトル マリナーズ>と<テキサス レンジャーズ>の試合を見た。両チームが点を取り合って、結局は、レンジャーズが1点差で勝つという試合だった。

 今日は、球場のあるアーリントンに、一時雨が降ったらしく、雨上がりの観客席上段のはるかな空に、美しい虹が出ていた。おまけをいただいた感じだった。
 テキサス州も、アーリントンという地も、私には無縁である。が、虹はいずこの空にかかっていても、何か夢を運んでくれるような気がして眺めた。

 実は、イチローさ3000本目のヒットが生まれるだろうかと、気になってテレビをつけたのだった。ここ数試合、というより今年のイチローは、今までのようにヒット数が伸びないようで、やはり年齢のせいだろうかと、考えたりしていた。
 が、いとも簡単に、昨日の一打席目に3塁打を打ち、大きな記録を達成した。
 私には関係のないことなのだが、やはりほっとした。
 努力の生んだ記録なのだろう。
 その後、昨日の試合で、3001本目を打ち、さらに今日は、いかにもイチローらしい、足で稼ぐ内野安打を3本打った。

 やはりすごい記録なのだろうな、と思う。
 誰にでもは、まねのできないことなのだから。
 怪我をしない身体づくりからして、立派なことだ。
 新聞やテレビで言われているように、イチローにとって、3000という数字は、単なる通過点に過ぎないのかどうか。
 日本記録の張本勲氏の3085本を抜くのは時間の問題のような気がする。が、果たして、すんなりと4000本に近づき、それをやすやすと超えることが可能なことなのかどうか?

 さて、それを見届ける余生が、私にあるのかどうか、それも疑わしい。
 にも拘らず、イチローの3000本の記録達成をみた私は、私にもなにか記録更新の可能なものがあるだろうかと、宙を眺めて考えているのだった。
 おかしなものである、夢などとっくに捨てたはずなのに。
 そして、できるとすればブログかな、とふと思った。
 しかし、現在使用のパソコンの使用可能な期限は4年先?
 Vistaに変えなくてはならなくなったとき、新機種のパソコンを使いこなせるかどうか、そんな無用な心配もしてみるのだった。
 明日がないかもしれないと思う反面、80歳になっても、パソコンに向かってブログを書いている自分を、一方でイメージするのだから、変な話である。
 人間は、そんな矛盾を沢山抱えながら、生きている動物なのかもしれない。

 イチローの、すばらしい記録が、瞬時、私に一つの夢を描かせてくれたのであった。

 (写真 近所に咲いていた白い桔梗。)

この記事をはてなブックマークに追加

デンドロビウムの植え替え (三つの鉢)

2008-07-29 | 身辺雑記
 母の法要の前、妹夫婦が来宅したとき、<デンドロビウム>の植え替えを、義弟に頼んでおいた。
 母の命日の今日、お参りにあわせて、植え替えた鉢が届けられた。(写真)
 左2鉢は、友人にいただいたもので、白と黄色の花のデンドロビウム。
 右の鉢は、私が買い求めたピンク系の花を咲かせるデンドロビウム。
 いずれの鉢も、根詰まりしていたらしい。
 植え替えの効果を発揮して、来年は、美しい花をつけてくれるのだろうか。

 近所からもらった南瓜の半分を妹にすそ分けすることにした。
 妹が包丁を入れてくれた。その包丁は切れにくい。
 私が退職するとき、友達にプレゼントしてもらったものである。
 包丁のプレゼントとは、普通には思いつかない。多分、職を退いた後は、老いた父母のために、しっかり料理をしてあげなさい、という友達の思いが込められていたのだろう。菜切り包丁と魚包丁の2本をいただいたのだった。

 使い始めて20年になるのだから、切れ味が鈍くなっても不思議はない。そういえば、一度、研ぎ師に研いでもらった。が、それからでも10年が経とうとしている。
 ひとり暮らしをし始めた4年前、包丁でも鋏でも何でも研げるという道具を買い求めた。早速切れ味の悪くなった包丁を研いでみた。が、一向に効を奏してくれなかった。研ぐことを諦めて、新しいものに買い換えようと思いながら、切れの悪い包丁を我慢して使っていた。

 妹も、南瓜を切ってみて、私の包丁の切れ味の悪さに気づいた様子だった。
 研ぐ道具のあることを話すと、妹は試みてくれた。
 包丁の刃先がたちまち光り、よく切れるようになった。
 今晩、夕食の準備に早速使ってみた。違う包丁かと思えるほどよく切れた。食材を刻むのが楽しくさえなった。

 私は体力がなく、要領も悪く、生活の中で、何かと不自由を感じることが多い。妹はそれを慮って、力仕事など、手伝うことはないかと言ってくれた。が、今日、直ちに力を借りたいことは思いつかなかった。
 5歳若い妹から見れば、私の生活は、随分心もとなく思えるだろう。
 年齢の差は否めない。
 老いに向かうことは大変だ。メイ・サートンの『82歳の日記』を読む時にも、私がこれから歩む、困難であろう道程が、絶えず頭をよぎった。
 だが、周囲への迷惑をできるだけ減らし、倍増してゆく不自由に対し、のびやかに耐える力も育てなくてはと、今は殊勝なことを考えている。(まだ本物の老いには、幾分距離があるからこそ、言えることかもなかもしれないけれど…。)

この記事をはてなブックマークに追加

蓮の開花 (蓮の花)

2008-07-29 | 身辺雑記

 蓮池に出かけた甲斐があった。
 そう広い池ではないが、大きな葉が池の面を一面に覆い隠し、その葉の間から茎を伸ばして、今朝は多数の花が咲いていた。(写真 その一輪)
 静寂なひと時を蓮池の傍で過ごした。
 ふと、この花には及ばなくても、晩年の日々を、心に汚れなく生きたいと、瞬時思った。蓮の花が、雑念やこだわりを洗い流してくれるかのようであった。
 黒い蝶や名を知らぬ虫たちも、厳かな花の上に戯れ、あたかも静かな浄土の如くであった。

 池の上方から、声が下りてきた。
 ふり向くと、先日、法要のお供えを届けたOさんだった。
 88歳なのに、朝から草刈りをしておられるのだった。
 上の道に上がって、しばらく立ち話をした。

 もう9時過ぎになっていた。朝食がまだだったし、妹夫婦から10時に訪問するという電話がかかっていたので、Oさんとの話を切り上げて、帰途についた。


この記事をはてなブックマークに追加

読経とコスモス (S寺とコスモス)

2008-07-29 | 身辺雑記
 蓮の花を見てこようと出かけた今朝、途中にあるS寺の老樹<タブの木>を眺め、それから蓮池の方に歩いた。
 お寺の前の草むらには、コスモスが早くも咲き乱れていた。(写真)
 もう、コスモスの咲く季節?
 と、佇んで眺めた。あまりに季節の移ろいが早いように思える。好きな秋に移行してくれるのは嬉しいが、一面、寂しくもある。
 そんな事をとりとめもなく思っていると、本堂から読経が聞こえてきた。張りのあるいい声である。Gさんの、朝のお勤めなのだろう。
 読まれているお経は<正信偈>に違いない。

 今日は、母の命日である。
 今夕は仏前で、せめて<重誓偈>を読み、亡き母を偲ぶことにしよう。
 やはり母は、明治生まれの賢母であったと思う。
 私は、どう甘く見ても、母の賢さには遠く及ばない。

この記事をはてなブックマークに追加

夏の花 (百日紅)

2008-07-29 | 身辺雑記

 先日、団地の路地を一巡したとき、とある家の塀際に、見慣れた花が咲いていた。
 夏の花である。
 が、とっさに花の名前が思い出せなかった。
 道々、夾竹桃ではないし……と、様々な花の名を口にしてみたが、すぐ否定することになった。
 家の玄関まで帰って、<百日紅>の名が突如思い浮かんだ。(写真)

 脳学者、茂木健一郎氏の話によると、記憶は側頭葉にしまいこまれているらしい。その記憶が、前頭葉に達して蘇るまでに、どうかすると大変時間がかかる。
 幾日も経ってから、思い出すこともある。
 <百日紅>の名は、比較的早く思い出せた。すると、山口の一の坂川の河畔には、白とピンクの百日紅があったことも蘇ってきたのだった。

 先のブログで、太宰治の小説『斜陽』に出てくる<ひめごと>に触れながら、私の記憶違いではあるまいな、と本を開いて確かめた。
 『斜陽』のあちこちには、アンダーラインが入っている。それを追っていると、、

 <「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」
   きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事を
  おっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう
  初夏だ。
   「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本も無いの
  ね。」
   とお母さまは、また、しずかにおっしゃる。>

 という文章の一部にも、線を入れているのだった。
 <夏の花が好きな人は夏に死ぬ><ねむの花が好き>という箇所に。

 私は、夏は嫌いだが、夏の花は好きである。しかし、他の季節と比較して、特にというわけではないけれど。
 今日は母の祥月命日である。今、ブログを書いている、この時間に、母は息を引き取った。平成4年の、やはり猛暑の日であった。
 母は、夏の花が好きだったのだろうか?
 季節はいつが好きだったのか、そんなことを話題にしたことがあったかどうかさえ、記憶は定かでない。語り合ったことはあっても、忘れたのかもしれない。

 私には、失語症の兆候がある。
 昨日は、草花舎で、Yさんと、メイ・サートンについて話しているとき、<冷蔵庫>という言葉が出てこなかった。思い出してから、なんで、そんな身近な言葉が雲隠れするのかと二人で笑ったが、少々ショックだった。
 言葉だけではない。自分が先刻したことが思い出せなかったりもする。
 今日は、妹夫婦が他用もあって来宅、仏前にお花を供えた。
 その二人に、私は頼んだのだった。
 「どこかにキウイを一つ置いていないかしら? ちょっと探して」
 と。朝食のデザートに食べようと手に取ったのに、食卓になかったし、皮をむいた記憶もないのだ。
 「どこか、あらぬところに置いていないかしら?」
 と言いつつ、二人がきょろきょろ辺りを点検している間、私も探した。
 見つけたのは、私だった。冷蔵庫に入っていたのだった。別に冷やそうと思ったわけではなかったのに。
 一事が万事。82歳のメイ・サートンに似始めた。
 困ったことだと思いながら、そう深刻に悩んでいるわけではない。失語症気味はあるかもしれないけれど、とにかく雑念が多すぎるのだ。
 <心、ここにあらず>が、いけないのだと。
 これは、気休め?


この記事をはてなブックマークに追加

朝の日課  (S寺のタブの木)

2008-07-29 | 身辺雑記

 私の朝の日課は、ほぼ決まっている。
 洗顔の後、化粧を終えるまでに、必ずパソコンを開ける。同時進行というわけにはいかないが、下地の化粧水をはたいた段階で、大抵パソコンを開く。
 まずメールを見て、不要な広告メールは即座に消してしまう。その後、私のブログを開け、昨日の閲覧数や訪問者数を確認する。
 無名の老女の書くブログなどに、関心を寄せてくれる人は少ない。それでも日々、思いの外多数の人に読まれており、その数字を疑うこともある。
 その後、コメントやトラックバックを確認する。反応がないより、誰かに読まれ、コメントなど送られてくると嬉しい。
 が、時折、私の記事とは全く関係のない、卑猥なコメントが入ることもある。なぜそんなくだらない記事を書いて、人に知らしめなくてはならないのかと、理解に苦しむようなもの。旅に出かけたりしてパソコンが開けず、そのコメントが消せないときなど、私のブログに忍び込まれたままになっていたというだけで、こちらが恥ずかしい気分になるような類のもである。もちろん、気づくとすぐ消去する。
 しかし、取り上げる素材が異なるだけで、<くだらなさ>という点では、五十歩百歩なのかもしれない…。私のブログもくだらない。

 大方のブログがそうであるように、私の場合も日記的要素が強い。が、真の日記ではない。ここに書けないこと、書くことのためらわれることを、愚かな私は、胸中に沢山抱えている。
 太宰治の『斜陽』に出てくる母と娘の会話のなかに、人間と他の動物とが本質的に異なる点を問答し、他の生き物には絶対になくて人間にだけあるもの、それは<ひめごと>だと、娘の答える場面がある。
 そのとおり。誰の胸中にも、人に語れぬことはあるだろう。
 それは私も同じである。不特定多数の人に読まれるブログに、やはり告白する気にはなれないこともある。その片鱗を文中に潜ませるなら、婉曲に、オブラートにくるむしかない。
 

 横道に逸れてしまった。
 今朝は、私のブログを開く前に、アマゾンの広告メールを開けたことで、思わぬ時間を費やすことになってしまった。
 実は、今売れている本として、国文学者、光田和伸著<恋の隠し方―兼弘と『徒然草』>の紹介が入っていたのだった。
 この本については、過日、朝日新聞の書評でも取り上げられていた。注文しようかと、一瞬、迷ったけれど、本を増やすことへの躊躇いと、兼弘の恋を徒然草の中に探ってみても仕方がない、そんな思いもあって、意外に早く執着を取り払ったのだった。
 ところが、今朝、<この本の中身を閲覧する>をクリックし、ついに<著作権保護コンテンツ>の欄もクリック、目次と著者の書き出しの数ページを読むことになった。
 これは面白そうだ、と思ったとたんに、ショッピングカートをクリックしていた。
 おまけに、杉本秀太郎著<『徒然草』を読む>まで、アマゾンへ注文してしまったのだった。

 こうして、朝の時間は、いつもどおりに運ばず、化粧をし終えると、洗濯物を干しし、庭に出たついでに、戸締りもせず、カメラを持って蓮池を目指した。
 途中、いつも見上げるS寺の大木を眺めた。梢の先に深紅色が見えるのは、この春、新しく芽生えた葉なのであろうか。時間をかけて緑に変わる?
 先だって、S寺の住職、Gさんに、鐘楼の近くにある大木は何かと尋ねた。
 私の予想していたとおり、「タブの木」だとの答えだった。(写真)
 見事な老樹である。
 幾歳月を生きてきたのであろうか。
 この大樹を見上げると、いつも、こせこせと生きている私の生が、随分お粗末なものに思われるのだ。  


この記事をはてなブックマークに追加

スーザンさんに会う (白薔薇と紫陽花)

2008-07-28 | 草花舎の四季

 街に出た帰り、一停留所手前で下車し、草花舎に寄った。
 フランスから帰られたスーザンさんが、カウンターの席におられた。
 「お帰りなさい!ウエルカム!」
 と、再会を喜び合う。

 ちょうど昼食の時間だったので、一緒にカレーライスをいただく。
 英会話の不得意な私と、日本語会話の未熟なスーザンさんとが、互いの意思を伝え合うのは、大変難しかった。
 Yさんに借り、昨日読み終わった、メイ・サートンの『82歳の日記』をバッグに入れていたので、スーザンさんに本を示し、メイ・サートンを知らないかと尋ねたが、記憶にはない様子であった。
 アメリカを代表する名だたる作家、というわけではないのだろう。日本にも作家を自称する人はかなりあり、それらをみな知るわけではないのだから。

 今日、草花舎でスーザンさんに会うことになるとは予想していなかった。したがって、心の準備もできていなかったので、会話らしい会話を勉強することにはならなかった。それでも、スーザンさんは、新たな言い方を熱心にメモされるのであった。
 私よりははるかにスーザンさんの言葉を解する耳を持ち、とっさの反応にも鋭いYさんと3人で、手振り身振りの助けを借りて、ひと時、不消化な言葉を交わしあった。いつもは、英語の自在に話せるTちゃんが一緒で、意思の疎通は簡単にゆくのだ。
 そのTちゃんの不在を寂しい、と言いながら。
 彼女は現在、イタリアで彫金の勉強中なのである。

 スーザンさんは、私より一足早く帰ろうとして、渡仏の前に覚えたはずの
 「お先に失礼します」
 が、言いたかったらしい。が、それが思い出せず、その言い方を尋ねられるのだが、質問の内容がYさんと私には分かりかねた。 
 すると、スーザンさんは、カウンターの席に、今日は不在のGさんをイメージさせ、挨拶する姿勢を示されたので、やっと求めておられる言葉が、<お先に失礼します>であることを了解し、3人で大笑した。
 体験の共通項があれば、会話の手助けにもなるというものだ。
 渡仏前のある日、会話の勉強をした後、互いによく知っているGさんがカウンターで本を読んでおられたので、私はそこにスーザンさんをいざない、
 「お先に失礼します」
 と挨拶し、スーザンさんにも、その言い方を伝えたのだった。
 しかし、その挨拶語は、一か月余の渡仏中に、スーザンさんの頭から消えかけていたようだ。
 異国の言葉を使いこなすのは、大変なことだ。
 私も、スーザンさんの不在中に、少しは英会話の勉強をしておきたいと、たまに努力もしてみたが、容易に身につくことではなかった。
 「Tちゃんが不在で寂しい」
 という一言を言うのにも、妙に構えてしまうのだった。なかなか単純な言い回しができない……。


 スーザンさんの帰られた後、今日はお客が少なかったので、Yさんと二人でしばらく話した。市長選の結果について、市政ついて、そして、Yさんからお借りして読んだ『82歳の日記』について、作者のメイ・サートンについて、さらには、本の内容と係わりのある、老いを生きることの困難について。
 今日は、夏の庭を散歩する機会がなかった。
 窓ガラス越しにクサキを眺めた。今年は開花が遅れているようだ。
 (写真は、草花舎に活けてあった白薔薇と紫陽花。)


 街では、納期が明日に迫っている後期高齢者医療保険料(1・2・3期分をまとめて納入。4期分以後は年金からの引き去りになっている)を銀行に払い込み、本屋で毎月購入の月刊誌を受けとり、薬局では、常用の<新ビオフェルミン>を求め、頭の中にメモして出かけた仕事をすべて果たしてきた。
 帰りのバスまでには少々待ち時間があったので、バス停前の<サンジェルマン>に憩い、コーヒーを飲んだ。
 戸外は今日も暑い! しかし、法師蝉の声は聞かなかった。昨日は、慌て者の法師蝉が、地下から勘違いして出て来たのだろうか? そんな蝉がいても不思議ではない。

 今日は、人に触れ合うことの多い一日だった。


この記事をはてなブックマークに追加

7月27日(日)<明日開く花>  (蓮の蕾)

2008-07-27 | 身辺雑記
 今日のスタートは、雷鳴と降雨に始まったが、しばらく降って、間もなく上がる、ひと時の雨であった。
 晴れ間の広がる前の涼しいうちに、市長選挙の投票に出かけた。
 現役市長と新人、二人の立候補者による選挙となった。間もなく開票が始まるだろう。次期の市長により、どんな市政が行われるのだろうか。私たちの暮らし向きが少しでもよくなればいいのだが…。

 今日も気持ちの晴れない日。こんな日は何かに集中して雑念を払うしかない。
 『82歳の日記』(メイ・サートン著)を昨日に続いて読み、読了した。

 先日読んだ詩集『一日一日が旅だから』では、<眼鏡が冷蔵庫から見つかる>という意味の一句があり、私の眼鏡も昨年来行方不明で、探しあぐねていることを先のブログに書いた。
 今日は、鋏の探し物の話が記されていて、思わずひとり笑いをしてしまった。
 気分の冴えない日なのに、笑えるとは幸せなことだ。
 私の場合、一番気に入っていた鋏の見えなくなったのは春先の頃だったように思う。花作りの上手な隣家の人に、シンビジュウムの不要な茎の切り方を教えてもらおうと、一番手近にあった鋏を持って出かけた。それ以来、姿を見せなくなった鋏は、切り取った茎と一緒に新聞紙にくるみ、ゴミ箱に入れたのではないかと思っている。
 老い人の探し物は、似たようなものが多いのかもしれない。身辺でよく使うもの。

 私との類似点を見つけて思わずおかしくなり、立ち上がってコーヒーを入れた。
 コーヒーを味わいながら続きを読む。
 私も、もの探しに無駄な時間を費やすことが多いが、年上のサートンは、ひときわ名人である。私も、いずれそうなるであろうと思えば、心細い話である。
 この探し物の話は、断片的で些細な出来事に過ぎない。
 内容はもっと高度なものである。
 この本については、稿を改めて書くことにしようと思っている。

 相撲の千秋楽であることも忘れて、夕方まで読書した。
 昨夜は食欲の湧かないまま、九時に夕食という不規則な生活をしてしまったので、今夕はまず食事を済ませ、その後、Oさん宅まで出かけた。
 法要の日、仏前に供えた果物やお菓子類を、Oさんにお裾分けするために。
 Oさんは、父母の晩年、随分お世話になった人である。

 Oさん宅は、小山を背にし、私の家に比べれば、海により近い位置にある。
 ホトトギスが、ごく近い場所で啼いていた。鳥や蝉の楽園に足を踏み入れたような感じだ。声が多いばかりでなく、鳴き声が真近に聞こえる。
 ホトトギスやジージー蝉・カナカナ蝉の大合唱が、Oさん宅を包んでいた。
 鶯の声は、少し遠い位置から届いていた。
 
 そういえば今日、早すぎる法師蝉の声を聞いた。読書中に耳に届き、空耳だろうかと、広縁まで出て耳を澄ました。間違いではなかった。
 7月のうちに鳴き出すことはめったにないように思う。この夏の異例な暑さのためだろうか?
 法師蝉の声を聞くと、夏の凋落を感じ、そこはかとない寂しさを覚える。燃えるような夏も終焉が近くなったのかと……。
 法師蝉が鳴き始めて、秋めいてくれるのならありがたいが、今年の猛暑は、まだまだ続きそうなな気がする。
 
 Oさん宅の近くにある池に、蓮の蕾が沢山あった。
 明日、開花するのであろう。(写真)
 この大きな蕾は、黄昏の池に紅色を目立たせ、充実した力をさりげなく漲らせていた。

 急に思い立って、夕方出かけたことが、蓮との出会いとなり、今日のささやかな喜びとなった。

この記事をはてなブックマークに追加

母の法要を終えて (崖の白百合)

2008-07-26 | 身辺雑記

 母の17回会のことが気になっていたので、昨日、それを無事終えた後の今日は、精神の弛緩を否めない。
 今年の、私にとっての大行事が終った感じである。
 大病を患った兄も、何とか帰宅できたし、妹たちもみな無事に帰省した。それぞれに年を重ねながら……。
 前回、兄妹が一堂に会したのは2年前、父の13年目の法要のときだった。
 その間、わずか2年しか経っていないのに、若いときと違って、兄妹それぞれの老いの深まりは大きい感じだ。
 それは、60代の住職にも感じられた。
 読経の声は、朗々としていたはずなのに、なんとなく声に力がない。体つきも心なしか、一回り小さくなられたような気がする。
 突発性の心臓病の不安を抱えておられるのだという。
 無事の中にも、心もとなさの残る集いとなった。
  

 今朝の電車で、帰阪する妹をM駅に送り、街で所用を済ませて帰る予定だったが、考えてみると、今日は土曜日。
 銀行での払い込み(後期高齢者医療保険料)も、土曜日ではどうにもならない。本屋やスーパーなども開店前で、しばらく喫茶店で時間を費やさなくてはならない状態だった。
 
 M駅に着いてみると、昨夜、駅前のホテルに宿泊した妹夫婦も、帰阪の妹を送りに来ていた。今日は、途中、温泉津に寄ったりしながら、安来に帰るという。
 そこで、今日予定の、街での仕事は一切せず、義弟の車に乗せてもらって帰宅した。来週早々、街に出直すことにして。


 そういうわけで、今日はたっぷり自由な時間があるのに、心にぽっかり穴が開いたようで、何をするのにも気が乗らない。
 帰阪を知らせる電話が妹からあったのは、一時半過ぎだった。お昼は新幹線の中で済ませたという。さすがに一回り若い妹との差を感じた。私の方は、すでに昼食の時間をとっくに過ぎていることさえ意識になかった。食欲皆無なのである。

 自らを励ますようにして、『82歳の日記』(メイ・サートン著)の続きを読んだ。
 1993年、10月分までの日記を読み終えたところで、気分転換に戸外に出た。
 外は炎天。激しい日差しの中に立つと、地熱に焙られているような感じだった。
 耳には、ジージーゼミが姦しい。その声に混じって、午後3時過ぎの真昼間なのに、蜩のカナカナも盛んに鳴いている。それが河鹿に似ていてように思え、足を止めて耳を澄ました。
 日傘も帽子も被らずに、団地の路地を歩いているうちに、なぜともなく、私は遠い昔の少女期に立ち返っていた。
 目くるめくような真夏の炎天には、幼子期への回顧を促す何かが潜んでいるのではあるまいか。

 家々の庭に咲く、夏の草花を眺めながら、一回りした。
 崖には、茎の頂に花を沢山つけた、一本の百合が咲いていた。(写真)
 白百合も暑そうではあった。が、白さはやはり清々しく、それに心を慰める今日の午後であった。


この記事をはてなブックマークに追加