ぶらぶら人生

心の呟き

7月の最後

2017-07-31 | 身辺雑記
山の端から、
朝日が顔を出すのを
今朝、初めて見た。
5時半。

山の裏に、かくれんぼしていた
朝日が、
すっかり姿を現わすまで、
窓辺に立って、
じっと見ていた。

太古から、
一日は、こうして始まったのだ、と
ふと、そんなたわいないことを思った。






昨夜は、なぜかうまく眠れず、睡眠不足がこたえている。
帰宅後は、ベッドで体を休めつつ、不在中に溜まった朝日新聞と赤旗日曜版を丹念に読んだ。
が、まだ疲れが残っている。

7月が終わるというのに、だらしない最後の一日。

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夕景

2017-07-30 | 散歩道
7月30日
夕食後、施設の外に出てみる。
川沿いの道をぶらぶら歩く。
往復1000歩の散歩。

川風が、心地よい。
ホッとする。
秋の子が潜んでいるかのようで。

以下、夕方7時前の風景。


南南西の空に、上弦の月


落日


帰途の空(重なり合う異様な雲)


河口の風景


路上の白描


咲き遅れた藤の花(施設の入り口)

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2017-07-30 | 身辺雑記
7月30日
今日は、幾度も空を眺める。
変幻自在な雲を楽しむ。
(いずれも、部屋のベランダから)


朝6時前の雲
山際にたむろする雲


午後2時過ぎ
崩れかけた飛行機雲


同時刻、南の山の端に入道雲


午後4時過ぎ、東の山の上に湧き出た雲

夕方6時前の雲






………………………

今年の始めから、二箇所で生活するようになり、
河口の部屋にくると緊張感のある、どちらかと言えば充実した生活、
家に帰ると、たちまちだらけた生活になりがちであった。

緊張と弛緩。
充実と怠慢。

生活の場の違いが原因だと思い込んでいた。
が、それは思い違いのようだ。

河口の部屋での生活にも、最近、弛緩と怠慢が多くなってきた。
要は、<慣れの問題>。

いずれにしても、河口の部屋での生活には、
自由な時間がたっぷりあることは確かであるけれど……。

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母の祥月命日

2017-07-29 | 身辺雑記
7月29日

南廊下のソファーに座って、今日の新聞を読む。
そのあと、機器を使って運動をした。
どれだけの効果があるかは分からない。
が、10分ばかり、手足を動かす。

バルコニーへ出て、河口を見下ろすと、
釣りをする人の姿が見えた。
子供が3人、大人が4人。



今日も、いかにも猛暑の気配だ。
炎天下での釣りは、楽しいのかしら?

部屋に戻ると、妹から電話があった。
話を聞くまで、
母の祥月命日であることを、
私はすっかり忘れていた。
頭が、かなり鈍麻している。

仏前に掌を合わせることはできないが、
幸い数珠はいつも身近においている。
掌を合わせ、母を偲ぼう。
「YUKIちゃん、あんたも歳をとったね」
と、母はあっけらかんとしていそうだ。

25年前も、暑い暑い日だった。

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買い物散歩

2017-07-28 | 身辺雑記
買い物に出かけてこようと、
施設の前で、タクシーを待つ。
むんむんとした暑さの庭に、
アベリアとヒペリカムが咲き続けている。





昨日、河口の部屋に戻ると、
置き時計が、6時で止まっていた。
電池が切れたのだ。

時計がないと不便である。
いちいち腕時計やスマホで、
時間を確かめるのは、
面倒至極。

電池のほか、虫刺されに効く塗り薬、
さらに、百均でベランダの掃除用具など求めた。


すべて小型の用具(バケツ・箒・ちりとりなど)

買い物以外には、イオン前のポストにハガキを投函したり、
銀行で生活費を下ろしたりの雑用を済ませ、
再び、タクシーで帰って来た。

電池を入れ換えると、
時計は、たちまち機能を回復し、
時を刻み始めた。
視覚的に、<時>を感じつつ、ブログを書く。

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朝日とともに

2017-07-28 | 身辺雑記
7月28日 6時

写真の中の黒点は、鳥影である。

朝日とともに、今日の1日が始まった。
朝日も霞んでいたが、その後も終日、曇り空のままだった。

午前中は、森政弘の本を読んだ。
<未来についての逆説>の文中に、『一夜賢者経』というお経が引用されていた。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来らざるを念(ねが)うことなかれ

過去、そはすでに捨てられたり
未来、それはいまだ到らざるなり

されば、現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし

揺らぐことなく、動ずることなく
それを見きわめ、それを実践すべし
ただ、今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ

たれか明日、死のあることを知らんや
まことにかの死の大軍と遇わずということなし

かくのごとく見きわめたるものは、心をこめ
昼夜おこたることなく実践せん

かくのごときを一夜賢者といい
また、心しずまれる者とはいうなり

読みつつ、<なるほど!>と思ったことは、枚挙にいとまがない。
思わず、5本の指の役割を眺めなおしたり、腹式呼吸の方法(四つん這いにり、犬のように舌を出し、ハア、ハア言う)を実践して、河口の部屋の床で、犬になったり……。
(続きは後日に…)

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夕雲と落日

2017-07-27 | 身辺雑記
7月27日 19時
わずかながら、日の入りが早くなったのだろうか?
夕食•入浴を済ませて廊下に出ると、
輝きを失った落日が、
水平線への距離を縮めていた。
上空の雲を淡紅色に染めて。

今日という日が終わる。
すべて、寂寞として。



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日本語について

2017-07-27 | 身辺雑記

森本哲郎著『日本語 表と裏』昭和60年・新潮社刊
新潮文庫としての初版は、昭和63年3月25日。
私の本は、平成21年7月30日 30刷の本。
随分と版を重ね、息の長い本である。
多くの人に、読まれている証拠であろう。



カバーは、安野光雅
図案のように表紙に並ぶ語句、よろしく・やっぱり・どうせ・いいえ……
などなどの日本的な言葉が、24項目にまとめられている。

日常語として、何気なく使っている身近な言葉について、
作者は、日本の風土や日本人の心との関連から考えたり、
他国の言葉と比較したり、
言葉の持つ複雑さ、表の意味や裏の意味を追求している。
理屈としてではなく、なるほどと感じさせる論の展開が心憎いほどである。

作者はいう。

<言葉を機械的にしゃべるということは、ものごとを機械的にしか考えないことと同義である。現代の私たちに何よりも大切なことは、人間的に考える、いや、全てのことを人間的に考え直すことではないか。そのためには、自分たちが日ごろ使っている言葉をもういちどふりかえってみる必要があろう。>と。

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鵜ノ鼻を経て

2017-07-27 | 身辺雑記
河口の部屋に向かうため、タクシーを呼んだ。
いつも同じ道では面白くないので、
鵜ノ鼻を経由してもらった。

初めての場所。
高齢者用の福祉施設もあるし、
丘の上には、住宅がひと集落をなしていた。
Yさん(草花舎)が懇意になさっている友達の家も、
この丘にあるのだろう。
住めば都かもしれないが、少々寂しくはないだろうか?



<鵜ノ鼻>から見た<魚待ノ鼻>


右側の湾が津田海岸
(海岸が見えないのは残念だった。)


高津川の河口の辺り

曇り日で、風景が霞んでいるのは残念だった。

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アラハン人生

2017-07-26 | 寸感
新聞記事より




今朝の『朝日新聞』の<文化•文芸>欄に目を移したとき、
ん? 「アラハン人生?」と、頭を傾げた。
アラハンは、すでによく使われている語か、新語なのか?

文中の説明によると、
<アラウンドハンドレッド、つまり100歳前後>の意。
<アラハン>は、<アラウンドハンドレッド>の短縮語。


横見出し(大)アラハン人生 年輪の重み
同 上(小)自立し前向き 娘世代あこがれ
縦見出し 100歳前後の女性のエッセー 続々ベストセラー

ここに取り上げられた本(アラハン本)のなかで、私が読んでいるのは、篠田桃紅•佐藤愛子•笹本恒子•吉沢久子などなど。
筆者はそれぞれ、立派な生き方をなさっているとは思うけれど、私自身の人生に大きな影響をもたらしたとは言い難い。
私自身が、すでに私の生き方を変える融通性を持っていないし、私は私を生きるしかないと、思っているから。
ただ、読書としては、大いに楽しむことができた。
見出しにもあるとおり、100歳前後を生きてこられた女性たちの本(そこに綴られた生きた言葉)は、大きな未来のある<娘世代>にとって<あこがれ>となり得るだろう。


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