ぶらぶら人生

心の呟き

4月、往く

2014-04-30 | 身辺雑記
 やっと旅日記を書き終え、ほっとして眼の前に積み上げている本の中から一冊を取りあげた。

 外山滋比古著『忘却の整理学』 (筑摩書房・2009年刊)
 買い求めたまま、ページを繰ることなく、机上に積んでいたのだ。

 いつもの習いで、<まえがき>と<あとがき>を読む。

  忘れてよい。忘れっぽくても、よい頭はよい頭である。それどころか、新しいことを考えるには忘却の助けが必要である。                                  <まえがき>の冒頭

  本書を書き終えたところで、思いもかけず、忘却は人間の自由な思考、自由そのものへの道を拓くものではないかという考えに達した。                          <あとがき>より


 なかなか面白そうだし、私の、私に対する悲観論を和ませてくれそうでもある。
 読まれることを待っている本はたくさんあるが、まずは、この本から読み始めよう。

 5月のスタートは……。                           
                                                  
                

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春の旅 ⑤ 毘沙門堂の桜

2014-04-30 | 旅日記
                 <4月9日>


      

      

            


   

              



                  
         日本画にみる「さくら」展 ―横山大観から中島千波まで―

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春の旅 ④ 天龍寺庭園

2014-04-30 | 旅日記
             <4月8日> その2

     

       

   

   

   

   

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春の旅 ③ トロッコ電車で

2014-04-30 | 旅日記
                <4月8日> その1

       

   

   

   

   

  

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春の旅 ② 宇治平等院

2014-04-30 | 旅日記
                    <4月7日>

       

         

             

             

        

         

        

                  



        
                           宇治川と紫式部像


             
                           円山公園の老桜

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春の旅 ① 京都タワーの見える部屋で

2014-04-30 | 旅日記
 4月が終わるというのに、旅日記が未整理のままだ。
 旅から帰れば、日常茶飯が待っていて、なかなか整理に至らなかった。
 以前は、これほどルーズではなかったように思う。
 これも老いのなせる業か?

 月が改まる前に、簡単に、旅の日記をまとめておこうと思う。
 写真で辿る旅日記として。 


眼の前に、京都タワーの見える部屋で、4泊した。
 <ホテルグランヴィア京都>は、駅構内にあり、とても便利である。
 京都を楽しむときには、最近は、ほとんどグランヴィアを利用している。

 今回は、4月6日から9日まで。

       


 今年の春は、全くスケジュールを立てずに出かけた。
 体調のこともあり、無理をしないことを第一にして。
 日常からの脱皮だけを目的に。

    <4月6日>
 
 1時前に京都に到着。
 チェックインの後、昼食をとり、近回りをぶらついて来ようと思った時、突然の驟雨。
 街歩きをあっさり諦め、ホテルにくつろぐ。

 その後、7日から帰宅まで、申し分のない春日和に恵まれた。

    <4月7日>
 
 さて、と考え、初日の行き先として決めたのは、宇治の平等院。
 鳳凰堂の、屋根の葺き替えや塗装の修理などが、この春完成。
 内部拝観もできるようになっていたが、なにしろ2時間待ち。
 根気がなく、<ミュージアム鳳凰館>を見学するにとどめた。
 お庭歩き、と。

 宇治川のほとりで、紫式部の像に逢う。
 往時を偲び、長い長い物語に情熱を傾け、執筆に余念のなかった女性に思いをはせる。

 京都に引き返し、毎年のことだが、祇園を歩く。
 八坂神社にお参りし、円山公園の老桜に、今年も会う。
 老木は、あるがままの姿で、枯淡の美しさを保っていた。

   <4月8日>

 嵯峨嵐山のトッロコ電車に乗る。
 どこもかも、どうしてこんなに人が集まるのだろう?
 老若男女、様々な人。
 老人の割合が、比較的多そうだ。

 外国の方も、相当に多い。
 トイレに入ったところ、久しぶりに、中国語に接した。
 トイレ使用についてのお願いが、中国語で記してあるのだった。
 
 以前、独学で少々学んだことがあるので、そこに書いてある程度は理解できた。
 トイレットペパー(衛生紙)の処理の仕方について、具体的に記してあった。
 複雑な感想を抱く。
 確かに、行くところごとに、中国の人は、実に多い。
 言葉で、すぐ、その一団と分かる。

 電車の切符を買うのにも、長い長い列。
 乗りたければ、耐えるしかなく、しかも、乗車できるのは、2時間先。(事前に乗車券を求めておけば待つ必要はないのだったが、行き当たりばったりの旅には、こうした不都合も生じる。)
 喫茶店で、軽食とコーヒーで、時間待ちをする。

 待ち時間に比べれば、トロッコ電車の乗車時間は短い。
 30分足らず。
 わずか7・3キロの距離なのだから。
 嵯峨から亀岡まで。
 保津川渓谷と、その周辺の春の景色を眺めながら、木製の椅子に坐しての旅である。
 亀岡から保津川下りを楽しむ人も多く、車窓に、その船を眺めたり。

 帰りは終点の一つ前の駅・嵐山に下車。
 竹林の里を歩いて、天龍寺へ向かった。
 この春も、そのお庭の花を眺めて楽しむ。

   <4月9日>

 京都の春を楽しもうと思えば、選択に困るほどだ。
 平安神宮に行ってもいいし、哲学の道を歩いてもいいし…などと考えていたところ、テレビの地方版が、<毘沙門堂の桜>を紹介していた。
 山科駅からの所要時間は、タクシーで5分、徒歩で20分とのこと。

 <毘沙門堂>には行ったことがない。
 出かけてみよう、と思った。
 山科の駅前で、タクシーを待った。
 小さな列は、みな毘沙門堂に出かける人のようであった。

 行き先を伝えると、運転手は、
 「毘沙門堂? あんなところ、見るものありませんよ。醍醐寺はどうです?」
 毘沙門堂に対し、失礼千万なことをおっしゃる。
 行き先として選んだ私の意思も無視された形だ。

 醍醐寺には、数度出かけている。
 「とにかく毘沙門堂へお願いします」
 と、話しているうちに、車は動かなくなった。
 長い渋滞が続いているようだ。
 「こんな調子だから、歩いたほうがましですよ」
 と、運転手は儲けの乏しい仕事に気乗りしないらしい。

 「歩きましょう」
 と、下車して、そこまでの料金600円を支払った。
 確かに車両のすれ違いはままならぬようで、歩行者もすいすいとは歩けない。
 老いた身には、思いほかの急坂でもあった。

 最後の石段を登るには、両手で手すりを持ち、身体を持ち上げなくてはならなかった。
 宮島の弥山以来の難行苦行!?
 でも、往復を歩けたし、途中、河畔に咲く菜の花と桜を同時に眺めることもできた。
 おまけをもらった感じだ。
 美しい桜に出会えたことに加え、完歩できた満足感もあった。

 
 京都駅に引き返し、 「美術館「えき」KYOUTO」で、<日本画にみる「さくら」 展 ― 横山大観から中島千波まで ― >を観る。
 これも、とっさの思いつきで入った美術展だったが、十分楽しめた。
 大方の日本人は、桜が好きなようだ。私も、大好きだし、日本画に描かれた桜も、それぞれにすばらしかった。


  <4月10日>

 買い物などして、帰途に就く。
 最後に、折り畳み杖を使わずに済んだことを付記しておこう。

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時の移ろい (生じたり滅したり)

2014-04-28 | 身辺雑記
 時々刻々、自然も人も、移ろうものとは思いながら、その移ろいが明白に感じられるのは、植物たちだ。
 昨日、庭に出てみると、躑躅が満開。鳴子百合も。

          

          

 開花が待たれるのは、桜空木と牡丹。

 

 斑入りの石蕗は、絶え絶えながら、姿をとどめている。

               


              ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 身辺には、命満ちるものと、滅びゆくものとがある。
 自然の摂理とはいえ、命絶えることは、やはり寂しい。
 
 昨夜、Sさんの訃報に接した。
 現在のような介護制度のなかった平成の初め、高齢の父や母のお世話をしていただ人の中の、ひとりである。
 83歳の死。
 もっと年上だと思っていたが、私とは、わずか二つ違い。

 Sさんの晩年は、寝たきりの日々であった。
 ここ数年は、介護施設に入っておられた。
 農作物や草花を育てる楽しみも失って。
 
 今は病気から解放され、楽になっておられるのだろうと思えることが、せめてもの慰みである。

 お元気だったころ、庭に植えてくださったノボタンは、幾冬もの寒冷に耐え、今年も花を咲かせてくれそうだ。
 斑入りの茅の鉢もいただき、玄関先に置いて、身近に秋のススキを楽しませてもらった。が、それは数年前に枯死してしまった。
 Sさんを偲ぶよすがは、ノボタンと思い出だけになった。

 明日は葬儀に参列し、お別れをして来ようと思っている。
 喪服は体に合うだろうかと、生きている人間は、悲しみの中でも、些末なことを案じなくてはならない。
 昔から見れば、かなり太くなっている。
 試着し、かろうじて、6キロ増の体を収められることを確認した。

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雑草も威勢よく

2014-04-26 | 身辺雑記
 春の野辺は、このところ、威勢がいい。
 生命力に満ち溢れて。

 春は、あまり好きな季節ではなかったが、老いてみると、なんだか生きる力をもらっているようで、嬉しい。

     

     

               


  

                  (撮影は、4月23日)

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4月の庭 (レモンの実など)

2014-04-25 | 草花舎の四季
       <4月 23日>

 コーヒーとケーキでくつろぎ、お庭も歩いた。
 今、耳に届く鶯の声も、花も、真っ盛り。

 レモンの木が植えてあるのは知っていたし、その花の写真をブログに載せた記憶もある。
 しかし、今日は驚き!
 レモンを頭上に見たのだ。
 木になったレモン。
 お店の棚に並ぶ前のレモン。

    

 紅白の花水木が、今、美しい。

    

    

 その他、庭の花々も。

    

    

    

    

             
                    柿若葉

    
         カスミソウ         オキナグサ(撮影に失敗)

                       

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4月の庭 (戸川幸一郎作品展)

2014-04-24 | 草花舎の四季
       <4月 23日>

 冷蔵庫を見ると、卵がない。
 <ポプラ>で買ってくることにした。

 戸外は、初夏めいた陽気である。 
 <ポプラ>の前が、草花舎である。
 途中休憩しようと、立ち寄った。

 次回作品展のため、作家の戸川幸一郎さんが、作品の搬入作業をなさっていた。    
 初めてお会いする作家である。

      

 戸川さんにカメラを向けたが、見栄えのしない写真になった。

       戸川幸一郎作品展 『アローアロー』
           (2014・4・29~5・18)     

 期間中、オイルパステル画、油彩、版画、木彫、陶芸など、様々な作品が、草花舎を独特な雰囲気に包みこみそうだ。


 2冊の本をいただいて帰った。

  『はじまりの部屋』 さく/え とがわこういちろう
  『雲であること』 ことばとえとかたち集 作 戸川幸一郎 

      

 作者の意図を理解できたのかどうかは、よく分からない。
 2冊の本を私なりの感じ方で楽しんだ。


   けれども生きていることは好きです
   哲学をもって生きていきたいです
   僕は雲になりたい 月になりたい 風になりたい
   猫になりたい 鳥になりたい あぁ…犬もいい     
『雲であること』の「僕」より 

 この一節から、作者の顔が見える。
 作者が表現しようとしておられる世界も。

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