マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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九条水込地蔵尊の地蔵盆

2015年03月26日 08時45分46秒 | 大和郡山市へ
地元に住んで30数年を越えた。

かつて通勤していた時代には毎日歩いていた通り道。

そこには地蔵さんが安置されている。

気にはかかっているもののこれまでどなたとも遭遇したことがない地蔵さん。

付近に住む住民の話によれば道を下った近鉄電車・九条駅近くの人がときおり来るらしい。

婦人だと思えるその人はお花を飾っているようだと聞いていた。

我が家から歩いて600m。

地蔵さんが安置されている向こう側は九条墓地だ。

転居した当時は街灯もなく真っ暗な道だった。

墓の前を通るときは懐中電灯で足元を照らしながら帰っていた。

今では街灯も設置されていから笑い話である。

当時勤めていた社内の若いもんから「ケモノ道やな」と云われていた。

この日は大和郡山市内のあちこちで地蔵盆が行われている。

住む地域の城村・旧村主水山では夜7時。

今では新興住宅に住む人も加わって西国ご詠歌を唱えている。

大和郡山市内でこの日に地蔵盆が行われている地域がある。

どの場でどのような形でされているのか調べなくてはならない。

これまでの調査では8月地蔵盆が行われている市内地域は39カ所。

7月地蔵盆では22カ所。

おそらくはもっとあるのかも知れない。

調査に出かけたこの日。城下町に出かけようとした際である。

九条墓地の地蔵さんに草むしりをしていた老婦人がおられた。

その人に伺えば、朝10時から地蔵さんの法要をされると云うのだ。

30うん年間、永い間待っていた地蔵盆の様相を拝見するにまたとないチャンス到来の緊急取材である。

参られる人たちは九条町の尼講。

10人ぐらいだそうだ。

下った九条町から歩いて600mであるが「老人用乳母車を押してきますんや」と云う。

尼講は高齢者。坂道を登ることも困難である。

家人に頼んで車に乗せてもらってやってくる婦人もいる。

地蔵さんにブドウ、ゼリー、お菓子を供えて僧侶を待つ。

僧侶は九条墓地内にある極楽寺の女性住職であった。

並べて安置している地蔵さんに火を点けたローソクや線香を立てる。

拍子木を打って般若心経を三巻唱える。

通りがかったおじいちゃんとお孫さんたち。

車から降りて手を合わしていた。

水込め地蔵尊の名がある地蔵さんの地は地下に水路があるという。

この付近の田んぼに溜めた水を送っていたと話す尼講の人たち。

先代から聞いている話しによれば、大正年間よりもっと前からこうして参っていると云うのだ。

ここより西側はお山のような感じである。

小字名は山ノ口。

湧き出る水は東側にある九条村の田んぼを潤っていたと想定される。



暑い日差しを避けて傘をさす尼講は8人。

汗が流れ落ちる真夏のお参りだ。

般若心経を終えた講中は極楽寺に向かう。

お堂にあがって再び般若心経を三巻唱える。

九条墓地は九条村の総墓であるが、豆腐町、塩町などの城下町や隣村の奈良市石木町に住む人もいるようだ。

柳澤藩の家来衆が墓参りをしていたとも・・・。

行基さんの千百年祭にあたる幕末には供養碑が建之されたという極楽寺。

本尊は鎌倉時代初期の作とされる木造阿弥陀如来立像(造立当時、添下郡西九条村安国寺)。

やや小寸であるが右脇も木造阿弥陀如来立像を安置している。

左脇仏は木造地蔵立像で、その横にはなぜかスリランカの金銅仏も安置していた。

現在の住職は浄土宗。

その前は曹洞宗。

それより以前は大念仏宗派と僧侶が替るたびに宗派も替るというので、「おそらく先代、或いはその前の僧侶が買ってきたものではないでしょうか」と僧侶は話す。



ローソクを灯して住職のお勤めは般若心経を三巻。

尼講も心経を唱えていた。

尼講たちが住んでいる九条町は植槻八幡神社の氏子圏。

かつてオンダ祭でたばった松苗を苗代に立てていた場を拝見したことがある。

松苗を立てていた家は尼講の家だったのだ。

(H26. 8.23 EOS40D撮影)


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