マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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山添菅生施餓鬼

2011年09月19日 08時04分35秒 | 山添村へ
ミーン、ミーンと鳴くミンミンゼミ。

ヒグラシも鳴き始めた山添村の菅生。

村の氏神さんである十二社神社参籠所では毎月当番が入れ換わる月ドウゲ(充てる字は道化)と応援する4人のネンヨウ(年用と書きネンニョとも呼ぶ)が忙しく動き回っている。

ネンヨウは12月から翌年の11月まで神社祭礼を勤めるマツリトーヤとも呼ばれ、主に酒宴のときに酒を注ぎまわる役目だという。

朝から設えた施餓鬼棚がようやくできあがった頃は正午だった。

参籠所いっぱいに並べた座布団。

集まってきた村人たちがそこに座る席だ。

上座は長老たちの席。

窓側は後出(おしろでと呼び北出とも)、谷出(たんで)、鍛冶屋出(かんじゃで)地区の人たちで反対側は峯出(むねで)の東、西に大海道出(おげって)地区の決まった席である。

本来はお寺の行事である狭いことから参籠所が営みの場となっている菅生の施餓鬼会。

参籠所中央に設えた施餓鬼棚は五本の幟を立てて周囲にヒバ(桧の葉)で生垣のように周りを囲う。

その中には大きなドロイモの葉が一枚。

右は大皿に盛ったごはんで左はナスビとキュウリを輪切りしたもの。

どっさりと盛られている。

手前にシキミの枝葉を添えている。

向こう側には生死流転する迷いを意味する三界万霊の立札が置かれた。

五本の幟は左手前から時計回りに南無過去寶勝如来、南無妙色身如来、南無甘露王如来、南無廣博身如来、南無離怖畏如来とある。

飾ったお花はオミナエシにキキョウとこれも決まっている。

隣村春日の不動院から来られた僧侶が祭壇前に立って「家族の先祖は帰っているが、家に入れない餓鬼たちはこの場で供養してあげよう」と施餓鬼会の法要が始められた。

餓鬼棚には長いハシゴが掛けられている。

それをつたって登ってくる餓鬼は棚に供えられたごはんやナスビ、キュウリを食べるという。

過去帳に受付を済ませた新仏の家は喪服で参列される初施餓鬼である。

前年の16日から前日までに亡くなられた人たちの回向供養である。

過去帳には亡くなった年の記載はない。

月日だけでそれを詠み上げる僧侶。

そうして始まった仏飯(ぶっぱん)御食(おんじき)の作法。

一人ずつ餓鬼棚の前に立って長い箸でごはんとナスビ、キュウリをドロイモの葉に載せていく。



「長い箸は自分への口に持っていくものでない。餓鬼の口に食べ物を持っていく施しの箸だ」という。その際にはシキミをお水に浸してやる。餓鬼はたくさんの水がなければ食べることができないのだと僧侶は話す。

一人、一人その作法をされるのでおよそ20分はかかる。

その間、「なーむ大師 へんじょう金剛 なーむ 三界万霊 じょうぶつー」と三界万霊を唱えていく僧侶。

後半は般若心経で法要を終えた。



およそ1時間余りで村の施餓鬼会を終えた棚は餓鬼たちが喰い散らかしたかのような様になった。

(H23. 8.15 EOS40D撮影)