マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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池田のタイマツ

2011年09月17日 08時09分52秒 | 奈良市へ
年当番の輪番にあたる北、巽、西城(にしんじょ)垣内の人たちが行事の準備や世話にあたる奈良市池田町のタイマツ行事。

タイマツの材料集めから会所の支度、念仏鉦なども。

この年は北垣内が世話人にあたった。

タイマツの竹は縄で縛って簾状にする。

それに藁や竹の葉を敷きつめて転がしながら筒状にする。

できあがったタイマツはおそろしくでかい。

直径が1m、高さはほぼ4mにもなる大型のタイマツである。

保管してあった一台の太鼓を広大寺池畔に運びこむ際に打ち鳴らす。

昭和9年に「勇み踊り」が復興された際に貼り替えられた大きな太鼓である。

かつてはタイマツ周りでそれを唄って踊っていた太鼓踊りがあった。

70年ぶりに復活したが昭和15年まで続けられたそうだ。

大正13年の踊歌本「勇踊之歌 大字山」と同じ詞章であったというから復興した当時指導にあたった隣村の山村(やまむら)町の長老は住む地の歌を流用したようだ。

「よいとこ よいとこ よいとこさっせ すってんてれつく よいとこせ(反復) さえーえさ どっこいしょ(限りなく反復) さあさあさ ちゃっきりじゃ ちゃちゃちゃっきり ちゃっきりさ ちゃっきり ちゃちゃっきり」の詞章に天武天皇の歌が「此処は何処 此処は山村天武天 五穀成就の雨降らし あありがたやの あありがたやの なあもでおどりを おんどろうやああ おんどろやああ てて天突 つっつくつ てて天突 つっつくつ てててててててん 天突つ 天突 天突 つっつんつん みんだあんぶうう なあむあいみんだああんぶ 天突 天突つ 天突 て天突 天突 天突つ てしてて は なもで あれわさ これわさ よいとこよいとこよいさっさ てしてて は なもで やあつさつさえ」でった。

ところが村の記録によれば池田町オリジナルとされる歌があったそうだ。

「此処は何処 此処郷中広大寺池 五穀成就の水湛え 此処に水死を封じるため ありがたやの なぁもでおどりを おどろうやー おどろやー てててんつくつうつくつ てててんつくつうつくつ てててててててん てんつく てんつく つうつん つん みんだぁんんぶうう なぁむあ みんだあん あんぶ てんつく て てんつく てんつく てんつくつ てしてて はなもで あれはさ よいとこよいとこ よいさっさ てしてては なもで やあっさっさえ」。



タイマツのてっぺんに火を移すのはナタネの殻(現在は小麦藁)。

竹の棒の先端に括りつけている。

煙が出だして炎が噴き出した。

まさしくそれはタイマツだ。



ときおりポン、ポンと竹がはぜる音がする。

夕日があたり金色に輝く池田のタイマツ。

しばらくして当番の人が張っていた綱を緩めた。

そのとたんに倒だした大きなタイマツ。

倒れる方向によってその年の収穫を占ったそうだ。

あれほど大きなタイマツ燃え尽きるのは早い。



その場は翌朝に各家で祀られた先祖さんを燃やす場となる。

タイマツ行事は広大寺池で溺れて亡くなった人々の供養、池に住んでいた龍が村人を殺したのでタイマツで龍にヤイトをしたとか・・。

また、タイマツの煙で悪霊がついてくるので雨乞いをしたとか。

五穀豊穣、悪病退散の祈願を意図したものなど様々な言い伝えがあるそうだ。



波紋を広げた池は静かな夜を迎えていく。

(H23. 8.14 EOS40D撮影)