9月7日(日)の礼拝説教
テキストは「哀歌」1章1節~4節 と 「マルコによる福音書」15章33節~47節
タイトルは「金曜と土曜の間に」でした。
ルーベンスの「キリスト降架」という絵があります。
この絵は、物語「フランダースの犬」の中で主人公ネロ少年がぜひ見たいと願っていた絵で、
ネロ少年はこの絵を見て死んでゆくというクライマックスに登場します。
アリマタヤのヨセフとニコデモ、二人の老人が脇を支え、ヨハネらしい弟子の若者が下から支えて
イエスを十字架から降ろしている、十字架とイエスの死の重みが胸に迫る絵です。
ルーベンスはこの絵を祈りと想像力をもって描きました。
今日は、テキストのマルコ伝の15章42節から詳しく見てゆきたいと思います。
42節「すでに夕方になった」と書かれています。
安息日の前日の金曜日、午後三時を過ぎてもはや夕方に近い時刻にイエスは息を引き取られました。
安息日は一切の労働を休んで神の創造の御業と私たちへの救いの出来事をひたすら思いすごす大切な日です。
自分の立ち位置、存在の礎を確認する日であります。 私の命の礎を確かめる大切な日です。
(安息日については11月くらいに十戒の説教を予定していますが、その中で詳しくお話いたします。)
午前9時から十字架につけられたイエスは夕暮れの迫る午後3時まで苦しまれ息を引き取られました。
聖書では日暮れから一日が始まりますから、もう少しで安息日に入る時刻です。
イエスの身体を十字架から降ろす時間もなくなるのでは、と見守る弟子や婦人たちは気が気ではなかったことでしょう。
十字架につけたまま曝しておくのは耐えがたい、木にかけたまま夜を過ごすことは神に呪われた者として
旧約聖書では戒められてもいます。
議員であるアリマタヤのヨセフは勇気を出して、イエスの弟子の一人としてピラトの許に出かけました。
議員であるヨセフがイエスの弟子であることを公にすることは議員の席を失うかもしれないことで、
彼はそれまでは隠れてイエスを慕っていたのでしょう。
町はずれのゴルゴタから町中のピラトの屋敷まで駆け足でも20分はかかりそうです。
3時にイエスの死を見届け、ローマ法によって殺されたイエスの引き渡しを願うために彼がピラト邸に
着いたのは3時半も過ぎていたでしょう。
死に至るまで数日間苦しむ者もいるという厳しい十字架刑にかけたイエスがもう死亡したのか、
あっけなさを感じたピラトはローマの軍人、百人隊長に確認させました。
その結果が知らされたのはもはや4時半過ぎだったはず、5時を回っていたかもしれません。
ルーベンスの絵の背景は暗くて、あたかも夜を表しているようです。
ようやく下げ渡しを許されたイエスの遺体を多くの人の力でおろし、ヨセフは亜麻布で包んで
彼が持っていた新しい墓に納めました。
安息日に入ればすべての労働が禁じられますから、遺体の臭いを防ぐための香油を塗る時間もなく、
埋葬がいかに急いで行われたかが分かります。
土曜日はじっと耐えて、日曜日の朝、待ち構えて婦人たちは墓に出かけました。
イエスの遺体に香油を塗るためです。
8月からみてきました「使徒信条」、教会が二千年にわたって告白してきた「使徒信条」の「死にて葬られ、
陰府(よみ)に降り」の箇所を今日は学びます。
ここには「死」の出来事が凝縮されています。
黄泉(よみ)ではなく「陰府」という言葉を使いますが、この言葉は教会だけで使われているのかもしれません。
死んだ後、赴く場所が天国か地獄かとしたら、「陰府」は地獄のイメージのような気がしますが、
実は聖書にはそのような場所は出てきません。
旧約ではどんなイメージで語られているのでしょうか。
旧約聖書の陰府は死者の全てが行く場所、正しい人も悪人も善人も罪びとも、全ての死者が行く、
神から遠く離れた所、と語られています。 神のいまさらぬところを陰府(よみ)としています。
詩編(6:6)に歌われた陰府は「誰も神の名を唱えず、だれも神に感謝をささげません」
神の御業が全く期待できないところ、神との関係が断ち切られた場所なのです。
陰府(よみ)とは神のおられない所、讃美も感謝もない所で、そこでは人々は眠った状態でいると考えられます。
神に見捨てられ、神無き所に降ってゆかれ、陰府に横たわったイエスは、死者にも福音を告げられたと
ペトロは証言しています。(ペトロの手紙一)
神との関係が断ち切られた場所をも、神のおられる場所とされた、と書かれています。
その結果、キリスト無き場所は無くなったのです。
教会はこのことを「使徒信条で」ずっと変わらず告白し続けています。
バッハのオラトリオの最後では弾けるようなこの喜びを詩っていますが、死、悪、罪、地獄は滅ぼされ、
神の御許に居場所を得ました。
キリストは死んだ人にも生きている人にも主となられた、とパウロは述べています。
生きている時も死ぬるときもただ一つの慰めは身も心もイエス・キリストのもとにある、
私たちはそれを信じられる、ということにあります。
死さえも私たちを神から引き離すことはできないのです。
私たちには神のおられぬ場所は無いのです。
この一週間も、陰府の死にも勝たれた主に守られて過ごしましょう。 (以上、文責はゆうゆうにあります。)
・・・・死にて葬られ陰府に降り、三日目に死人のうちから蘇えり・・・・・
陰府に降って蘇られたということは、主は死に打ち勝って戻って来られたということなのですね。
実は、私は十代の初めからずっと深く死を恐れていました。
永遠の空間の中での自己の消滅、自意識の消滅の思いは恐怖以外の何物でもありませんでした。
今、神の御許に呼び戻されて、何が幸せか何が平安かというと、神の御許で(天国で)永遠の命を
与えられるという確信です。
公園の池の翡翠。
嘴の先が黄色いので、まだお子様のようです。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
テキストは「哀歌」1章1節~4節 と 「マルコによる福音書」15章33節~47節
タイトルは「金曜と土曜の間に」でした。
ルーベンスの「キリスト降架」という絵があります。
この絵は、物語「フランダースの犬」の中で主人公ネロ少年がぜひ見たいと願っていた絵で、
ネロ少年はこの絵を見て死んでゆくというクライマックスに登場します。
アリマタヤのヨセフとニコデモ、二人の老人が脇を支え、ヨハネらしい弟子の若者が下から支えて
イエスを十字架から降ろしている、十字架とイエスの死の重みが胸に迫る絵です。
ルーベンスはこの絵を祈りと想像力をもって描きました。
今日は、テキストのマルコ伝の15章42節から詳しく見てゆきたいと思います。
42節「すでに夕方になった」と書かれています。
安息日の前日の金曜日、午後三時を過ぎてもはや夕方に近い時刻にイエスは息を引き取られました。
安息日は一切の労働を休んで神の創造の御業と私たちへの救いの出来事をひたすら思いすごす大切な日です。
自分の立ち位置、存在の礎を確認する日であります。 私の命の礎を確かめる大切な日です。
(安息日については11月くらいに十戒の説教を予定していますが、その中で詳しくお話いたします。)
午前9時から十字架につけられたイエスは夕暮れの迫る午後3時まで苦しまれ息を引き取られました。
聖書では日暮れから一日が始まりますから、もう少しで安息日に入る時刻です。
イエスの身体を十字架から降ろす時間もなくなるのでは、と見守る弟子や婦人たちは気が気ではなかったことでしょう。
十字架につけたまま曝しておくのは耐えがたい、木にかけたまま夜を過ごすことは神に呪われた者として
旧約聖書では戒められてもいます。
議員であるアリマタヤのヨセフは勇気を出して、イエスの弟子の一人としてピラトの許に出かけました。
議員であるヨセフがイエスの弟子であることを公にすることは議員の席を失うかもしれないことで、
彼はそれまでは隠れてイエスを慕っていたのでしょう。
町はずれのゴルゴタから町中のピラトの屋敷まで駆け足でも20分はかかりそうです。
3時にイエスの死を見届け、ローマ法によって殺されたイエスの引き渡しを願うために彼がピラト邸に
着いたのは3時半も過ぎていたでしょう。
死に至るまで数日間苦しむ者もいるという厳しい十字架刑にかけたイエスがもう死亡したのか、
あっけなさを感じたピラトはローマの軍人、百人隊長に確認させました。
その結果が知らされたのはもはや4時半過ぎだったはず、5時を回っていたかもしれません。
ルーベンスの絵の背景は暗くて、あたかも夜を表しているようです。
ようやく下げ渡しを許されたイエスの遺体を多くの人の力でおろし、ヨセフは亜麻布で包んで
彼が持っていた新しい墓に納めました。
安息日に入ればすべての労働が禁じられますから、遺体の臭いを防ぐための香油を塗る時間もなく、
埋葬がいかに急いで行われたかが分かります。
土曜日はじっと耐えて、日曜日の朝、待ち構えて婦人たちは墓に出かけました。
イエスの遺体に香油を塗るためです。
8月からみてきました「使徒信条」、教会が二千年にわたって告白してきた「使徒信条」の「死にて葬られ、
陰府(よみ)に降り」の箇所を今日は学びます。
ここには「死」の出来事が凝縮されています。
黄泉(よみ)ではなく「陰府」という言葉を使いますが、この言葉は教会だけで使われているのかもしれません。
死んだ後、赴く場所が天国か地獄かとしたら、「陰府」は地獄のイメージのような気がしますが、
実は聖書にはそのような場所は出てきません。
旧約ではどんなイメージで語られているのでしょうか。
旧約聖書の陰府は死者の全てが行く場所、正しい人も悪人も善人も罪びとも、全ての死者が行く、
神から遠く離れた所、と語られています。 神のいまさらぬところを陰府(よみ)としています。
詩編(6:6)に歌われた陰府は「誰も神の名を唱えず、だれも神に感謝をささげません」
神の御業が全く期待できないところ、神との関係が断ち切られた場所なのです。
陰府(よみ)とは神のおられない所、讃美も感謝もない所で、そこでは人々は眠った状態でいると考えられます。
神に見捨てられ、神無き所に降ってゆかれ、陰府に横たわったイエスは、死者にも福音を告げられたと
ペトロは証言しています。(ペトロの手紙一)
神との関係が断ち切られた場所をも、神のおられる場所とされた、と書かれています。
その結果、キリスト無き場所は無くなったのです。
教会はこのことを「使徒信条で」ずっと変わらず告白し続けています。
バッハのオラトリオの最後では弾けるようなこの喜びを詩っていますが、死、悪、罪、地獄は滅ぼされ、
神の御許に居場所を得ました。
キリストは死んだ人にも生きている人にも主となられた、とパウロは述べています。
生きている時も死ぬるときもただ一つの慰めは身も心もイエス・キリストのもとにある、
私たちはそれを信じられる、ということにあります。
死さえも私たちを神から引き離すことはできないのです。
私たちには神のおられぬ場所は無いのです。
この一週間も、陰府の死にも勝たれた主に守られて過ごしましょう。 (以上、文責はゆうゆうにあります。)
・・・・死にて葬られ陰府に降り、三日目に死人のうちから蘇えり・・・・・
陰府に降って蘇られたということは、主は死に打ち勝って戻って来られたということなのですね。
実は、私は十代の初めからずっと深く死を恐れていました。
永遠の空間の中での自己の消滅、自意識の消滅の思いは恐怖以外の何物でもありませんでした。
今、神の御許に呼び戻されて、何が幸せか何が平安かというと、神の御許で(天国で)永遠の命を
与えられるという確信です。
公園の池の翡翠。
嘴の先が黄色いので、まだお子様のようです。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。