その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

「ほらふきドンドン」

2022-05-28 09:02:14 | 転職

ほら、フキがどんどん出て来まして…

「句読点」の打ち方ひとつで、意味合いが大きく違ってしまいます^^; 「ほらふきドンドン」は漫画家ジョージ秋山氏の作品で、1969年頃に「週刊マガジン」に連載されていたようでありますが、タイトルを憶えているだけで、そのギャグ内容は忘れてしまっております。(他の方のレビューを読んで、確かこんな内容があったあったと思い出した次第であります。)しかし、時代が合わないんだよなぁ…『おやじぃ』が小学生4年生くらいの時だから、漫画本を買えるほどお小遣いを持っている訳もなく、漫画本を売っているお店も無かったから…。その後、これに変って連載された「アシュラ」に当時高校生だった亡き実姉がハマり、それを読ませてもらった記憶があるから、恐らく実姉が買った漫画本で読んだのかも知れない。実姉とは歳が離れていて、その後は寮生活、アパート暮らしとなったから、ひとつ屋根で暮らした記憶は、7年間程度の期間である。そして、間もなく2回目の命日(三回忌)がやって来る。
世が世なれば、義兄も誘って、『姉弟会』を兼ねた温泉旅行でも楽しんで良いお年頃なのだろうけれど、再会出来るのは、命日、お盆、お彼岸といった墓の前、言葉を掛けたところで返事が返ってくる訳でも無く、やっぱり親孝行も姉弟付き合いも、生きていてこそと思うのでありますよ。歳が離れている分だけ、金銭面や生活面でお世話になったのだけれど、何ひとつ返せぬまま逝ってしまいましたよ。その見返りに夫婦そろって墓参りすることを義務付けられてしまったような気もしますけれどね(笑)


「冷凍たこ焼き」もそれなりのお味です^^;

さて、いつまでも故人の想い出に浸っている訳にも行きますまい。生身の人間が生きて行く以上は、それなりに、もがき苦しまなければならない。「楽しさ半分」「苦しさ半分」なら、人生上々じゃないかとも思う。「苦しいとき」に苦り切った表情をしていては、周りにも重苦しい雰囲気を醸し出してしまうし、「苦しいとき」こそリーダー(家長)は笑っていなければならないんじゃないかなぁ…。
昨日「キュウリの苗木間違っていませんでしたか?」と電話が入ったらしく、「こりゃ~『オラだの農協』職員も大慌てに違いない。」と事務所、担当者に電話を入れるも出ない…もしかして?
案の定、前年の担当職員は離職しておりました。(これで、園芸担当新採職員3人連続の離職でありますよ。)農家も厳しい時だから給料も安い?夏場の出荷最盛期には休みがない?折角の土日休日にも農家から電話が入って対応しなければならない?…農家との泣き笑いを通して、それが仕事のやり甲斐になったならば生き残れるのだろうけれど、事務職を夢見ていたとすれば環境が違い過ぎるんだよなぁ。
『一生の仕事』…実に昭和臭のする表現であることよ。(『おやじぃ』だって、早期退職して『お百姓さん』を志しているのだから、他人のことを言える立場じゃないけれど^^;)「進むべき道が違っていた。」なら、いくらでもやり直せますよ…若いんだから。「この苦しみを乗り越えた先に、明るい未来が待っている。」と言えるのは、労働者としての大方の人生を終えてしまった人間だから言えること。「苦しいときは逃げても良いんだよ。」と若者たちには声を掛けなければならないのかも知れないなぁ…「転職とは決して後悔しないこと。」あれ、どっかで聞いたことのある台詞だぞ?『大ボラ吹ける』のも生きていればこそ、自分を殺しちゃいけないなぁ(笑)

#戦争反対 逃げ出すことは卑怯でしょうか?『愛国心』という美名で、戦地に決して赴くことのない方々に、「戦地に行け」などと言われることは御免被りたい。


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