2度目の挑戦となった北海道マラソン。結果はご承知の通り33km過ぎてすぐに足がつってしまい、昨年と同じくそこで終了となりました。
今回の課題としては、たしろさんにも事前に言われたんですが35kmまでを如何に抑えていけるかでした。ただ私の走力、経験、練習をとってみても35kmまで抑えるどころか、30kmまで走れるかどうかなので目標は15km以降どこまでペースを守るかでした。昨年は15km以降の記憶が全くありませんでした。そして鬼門の新琴似1番通り~追分通りに勝つこと。
スタートしてまず15kmの一条大橋までは自分でも練習のようなペースで余裕を持って通過しました。1kmごとは速いから落としたり、その逆もありで一定しませんでしたが気持ちは余裕。そして昨年記憶が無かった北24条通りも6月の試走のおかげでしっかり周りを見ることが出来、ペースも5分20~30をキープ。今年こそ完走してみせるという気持ちをもって走っていました。
ただ新川通に入ってすぐだったでしょうか、足裏が痛くなってきて、足も張ってきました。ここで靴紐が2回はずれ、結びなおして止まった間にさらに足が重く・・・
そして昨年歩いてしまった新琴似1番通り。ここは長い直線で先の先まで人の波が見えて距離の長さを感じてしまう場所。そして日陰が全く無くなりもっともスタミナが吸い取られる場所。ここで足がやばくなってはいました。でもここは歩くわけには行かない。もう歯をくいしばってる状態でタイムも露骨に落ちてたけどやっと抜けましたが、しかし追分通りに入って稲積橋の上りでもう足が動きませんでした。どんなに自分に罵声を浴びせても足が進みませんでした。ただもしかしたら行くかもと言ってた家族がここを降りたところにいるはず。半泣き状態で何とか走りました。ただ予定された場所に家族の姿は無し。あ~来れなかったんだなと思って通過。第2折り返し過ぎて足も歩いてるかのような走りに。そして稲積橋を降りてすぐの30km関門手前。いました家族と両親が。コースに不慣れな家族が規制の渋滞に巻き込まれ私の来る数分前に到着したそうです。案の定退屈な娘達は帰りたいって言ったみたいですが・・・
「ぱぱ頑張れ~!」って応援してくれたけどもう答える余裕は残ってませんでした。声援をエネルギーに変える力も無かったようです。足もひょこひょこでした。通過した後の、上の娘が言った一言が「ぱぱかわいそう・・・」だったそうです。ごめんね今度は元気な姿で走るから・・・
30km関門通過も昨年と同じ。どうやら31.6kmの打ち切りで今年も終了の気配でした。そして昨年切られた31.6km手前。往路の給水を終えた給水スタッフが1列に並んでハイタッチの声援。く~毎度あなた達は泣かせる演出だよ!2分を残し通過。マイペースで走ってるなら充分な数字だけど、足がやられてる私は抜かされ放題。後ろの方からは○○番歩道に上がってくださ~いのアナウンスがずっと響いてます。もうだめなのは分かってるけど新琴似1番通りには勝って35kmまでは行きたいと、1km/7分にまで落ちてるLAPで走り続けてました。そして33km通過して40秒。何かがふともも裏から競りあがってきてると感じた瞬間バチン!と足が攣り身動き取れないまま終了。また攣ってしまった・・・スタッフにここにいてくださいと言われ1人残された私。すぐ先に33.?kmの打ち切りあるのでそこに人は集まってるけど、攣って歩けません。そんな私におばちゃん2人がずっと話しかけ付き添ってくれました。ふと気づいたらその先にいた選手達が収容バスで出発。あれ?もしかして置いてかれた?その後待てど暮らせどバスは来ない。歩道にいるのは私1人。そしたらおばちゃんたちが警備員に「この子怪我してるんだからスタッフの車とかパトカーに乗せてあげなさいよ!」とか「バス来ないで可哀想だから連絡取りなさい!」とかあれこれ指示してくれました。無理なのは分かってるけど心遣いが嬉しかったな~その間も飴くれたりして。すごい時間が経ってバスが来る直前「また来年頑張ってここ通過するんだよ!」って言ってくれました。また人の優しさに触れた日でした。ただ1番の苦痛は収容バスでした。人がいっぱい乗るので席動こうと思ったらまたしても足が攣り、そして途中では吐き気がぶり返し青ざめ・・・いつスタッフにビニールもらおうかと耐えてました。あまりこのバスのスタッフ横柄で印象よくなかったな・・・
今年は余裕を持って走れてていけると思ったけど、やっぱり25km過ぎたとこで足が止まり、結局昨年からの進歩はあまり見られず。まあ1.5kmほど進みましたけど。自分の道マラ挑戦はまだ早いのかもしれませんね。これから先のことはゆっくり考えます。でも昨日といい、今日といい体のダメージが昨年よりひどく吐き気がずっとあります。もう少し鍛えなきゃダメだな。
でも嬉しかったのは娘の心遣い。帰りにパパ可哀想だからケーキ買ってあげようって言ってシュークリーム買ってくれてました。そして手紙を書いてくれて完走できなかったけど、頑張ってるパパが大好き。見直したよって書いててあやうく泣きそうでした。今度は完走したメダル見せてあげるからね。
昨年はすごく悔しかったけど、今回はこれが実力なんだと受け入れてます。だってペースに余裕もって走っても25kmからダメだったので。悔しがる以前の問題なんだよな~って感じ。他の人と比べても距離少ないもんね練習の。今回完走できなかったらいつする!って気持ちで走ってたので心のダメージは大きいんですが。
一様にお知り合いの皆さん今回は完走してるようです。ちょっと置いてかれましたが来年もし走れてたら3度目の正直目指して頑張ります。
LAP
スタートロス 2分13秒
1km 5分41秒
2km 4分45秒
3km 5分10秒
4km 5分21秒
5km 5分09秒
6km 5分40秒
7km 5分03秒
8km 5分21秒
9km 5分10秒
10km 5分03秒(10km通過54分41秒)
11km 5分37秒
12km 4分36秒(速すぎだろ)
13km 6分06秒(遅すぎだろ)
14km 5分25秒
15km 5分13秒
16km 5分15秒
17km 5分51秒
18km 5分25秒
19km 5分24秒
20km 5分16秒(20km通過1時間48分)
21km 5分45秒
22km 5分32秒
23km 5分12秒
24km 5分47秒
25km 5分37秒
26km 5分56秒
27km 5分36秒
28km 7分01秒
29km 5分55秒
30km 6分32秒(30km通過2時間47分)
31km 6分58秒
32km 6分33秒
33km 7分15秒
33・? 40秒
今回の課題としては、たしろさんにも事前に言われたんですが35kmまでを如何に抑えていけるかでした。ただ私の走力、経験、練習をとってみても35kmまで抑えるどころか、30kmまで走れるかどうかなので目標は15km以降どこまでペースを守るかでした。昨年は15km以降の記憶が全くありませんでした。そして鬼門の新琴似1番通り~追分通りに勝つこと。
スタートしてまず15kmの一条大橋までは自分でも練習のようなペースで余裕を持って通過しました。1kmごとは速いから落としたり、その逆もありで一定しませんでしたが気持ちは余裕。そして昨年記憶が無かった北24条通りも6月の試走のおかげでしっかり周りを見ることが出来、ペースも5分20~30をキープ。今年こそ完走してみせるという気持ちをもって走っていました。
ただ新川通に入ってすぐだったでしょうか、足裏が痛くなってきて、足も張ってきました。ここで靴紐が2回はずれ、結びなおして止まった間にさらに足が重く・・・
そして昨年歩いてしまった新琴似1番通り。ここは長い直線で先の先まで人の波が見えて距離の長さを感じてしまう場所。そして日陰が全く無くなりもっともスタミナが吸い取られる場所。ここで足がやばくなってはいました。でもここは歩くわけには行かない。もう歯をくいしばってる状態でタイムも露骨に落ちてたけどやっと抜けましたが、しかし追分通りに入って稲積橋の上りでもう足が動きませんでした。どんなに自分に罵声を浴びせても足が進みませんでした。ただもしかしたら行くかもと言ってた家族がここを降りたところにいるはず。半泣き状態で何とか走りました。ただ予定された場所に家族の姿は無し。あ~来れなかったんだなと思って通過。第2折り返し過ぎて足も歩いてるかのような走りに。そして稲積橋を降りてすぐの30km関門手前。いました家族と両親が。コースに不慣れな家族が規制の渋滞に巻き込まれ私の来る数分前に到着したそうです。案の定退屈な娘達は帰りたいって言ったみたいですが・・・
「ぱぱ頑張れ~!」って応援してくれたけどもう答える余裕は残ってませんでした。声援をエネルギーに変える力も無かったようです。足もひょこひょこでした。通過した後の、上の娘が言った一言が「ぱぱかわいそう・・・」だったそうです。ごめんね今度は元気な姿で走るから・・・
30km関門通過も昨年と同じ。どうやら31.6kmの打ち切りで今年も終了の気配でした。そして昨年切られた31.6km手前。往路の給水を終えた給水スタッフが1列に並んでハイタッチの声援。く~毎度あなた達は泣かせる演出だよ!2分を残し通過。マイペースで走ってるなら充分な数字だけど、足がやられてる私は抜かされ放題。後ろの方からは○○番歩道に上がってくださ~いのアナウンスがずっと響いてます。もうだめなのは分かってるけど新琴似1番通りには勝って35kmまでは行きたいと、1km/7分にまで落ちてるLAPで走り続けてました。そして33km通過して40秒。何かがふともも裏から競りあがってきてると感じた瞬間バチン!と足が攣り身動き取れないまま終了。また攣ってしまった・・・スタッフにここにいてくださいと言われ1人残された私。すぐ先に33.?kmの打ち切りあるのでそこに人は集まってるけど、攣って歩けません。そんな私におばちゃん2人がずっと話しかけ付き添ってくれました。ふと気づいたらその先にいた選手達が収容バスで出発。あれ?もしかして置いてかれた?その後待てど暮らせどバスは来ない。歩道にいるのは私1人。そしたらおばちゃんたちが警備員に「この子怪我してるんだからスタッフの車とかパトカーに乗せてあげなさいよ!」とか「バス来ないで可哀想だから連絡取りなさい!」とかあれこれ指示してくれました。無理なのは分かってるけど心遣いが嬉しかったな~その間も飴くれたりして。すごい時間が経ってバスが来る直前「また来年頑張ってここ通過するんだよ!」って言ってくれました。また人の優しさに触れた日でした。ただ1番の苦痛は収容バスでした。人がいっぱい乗るので席動こうと思ったらまたしても足が攣り、そして途中では吐き気がぶり返し青ざめ・・・いつスタッフにビニールもらおうかと耐えてました。あまりこのバスのスタッフ横柄で印象よくなかったな・・・
今年は余裕を持って走れてていけると思ったけど、やっぱり25km過ぎたとこで足が止まり、結局昨年からの進歩はあまり見られず。まあ1.5kmほど進みましたけど。自分の道マラ挑戦はまだ早いのかもしれませんね。これから先のことはゆっくり考えます。でも昨日といい、今日といい体のダメージが昨年よりひどく吐き気がずっとあります。もう少し鍛えなきゃダメだな。
でも嬉しかったのは娘の心遣い。帰りにパパ可哀想だからケーキ買ってあげようって言ってシュークリーム買ってくれてました。そして手紙を書いてくれて完走できなかったけど、頑張ってるパパが大好き。見直したよって書いててあやうく泣きそうでした。今度は完走したメダル見せてあげるからね。
昨年はすごく悔しかったけど、今回はこれが実力なんだと受け入れてます。だってペースに余裕もって走っても25kmからダメだったので。悔しがる以前の問題なんだよな~って感じ。他の人と比べても距離少ないもんね練習の。今回完走できなかったらいつする!って気持ちで走ってたので心のダメージは大きいんですが。
一様にお知り合いの皆さん今回は完走してるようです。ちょっと置いてかれましたが来年もし走れてたら3度目の正直目指して頑張ります。
LAP
スタートロス 2分13秒
1km 5分41秒
2km 4分45秒
3km 5分10秒
4km 5分21秒
5km 5分09秒
6km 5分40秒
7km 5分03秒
8km 5分21秒
9km 5分10秒
10km 5分03秒(10km通過54分41秒)
11km 5分37秒
12km 4分36秒(速すぎだろ)
13km 6分06秒(遅すぎだろ)
14km 5分25秒
15km 5分13秒
16km 5分15秒
17km 5分51秒
18km 5分25秒
19km 5分24秒
20km 5分16秒(20km通過1時間48分)
21km 5分45秒
22km 5分32秒
23km 5分12秒
24km 5分47秒
25km 5分37秒
26km 5分56秒
27km 5分36秒
28km 7分01秒
29km 5分55秒
30km 6分32秒(30km通過2時間47分)
31km 6分58秒
32km 6分33秒
33km 7分15秒
33・? 40秒