吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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序 鵜戸神宮にて No582

2022-11-09 13:03:09 | 神霊界考察
2022年の6月24日の18:30分に取り敢えず鵜戸神宮に伺ったのだが
18時閉門で予想通り閉まっていた。
40年前までは24時間いつでも開いていて何度か深夜に訪れている。
ここは人里から離れているので天空の星が綺麗で感動したものである。
添付写真は次の日に撮影したものであるが
この日この前に立った瞬間に一筋の涙がこぼれた。
不覚にも(情けないことに)無自覚憑依されてしまったようだ。



何を訴えているのであろうかと訝しんだが
理由はすぐに分かった。

  神々の系図

それはこの系図を示していた。
貶められた海幸彦から繋がる吾平津姫 そして手研耳命!!
神武天皇の正統後継者の手研耳命は嫡子から庶子にされ暗殺されているのである。

私は旅をしなければならない。
それが地理的な旅なのか時空的な旅なのかは判らない。
海幸彦 吾平津姫 手研耳命の怨念の浄化の旅である。

最初の写真にある埴輪は豊玉姫となっている。



なぜ龍宮の豊玉姫は海神系の海幸彦でなく山幸彦を選んだのであろうか?
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36 コメント

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158 (さくら)
2022-11-09 16:32:59
鵜戸神宮神犬石の写真懐かしいです。
同じショットで撮りましたが、豊玉姫の埴輪には気が付きませんでした。
偶々昨晩、赤銅色の皆既月食の夜に、鵜戸の御神霊から出された課題「先生へのお便り158」の事を思い出していました。
慰霊の旅に出たいとおっしゃっていたと思います。
ここに結びついてくるとは・・・
神話の豊玉姫は釣り針を失くした山幸彦を選んだお話しは、私も気になっていました。

私も近々、滋賀米原霊仙山登山(国防祈願)と京都霊鑑寺(うさぎと妙見)に行く予定です。紅葉楽しみにしています。
そういえば、明治竜の銀coin20銭、やっと手に入れることが出来ました。
ネットでなく、現物をみることに拘ったため、時間がかかりました。財布に入れずに眺めて楽しんでいます。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-09 23:12:24
福銭として紹介した旭日竜20銭銀貨でしょうか?
明治3年(4年)に鍛造されたこの銀貨がこれ程精巧で
芸術性に優れていることにとても感動させられます。
意匠的には金貨の方が優れているのですが
金貨は高価すぎるし鋳造し易い分柔らかすぎて福銭としては使いつらいですね。
ところで嗛間(ほほま)神社のこといつ知られましたか?
私は知りませんでした。
吾平津姫が南九州から神武東征後にこの地に迎えられたとは思いませんが、
封印社を作らざる得ないとは何らかの祟りが有ったのでしょう。
返信する
玉藻 (さくら)
2022-11-10 18:48:56
流石!鋭いところをついてきます。
古銭売り場でみた明治銀龍20銭コインですが、少なくて8枚ぐらいしかありませんでした。
10銭は大きさが小さくて、鑑賞には向いていませんね。大きさや竜のパワー的にやっぱり、20銭だと分かりました。
その8枚もお値段が高いのです、1万から5万円。
私の購入はお安い、最底辺のお値段です。
吉田様は、良いものを1800円と1950円で送料込みで購入していましたね。
超お得だと思います。
私は開運とか福銭、種銭を狙っていなくて、龍の鱗模様と玉、宝珠と目玉がくっきりはっきりしているものを選びました。同じ値段で美しいものもあったのですが、龍の意匠のみ鑑定です。舐めるように見て決めたのですが、、お値段的に旭日ではないのです。
旭日はお高いのだと思います。
コインの製造枚数によって値段が変化すると言ってました。特に、明治7年と8年ものは高騰と言ってたような。
東の窓のところに立てかけて置いて眺めています。
東なので、青龍ですね。
裏の菊の模様は、旭日に似てるのでオッケーにしてます。
財布用にまた、希少な旭日銀龍20銭コインをゲットしたいと考えています。
財布には、メープルリーフ金貨を入れてます。

嗛間(ほほま)神社
については、コメント残しています。
参考 白澤 NO546
2020年7月9日のコメント
「生根神と笹もしくは酒」からですね。
神武天皇⇒宇治宿禰⇒美保主命⇒阿蘇品家⇒坂梨(平)⇒吾平姫⇒嗛間(ほほま)神社ここから最後玉藻塩になっています。
玉藻前は、吉備真備についてきた白尾の狐ですね。
私は課題でした158について、考えていて、、
100をモモとして考えていると、繁昌神社の神紋の桃の由来を調べていました。
班女という中国の故事がでてきたのです。
貴船神社の奥の院には、「鉄輪」「かんなわ」の逸話があります。鉄を神、カンと読んでいて、、
ここは呉音霊の暗黒面として登場します。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-11 02:47:45
返信回答有り難うございます。
阿蘇の坂梨から平を想定しそれが吾平津姫とつながるのは
なかなか理解に至りませんが、
吾平津姫からアスカの封印社の嗛間神社に繋がるのは
更に驚きました。
吾平津姫について他に記載した記憶はおありでしょうか?
吾平山稜は宮崎と鹿児島と熊本の山鹿に存在しますが
女王の吾平津姫の陵墓を護るために3箇所に分骨したように感じられます。
縄文系は女系継承で春秋呉系姫氏は男系継承であり
それで九州で一族がうまく融合していったのだと思います。
神武天皇は東征したという話ですが、
どんどん征服して拡大していくのではなく
敵は大阪奈良の登美能那賀須泥毘古軍だけです。
ということは長髄彦はそれまで中央を治めていた王で
その王権をコソッと近付いて奪ったといえますが
九州の王権を神武が持っていたのなら放棄したということでしょうか。
多分九州は女王国なので男子王子はスピンアウトする習わしだったのではないでしょうかね。
そうでないなら兄弟子供揃って出奔するはず無いですよね。
返信する
深い洞察ですね (さくら)
2022-11-11 19:54:32
吾平津姫について記載したのは、呉音神祭祀の神籬NO43六なのですが、、、
記事の吉田様の返信を読んでいて、何を言わんとしていたのかやっと理解しました。
その時は、返信の理由がよくわからず、勉強が足りないという言葉に腹が立って、天皇について知りたいなんて思っていないと反発していました。

吉田一氣 (さくら様への返信)
2017-01-02 14:52:55
縄文時代は1万2500年継続したのに対して
弥生時代は600年
古墳時代は400年程度です。
三国時代の呉系は弥生から古墳時代にかけてですが
呉音霊の主体となった春秋の呉が滅びて
日本に渡来するのは紀元前5世紀の縄文時代で
縄文時代に融合していっています。
約7300年前に喜界カルデラの大噴火で九州は
完全壊滅しています。
その後数百年以上は人が住めない状況が継続しています。
ここに流れこんで文化を築きあげた人たちは
日本本土からの流入と江南からの呉系ということになります。
私の祭祀する呉音霊とはこの時代を背景としています。
周はこの時代に合致します。
従って考察するなら三国時代の呉や三国時代の姫氏を
そぎ落とす必要があるでしょうし
それが困難なら考察しないことです。
どうも上記文章を推察する限りにおいて
呉音霊祭祀の時代背景の咀嚼が足りないように見受けられます。
最初の姫氏到来から天皇誕生までの700年間。
血統をつまびらかにすることなど
出来ないことのように思えます。
自らの足と考察で神秘を解き明かしていく努力が
望まれます。

※ここで、三国時代の呉をそぎ落とすことができないなら、考察するなと言っています。
確かに、私は三国時代の呉を考察していたのですが、、それは自分の出自に関わるからです。
神霊世界を旅するときに、よその人の背景を考察する方がよっぽど危険で自分を守る守護霊界から追放され発狂すると思っています。
四天王寺の舞楽をみると、周、春秋呉系の祭祀だったようですけどね。三国の呉ではなかったですが、、、

今回の返信もしっかりと、春秋呉系姫氏(周)は男継承と記載されていて、あやふやな私(呉の時代を理解していない)と違い、理詰めで良い感じですね。
返信する
相良、アイラと言葉が降りてきて書いたコメント (さくら)
2022-11-11 21:42:46
呉音神祭祀の神籬のコメントから
確か明け方潜在意識で、吾平、あいら、相良し、と言葉を聞いて、それを「ことたま神」と言い換えて、コメント書きました。それで、愛、逢、藍を書いていますね。

ことたま神との約束 (さくら)
2017-09-06 11:30:24
神様との約束は必ず守ります。
だから、次に繋がると思っています。
むちゃぶりも結構多くて、実際悩みますけど。

『呉藍』からの感応を書いておきます。
「藍千尋」2016-12-28 09:59:33
この私のコメントがすぐ浮かびました。
前日の夜に深い深い海の底の龍宮のイメージと中国のイケメン壮年仙人「呂」(八仙)との会話と「藍采和」(八仙)を絡めて書きました。
藍色の深い青、海への神秘といえばいいのでしょうか、、会話の状況は深い深い海の底です。
「あらゆるものが深い。知識、造詣、智慧そして愛が。
いつか藍が深まり青になるように。やがて青い花を咲かせるだろう。魔性の禁断の青の花を。それをいつか私に見せて欲しい。名を呼べば呼ぶほどにその花はあでやかに美しく咲くだろう。その花が咲くときにまた会えるだろう。」こんな感じのことをイメージが頭の中に入ってきたのです。今でも思い出せます。藍は愛であり相なのだろうと今は思っています。

私にとっての藍色は、四国徳島での藍染を思い出しました。その深い藍色は、香川の「琴平宮」「金刀比羅」さんに繋がり、クンピーラ八尋鰐であり、豊玉姫さんに繋がりました。龍宮の泡。

私に三の輪をくくるようにイメージが浮かんでいました。三輪明神=大物主。琴平さんの神仏習合です。
それと言葉で「スクナビコナ神事」とだけ伝えられました。
祭祀ではなく神事でした。
これを今から組み合わせていきます。
まだ、詳細はわかりません。
でも、早くしないといけないようです。
Next Stage With You→このYouも何を指すのかはまだ分かっていません。
『呉藍』を絡めての現在の私の感応はこんな感じです。
今回は「紅」は出てきません。「紅」をしいて言えば、豊玉姫さんの赤のイメージでしょうか。
私の感応ですので、自己満足です。ことたま神と約束しましたので、こちらに書かせて頂きました。いつも、有難うございます。


少彦名神 (さくら)
2017-09-09 13:31:53
少彦名神と神功皇后で調べ物をしていました。
最近は、言葉だけ降りてくるのですが、
「出口王仁三郎」「相良の神」「すくなひこな神事」
熊本の相良村に「淡島神社」があるのです。
所在地は球磨郡山江村万江

ここが気になります。女性のための神社なので、代行はお頼みしまませんが、何か情報がおありでしょうか?
いつかお手すきの時にでも、何かご存知でしたらお知らせください。


そこから、ずっと「あいら」をコメントし続けて、
吉田さまから「あいらとびかずら」を教えていただきました。

吉田一氣 (さくら様への返信)
2017-09-16 20:11:15
そういえば呉音神がらみで相良というなら
私は相良トビカズラをイメージします。
このブログでも何度か話題になっているはずの
優曇華(うどんげ)のことです。
検索してみると2016-08-31 09:33:56に
『空海と遣唐使船 No443』でさくらさまが以下コメントされています。
「法華経」にある、三千年に一度しか咲かない「優曇華」の花が現れたとき、
金輪王がこの世に現れるとゆうお話があったような、、」

トビカズラは中国の長江流域が原産地です。
以下文章は私の意見と被っているのですが
『076 アイラトビカズラは呉太伯の裔が持ち込んだ!』
https://ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-11896524274.html

現実に (さくら)
2017-09-16 22:26:45
実は偉大な力を見せつけられるのです。
奇跡のような出来事。金銭に関する数字なのですが、ありえないほどのまさかが起こるのです。最近も神降臨の出来事がありました。
それも、巨大な金額です。
いつも、御神霊に応援してもらっていると解るのです。
それで、頑張れるのです。
いつも有難うございます。
「呉」の神様と「アイラトピカズラ」ですか。
全く気がつきませんでした。一応「相良とぴかずら」の文字を見た記憶はあります。ここにコメント書いて教えていただけて幸運でした。九州に「あいら」と呼ぶ地域もありますね。
熊本直撃の台風がそれてよかったですね。
勢力もそがれていますね。

※この頃は、言葉だけのお知らせで、頑張って考えていました。
返信する
吾平山 (さくら)
2022-11-11 23:43:47
上記のアイラの言葉の下準備があり、、
2019年訪問の鵜戸神宮の神犬石から入る摂社が、吾平山陵と書いてあり、、、それも神犬が鵜戸神宮を見守っていると書かれた看板でした。
戌、犬については、夢で見たのです。
これもコメントに記載しました。2018年1月2日満月に高野山訪問しています。
その高野山二回目訪問後に、結願は何かと調べていましたら、宇陀の平井大師山88か所、そこの長が平がつくお名前で母の旧姓でした。
宇陀に阿蘇神社の水神、雷神がありました。
その後、また父方母方の名前がでてきたのが、山鹿市の温泉でしたので、山鹿温泉に調査ついでに、豊玉姫の洞窟を検索していて、出口王仁三郎さんの山鹿市訪問の記事を読んで、吃驚していたのですが、、洞窟に行き、初めて裏が吾平山だと理解したのです。自分の名前、吾平と豊玉姫が結びついた。
と言う経緯でした。長い時間がかかっています。

2019年鵜戸神宮参拝前に油津の海沿いの神社を調べていて、吾平津姫が、油津と重なっていることを知り。

若狭の語源が「あ、いぬ」語と言うのも知りました。

宮崎の都井岬にも行きましたが、その時に都井は「土肥」が本当の名前だと知ります。
日向の駒が居ました。蘇鉄も群生していました。
そこは、住吉三神のお名前が書かれているのですが、三神とも海神(わたつみ)が名前に入って書かれていました。
私が「ほほま神社」(御所市柏原)のコメントを記載するときに「生根神と笹もしくは酒」は自分の産土神の住吉神社の考察から入っています。
返信する
<(_ _)> (さくら)
2022-11-12 12:37:57
深い洞察ですね (さくら)
2022-11-11 19:54:32
コメントについてのフォローをしておきます
<(_ _)>

※その時は、返信の理由がよくわからず、勉強が足りないという言葉に腹が立って、天皇について知りたいなんて思っていないと反発していました。

この「吾平」について色々と思い出すまで、その時のことはすっかり忘れていました。
なので、この記事「序 鵜戸神宮にて」の前の記事三日間限定の記事が存在して、私は今更ながら復習していました。
それなのに、やけにつっかかってしまって申し訳ないです。
今更ながら謝ります<(_ _)>
言わしていただくのなら、「三国の呉」も半島ではないということです。長江が源とはっきり書いています。
文献など呉織姫は半島がよくでてきますが、、実際の現地の教育では違いますし。本当のところはグレーにしています。それは日本人の智慧なのかもしれないですね。白黒はっきりさせないで、なぁなぁな感じでそれでも真実を知りたい人にのみ、どこか違う方向からこっそり知ることが出来る感じですね。
それで、私の研究に役立ててほしいと秘匿なことも教えていただいています。
相手から探りを入れられて、力量を試されるみたいです。

昨晩過去コメントを記載して、ことたま神=吾平姫=乙姫として、思考していたようです・・・
ことたま神のことを記載したのは、、
「呉言霊から分霊され右回りの鬼子になった摩多羅神」NO471になります。

呉言霊 (さくら)
2017-09-04 08:49:28
まだ、記載途中ですが、吉田様の説では円仁が召喚した摩多羅神は「呉ことたま神」ではないということですね。

私の呉音神祭祀の神籬は終了となりまして、次に新しい神籬のイメージが出てきています。まだ、詳細はわかりませんが、多分もう一段階難しい合わせ「和、相生、相良」だと思います。御神霊はえらく焦っているのは伝わります。

ここで、「相良」と書いています。
すくなひこ神事をするように示唆されて、わけがわからなくて、ヒントを探していたのだと思います。
色々と懐かしいことばかりです。
結局、その時の三つの輪をくくれという事で、選ばれた人たちに私からお声を掛けましたが、私以外のお二人共に拒否されましたので、この三輪のすくなひこ神事は私一人で決行したという事になります。
牛王神、アラハハキ神を頼りました。
男系姫氏と女系縄文神ですかね。
その後、三人で三輪神業のやり直しをしました。
8805
返信する
言霊の里 (さくら)
2022-11-12 22:23:45
過去に相良=愛・藍=乙姫=言霊神=ことたま神
として考えていました。
「ことたま」がでてきましたので、3月26日の続きを記載しようと思います。

狗奴国を「くなこく」を「いぬこく」と読む理由
藤田乙姫は七色の虹 (さくら)
2022-10-05 07:19:23
このコメントの続きになります。

兜跋毘沙門天とグアダルーペマリアと金色琵琶湖女神との相関
義理立て (さくら)
2022-10-18 16:30:18
2020年10月7日に自宅で「吾平祭祀」をしたのですが、、

私が21歳頃の深秘は、別の話であり、そこでの感じた質が、吉田様と藤田妃見子さんと同じであり、それは綿あめが消えてなくなるような、雲をつかむような繊細な感覚ですけど、、
これと、今回の義理立てした10月7日とは違います。21歳の深秘には、神功皇后がでてきます。
藤田さんは神功皇后と静御前の間に石碑を立てました。
私はそれが妙に嬉しかったのです。

このコメントの根拠となる出来事ですね。
私の21歳から23歳頃なのですが、、幅がありますが、社会人として稼いでいた独身の時ですね。
神呪寺で女王コインを拾い、そのコインに刻まれている年に合わせて、とりあえず21歳の深秘としています。
21歳の頃、新聞を読んでいてとても気になる記事があり、それを切り抜いて何度も読み返していました。その内容は、私費で神社を建立したというお話しでした。

藤田妃見子さんで検索していると、
「言霊の里」がでてきました。
http://www43.tok2.com/home/manyohi/gembox-kahi-news-k-029r.html
この記事を見たときに、私が21歳頃に切り抜いて読んでいた私費の神社だと分かりました。
場所が曽爾高原の近くで、
奈良県宇陀郡曽爾村長野地区内 隼別神社境内「言霊の里」内
吾平を追い、宇陀の阿蘇神社に導かれた私。
吾平を追い、山鹿温泉に行く前に菊池の神龍八大龍王神に行き、そばの長野神社にお参りしました。
隼人の字が使われた神社の名称、「隼別」
岐阜の市早雄命の古墳に行きました。蘇我氏をお祀りする場所、日子坐王の系譜。
蘇我倉山田石川麻呂の日向の封印3月26日。

曽爾はソニトリ、石でなく鳥の翡翠(かわせみ)は魚狗、川蝉と読みます。
ソニ色の鳥(翡翠)は、いぬでセミでした。

乙姫藤田后歌  コスモスの花咲きみてり乙姫の七色の虹世界をつつむ (乙姫 藤田妃見子)
※コスモスは宇宙を表していて、夜空の星のことも含むでしょう。般若寺はコスモスで有名です。ホウショウ山般若寺に出向きました。
鬼⇒般若
桃尾の瀧の白龍権現、奥に国見山の頂上、巨石群があり、御山大神。
七色の虹は、7777で送られた虹龍の世界。

神武天皇歌   葦原の密しき小屋に菅畳いやさや敷きて我が二人寝し(古事記中巻)

神功皇后歌 この御酒は我が御酒ならず酒の司常世に座す石立たす  (日本書記第九)
少名御神の豊壽き壽き廻し神壽き壽き狂ほし獻り来し
御酒そ残さず飲せささ

本居宣長歌碑  敷きしまの倭こころを人とはば朝日ににほふ山さくら花
         
明治天皇歌   さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり
※明治銀龍コインを購入したので引用。やっぱり旭日が良いですね。1133


  
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-13 01:54:47
隼別神社の情報ありがとうございます。
先日滅多に見かけないはずの翡翠(かわせみ)が
目の前の木に飛んできてこちらを覗っていたのも
魚狗を暗示しているのでしょうかね。
しかしなぜ曽爾村長野の若宮神社が近くに存在するのに
隼別神社を造営するに至ったのか興味が湧きました。
ネット検索では平成2年に奈良市高畑町の
寺島富郷が私費で建立したとありました。
寺島さん夫妻は縁あって曽爾を訪れた際に
古い石組みがあるのを見て隼別皇子を祀った跡に違いないと思い、
社を建てる決心をしたらしいですね。
屏風岩公苑の中の早高神社ももとは隼 鷹だったのではないでしょうか。
隼別皇子の逃避行の相手は雌鳥皇女でやはり鳥です。
民のかまど伝説の仁徳天皇は鷦鷯ですからこれも鳥。
雲雀は 天に翔る 高行くや 隼別 鷦鷯取らさね
隼は 天に上り 飛び翔り 斎が上の 鷦鷯取らさね
出来過ぎた討伐伝説の裏を勘ぐります。
ところで
寺島富郷さんが藤田妃見子さんの歌碑を建てたのでしょうかね。

たぶん隼人の阿多君の調査に役立つ情報だと思います。
ところで木花開耶姫も神阿多都毘売と呼ばれますから
吾平津媛と同じく縄文系の女王だった可能性が高いと感じています。

人吉の淡島神社には数回参拝しています。
淡島願人がこの地まで来たのではないかと感じています。
ちなみに熊本県宇土市の粟嶋神社も淡島願人由来だと思います。
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