吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

序 鵜戸神宮にて No582

2022-11-09 13:03:09 | 神霊界考察
2022年の6月24日の18:30分に取り敢えず鵜戸神宮に伺ったのだが
18時閉門で予想通り閉まっていた。
40年前までは24時間いつでも開いていて何度か深夜に訪れている。
ここは人里から離れているので天空の星が綺麗で感動したものである。
添付写真は次の日に撮影したものであるが
この日この前に立った瞬間に一筋の涙がこぼれた。
不覚にも(情けないことに)無自覚憑依されてしまったようだ。



何を訴えているのであろうかと訝しんだが
理由はすぐに分かった。

  神々の系図

それはこの系図を示していた。
貶められた海幸彦から繋がる吾平津姫 そして手研耳命!!
神武天皇の正統後継者の手研耳命は嫡子から庶子にされ暗殺されているのである。

私は旅をしなければならない。
それが地理的な旅なのか時空的な旅なのかは判らない。
海幸彦 吾平津姫 手研耳命の怨念の浄化の旅である。

最初の写真にある埴輪は豊玉姫となっている。



なぜ龍宮の豊玉姫は海神系の海幸彦でなく山幸彦を選んだのであろうか?
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豊玉姫の涙 (さくら)
2023-03-09 09:11:33
気になり、九州と四国というか瀬戸内海の豊玉姫を祭祀するシャーマンの事を一晩考えましたが、
今までの思考と言動が一致しないので、納得できないでいます。
それは、天津族と平津族ということなのでしょうか?
天津族は、天御中主神を造化三神として信仰する一族であり、国常立尊、丑、牛頭をシンボルとしているのでしょうか?妙見であり、星なのか・・・服部、衣、蚕、はとり、鳥です。ヘビと鳥と太陽信仰です。
亀の背に乗るのは、浦島太郎です。

平津族は、私の感性で追いかけている吾平津媛ではないと吉田様が判断されましたので、今まで感じてきた平津族は天津族だったのか・・・と思い直しています。
返信する
神功皇后が誅殺した意味 (さくら)
2023-03-08 23:13:15
嗛間神社に祀られる吾平津媛
結婚を憎む女性の象徴です。既婚者を憎む役割
既婚者を嫉んでいるのは、独身者です。
神話で言うと、姉の岩長姫になります。

今までの経験から言うと、岩長姫は九州の田油津姫のことのようです。田油津姫は、四国の阿比良依姫が祭祀する玉(縄文の蛇巫女)を奪ったという事ですね。四国の阿比良依姫の系統が息長系統だと感じているので、ここで漸く、神功皇后が田油津姫を誅殺したことの意味を理解しました。
本当に殺したのではなく、それは巫覡・シャーマンとして祈祷世界で生きていけなくなったという事です。
同族なのに誅殺?と不思議で、ずっと保留にしていたことです。

それは感覚で、伊須気余理姫=阿俾良依姫と仮定したからです。

それで、吾平津媛は田油津姫の系統であり、神話の姉、岩長姫。
阿俾良依姫は伊須気余理姫の系統であり、阿多、吾田津姫=木花開耶姫。神話の妹。

田油津姫と吾田津姫も似ていますが、微妙に違うのですね。嫉妬に依る内紛があったのでしょうね。
返信する
嗛間を調べていました (さくら)
2022-12-29 21:03:04

中日辞典
(名)猿類の頬袋。
ほっぺたのことですね。
漢字倶楽部
ふく、む。うら、む。へりくだ、る。
意味
①足りない
②ふくむ。口に物を含む。
③あきたりる。満足する。

ほっぺたで調べますと、、
①ほほじろさめ ネズミサメ科
②ほおじろ すずめ科
③ほおずき 果実を鳴らして遊ぶ子どもの頬の様子から、「ほおつき」(頬と目つき、顔つき、などのつき)
ほおずきは鬼灯、鬼橙、酸奬。カガチ、ヌカヅキともいう。
赤い果実から、火火であり、「つき」は染まるという意味。
ホホ(カメムシの類)と言う虫がつくことを指すとする説もある。ほおづきかめむし

ニジュウヤホシテントウの寄主植物の一つで、葉にはルテオリン7–O–グルコシドという摂食刺激物質を含んでいる

中国の方言では酸漿の名のほかに「天泡」(四川)「錦燈籠」(広東、陝西)「泡々草」(江西)「紅姑娘」(東北、河北)などとも言い、英語では Chinese lantern plant とも呼ばれている。

古語では「赤加賀智(アカガチ)「輝血(カガチ)」「赤輝血(アカカガチ)」とも呼ばれていた。八岐大蛇のホオズキのように赤かった目が由来とされている。

実は赤い玉ですね。

神武天皇の秋津洲の蜻蛉の臀呫のお話しに結びつきますね。秋あかね・・広島の安芸、紅葉、秋。
蜻蛉は尾と口で臀呫するのです。音、口(発声)
八岐大蛇の尾には、剣があり、、
口は玉を含むのでしょうかね。

縄文の蛇信仰、火の信仰、八岐大蛇(水神)と重なります。

鵜戸神宮では、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺でした。
『仁王護国般若波羅蜜多経(ごこくはんにゃはらみったきょう)』『仁王護国経』『仁王般若経』などともよばれ、鳩摩羅什(くまらじゅう)の漢訳と不空(ふくう)の漢訳との二部が伝えられている。天台宗は前者を用い、真言宗は後者を用いる。この経は八品(ぽん)(章)からなっており、その主旨は、大乗仏教の般若思想を強調するものであるが、それと同時に、なかに「護国品(ごこくほん)」なる一品があり、護国思想および鎮護国家の必要性を強調していることが特色である。このために、平安初期の真言、天台の両宗はこぞってこの経を重視し、この経典をもとにして仁王会(にんのうえ)などの法会(ほうえ)を修し、国家の安泰を祈願し、現在まで続いている。『大正新修大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』第八巻に前記二部の漢訳経典が収められている。

 なお、不空訳の『仁王経』儀軌(ぎき)をもとに描かれた『仁王経曼荼羅(まんだら)』(平安時代作)が醍醐寺(だいごじ)にある。

※年明け早々、醍醐寺で修行された住職とお話しして聞いて来ようと思います。

ところで、吉田様と奈良の打ち合わせをしたいのでメールをお送りしたいのですが、
よろしくお願いいたします。
返信する
富士山のトヨタマヒメ (さくら)
2022-12-28 20:39:44
殺生石と鎌倉地蔵の再封印に関わるのか、、
私が四国愛媛県松山に一人で出向いたのですが、、
その時に、手に余るほどのお土産を沢山頂き、
私は京都の伊勢丹から、蓮根の御菓子、笹の葉にくるまれたモノをお送りしました。

そうしますと、友人から御礼と「西湖」の説明書きがわざわざ送られてきました。
〈西湖〉は中国・杭州の景勝地で、蓮の花が浄土のごとく咲き誇る美しい湖が名前の由来です。蓮は泥にまみれず清らかに咲くことから、花の君子として尊ばれ、愛されてきました。紙箱には、数ある花の中で蓮を最も愛した中国・北宋の儒学者・周敦頤の「愛蓮説」が記されています。

わざわざ、「西湖」を送ってきたことに神意を感じて、検索をかけますと、、
富士山の麓、西湖があり、
樹海 龍宮、水の神「豊玉姫」がお祀りされているのです。
https://4travel.jp/travelogue/10771552
コウモリ穴という洞窟があるようで、、
コウモリ塚は岡山にある古墳です。
私の先祖が関係すると思っている場所です。
そこを訪れたとき、飛鳥の風を感じました。
私は一連の殺生石の流れは、3月5日の桃尾の瀧から始まっていますが、、最後、富士山の豊玉姫がでてきたので、安心していました。
友人から日帰り弾丸旅で、紅葉を観に京都に行ったと連絡がきて、「吉備(大臣千手)観音」を張り付けてきました。「きびおとど」と読むのです。
神来も「おとど」なんですけど・・と思いながら、
山門のことも書いていました。
私は、吉備真備の話をして、耶馬台詞を紹介しました。
http://blog.livedoor.jp/ryu3shosetu1/archives/51205266.html
東海姫氏国の謎を解いている最中だと言いました。
返信する
<(_ _)> (さくら)
2022-12-28 17:22:40
返信有難うございます。
私も「なのりそ・ほんだわら・本俵」の事をもう一度考えていたところでした。
というのも、小国の吾平津媛を調べていますと、小国は住吉の国と書かれています。(古墳時代、阿蘇氏が勢力を振るい、四方に兵力をさし向けて征服の手を伸ばしたことが神話に書かれている。阿蘇神社の祭神、建磐竜命が阿蘇の山上から四方を拝し、三方に矢を放たれた。矢の落ちたところが、「御矢の原」(現在の宮の原)で、矢の雄神、水の雄神の二神が命の言いつけで巡視にこられたとき、御矢の原の地主、大河片澄がニ神を迎え伏して、「臣が御手の仲におまかせ給えば、臣が国、小なりとも鄙も、青山四方を巡りて住み吉の国なり、臣従わば皆服し奉るべく・・・」

オキチモズクが志津川に生息していて、それは天然記念物で、髪の毛のようでしたので、オキチモズク(お吉=住吉)の事も調べていました。別名「戌亥泉」で、姑の意地悪で自滅する嫁がオキチです。それで、嗛間神社の別名、海藻のホンダワラで、ナノリソは名乗るの強調語であるのだけれど、否定語として神話では書かれていますので、その血筋以外のものが名乗ってはイケナイと言う風に解釈をしていました。
オキチモズクは「ちすじのり」だからですね。
血筋のような紅い?モズクみたいですね。

嗛間は、ホノオの間。火と火の間の事だと思っているのですが、、日子、天照、太陽の事は隠されているのか、とってかわられたのか?
天孫瓊瓊杵尊の子供たちの名前が、全部「ヒ・ホ・火」が付きます。
ホホデミ・・山幸彦ですね。
彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと、記:天津日高日子穂穂手見命)
この山幸彦のホホは、火が重なっています。
この字の意味は、神武天皇の唄、蜻蛉の臀呫ですか・・
秋津洲。♥を意味しますね。
意味深ですね。
私は山の怪異が色々とございまして、山の中で猿の軍団に威嚇されたのですが、直前に男性と話していたときは、威嚇はありませんでしたので、猿達は女子二人ということで威嚇してきたと思いました。
その直前ハート広場の先で迷いましので、英彦山山中で迷った情景が思い浮かび、頭の中で「笑い声」が聞こえたので、すぐに引き返しました。
※猿の精霊について、白峰神宮の蹴鞠日記によれば、毬を蹴る時に、毬が空間にある時に、顔は人間で手足と身体が猿である童子が出現して楽し気に遊ぶそうで、その童子は庭の樹木がないと現れない⇒木の神と猿童子神のことを考えていて、童子というからにはエナに包まれていているだろう。エナは、うすい膜で、布団のこと。
つまり、真男、真床追衾(まとこおふすま)のこと。それで、天孫瓊瓊杵尊を導いたのは、猿田彦神と言われているのかもしれない。シュウグウ神、宿神、宿曜牛鬼、星祀り、摩多羅神、
木の神は、火の神であり、、
護摩業のホノヲを見ていると、グアダルーペマリアの光背のように、火と虹が一緒になった膜が見えた。火、ほのを、(赤い穂)の中に護摩の木の神が降臨すると加持祈祷僧侶は言っていた。

そらみつ倭の國を、阿岐豆島アキヅシマと・・・
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/tibu1/frame/f000024.html
抜粋
海なき地に島といふ名のあることは、志麻とは、もとは必しも海の中ならねども、山川などにまれ、周れる界隈のある地をいふ名なること、始にいへるが如くなれば、此秋津島なども、山のめぐれるをもていふなり、蜻蛉の臀呫せるが如しとのたまへるも、青山のめぐれる
※青青とした山波のことを、神武天皇は蜻蛉を使った比喩にしてますね。

最近訪問した伊勢志摩の石神神社(相差)で、山幸彦は白玉の君と呼ばれていました。
https://ishigamisan-shinmei.com/history/history4/

平津族ですか・・なるほど、イメージ湧きますね。

海神族の天照大神は、元々慈母なる海照らす・天照らす大神であったのですが、歴史書を変えた半島出身藤原氏推薦の太陽信仰にとってかわられて、古代海神族の天照大神は、ヒコ、日子、ヒルコ、蛭子として水に流されたと思っています。縄文時代に呉の神霊と一緒になり、弥生の食の稲の神様として復活し、仏教でいう天部の荼杵尼天などに習合されていると感じています。この呪術に秦氏・物部氏が咬んでいると思っていますが、、、

御所でしたら、葛城の本拠地ですね。
高天原を感じられると思います。
田の神様、雷の神様・・・

殺生石のある鎌倉地蔵にて再封印は、どの御神霊が感謝されたのでしょうか?
見当はついていますが、、
気になります。
私も鎌倉の名前で封印なのか、、、よくわからないのですが、今年の五月に一人で四国縦断バス旅に行く事になったからです。その場所で鎌倉地蔵と殺生石のことで訪問したと友人に伝えました。
少彦名神を祀る湯神社で竈の神様のお札(伊佐爾波神社)を友人が購入してくれました。
 主祭神 神功皇后じんぐうこうごう
 応神天皇おうじんてんのう
 仲哀天皇ちゅうあいてんのう
 三柱姫大神みはしらのひめおおかみ
殺生石封印祈願は霊界の争いに巻き込まれるんじゃないかなぁ。
腰の痛みは、、、結局叔母様の魂を盗られたワケではなかったのですね。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-12-27 23:06:25
次回奈良に行った際には「ホホマ神社」に参拝して
情報を得てきたいと思います。
嗛間の意味も謎です。

検索では以下のヒットがありました。
(神武天皇が即位後の夏四月、腋の上の嗛間丘に登って国見され
「なんと良い国を得たものだ、内木綿の狭い国だが、
蜻蛉の臀呫のようだ」と言われ、以後この地を秋津州と呼ばれた。
そしてこの丘は国見山と言われるようになった。
御所市に「本馬の丘」があり、「嗛間丘」と伝承する。)
この嗛間丘が嗛間神社の由来としても意味が良く分からない。
嗛と云う字は口にふくむ・あきたらぬを意味しているそうです。

そういえば先週のやりすぎ都市伝説で殺生石が割れたことが
取り上げられていました。
京都の真如堂で片割れの鎌倉地蔵の再封印を行ったので
あの日の夜は祟られて地獄の痛みを経験しましたが
その後にどこぞの御神霊からいたく感謝されました。

宮崎・熊本・鹿児島の吾平山参拝記を書かないといけないと思いながら
まだ一歩がすすめていませんが
吾平山が吾平津媛を祀る山なのに何故か
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の陵墓とされています。
この謎が完全には解けていません。
たぶん平津族と天津族との契約が関係しているのではないかと
感じています。
平津族(仮説)についてはそういうイメージが浮かんでいます。
平家とも霊的に繋がっているような気もします。
そういえば私の亡き父親の名前は平男でした。
血統的に私は平津族にとても縁があるような気がしています。
返信する
ファイト・ソング (さくら)
2022-12-23 21:47:16
言霊の里、藤田妃見子さんと私と吉田様は特殊な意味があるとコメントしました。
吉田様返信
ネット検索では平成2年に奈良市高畑町の
寺島富郷が私費で建立したとありました。
寺島さん夫妻は縁あって曽爾を訪れた際に
古い石組みがあるのを見て隼別皇子を祀った跡に違いないと思い、
社を建てる決心をしたらしいですね。
屏風岩公苑の中の早高神社ももとは隼 鷹だったのではないでしょうか。
隼別皇子の逃避行の相手は雌鳥皇女でやはり鳥です。
民のかまど伝説の仁徳天皇は鷦鷯ですからこれも鳥。
雲雀は 天に翔る 高行くや 隼別 鷦鷯取らさね
隼は 天に上り 飛び翔り 斎が上の 鷦鷯取らさね
出来過ぎた討伐伝説の裏を勘ぐります。
ところで
寺島富郷さんが藤田妃見子さんの歌碑を建てたのでしょうかね。

※吉田様が寺島夫妻の事を書いていて、私も何気に気が付いていましたが(高畑町ってもしかして、、寄進した?)勘がするどいなと思っていました。寺島夫妻が、私費にてこちら鏡神社の比賈神社も建立してたのを調べたのは、本日のことになります。
本日は山羊座の新月です。昨日は、冬至で一陽来復です。
「山羊座の新月」なんて言葉を知ったのは、本物の霊能かもしれないスピ動画を見ていますと、「ホホマ神社」は日本で絶対に行ってはいけない神社と紹介されていたのです。確かに・・この人物よくわかっていると思ってて、今一番良いのは、伊雑宮と言うのです。
確かに、私は年内最後に伊雑宮と伊勢神宮に行く事になっていて、ハハキ神の事を調べていたからですが。
※やはり、本物かもしれないと感じる人物も存在していますので、スピの事を軽く言って申し訳ないです<(_ _)>
ただ私と波が合うだけかもしれないですが・・

確か、あの比賈神社の神像石(かみかたいし)には「池辺王」と書いてあったはずです。
池辺?道君首名?おふどうさん?
えっ?!それも、火雷大神の祠が隠されている感じでチラッと見えるのです。
わざわざ、一人で熊本池辺寺に行きました。それは、「平・比良・たいら・タタラ」を調べるのが主目的でした。

その前に、春日大社の摂社の三輪山の少彦名神を祀る祠でお祈りをしていると、意味ありげに光がさーーーっと刺したのです。それで、合図だと分かって、写真を撮ると、その写した場所は「神功皇后お手植えの楠」と書かれていたのです。
そっくり返りました(-_-;)
返信する
導かれた石碑 (さくら)
2022-12-23 16:19:35
書き損ねました。
大山祇神社には、摂社にて葛城神社と八重垣神社があります。以前、八重垣神社の鏡池について書きましたが、

次は鏡神社の資料を書きます。
この鏡神社は、奈良県高畑町467番地にあります。
藤田妃見子さんの和歌がある{言霊の里}宇陀市長野地区
隼別神社(私費)を建立した人物
実は同じ人
寺島富郷、キヨコご夫妻が私費・寄進で比賈神社を建立しています。
それがこの鏡神社隣に石碑があり、私費、寄進していると書かれて気になっていました。

ここの鏡神社の中にある摂社、火雷社は(平井・飛来・吾平津媛)だと思いました。
囲まれて見えないようになっていました。
ホホマ神社ってこんな感じかもしれないと今は思います。
ホホマ神社は参拝していませんので、感触だけですけどね。
返信する
資料整理 (さくら)
2022-12-23 16:00:35
現地に足を運び勉強してきた資料を読みこんでいて、
補足しておきたいと思います。
まず、大山祇神社の資料にて、、

小千命(おちのみこと)お手植えの楠
大山積神を大三島の地へ勧請された小千命によって植えられたと伝わるもので、その時代は神武天皇東征前と言われる。

大山祇神社は、日本最古の原始林社叢群に覆われた境内に鎮座している。
御祭神は大山積大神一座で、天照大神の兄神に当たらせられる。
又の名を吾田国主事勝国勝長狭命(擬神体)と称し、女木花開耶姫尊を瓊瓊杵尊の后妃として、我が国建国の大神であると同時に、和多志大神と称される地神・海神兼備の霊神であり、日本民族総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げている。

※大三島の現地でいただいた資料にて
天照大神の兄⇒初めて聞きます。
またの名は、吾田が付き、、娘は一人だけであり、姉としての岩長姫の記載なし。
瓊瓊杵尊とはウィキ情報
日向三代の初代。神武天皇の曾祖父。
先代は忍穂耳命

概要
天照大神の子である天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命の子(つまり天照大神の孫)。皇孫(すめみま)、天孫(あめみま)とも称される。高皇産霊尊の意により葦原中国の主として天降(あまくだ)り、日向国の襲の高千穂峰へ至った(『古事記』では高木神の命をうけた天照大御神の神勅)。さらに国を探し求めて吾田長屋笠狭岬へと至り、そこで大山祇神の娘の鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を娶った。二人の間には火闌降命・彦火火出見尊らが生まれた。久しくして崩御。可愛山陵に葬られた。

姉の岩長姫がでてこないので、大三島の祭神、大山積神で考えるにはこちらの記載を抜粋。
吾田長屋笠狭岬へと至り、そこで大山祇神の娘の鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を娶った。

鹿葦津姫(かしつひめ)って、橿原と葦(神武天皇の和歌)で、吾平津媛のような感覚がしますね。
私の母の産土神は御祭神は(饒速日命、幡姫命、鹿屋野姫命)で調べますと、薦神社の薦枕をつくる神事をしてニニ杵尊と関係がありそうなんですね。
キネ神社があります。

それで、吾平津媛=吾田津姫が一緒になってませんか?私の母系の血筋は隼人も、種子田隼人?野間半島は、鹿児島県だし。姶良地区があります。
種子田に、子があるのです。
この「子」は共食いの病気を避けれる繁殖能力、ネズミ算があります。
ネズミは、ネズ、己で、寝ないの意味になります。


高皇産霊尊は皇孫(すめみま)たる瓊瓊杵尊を真床追衾(まとこおふすま)で覆い地上に降ろした。これを天孫降臨と呼ぶ。皇孫は天盤座から天八重雲を押し分けて神聖な道を進み日向の襲(そ)の高千穗峯に天降った。さらに良い国を探し求めて吾田の長屋の笠狭岬に至ると事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と名乗る者が現れた。「国はあるか」と尋ねてみると「ここにあります、思いのままにしてください」と返されたのでそのまま留まることにした。
※事勝国勝長狭は大山積神のことですね。

国には一人の美人がいた。皇孫が「おまえは誰の子か」と尋ねると「カヤノヒメを大山祇神が娶って生んだ子です」と答えた。名を鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名を木花開耶姫という。彼女を気に入った皇孫は一夜を共にした。すると姫は身ごもった。しかし皇孫は「天神でも一夜で孕ませることはできない。それは私の子ではない」と暴言を吐いた。怒った鹿葦津姫は出口のない小屋に籠った上で「私の子が天孫(あめみま)の子であれば傷つかない、そうでなければ焼け死ぬ!」と誓約(うけい)をし小屋に火をつけさせた。三人の子供が無事に生まれてきたので天孫の子であることが証明された。兄の火闌降命は成長して海幸彦に、弟の彦火火出見尊は山幸彦となった。しばらくして瓊瓊杵尊は崩御し、可愛山陵(えのみささぎ)に葬られた。

※大山積神と鹿野姫の娘⇒鹿葦津姫、吾平津媛と仮定します。

神武天皇の后は、吾平(たたら姫)は鹿葦津姫の血筋、血統が正解だと思います。名前を継承しているはず。このタタラ姫を娶るのが、治める国の大王となることが出来ると以前書きました。

もう一つの大山祇神
オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八俣遠呂智退治において、須佐之男命(すさのを)の妻となる櫛名田比売(くしなだひめ)の父母、足名椎・手名椎(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
※これは、出雲の蘇我氏、(潮神。牛尾神。須佐之男)の妻のクシナダヒメ(オロチ、越智族、小千命)との結婚なのかな。

瓊瓊杵尊の妻子
妻:鹿葦津姫(かしつひめ、別名:神吾田津姫、木花開耶姫、記:木花之佐久夜毘売)
大山祇神の娘
火闌降命(ほすそり の みこと、別名:火酢芹命(ほすせり の みこと)、火進命、記:火須勢理命)
海幸彦で隼人の祖(紀)。『日本書紀』本文・第二・第八の一書では第一子、第三・第五の一書では第二子。『古事記』では第二子
彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと、記:天津日高日子穂穂手見命)
山幸彦(紀・記)。『日本書紀』本文・第六・第八の一書では第二子、第二・第三・第七の一書では第三子。第五の一書では第四子。『古事記』では第三子
火明命(ほあかり の みこと)
尾張氏の祖(紀)。『日本書紀』本文では第三子・第二の一書では第二子、第三・第五・第七の一書では第一子。第六と第八の一書では子ではなく兄。
火折尊(ほのおり の みこと、記:火遠理命)
『日本書紀』本文に記載なし、第二・第三・第六の一書・『古事記』では彦火火出見尊の別名。第五の一書では別神で第三子
火夜織尊(ほのより の みこと)
『日本書紀』本文に記載なし、第七の一書にのみ記載、第二子
火照命(ほでり の みこと)
海幸彦で隼人の祖(記)。『古事記』における第一子
返信する
太陽神(あま照玉神)の奇跡 (さくら)
2022-12-09 10:39:18
サッカーの1ミリの奇跡を見せていただいて、どのように転ぶのか様子を見ていました。
イベルメクチンの記事がでてきて、
「コロナウィルスにおもう」を読み返していました。
そこでも、私は愛(藍)と平と呉織(氷)と青き衣と記載していました。
遠回しに吾平姫(言たま神)のことを書いています。
元々日向の封印を解くつもりはなく、
3月26日の流れに乗っているだけでした。
饒速日命の事を追いかけていましたし、
墳墓まで出向いています。
最初の頃の考察は物部氏から始まっています。
石上神宮に関する饒速日命は物部氏の祖神だと思っていたからです。
そのうちにねじれ現象が起きてきて、
饒速日命の事や神武東征のことを読み込んでいるところでした。
※武雄の陶板工房で金龍=国常立尊=饒速日命と記載されていました。
3月26日の出来事により
藤田妃見子さんの後押しがあって、こちらにコメント書くことを決めましたので責任を背負い
吾平津媛の事を掘り起こすことが出来ればよいなと願っています。
返信する
シンクロ? (さくら)
2022-12-03 10:15:48
今朝このニュースを見て
つぶやく熊本城「すごい、すごい」日本代表の活躍を称賛…青色にライトアップ
12/3(土) 6:26配信

サッカーのFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会での日本代表の決勝トーナメント進出を受け、熊本市の熊本城天守閣が2日午後9時から、日本代表のユニホームにちなんで青色にライトアップされた。

これは奇跡の1ミリでVARによって確定されたものです。その前に同点ゴール尼崎出身の堂安選手の活躍もありました。

friendship 音楽 (さくら)
2022-11-17 09:42:54
吉田様とシンクロ(火花を散らす)つまり、同じリズムを刻む現象が起こりました?
シンクロはfriendshipを意味し、友愛、友情、交友関係を意味します。
このfriendshipのすばらしさを御神霊は見せてほしいみたいだと感じています。

青と黒と金色の事を書きましたが、、、

このコメントを書いた二日後11月19日
私は招待を受け、パナソニックスタジアムのガンバ大阪対ドイツフランクフルトの試合を見に行くことになりました。
ほぼ、サッカーの知識なし。
そこで、初めてガンバ大阪が青と黒のカラーだと知ります。青黒大阪と書かれています。
青黒といえば、蔵王権現降臨だと感じます。
そこの試合も逆転勝利でした。
上から選手の動きを見ていて、後半の時に一人の選手が試合の流れを変えたのです。勝利の女神がほほ笑む姿を見た気がしました。

今回のスペインと日本の試合はライブで見ていないのですが、川崎鷺沼の元チームメイトの連携プレーで1ミリの奇跡が起きたのですね。
日本代表カラーは侍ブルーで、八咫烏がエンブレムです。八咫烏は金鵄ともいいます。
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鵜戸の龍宮の御神霊 (さくら)
2022-12-01 17:24:18
「元三大師と567」より
おみくじ49番 (さくら)
2021-12-11 22:02:33
温泉寺近くに、さびれた神社が片隅にあるので出向きますと、そこは金と書かれていて、、
金毘羅大権現と波切不動尊をお祀りしていて、その尊像をお持ち帰りになられますように・・・
象頭山 金毘羅寺と書かれています。
神社なのですけど、、そんなことが書かれていて、
象頭山というのが、気になります。
四国の金毘羅宮にお参りに行き、奥の院で石笛を吹いたのです。
象頭山 松尾寺も行きました。
そこは豊玉姫がお祀りされているはずなのです。
象頭はしょうず、、清水のことだと思っていますので、、
ここの神社の尊像をお持ち帰りしようと思いました。
波切不動尊は東寺の近くに出向いていますし、
鵜戸神宮の海沿いの洞穴に波切不動、波切神社でした。
https://www.pmiyazaki.com/udo_2/
鵜戸神宮もウサギがいっぱいです。

※リンク先が吾平山陵・御陵墓伝説地吾平山上陵
祠に吊り下げられた鈴の代わりに鯛の型の板鐘、木槌で叩きます。
上に描かれた卍の文字が印象的です。神仏習合。
鯛は、ヱビス神で事代主が持ちますね。
4月の三輪山神事の時に、たい焼きを食べました。
その時に、きっと昔は「鯛」をお供えしていたのかなと話しました。

波切神社には独特の参拝作法があるようです。
入り口に置いてある箒(ほうき)を持って参拝。お詣りがすんだら、後ろ向きに後ずさりしながら箒の目を立てて自分の足跡を消しながら入り口までさがるそうです。

夢の指示で箒の神様にお参りしたのは、高野山でした。ホウキで思いましたのは、京都安養寺跡地の近く、ニノセあたりだと思う風景で「厄除けちまき」を作っていました。

その特殊な笹の形をみて、ホウキだと思ったのでした。

厄除けちまきを手に取って見てみると,稲のわらを,ササの葉と藺草(いぐさ)を使って包んだものだと分かる。このササは,いわゆるクマザサの一種で,通称チマキザサと呼ばれる大型のササだ。種としてはチュウゴクザサ (Sasa veitchii var. hirsuta) である。
 特に京都市北部, 鞍馬山から花背別所町や大原百井町周辺の山間部に自生するチュウゴクザサは, 香りが良く, また葉の裏に毛がないために加工がしやすいという理由から好んで用いられており,古くから根強い需要がある。17世紀末に書かれた『雍州府志(ようしゅうふし)』にも,“他産不堪用(=他産地のものは品質面から使用できない)”との記述があるほどだ。祇園祭だけでなく,お菓子のちまきや麩まんじゅう,京料理の敷き笹などにも多く利用され,京都の暮らしと文化にかかせないものだと言える。

波切神社のあとのコメント
ウサギと桔梗のアカルヒメ(本住吉神)と歳の月日神(丹生都姫神)かな?と思っていました。

そこから、私は縄文蛇に騙されて先祖の宝(吾平=古代安曇族=阿多)の宝珠を奪われたと訴えています。

知らないうちに出雲族を貶めていたのでしょうね。出雲と言っていますが、土蜘蛛、海蜘蛛の例えでしょう。
繋がるのは、記事JAL123便の航空機事故33回忌と警告 No468 

ここで、この記事のコメントの最初「158」明治銀龍37と繋がります。33回忌はANA37便。
青龍明治銀37は、イザナミ女神の祝かと。
37はミナで御名ですね。
ということは、コメントを書くことによって、名前を取り戻したのかもしれないです。
日向大神宮の参道脇は、安養寺で
青龍山と書かれていました。開祖は円仁

縄文のヘビに騙されたと泣いたり憤慨したり、、私に顕れた背景は、役行者さん、空海さん、三輪山(アラハハキ神・サイ神)三輪明神、御山神社(三鬼さま)、鵜戸の御神霊、波切不動尊、金毘羅権現、牛鬼、如意輪観音、魔王尊、白山神、黒い狐(北斗七星)

私の過去の吾平山、吾平津の時空の旅はこれぐらいですかね。
地理的旅は、近々出向きたいと願っています。
来年春までを予定として。
怨念の浄化の旅で、もしこちらに来られる機会がありましたら、是非お声掛けください。
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感想というより感覚 (さくら)
2022-11-30 22:07:39
吾平津媛は、神武天皇の九州の前妻とされていますが、、
吾平津媛=媛蹈鞴五十鈴媛命
本来は同じ人物で、場所により違う名称になっていると感じています。

媛蹈鞴五十鈴媛命 ヒメタタライススキヒメ(姫氏・たたら・平・五・すすき・薄・いすず・五鈴)

第一代皇后陛下。第一代天皇である神武天皇の皇后であり第二妃。この名は日本書紀による名であり、古事記では富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメノミコト)や比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と書かれている。

古事記では、本来は富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライススキヒメ)という名前だったが、「ほと」(陰部)の名を嫌って比売多多良伊須気余理比売に改めた、とされている。

母親は三島溝杭姫(ミシマノミゾクイヒメ)で確定しているが、父親に関しては二説あり、事代主神説と大物主神説がある。古事記では大物主神説が書かれ、日本書紀では、神武天皇の巻では事代主神説、神代上の巻では両論併記されている。

現在の研究では事代主神が正しいとするのが有力なようである。

吾平津媛=田油津姫(九州の縄文の巫女。土蜘蛛)
九州ではタブラ=吾平(阿多=平)阿多一族の巫女
隼人も二種類いて、蘇我系と物部系と存在していたのかもしれません。遠賀川辺りで、水利権で稲目と争っていたはずです。それが、崇仏派の蘇我と神道の物部の争いとされていたはずです。

初代皇統から蘇我氏までを含む葛城系と物部・中臣等の物部系の争いの由縁となり

葛城に蜘蛛塚があるのです。
葛城の蜘蛛塚には毎年行くのですが、
クジラと言う地名があり、古代海人族の気配が濃厚なのですが、山の中です。
大三島の大山祇神社は海人族なのに、山となります。ワタシの神。海神です。

※実は4か月ほど前から、「みみ」の神と「月夜み」「変若水」「ハハキ」の神、大山和多島つみ、とよほとたたらいすすきひめ、など毎朝呼びかけていました。
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吾平津媛 (さくら)
2022-11-29 21:16:44
「双身毘沙門天とキールティムカ」に
吾平津媛のコメント残していますね。

隠された神秘 (さくら)
2021-04-29 17:35:38
笹原と平は、三光(参考)白澤NO546の記事にて、
吾平津姫が神武天皇の前后であり、御所市に「ほほま」の宮としてお祀りされていて、ホホマは「ホンダワラ」であり古語で「なのりそ」という事でした。
ここで、「すゑ」は「すず」という事でした。
英彦山の橿原神社の三日月池は「吾平津姫」が祀られているのでしょうね。
田油津姫とも同じかもしれません。7047

※このコメントの補足は、「すゑ」は「すず」と書いています。自分のコメントを読み直します。
すゑは「糸」として、千葉県の「すゑ」郡をはりつけています。
あの時に「すず」は英彦山神宮奉幣殿の「すず」の事が頭にイメージされていたと思います。
それで、英彦山道中の橿原神社は「吾平津媛」だろうと「龍宮の神秘」⇒隠された神秘という題名にしたはずです。
金(AU)元素記号とサイ神(少彦名神)
がずっと背景にでてきていましたね。
サイ神は三輪山の少彦名神と同体なのかもしれないですね。
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卯の神霊 (さくら)
2022-11-24 23:24:39
過去に鵜戸神宮についてコメントしていました。
567から576への大祈願NO562
私のメインは11月24日の女王coin拾得と幸運の金の斧購入のお話しであり

薄皮を剥く (さくら)
2020-12-08 00:15:02
鷲林寺で気になったのは、若宮神社です。
そこで、光が降り注いだからです。
こちらに、ウサギ、波兎の紋があるのです。

伊都の梅 (さくら)
2020-12-27 00:10:04
伊豆能売女神の事を調べますと、、
色々と書かれていますが、、、
鵜戸神宮の九柱社にお祀りされているのです。
2019年4月の鵜戸神宮参拝の時は、吾平山が大変気になりましたけど・・この九柱社もお参りした記憶があります。兎・亀・犬が気になり、、
お乳飴を購入しました。
それと、九州遠賀川沿いの伊豆神社二社になります。
伊豆能売女神を三穂津姫としているブログ

鵜戸神宮の九柱社の祭神
「ウド」は、空(うつ)、洞(うろ)に通じる呼称で、内部が空洞になった場所を意味し、祭神名の「鸕鷀(う)」が鵜を意味するのに因んで、「鵜戸」の字を充てている。
鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺
※吾平山の仁王護国寺の「仁王」は鬼、王仁のことかもしれないですね。

九柱神社 - 神直毘神・大直毘神・伊豆能売神・底筒男神・中筒男神・上筒男神・底津綿積神・中津綿積神・上津綿積神を祀る

鵜戸神宮に摂社で波切神社があります。
それも、吾平山に行く稲荷神社があり、そこから繋がっているのです。
私は、鵜戸神宮の稲荷神社にお参りして、吾平山という事を知ります。
それを見て、感慨深いものを感じたのです。
それで、比良、平のことは特別に気にしていました。

この波切神社。波切不動を特別に今まで、お詣りに行っていました。
①九州福岡笹栗八十八。音の神様と波切不動に行く。
②京都東寺のすぐうら、石上神社
③和歌山紀伊三井寺ここは玉津島神社・塩竈神社と向かい合わせ。
全て、空海が絡む。

鵜戸神宮には、兎がいるのです。
鷲林寺の横、若宮神社で波とウサギを書きましたが、、
鳥取の白兎神社に合祀されている豊玉姫の事を書き、四鬼家調べの多門寺でも、波とウサギを感じた事になります。

卯の神霊を追いかけていて、卯と妙見の霊鑑寺に行き、洛陽妙見12支廻りを知ります。
その後、卯の神霊とされている、息長丹生真人氏の法性坊尊意、霊仙山に行きます。
霊仙山の頂上が綺麗に見える見晴台(756M)にて
蛇のように曲がった松とそれをつたう蔦も蛇の形象であり、その松の根元で虎池の「キトラ龍神」に向けて祈りました。
頂上を諦めたのは私の体力ではなく、同行者の事を気遣いました。
内心は強烈に悔しいのですが、気長に構えて3月に再挑戦です。

次の新しいプログラムに集中します。
※童子から始まる藤田妃見子さんを感じる微細な言葉感覚があっての
私の中での思考とシンクロしていましたので。
頑張りますと伝えています。

うさぎと月
オオカミ(おいぬ様)と月
6166
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friendship 音楽 (さくら)
2022-11-17 09:42:54
吉田様とシンクロ(火花を散らす)つまり、同じリズムを刻む現象が起こりました?
シンクロはfriendshipを意味し、友愛、友情、交友関係を意味します。
このfriendshipのすばらしさを御神霊は見せてほしいみたいだと感じています。

火花の夢のプログラムは中学生「童子」の私ですね。
古代波動の世界での指導方法は、童子(過去の自分)がプログラム(阿頼耶識)そのことの意味を理解できるものだけが入門を許されます。
つまり、波動に例えますと、念波、観波などが読めて見えないとこの世界は無理という事です。

黄金もしくは黄色のオーラを身に着ける努力が必要ですね。
私の中では吉田様は青のオーラの役割を持つ
因みに私は黒です。

高級メダカの出来事は世界情勢?
赤と白の世界なのですかね。
ラメ入りということは、金箔。キラキラ。

自分と本質が繋がることが重要で、そうでなければ自分が分離し破滅します。
でもそれはそれで、運命。
別に間違いでもなんでもない。
行く道先は自分で気が付いて、自己責任です。

吉田様の返信
縄文の呪詛の大本の(大元帥明王の)解除の話と
日本国体の保護のための大元帥明王祭祀とは全く別の機能となります。
例えば一台のコンピュータがあって縄文人が走らせているプログラムと
近代日本で走らせたプログラムは同時に動いているのです。
私は縄文のプログラムを停止させると共に
国防のためのプログラムを再起動させようと考えているのです。
日本の天皇が日本の歴史の中で潰されなかった理由が解らないと
八紘一宇思想も理解出来ないと思います。

※私宛の返信ではないですので、私は自由意志が保障されているのですが、、
偶然ですが、童子から始まる藤田妃見子さんを感じる微細な言葉感覚があっての
私の中での思考とシンクロしていましたので。
頑張りますと伝えています。
登山予定の霊仙山は、住所に柏原がありましたので、吾平津媛の感覚が望海のように見えました。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信 追記)
2022-11-17 08:46:19
追記しますが、私の夢の話を分析すると
中学生の私が大人の半グレに絡まれていたのですが
死んでいた高級メダカはラメ入り赤色とラメ入り白色の2匹でした。
どうも赤い国(半グレ)と白い国(弱小)が共に滅亡するような
意味を感じました。
白い国が日本でないと良いのですが!
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吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-17 00:58:13
確かに今日の朝のあれは何だったのでしょうか?
私は半グレに暴力で脅される夢で朝がたヒーヒー言って
やっと目が覚めてみたら大切にしている高級メダカペアが
2匹共に死んでいました。
まさに火花が散ったと感じていました。
原因をお教えください。
返信する
理性と感情の狭間 (はいせ)
2022-11-17 00:44:03
吉田様の感じていらっしゃることとは私の方が大分薄っぺらいと思います。
縄文の呪詛のことは、理性ではわかっていても感情がまだ納得できていないところがあります。
ただ、前回の実家への帰省時に座間参りもしたのですが、ちょっとした事件があって有鹿神社奥宮(勝坂遺跡)のみのご参拝になったら、静岡で台風による停電、洪水、断水被害が起き…。改めて、座間参りの際の鈴鹿明神社、護王姫神社ご参拝の重要性を感じたのです。プログラムのお話は、座間で感じたことの国家規模のことなのかもと思いました。
あと、現在の有鹿神社の本宮境外社に神武社があるようです。機会があれば、ご参拝したいと思います。

記事とは離れてしまいますが、私的には150年記念から遮光式土偶が出てきたので、150年前(1872年、明治5年)の出来事をWikipediaで見てみました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1872%E5%B9%B4
気になる出来事としては、太陰太陽暦を太陽暦に改暦し、神武天皇即位を紀元としています。

日本の天皇が日本の歴史の中で潰されなかったのは、和と寛恕と思いやりと忍耐の心で、時間も空間も超えて、何でもかんでも一つにするというのではなく、色とりどりの天地の文、それはそのままで、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成していくことを実践しようとしてきたからではと考えています。

4455
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プログラム (さくら)
2022-11-16 19:21:21
今朝、祝詞祭祀しているときに火花が散りました。
それで、そうですかぁ~。
あちらの世界ではそう組み換えになりましたか・・・
と思っていました。
まぁ、これも運命と思いつつ。
やっぱり、阿頼耶識世界が存在し感じますね。
返信する
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2022-11-16 12:11:16
上記コメントの件ですが私が感じていることとは同じかもしれないし
若干違うのかもしれません。。
日本の明治からの歴史をかえりみるとき
私の感覚としては常に追い立てられて戦争をしています。
西欧の植民地支配に対して日本は肩を並べようとしたのではなく
東亜の開放を願っていたのです。
八紘一宇です。
日本で天皇が滅ぼされずに常に崇敬されてきた理由がそこにはあります。
東亜の開放というその目的は成功し世界の植民地支配は終焉します。
しかし最も大切な八紘一宇思想は世界に伝えることが出来ませんでした。
残念なことです。
植民地終焉のこの怨みは全て日本国一国が被り
未だに日本は支配され続けているわけですね。
つまり全く日本の国体は御神霊によって守られていない状況です。
正直言って家畜として飼われているようなものです。
あまり働かなくても裕福な国家は世界に沢山有ります。
私は何が神霊的に問題なのかがみえていますので
祭祀により解決させようとしているのです。
縄文の呪詛の大本の(大元帥明王の)解除の話と
日本国体の保護のための大元帥明王祭祀とは全く別の機能となります。
例えば一台のコンピュータがあって縄文人が走らせているプログラムと
近代日本で走らせたプログラムは同時に動いているのです。
私は縄文のプログラムを停止させると共に
国防のためのプログラムを再起動させようと考えているのです。
日本の天皇が日本の歴史の中で潰されなかった理由が解らないと
八紘一宇思想も理解出来ないと思います。
返信する
祝福 (はいせ)
2022-11-15 23:52:28
吉田様、返信ありがとうございます。
実は明日トーハクの国宝展に行くのです。遮光式土偶のキーチェーンを買ってこようと思っているのですが…。お見通しですか…。
青森・岩手旅以降、毎日の祭祀時に『大地母神 アラハバキ様 しゃこちゃん』と呼びかけ追加しています。それでお供え棚に遮光式土偶のキーチェーンがあれば可愛いなと思って。

アラハバキ神を大元帥明王として封印・祭祀を試みた結果、絶大な国家守護の力を得たが、祟りも残ったって解釈でしょうか?難しい…。

過去記事の『妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神と大元帥明王尊』をもう一回読み込んでみます。
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/63e51e87d23c217ba3cae856fd32362f

山幸彦の針を返す時の所作を見て、事代主の天ノ逆手を思い出しました。国譲りイベントでも起こったのかな?

9993
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吉田一氣 (はいせ様への返信)
2022-11-15 19:41:42
縄文の祟りについて過去に記事にしています。
『吉田一氣の白山菊理媛信仰について No114』
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/bed06510a7add8f4ca459204e72e3680
ここに記載している強力に祟る御神霊についてですが
もしかすると大元帥明王と呼ばれる御神霊と
同一だったのではないかと感じています。
呉音霊は文明を創り壊す御神霊で縄文を司る御神霊の一柱だと思いますが、
文明が移り変わった後にまで祟りをもたらすような作用は感じられないので
他の御神霊についても調査していました。
妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神の祈願において
大元帥明王の祭祀と縄文神への慰撫を続けた結果ですが
なんとなく繋がりが見えたのです。
もちろん縄文人が大元帥明王の名前を知って祭祀していた訳ではないと思います。
それでも自分なりにこじ付けてみました。
大元帥明王は古代インド神話に登場する鬼神アータヴァカ(Āṭavaka)に由来し、
「荒野鬼神大将」と漢訳されるそうです。
一方縄文由来と言われるアラハバキ神はいろんな説がある中で
「大元尊神」とする例があるようです。
この大元尊神は「アーラヴァカ・ヤクシャ」とされているようで
アーラヴァカ≒アータヴァカのようです。
調べていくと以下の本にそのように記載されているそうです。
「記紀解体―アラハバキ神と古代史の原像」 近江雅和著
確信が持てましたら記事にアップしたいと考えています。
返信する
翡翠カワセミ (さくら)
2022-11-15 15:24:12
四天王寺の救世観音の法要を見た後、骨董市にて入手した蝉の翡翠(玉蝉)を八大龍王神の喉元に針で付けていたのですが、
カワセミを魚狗=ぎょく と読むことが気になり
今朝、手に取って見てみました。
蝉の後ろが、藤のようになっていて、アイラトビカヅラだと思ったことを思い出しました。
久しぶりに蝉、含蝉のことを検索
衣、紙のことが書かれていました。
蝉を食ふ話から ~蝉衣箋について
http://diary.sousokou.jp/?eid=780
https://baike.baidu.com/tashuo/browse/content?id=d488195bc429e444bab0b16c

吉田様は、吾平津媛、吾田津媛は縄文系の九州女王ということをお考えなのですね。
三か所に分骨ですか・・
藤田妃見子さんのところに顕れた豊玉姫=天照大神=人魚の洞窟から発見された人骨は縄文時代の女性と小児と乳児でしたからね。内田さんという霊能者も顕れていますが、菊鹿の近くに内田という地名がありますね。
藤田さんは大阪を本拠地にされたので、縁ができたというか、なんとなく想いを受け取りやすいですね。
私は鎮宅霊符神が気になっていて仙縁が欲しいと思ってます。鎮宅霊符神=熊野権現と役小角はかんがえていたと書かれています。
熊野権現はイザナミ様・大地母神(シュメール文明のヒの神)だとしましたら、購入の青龍明治銀龍コインは、明治37年ですので、37はミナでイザナミ様(大地母神)だと考えています。
JAL123便の次は33回忌のANA37便のことも思いました。最も、年号28年か37年か迷ったのですが、龍の意匠で37にしました。
話が飛びました。

鎮宅霊符神は星田妙見に行き自宅にてお祀りしようか迷っています。
そうしますと、泰山府君、赤山禅院、深沙大王などと繋がります。
私が京都赤山禅院に行きましたのが、6月25日で菅原道真氏の誕生日に合わせましたが
この記事の神犬石の写真は、6月25日にとられてますね。
赤山禅院に行き、夢で見た虚空に浮かぶ文字を思い出したので、摩多羅神祭祀を実行することになりました。その時は悉曇霊から悉曇神へ、、
今思うと、水に浮かぶ文字から、蛇・巳神祭祀でしたね。もしかすると、その時は気が付かなかったのですが古代縄文神蛇神祭祀をしていたのかもしれないです。




確かに私の母方の母系血筋を辿ると、北陸縄文系の古代海人族が祀る三所権現が顕れました。その時に、ポータラカのこと、補陀落渡海のお話しと、変若水、若狭野豊玉姫と耶馬壹国のお話しを伺いました。
この若狭野龍王神は蘇我系統だと思うのですが。
狭野は神武天皇の別名ですね。
ツヌガアラヒトのウサギの耳は、鳥の羽で出来ていたと思います。
コメントには記載していませんでした。
半島のことが書かれていたので、例題を挙げるのを止めました。
その代わりに、於菟は虎という事だけ書きました。
垂れた耳の新羅明神の絵は、三井寺で絵葉書を購入したものですので、ネット上にはないのかもしれないです。
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潮嶽神社 (はいせ)
2022-11-13 20:56:37
海幸山幸のお話って納得いかないとずっと思ってました。
日向三代の神話は全体的にはてな?なところが多くて、もやっとしますが。
お互いの得物を取換えようと言い出したのも、借りたものを返さなかったのも山幸彦で海幸彦が怒るのも仕方ないと個人的には思うし、借りたものを返す時に呪いをかけるとかどうなの?とも思います。
海幸彦を主祭神とする神社が全国でただ一つ潮嶽神社で、山幸彦に敗れた海幸彦が磐船に乗って逃げ延び、流れついたところだそうです。海幸山幸の故事に習って地元では針の貸し借りをしないとか。また初宮参りで額に「犬」と書くそうです。
磐船と聞くとニギハヤヒや貴船神社の玉依姫などが想像でき、海幸彦は呉音霊(この頃には呉音神に昇格しているのかも?)の祭祀者だったのかなぁと想像してしまいます。
縄文の調査で、呉音霊は呉系姫氏と融合した縄文人が祀っていたのでは?と予想していますが、火焔土器の火(火山)の木花開耶姫系と遮光器土偶の産み出す竜宮の乙姫⇒龍宮の豊玉姫系になるのかなあ?

潮嶽神社には神武天皇が東征の際に立ち寄り、「そらみつ やまとのくには 神からし 尊くあるらし  この舞い見れば」の歌を詠んだ伝承があるそうです。
霧島信仰の影響もあるとのこと。
潮嶽神社
https://www.ushiodakejinja.jp/index.html

いろいろな角度から海神族は貶められていますね…。何とかしたいです。

木花開耶姫が出産のときの産室は戸をすべてふさいでしまったというのは、縄文の土屋根の竪穴式住居のようにも思えるし、豊玉姫の岩屋で出産というのも縄文っぽいですね。
返信する
観念力 (さくら)
2022-11-13 16:35:37
隼別神社の歌碑26基は、藤田妃見子さんがお金を寄付されたのではないかな?と感じています。
人魚像以外に藤田乙姫さんの歌碑があり、その想いの指標を感じ取り、微妙で繊細な感触から縁・えにしを結べます。
和歌、万葉集など籠められた咒力は想像力の賜物であり、イメージされた脳内世界観を文字に籠めて表現する手法は、怨念の解放、禊に役立っているのではないかと思います。
元は鎮宅霊符神の呪力を昇華させて、和歌などにしたのかもしれない。
蛇のようなくねくねの力を想像のハイパークリエイティブイメージと重ねるのでしょうね。
祈祷と意識が飛ぶ状態とは、また違って
意識がとぶのは、憑依?

当時の若かりし自分の感覚では、大昔の故人の想いを感じて私費で神社を建立するというシャーマンチックなことを平成の世を生きる現代人がしたことに尊敬の念を抱いて、何度も読み直していたのかと思います。

翡翠(かわせみ)は写真でしか見たことがないです。出会えたのは、奇跡ですね。
良い兆しでしょう。
魚狗が気に入りました?狗ですものね。
言魂の里の歌に、神武天皇は「いぬ率寝」の事を書いていて、吉田様は神武天皇(神日本磐余彦天皇・かんやまといわれびこのすめらみこと)に導かれているのかもしれないですね。
春日大社など、長い名前で神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)でお祀りされています。日向大神宮にも、お祀りされていました。福土神社でしたね。お皿が重ねて置いてあったような。

翡翠という漢字から、カワセミ、川蝉で、、私も非常に感じ入るものがあります。
曽爾の曽は、曽我氏の曽ですし。
橿原の蘇我氏は曽我になっています。
爾は丹生都姫の爾かも、爾保津姫ってありました。
息長しなが鳥の「にを鳥」も気になりますけどね。
長野は「しなの」地方。
長野と書いているけど、シナツヒコ、シナトベなどが浮かびますね。

曽爾高原は個人的に思い入れがあります。
薄が有名で、23歳の頃に会社の先輩に教えてもらって、名張方面から登りました。
クロソ山、お亀池、蛇の何か伝説。
初めて方位取をした場所であり、自宅からその年の吉方位東南の方向を地図で探して、曽爾高原に行きました。エスカレーター方式で生きてきた人生の方向転換した場所になります。
この時から、秘境に行くことに目覚めてしまった感があります。

隼別神社のすぐ近くに若宮神社がありますね。
私が思う若宮神社は、うさぎと波があって、、
ウサギは隠されているのです。
ウサギの耳は、ツヌガアラヒトの角だと思っていて、、、
以前コメントに記載したのですが、、
ツヌガアラヒトは卑弥呼の系譜で角があるのですが、どうみてもウサギの耳の帽子を被っているのです。帽子は兜なのかもしれないです。
また、検索して画像があるものを貼り付けます。
ウサギの耳の帽子は、鹿児島のお祭り、流鏑馬でも少年、若い人が着けていましたし。
新羅明神の画象は、兎の垂れた耳の被り物だと思っています。
あと、隼別神社の事を調べていて、宇治。
菟道稚郎子がでてきたのです。
これは、手研耳命の逸話とそっくりだと感じています。思考する機会がくるでしょうね。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-13 01:54:47
隼別神社の情報ありがとうございます。
先日滅多に見かけないはずの翡翠(かわせみ)が
目の前の木に飛んできてこちらを覗っていたのも
魚狗を暗示しているのでしょうかね。
しかしなぜ曽爾村長野の若宮神社が近くに存在するのに
隼別神社を造営するに至ったのか興味が湧きました。
ネット検索では平成2年に奈良市高畑町の
寺島富郷が私費で建立したとありました。
寺島さん夫妻は縁あって曽爾を訪れた際に
古い石組みがあるのを見て隼別皇子を祀った跡に違いないと思い、
社を建てる決心をしたらしいですね。
屏風岩公苑の中の早高神社ももとは隼 鷹だったのではないでしょうか。
隼別皇子の逃避行の相手は雌鳥皇女でやはり鳥です。
民のかまど伝説の仁徳天皇は鷦鷯ですからこれも鳥。
雲雀は 天に翔る 高行くや 隼別 鷦鷯取らさね
隼は 天に上り 飛び翔り 斎が上の 鷦鷯取らさね
出来過ぎた討伐伝説の裏を勘ぐります。
ところで
寺島富郷さんが藤田妃見子さんの歌碑を建てたのでしょうかね。

たぶん隼人の阿多君の調査に役立つ情報だと思います。
ところで木花開耶姫も神阿多都毘売と呼ばれますから
吾平津媛と同じく縄文系の女王だった可能性が高いと感じています。

人吉の淡島神社には数回参拝しています。
淡島願人がこの地まで来たのではないかと感じています。
ちなみに熊本県宇土市の粟嶋神社も淡島願人由来だと思います。
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言霊の里 (さくら)
2022-11-12 22:23:45
過去に相良=愛・藍=乙姫=言霊神=ことたま神
として考えていました。
「ことたま」がでてきましたので、3月26日の続きを記載しようと思います。

狗奴国を「くなこく」を「いぬこく」と読む理由
藤田乙姫は七色の虹 (さくら)
2022-10-05 07:19:23
このコメントの続きになります。

兜跋毘沙門天とグアダルーペマリアと金色琵琶湖女神との相関
義理立て (さくら)
2022-10-18 16:30:18
2020年10月7日に自宅で「吾平祭祀」をしたのですが、、

私が21歳頃の深秘は、別の話であり、そこでの感じた質が、吉田様と藤田妃見子さんと同じであり、それは綿あめが消えてなくなるような、雲をつかむような繊細な感覚ですけど、、
これと、今回の義理立てした10月7日とは違います。21歳の深秘には、神功皇后がでてきます。
藤田さんは神功皇后と静御前の間に石碑を立てました。
私はそれが妙に嬉しかったのです。

このコメントの根拠となる出来事ですね。
私の21歳から23歳頃なのですが、、幅がありますが、社会人として稼いでいた独身の時ですね。
神呪寺で女王コインを拾い、そのコインに刻まれている年に合わせて、とりあえず21歳の深秘としています。
21歳の頃、新聞を読んでいてとても気になる記事があり、それを切り抜いて何度も読み返していました。その内容は、私費で神社を建立したというお話しでした。

藤田妃見子さんで検索していると、
「言霊の里」がでてきました。
http://www43.tok2.com/home/manyohi/gembox-kahi-news-k-029r.html
この記事を見たときに、私が21歳頃に切り抜いて読んでいた私費の神社だと分かりました。
場所が曽爾高原の近くで、
奈良県宇陀郡曽爾村長野地区内 隼別神社境内「言霊の里」内
吾平を追い、宇陀の阿蘇神社に導かれた私。
吾平を追い、山鹿温泉に行く前に菊池の神龍八大龍王神に行き、そばの長野神社にお参りしました。
隼人の字が使われた神社の名称、「隼別」
岐阜の市早雄命の古墳に行きました。蘇我氏をお祀りする場所、日子坐王の系譜。
蘇我倉山田石川麻呂の日向の封印3月26日。

曽爾はソニトリ、石でなく鳥の翡翠(かわせみ)は魚狗、川蝉と読みます。
ソニ色の鳥(翡翠)は、いぬでセミでした。

乙姫藤田后歌  コスモスの花咲きみてり乙姫の七色の虹世界をつつむ (乙姫 藤田妃見子)
※コスモスは宇宙を表していて、夜空の星のことも含むでしょう。般若寺はコスモスで有名です。ホウショウ山般若寺に出向きました。
鬼⇒般若
桃尾の瀧の白龍権現、奥に国見山の頂上、巨石群があり、御山大神。
七色の虹は、7777で送られた虹龍の世界。

神武天皇歌   葦原の密しき小屋に菅畳いやさや敷きて我が二人寝し(古事記中巻)

神功皇后歌 この御酒は我が御酒ならず酒の司常世に座す石立たす  (日本書記第九)
少名御神の豊壽き壽き廻し神壽き壽き狂ほし獻り来し
御酒そ残さず飲せささ

本居宣長歌碑  敷きしまの倭こころを人とはば朝日ににほふ山さくら花
         
明治天皇歌   さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり
※明治銀龍コインを購入したので引用。やっぱり旭日が良いですね。1133


  
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<(_ _)> (さくら)
2022-11-12 12:37:57
深い洞察ですね (さくら)
2022-11-11 19:54:32
コメントについてのフォローをしておきます
<(_ _)>

※その時は、返信の理由がよくわからず、勉強が足りないという言葉に腹が立って、天皇について知りたいなんて思っていないと反発していました。

この「吾平」について色々と思い出すまで、その時のことはすっかり忘れていました。
なので、この記事「序 鵜戸神宮にて」の前の記事三日間限定の記事が存在して、私は今更ながら復習していました。
それなのに、やけにつっかかってしまって申し訳ないです。
今更ながら謝ります<(_ _)>
言わしていただくのなら、「三国の呉」も半島ではないということです。長江が源とはっきり書いています。
文献など呉織姫は半島がよくでてきますが、、実際の現地の教育では違いますし。本当のところはグレーにしています。それは日本人の智慧なのかもしれないですね。白黒はっきりさせないで、なぁなぁな感じでそれでも真実を知りたい人にのみ、どこか違う方向からこっそり知ることが出来る感じですね。
それで、私の研究に役立ててほしいと秘匿なことも教えていただいています。
相手から探りを入れられて、力量を試されるみたいです。

昨晩過去コメントを記載して、ことたま神=吾平姫=乙姫として、思考していたようです・・・
ことたま神のことを記載したのは、、
「呉言霊から分霊され右回りの鬼子になった摩多羅神」NO471になります。

呉言霊 (さくら)
2017-09-04 08:49:28
まだ、記載途中ですが、吉田様の説では円仁が召喚した摩多羅神は「呉ことたま神」ではないということですね。

私の呉音神祭祀の神籬は終了となりまして、次に新しい神籬のイメージが出てきています。まだ、詳細はわかりませんが、多分もう一段階難しい合わせ「和、相生、相良」だと思います。御神霊はえらく焦っているのは伝わります。

ここで、「相良」と書いています。
すくなひこ神事をするように示唆されて、わけがわからなくて、ヒントを探していたのだと思います。
色々と懐かしいことばかりです。
結局、その時の三つの輪をくくれという事で、選ばれた人たちに私からお声を掛けましたが、私以外のお二人共に拒否されましたので、この三輪のすくなひこ神事は私一人で決行したという事になります。
牛王神、アラハハキ神を頼りました。
男系姫氏と女系縄文神ですかね。
その後、三人で三輪神業のやり直しをしました。
8805
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吾平山 (さくら)
2022-11-11 23:43:47
上記のアイラの言葉の下準備があり、、
2019年訪問の鵜戸神宮の神犬石から入る摂社が、吾平山陵と書いてあり、、、それも神犬が鵜戸神宮を見守っていると書かれた看板でした。
戌、犬については、夢で見たのです。
これもコメントに記載しました。2018年1月2日満月に高野山訪問しています。
その高野山二回目訪問後に、結願は何かと調べていましたら、宇陀の平井大師山88か所、そこの長が平がつくお名前で母の旧姓でした。
宇陀に阿蘇神社の水神、雷神がありました。
その後、また父方母方の名前がでてきたのが、山鹿市の温泉でしたので、山鹿温泉に調査ついでに、豊玉姫の洞窟を検索していて、出口王仁三郎さんの山鹿市訪問の記事を読んで、吃驚していたのですが、、洞窟に行き、初めて裏が吾平山だと理解したのです。自分の名前、吾平と豊玉姫が結びついた。
と言う経緯でした。長い時間がかかっています。

2019年鵜戸神宮参拝前に油津の海沿いの神社を調べていて、吾平津姫が、油津と重なっていることを知り。

若狭の語源が「あ、いぬ」語と言うのも知りました。

宮崎の都井岬にも行きましたが、その時に都井は「土肥」が本当の名前だと知ります。
日向の駒が居ました。蘇鉄も群生していました。
そこは、住吉三神のお名前が書かれているのですが、三神とも海神(わたつみ)が名前に入って書かれていました。
私が「ほほま神社」(御所市柏原)のコメントを記載するときに「生根神と笹もしくは酒」は自分の産土神の住吉神社の考察から入っています。
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相良、アイラと言葉が降りてきて書いたコメント (さくら)
2022-11-11 21:42:46
呉音神祭祀の神籬のコメントから
確か明け方潜在意識で、吾平、あいら、相良し、と言葉を聞いて、それを「ことたま神」と言い換えて、コメント書きました。それで、愛、逢、藍を書いていますね。

ことたま神との約束 (さくら)
2017-09-06 11:30:24
神様との約束は必ず守ります。
だから、次に繋がると思っています。
むちゃぶりも結構多くて、実際悩みますけど。

『呉藍』からの感応を書いておきます。
「藍千尋」2016-12-28 09:59:33
この私のコメントがすぐ浮かびました。
前日の夜に深い深い海の底の龍宮のイメージと中国のイケメン壮年仙人「呂」(八仙)との会話と「藍采和」(八仙)を絡めて書きました。
藍色の深い青、海への神秘といえばいいのでしょうか、、会話の状況は深い深い海の底です。
「あらゆるものが深い。知識、造詣、智慧そして愛が。
いつか藍が深まり青になるように。やがて青い花を咲かせるだろう。魔性の禁断の青の花を。それをいつか私に見せて欲しい。名を呼べば呼ぶほどにその花はあでやかに美しく咲くだろう。その花が咲くときにまた会えるだろう。」こんな感じのことをイメージが頭の中に入ってきたのです。今でも思い出せます。藍は愛であり相なのだろうと今は思っています。

私にとっての藍色は、四国徳島での藍染を思い出しました。その深い藍色は、香川の「琴平宮」「金刀比羅」さんに繋がり、クンピーラ八尋鰐であり、豊玉姫さんに繋がりました。龍宮の泡。

私に三の輪をくくるようにイメージが浮かんでいました。三輪明神=大物主。琴平さんの神仏習合です。
それと言葉で「スクナビコナ神事」とだけ伝えられました。
祭祀ではなく神事でした。
これを今から組み合わせていきます。
まだ、詳細はわかりません。
でも、早くしないといけないようです。
Next Stage With You→このYouも何を指すのかはまだ分かっていません。
『呉藍』を絡めての現在の私の感応はこんな感じです。
今回は「紅」は出てきません。「紅」をしいて言えば、豊玉姫さんの赤のイメージでしょうか。
私の感応ですので、自己満足です。ことたま神と約束しましたので、こちらに書かせて頂きました。いつも、有難うございます。


少彦名神 (さくら)
2017-09-09 13:31:53
少彦名神と神功皇后で調べ物をしていました。
最近は、言葉だけ降りてくるのですが、
「出口王仁三郎」「相良の神」「すくなひこな神事」
熊本の相良村に「淡島神社」があるのです。
所在地は球磨郡山江村万江

ここが気になります。女性のための神社なので、代行はお頼みしまませんが、何か情報がおありでしょうか?
いつかお手すきの時にでも、何かご存知でしたらお知らせください。


そこから、ずっと「あいら」をコメントし続けて、
吉田さまから「あいらとびかずら」を教えていただきました。

吉田一氣 (さくら様への返信)
2017-09-16 20:11:15
そういえば呉音神がらみで相良というなら
私は相良トビカズラをイメージします。
このブログでも何度か話題になっているはずの
優曇華(うどんげ)のことです。
検索してみると2016-08-31 09:33:56に
『空海と遣唐使船 No443』でさくらさまが以下コメントされています。
「法華経」にある、三千年に一度しか咲かない「優曇華」の花が現れたとき、
金輪王がこの世に現れるとゆうお話があったような、、」

トビカズラは中国の長江流域が原産地です。
以下文章は私の意見と被っているのですが
『076 アイラトビカズラは呉太伯の裔が持ち込んだ!』
https://ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-11896524274.html

現実に (さくら)
2017-09-16 22:26:45
実は偉大な力を見せつけられるのです。
奇跡のような出来事。金銭に関する数字なのですが、ありえないほどのまさかが起こるのです。最近も神降臨の出来事がありました。
それも、巨大な金額です。
いつも、御神霊に応援してもらっていると解るのです。
それで、頑張れるのです。
いつも有難うございます。
「呉」の神様と「アイラトピカズラ」ですか。
全く気がつきませんでした。一応「相良とぴかずら」の文字を見た記憶はあります。ここにコメント書いて教えていただけて幸運でした。九州に「あいら」と呼ぶ地域もありますね。
熊本直撃の台風がそれてよかったですね。
勢力もそがれていますね。

※この頃は、言葉だけのお知らせで、頑張って考えていました。
返信する
深い洞察ですね (さくら)
2022-11-11 19:54:32
吾平津姫について記載したのは、呉音神祭祀の神籬NO43六なのですが、、、
記事の吉田様の返信を読んでいて、何を言わんとしていたのかやっと理解しました。
その時は、返信の理由がよくわからず、勉強が足りないという言葉に腹が立って、天皇について知りたいなんて思っていないと反発していました。

吉田一氣 (さくら様への返信)
2017-01-02 14:52:55
縄文時代は1万2500年継続したのに対して
弥生時代は600年
古墳時代は400年程度です。
三国時代の呉系は弥生から古墳時代にかけてですが
呉音霊の主体となった春秋の呉が滅びて
日本に渡来するのは紀元前5世紀の縄文時代で
縄文時代に融合していっています。
約7300年前に喜界カルデラの大噴火で九州は
完全壊滅しています。
その後数百年以上は人が住めない状況が継続しています。
ここに流れこんで文化を築きあげた人たちは
日本本土からの流入と江南からの呉系ということになります。
私の祭祀する呉音霊とはこの時代を背景としています。
周はこの時代に合致します。
従って考察するなら三国時代の呉や三国時代の姫氏を
そぎ落とす必要があるでしょうし
それが困難なら考察しないことです。
どうも上記文章を推察する限りにおいて
呉音霊祭祀の時代背景の咀嚼が足りないように見受けられます。
最初の姫氏到来から天皇誕生までの700年間。
血統をつまびらかにすることなど
出来ないことのように思えます。
自らの足と考察で神秘を解き明かしていく努力が
望まれます。

※ここで、三国時代の呉をそぎ落とすことができないなら、考察するなと言っています。
確かに、私は三国時代の呉を考察していたのですが、、それは自分の出自に関わるからです。
神霊世界を旅するときに、よその人の背景を考察する方がよっぽど危険で自分を守る守護霊界から追放され発狂すると思っています。
四天王寺の舞楽をみると、周、春秋呉系の祭祀だったようですけどね。三国の呉ではなかったですが、、、

今回の返信もしっかりと、春秋呉系姫氏(周)は男継承と記載されていて、あやふやな私(呉の時代を理解していない)と違い、理詰めで良い感じですね。
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吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-11 02:47:45
返信回答有り難うございます。
阿蘇の坂梨から平を想定しそれが吾平津姫とつながるのは
なかなか理解に至りませんが、
吾平津姫からアスカの封印社の嗛間神社に繋がるのは
更に驚きました。
吾平津姫について他に記載した記憶はおありでしょうか?
吾平山稜は宮崎と鹿児島と熊本の山鹿に存在しますが
女王の吾平津姫の陵墓を護るために3箇所に分骨したように感じられます。
縄文系は女系継承で春秋呉系姫氏は男系継承であり
それで九州で一族がうまく融合していったのだと思います。
神武天皇は東征したという話ですが、
どんどん征服して拡大していくのではなく
敵は大阪奈良の登美能那賀須泥毘古軍だけです。
ということは長髄彦はそれまで中央を治めていた王で
その王権をコソッと近付いて奪ったといえますが
九州の王権を神武が持っていたのなら放棄したということでしょうか。
多分九州は女王国なので男子王子はスピンアウトする習わしだったのではないでしょうかね。
そうでないなら兄弟子供揃って出奔するはず無いですよね。
返信する
玉藻 (さくら)
2022-11-10 18:48:56
流石!鋭いところをついてきます。
古銭売り場でみた明治銀龍20銭コインですが、少なくて8枚ぐらいしかありませんでした。
10銭は大きさが小さくて、鑑賞には向いていませんね。大きさや竜のパワー的にやっぱり、20銭だと分かりました。
その8枚もお値段が高いのです、1万から5万円。
私の購入はお安い、最底辺のお値段です。
吉田様は、良いものを1800円と1950円で送料込みで購入していましたね。
超お得だと思います。
私は開運とか福銭、種銭を狙っていなくて、龍の鱗模様と玉、宝珠と目玉がくっきりはっきりしているものを選びました。同じ値段で美しいものもあったのですが、龍の意匠のみ鑑定です。舐めるように見て決めたのですが、、お値段的に旭日ではないのです。
旭日はお高いのだと思います。
コインの製造枚数によって値段が変化すると言ってました。特に、明治7年と8年ものは高騰と言ってたような。
東の窓のところに立てかけて置いて眺めています。
東なので、青龍ですね。
裏の菊の模様は、旭日に似てるのでオッケーにしてます。
財布用にまた、希少な旭日銀龍20銭コインをゲットしたいと考えています。
財布には、メープルリーフ金貨を入れてます。

嗛間(ほほま)神社
については、コメント残しています。
参考 白澤 NO546
2020年7月9日のコメント
「生根神と笹もしくは酒」からですね。
神武天皇⇒宇治宿禰⇒美保主命⇒阿蘇品家⇒坂梨(平)⇒吾平姫⇒嗛間(ほほま)神社ここから最後玉藻塩になっています。
玉藻前は、吉備真備についてきた白尾の狐ですね。
私は課題でした158について、考えていて、、
100をモモとして考えていると、繁昌神社の神紋の桃の由来を調べていました。
班女という中国の故事がでてきたのです。
貴船神社の奥の院には、「鉄輪」「かんなわ」の逸話があります。鉄を神、カンと読んでいて、、
ここは呉音霊の暗黒面として登場します。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2022-11-09 23:12:24
福銭として紹介した旭日竜20銭銀貨でしょうか?
明治3年(4年)に鍛造されたこの銀貨がこれ程精巧で
芸術性に優れていることにとても感動させられます。
意匠的には金貨の方が優れているのですが
金貨は高価すぎるし鋳造し易い分柔らかすぎて福銭としては使いつらいですね。
ところで嗛間(ほほま)神社のこといつ知られましたか?
私は知りませんでした。
吾平津姫が南九州から神武東征後にこの地に迎えられたとは思いませんが、
封印社を作らざる得ないとは何らかの祟りが有ったのでしょう。
返信する
158 (さくら)
2022-11-09 16:32:59
鵜戸神宮神犬石の写真懐かしいです。
同じショットで撮りましたが、豊玉姫の埴輪には気が付きませんでした。
偶々昨晩、赤銅色の皆既月食の夜に、鵜戸の御神霊から出された課題「先生へのお便り158」の事を思い出していました。
慰霊の旅に出たいとおっしゃっていたと思います。
ここに結びついてくるとは・・・
神話の豊玉姫は釣り針を失くした山幸彦を選んだお話しは、私も気になっていました。

私も近々、滋賀米原霊仙山登山(国防祈願)と京都霊鑑寺(うさぎと妙見)に行く予定です。紅葉楽しみにしています。
そういえば、明治竜の銀coin20銭、やっと手に入れることが出来ました。
ネットでなく、現物をみることに拘ったため、時間がかかりました。財布に入れずに眺めて楽しんでいます。
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