中国 秦時代の徐福伝説についての記載でよく知られる南宋時代の作品?である義楚六帖に
日本國 東北千餘里、有レ山名二富士一、亦名二蓬萊一、其山峻、三面是海、一朶上聳、頂有二火煙一、日中上有二諸寶一流下、夜即却上、常聞二音樂一、徐福止レ此謂二蓬萊一、
至レ今子孫皆曰二秦氏一、彼國古今無二侵奪者一、龍神報護、法不レ殺レ人、爲レ過者、配二在犯人島一、其他靈境名山、不レ及二一二記一レ之、
とあるがこの中に『彼國古今無二侵奪者一、龍神報護、』という文章がある。
日本は龍神が護る国なので今だ他国に侵略略奪されたことがないと書かれている。
この龍神報護は単なる美辞麗句で使われた訳ではないと思うが
この義楚六帖の書かれた時代と元寇はどちらが古いのかが気になる。
モンゴルの襲撃である元寇は1274年と1284年の2回だ。
同時代に南宋はモンゴルより南側に存在しているが1127-1279年までとなっている。
この宋にとってもモンゴルの侵略に悩ませられているので
モンゴルの侵略を退けた日本を賛美して
神風が吹いた事を龍神報護と記載したと考えると納得がいく。
しかし宋刊義楚六帖より以前の後周 顕徳元年(954)に釋義楚の撰で
『釋氏六帖』とも呼ばれる「義楚六帖」が存在したという情報を得た。
日本國亦名倭國 東海中 秦時徐福将五百童男五百童女止此國也 今人物一如長安 又顕五年 歳在戊午 有日本國傳瑜伽大弘順大師賜紫寛輔 又云 本國都城南五百余里 有金峰山 頂上有金剛蔵王菩薩 第一霊異 山有松檜名花軟草 大小寺数百 節行高道者居之 不曾有女人得上 至今男子欲上 三月断酒肉欲色 所求皆遂 云 菩薩是弥勒化身 如五台文殊 又東北北千余里有山 名富士亦名蓬莱 其山峻三面是海一朶上聳頂有火燒 日中上有諸宝流下 夜則却上 常聞音楽 徐福止此謂蓬莱 至今子称皆曰秦氏 彼國古今無侵奪者 竜神報護 法不殺人爲過者配在犯人島 其他霊境名山 不及一一記之
もしこれが事実であれば
元寇以前より日本は龍神が護る国であると認識されていたことになる。
もともと中国では龍は皇帝を守る存在として認識されている。
その龍が日本を護っているという表現は不敬とも感じ取れる。
それなりの根拠が必要とされるはずだ。
ここで感じるのが龍神信仰の阿曇氏と中国との関係だ。
まだ確証は得ていないが阿曇氏は中国南部の長江流域と接点があったはずだ。
あるいは出自でのつながりかもしれない。
例えば楚・呉・越などの王族であるなども想定できる。
さて縄文人の信仰を調べるととりあえず蛇神信仰なのだが
火炎土器のエネルギーはまさに龍神的であり
すでに縄文時代に龍神に感応するシャーマンがいたのではないかという気がしている。
龍神を仮想とすれば伝播ルートを考慮しないといけないが
霊的存在を信じればそれぞれの地域で個別に発展したという考え方も出来る。
日本の呪詛となった縄文龍と弥生人の渡来龍。
いずれにせよ日本に集まってきたのには訳があろう。
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日本國 東北千餘里、有レ山名二富士一、亦名二蓬萊一、其山峻、三面是海、一朶上聳、頂有二火煙一、日中上有二諸寶一流下、夜即却上、常聞二音樂一、徐福止レ此謂二蓬萊一、
至レ今子孫皆曰二秦氏一、彼國古今無二侵奪者一、龍神報護、法不レ殺レ人、爲レ過者、配二在犯人島一、其他靈境名山、不レ及二一二記一レ之、
とあるがこの中に『彼國古今無二侵奪者一、龍神報護、』という文章がある。
日本は龍神が護る国なので今だ他国に侵略略奪されたことがないと書かれている。
この龍神報護は単なる美辞麗句で使われた訳ではないと思うが
この義楚六帖の書かれた時代と元寇はどちらが古いのかが気になる。
モンゴルの襲撃である元寇は1274年と1284年の2回だ。
同時代に南宋はモンゴルより南側に存在しているが1127-1279年までとなっている。
この宋にとってもモンゴルの侵略に悩ませられているので
モンゴルの侵略を退けた日本を賛美して
神風が吹いた事を龍神報護と記載したと考えると納得がいく。
しかし宋刊義楚六帖より以前の後周 顕徳元年(954)に釋義楚の撰で
『釋氏六帖』とも呼ばれる「義楚六帖」が存在したという情報を得た。
日本國亦名倭國 東海中 秦時徐福将五百童男五百童女止此國也 今人物一如長安 又顕五年 歳在戊午 有日本國傳瑜伽大弘順大師賜紫寛輔 又云 本國都城南五百余里 有金峰山 頂上有金剛蔵王菩薩 第一霊異 山有松檜名花軟草 大小寺数百 節行高道者居之 不曾有女人得上 至今男子欲上 三月断酒肉欲色 所求皆遂 云 菩薩是弥勒化身 如五台文殊 又東北北千余里有山 名富士亦名蓬莱 其山峻三面是海一朶上聳頂有火燒 日中上有諸宝流下 夜則却上 常聞音楽 徐福止此謂蓬莱 至今子称皆曰秦氏 彼國古今無侵奪者 竜神報護 法不殺人爲過者配在犯人島 其他霊境名山 不及一一記之
もしこれが事実であれば
元寇以前より日本は龍神が護る国であると認識されていたことになる。
もともと中国では龍は皇帝を守る存在として認識されている。
その龍が日本を護っているという表現は不敬とも感じ取れる。
それなりの根拠が必要とされるはずだ。
ここで感じるのが龍神信仰の阿曇氏と中国との関係だ。
まだ確証は得ていないが阿曇氏は中国南部の長江流域と接点があったはずだ。
あるいは出自でのつながりかもしれない。
例えば楚・呉・越などの王族であるなども想定できる。
さて縄文人の信仰を調べるととりあえず蛇神信仰なのだが
火炎土器のエネルギーはまさに龍神的であり
すでに縄文時代に龍神に感応するシャーマンがいたのではないかという気がしている。
龍神を仮想とすれば伝播ルートを考慮しないといけないが
霊的存在を信じればそれぞれの地域で個別に発展したという考え方も出来る。
日本の呪詛となった縄文龍と弥生人の渡来龍。
いずれにせよ日本に集まってきたのには訳があろう。
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龍神は水をつかさどり日照りのときに雨をもたらして下さる神様でよね。
不老長寿であったり、水を求めて大陸より東にある日本へやってきて入植したとか。
中国から観て東の青龍は日本國。
正鵠を得ている気がします。
イツキヤマト大神、ハミト大神、ハズキ大神の観点からすると火焔型土器が龍神っぽくてもOKなんですが、でも時代的には多分蛇神・・・。なので、もっと生々しいはずなのに??と思っていたのです。
そこで、初心にかえってあきる野の縄文蛇神?武雨主神社にご参拝です。
素晴らしい彫刻です。そしてキールティムカです。
なにこれ?です。
新・龍元洞雑記帳 様
近くに牛沼や引田という地名もあるし、縄文人がいたらしい洞窟の貴志嶋神社とのご縁もある武雨主神社。火炎型土器に通じる清々しさ。古い雨龍のような雰囲気です。
創建はそれほど古くはないようですが、背後の丘を越えるとすぐに八王子市です。交通の要所であることをしみじみ感じました。
縄文時代の渡来第二派はこの辺りにもいたのかもしれません。
いろいろ複雑だと思われるので、神恩感謝はもちろんですが、できればご助力をとお願いして来ました。雲が切れて合間から光の梯子が降りてきたので、拒絶はされていないのかと思いました。
しかし、かなり古い時代から蛇神の中に龍神パワーを予感させるものがあったのだなと感動しています。それにしても、打てば響くような反応で庶民はドキドキですよ。その懐の深さこそが日本神霊界の真髄だと飲み込んでいますが・・・。
私は氏族に興味が薄いので、なかなかさくら様のように地道な調査からの深い考察などができないのですが、庶民は庶民なりに少しはお力になれているのかなぁと感じています。さくら様、いつもありがとうございます!
新・龍元洞雑記帳 様の雨武主神社の記事です。
あと、神社名間違えてました。
武雨主神社ではなく雨武主神社でした・・・。
失礼しました。
雨武主神社参拝お疲れ様です(^^)/
何か意味深な文章で深読みしていなかったのですが、意味がわかりました~。
私も偶然同じ日に、同じ「キーワード」にて宇治の久世郡寺田村「水度神社」に参拝していました。
小童豊玉姫神がお祀りされているのです。
それに、本殿は仕掛けがあって、艮の神様をお祀りしていると感じました。
曽我坐曽我神社の宮司さんのお名前は「北西・ほくせい北星」なのです。それは方位でいう、乾「ゐ」なんですね。これで、玉名の乙護法童子も「ゐ」に祀られていて、「41」と言う数字に値することが分かりました。蘇我大王家は、犬という隠しワードを持っていることも判明したと思います。
護王姫神社から玉名の乙護法童子に記事が導かれた意味が漸く理解できたという事になります。
座間・座摩神は蘇我氏との関わりがあるということでしょう。
はいせ様が護王姫神社に参拝に行かれているので、あきる野市に縄文由来で導かれたのでしょうね。
どおいうわけか、波比岐神に関わっていますからね。因縁なんでしょうか・・・
氏族の事を調べるつもりはなかったのですが、私の近道の方法だったという事ですね。
鴨居のキールティムカはね。
私は岩船寺で見ました。どうして、ここに鬼がいるのか尋ねましたら、
護ってるんですって。
ゐの思想なのかもしれないです。8988
昨日コメント書いたときは、認証番号9190でした。